8月29日(火)は午後から橿原考古学研究所、明日香村、奈良文化財研究所の現場を回り、橿原考古学研究所付属博物館で開催中の「大和を掘る」を見るとても充実した一日だった。
発掘調査は橿考研の飛鳥宮西の苑池遺構,明日香村の飛鳥寺西のいわゆる「槻の広場」の現場と奈文研の甘樫丘東方遺跡だった。いずれもまだ未発表の発掘途中の調査なので、報告は秋以降にしたいが、それなりに調査が終了すれば玄人向けのなかなか深みのある発掘調査であった。いずれも同研究所のTYさん、MSさんのご配慮のお蔭である。感謝申し上げたい。秋の現説の頃に是非もう一度お伺いしたいと申し上げて後にした。
この日の見学も段取りは山口大学の橋本さんにしてもらったので、てっきり、見学の後どこゾで飲むのかと思いきや、橋本さんは用事があるとかで別行動。マ、私もここのところでかけてばかりなので、これ幸いにと帰宅の途に。
ところがである。ここで頭に来ることが。
というのか、ここ数年ずっと頭に来ている事態の極みのような事態に遭遇したのである。
橿考研のある畝傍御陵前駅周辺には体育施設がたくさん展開している。29日といえば間もなく夏休みの終わる時期。おそらくそんな時期の「県大会」でもあったのだろう。駅にはホームを溢れんばかりの中学生の軍団が選挙していた。持っているバッグのロゴなどを見ているとどうもバスケットボールの大会であったようだ。中学生にしては大柄な男(きっと男子の大会だったのだろう)それぞれの部員が自分の荷物の他に、チームの用具も持たされているようで大きなバッグが二つずつホームに置かれ、歩くことすら難しい状況だった。そこをかき分けかき分け(何せ、のいてくれないから仕方なく線路際のあの点字板の外側を歩く羽目に)やっとの思いで電車の後の方にいって座席を確保しようと考えた。
そこまでは正解だったのだが、この後の判断が間違っていた。実は偶然直ぐに電車が来たものでこれに乗ったのだが、よく聞くと普通電車。それも西大寺行き。仕方がないので、次の大和八木で一旦下りて、急行に乗り換えることに。そして何気なく、いつもの習慣で先頭車両の停車する位置に移動して待った。
ところが驚いてしまった。着いた電車は先ほどの中学生の後続部隊を満載していたのである。いつもならガラガラで必ず座れる電車が満員電車状態。それだけなら我慢できるのだが、こいつらが持ってきたバッグを通路に散乱させ、座れないガキとの間で座席を替わったり、移動したり、もちろん大声ではしゃぐわ、しゃべるわ。そのたびに私の身体にぶつかってくる。もちろんわびの一言もない。その内、降りるやろうと思っていたら、降りる予定の駅を乗り過ごしてしまったとかで、また一騒動。結局大和西大寺まで大検躁状態のまま、吊り輪に疲れた身体を委ねざるを得なかった。
どこかで怒鳴ってやろうかと思ったが、この頃これすら「声の暴力」だとか、訳のわからんことをいう輩もいるから、タイミングを計ったり、もうそろそろ降りるやろから我慢しようかと思い直したり、悶々としていた。結局西大寺で全員が降りて、座ることができたので、怒りも収まったが、いつか爆発するような気がする。
どう見てもこれらの集団は学校行事の一環で参加した連中である。一体引率の教師はどこにいるんや?!引率しないまでも、日常的にどんな生活指導しているんや!と思いたくなった。
この日に限ったことではないのだ。大体この体育会系の連中は大きなバッグを持っている。それを平気で通路において、大きく開いた足のあいだに置くのである。さらにそのバックを守るためなのか、足を通路の真ん中まで伸ばして、ふんぞり返って「寝る」のである。この手の輩は大きい!!つまり、二人分の席を占領し、通路を塞ぎ、音楽を聴きながら寝るから、周辺の状況も見えない(もちろん見る気などない!!)のである。
このため、お年寄りは通路を移動することすらままならない。もちろん、海外(台湾での経験は前に記したことがある)なら、この手の若者が座席を占領することがないのである。座らないのが海外の常識なのである。ところが日本の体育会系のガキは練習に疲れたからなのか、必ず徒党を組んで我先に座る。そして大騒ぎをするか先のように広く場所を取って寝るのである。
こんな奴らが少子化だといってちやほやされ、益々甘やかされて育っていったら日本列島はどうなるのか。お先は丸見えである。
最近思うのだが、うちの学生も大学に入ったら直ぐに大半が体育会系のクラブやサークルに入る。そこでとんでもない状況が生ずるのである。この手のクラブは「朝練」と称して授業前の数時間を練習に充てる。中には5時頃からやるところもある。この朝練には真面目?に参加するので、授業に出てきたら直ぐ寝るのである。あるいは、クラブがあるから授業外の行事には参加できない!と断るのである。
「お前、何しに大学へ来たんや!」といいたくなる。1年生相手の教養の授業では毎年このことを話すがそれが効果を持つのは連休前まで。連休が明けた途端に教室の雰囲気は怠惰な空気に覆われる。そしてこいつらが股おっぴろげて電車で寝るのである。
世も末とはこのことだろう。
三重大学を退職後余り積極的に非常勤の仕事を探そうという気にならないのはこのためである。食べさえできれば、買い溜めた本をゆっくり読んで、もし新しい考えでも浮かんだら投稿して、こんな生活を思い描かざるを得ない、悲しい現実である。
電車に乗る体育会系のガキ共よ!カバンは網棚に乗せろ!まずお前達より年上の人を座らせろ!!電車は自宅ではないのだから、静かにしろ!!!こう思う人はこいつをポチッと押して下さいね→![人気ブログランキングへ](http://image.with2.net/img/banner/banner_22.gif)
「大和を掘る」で入り口付近に纏向遺跡の巨大建物の復元模型が置いてあった。何か、私のイメージには合わない不思議な復元だった。せめていくつかの案のそれぞれとか、いくつかの案の紹介とか、「あなたならどう思う?」という問いかけとかがあって欲しかった。
発掘調査は橿考研の飛鳥宮西の苑池遺構,明日香村の飛鳥寺西のいわゆる「槻の広場」の現場と奈文研の甘樫丘東方遺跡だった。いずれもまだ未発表の発掘途中の調査なので、報告は秋以降にしたいが、それなりに調査が終了すれば玄人向けのなかなか深みのある発掘調査であった。いずれも同研究所のTYさん、MSさんのご配慮のお蔭である。感謝申し上げたい。秋の現説の頃に是非もう一度お伺いしたいと申し上げて後にした。
この日の見学も段取りは山口大学の橋本さんにしてもらったので、てっきり、見学の後どこゾで飲むのかと思いきや、橋本さんは用事があるとかで別行動。マ、私もここのところでかけてばかりなので、これ幸いにと帰宅の途に。
ところがである。ここで頭に来ることが。
というのか、ここ数年ずっと頭に来ている事態の極みのような事態に遭遇したのである。
橿考研のある畝傍御陵前駅周辺には体育施設がたくさん展開している。29日といえば間もなく夏休みの終わる時期。おそらくそんな時期の「県大会」でもあったのだろう。駅にはホームを溢れんばかりの中学生の軍団が選挙していた。持っているバッグのロゴなどを見ているとどうもバスケットボールの大会であったようだ。中学生にしては大柄な男(きっと男子の大会だったのだろう)それぞれの部員が自分の荷物の他に、チームの用具も持たされているようで大きなバッグが二つずつホームに置かれ、歩くことすら難しい状況だった。そこをかき分けかき分け(何せ、のいてくれないから仕方なく線路際のあの点字板の外側を歩く羽目に)やっとの思いで電車の後の方にいって座席を確保しようと考えた。
そこまでは正解だったのだが、この後の判断が間違っていた。実は偶然直ぐに電車が来たものでこれに乗ったのだが、よく聞くと普通電車。それも西大寺行き。仕方がないので、次の大和八木で一旦下りて、急行に乗り換えることに。そして何気なく、いつもの習慣で先頭車両の停車する位置に移動して待った。
ところが驚いてしまった。着いた電車は先ほどの中学生の後続部隊を満載していたのである。いつもならガラガラで必ず座れる電車が満員電車状態。それだけなら我慢できるのだが、こいつらが持ってきたバッグを通路に散乱させ、座れないガキとの間で座席を替わったり、移動したり、もちろん大声ではしゃぐわ、しゃべるわ。そのたびに私の身体にぶつかってくる。もちろんわびの一言もない。その内、降りるやろうと思っていたら、降りる予定の駅を乗り過ごしてしまったとかで、また一騒動。結局大和西大寺まで大検躁状態のまま、吊り輪に疲れた身体を委ねざるを得なかった。
どこかで怒鳴ってやろうかと思ったが、この頃これすら「声の暴力」だとか、訳のわからんことをいう輩もいるから、タイミングを計ったり、もうそろそろ降りるやろから我慢しようかと思い直したり、悶々としていた。結局西大寺で全員が降りて、座ることができたので、怒りも収まったが、いつか爆発するような気がする。
どう見てもこれらの集団は学校行事の一環で参加した連中である。一体引率の教師はどこにいるんや?!引率しないまでも、日常的にどんな生活指導しているんや!と思いたくなった。
この日に限ったことではないのだ。大体この体育会系の連中は大きなバッグを持っている。それを平気で通路において、大きく開いた足のあいだに置くのである。さらにそのバックを守るためなのか、足を通路の真ん中まで伸ばして、ふんぞり返って「寝る」のである。この手の輩は大きい!!つまり、二人分の席を占領し、通路を塞ぎ、音楽を聴きながら寝るから、周辺の状況も見えない(もちろん見る気などない!!)のである。
このため、お年寄りは通路を移動することすらままならない。もちろん、海外(台湾での経験は前に記したことがある)なら、この手の若者が座席を占領することがないのである。座らないのが海外の常識なのである。ところが日本の体育会系のガキは練習に疲れたからなのか、必ず徒党を組んで我先に座る。そして大騒ぎをするか先のように広く場所を取って寝るのである。
こんな奴らが少子化だといってちやほやされ、益々甘やかされて育っていったら日本列島はどうなるのか。お先は丸見えである。
最近思うのだが、うちの学生も大学に入ったら直ぐに大半が体育会系のクラブやサークルに入る。そこでとんでもない状況が生ずるのである。この手のクラブは「朝練」と称して授業前の数時間を練習に充てる。中には5時頃からやるところもある。この朝練には真面目?に参加するので、授業に出てきたら直ぐ寝るのである。あるいは、クラブがあるから授業外の行事には参加できない!と断るのである。
「お前、何しに大学へ来たんや!」といいたくなる。1年生相手の教養の授業では毎年このことを話すがそれが効果を持つのは連休前まで。連休が明けた途端に教室の雰囲気は怠惰な空気に覆われる。そしてこいつらが股おっぴろげて電車で寝るのである。
世も末とはこのことだろう。
三重大学を退職後余り積極的に非常勤の仕事を探そうという気にならないのはこのためである。食べさえできれば、買い溜めた本をゆっくり読んで、もし新しい考えでも浮かんだら投稿して、こんな生活を思い描かざるを得ない、悲しい現実である。
電車に乗る体育会系のガキ共よ!カバンは網棚に乗せろ!まずお前達より年上の人を座らせろ!!電車は自宅ではないのだから、静かにしろ!!!こう思う人はこいつをポチッと押して下さいね→
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「大和を掘る」で入り口付近に纏向遺跡の巨大建物の復元模型が置いてあった。何か、私のイメージには合わない不思議な復元だった。せめていくつかの案のそれぞれとか、いくつかの案の紹介とか、「あなたならどう思う?」という問いかけとかがあって欲しかった。