yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

かりんと物語其の3 同世代のくせにかりんとを知らん奴が居たの条

2010-06-12 18:10:01 | yaasan随想
 本当はこんな事していたらいかんのです。

済みません!! 山田博士!

5月末絶対に書くという約束の原稿を何とか6月10日まで延ばして貰ったのに、今日は何日??

アー6月12日!!


ブログなんか書いている暇があったら原稿を書かないといけないのです。

ハイ!その通りであります。

それなりに頑張っているのです。風呂も入らずに(もう何日風呂に入っていないかな・・・・1・2・3・4・・・アー汚!!)、飯もそこそこに、もちろんアルコールなんてこの1ヶ月ほとんど飲んだことがない!!(だからお陰で少し痩せました。何と久しぶりに体重計が65kg台を指したのです。目標は50kg台ですからもう少し原稿で苦しめば可能かも知れません。感謝です.みなさん!!ダイエットに一番いいのは原稿の締め切りですよ!))それくらい真面目に。やっているんですが・・・。ちょっと休憩を!

だからこんな事書いていてはいけないのです。でも、ずっと机の前にいて原稿やら土器の図面やらと仲良くしていると時々他のことがしたくなるのです。

今一番したいこと!それは机の後ろに置いてある、買ったばかりのラックを組み立てて本の整理をすること!!なんです。でも流石にそれは許されません。

だからちょっとだけブログに逃げました。
これならなんぼでも文字が浮かんでくるのですがね・・・。いっそのこと、「仁明朝のお菓子について」としておけばよかった(馬鹿!!)。

と言うわけで、なぜ突然ブログに向かったかというと、僕の友人の奥さんがちょっと変わっているんですが(失礼!!ちょっとじゃなかった、かなり??!!)、その彼女がかくも有名な庶民の味方、庶民のお菓子、「かりんと様」をご存じないというのである。どこぞの国で「金正日様」を知らないのと同じくらい犯罪的なのであります。もちろん大して変わらない歳なんですよ(ア、ごめん、歳をばらしてしまった)。

よほどの良家のお嬢様か、世俗から離れた桃源郷でお生まれか、はたまた別世界のお方か、??とにかくびっくり仰天!!

すわ一大事!と言うわけで我が研究室ご愛用の「蜂蜜かりんとう」を贈ったのであります。そしたらこれまたびっくり仰天!その親友のブログにこの顛末と御礼の言上が載せられたのであります。

彼のブログね↓↓

http://blog.goo.ne.jp/kenken09wat

これは御礼をアップしないと仁義に反するということで、山田博士の恐ろしい形相を思い浮かべながら小さくなりながら書いているのであります。

もう止めますから、直ぐ原稿に復帰しますから、許して下さい(今、中味のない原稿は文字が40枚くらい、図面がたくさんあるのでちょっとオーバーするかも知れませんが、許してね)。

と言うわけで、かりんとをプレゼントしたお話しでした。ではまた原稿に戻ります。

ア、アノ・・・K山市の原稿もまだ出来てないんです。これも同じ締め切り!!
これはきっと50kg台間違いない!!この間の最高が7◎kgですからね、すごいでしょ。


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それにしても小沢一郎というのは小心者ですな-の条

2010-06-08 23:26:29 | yaasan随想
 基本的に私は政党というのは大嫌いなのである。

 自民党・公明党・共産党この三党は同じくらい嫌いなのである。もちろんみんなの○○だの、国民××だのは政党とも思っていないからどうでもいいのである。
 だからといって今話題の民主党を贔屓にしているわけでもない。要するにプロの「政治家」(党派の人間!)は嫌いなのである!!だから去年の八月に自公政権が倒れた時はそれはそれで嬉しかったのである。こんな連中の顔を毎日見ないで済むと思ったから。
 もちろん、松下政経塾出身者ばかりが集まっている民主党が好きになれるはずもないのでこの八ヶ月間は彼らがどんな『政治家』を演じるのか、それなりに興味を持ってみてきたのである。

 しかし、あっさりと化けの皮が剥げたのである。所詮お坊ちゃまにプロの「政治家」どもを動かせるはずがないのである。彼らはお坊ちゃまの懐だけを当てにしていたのである。しかし自らの懐が危うくなる事態に『政治家』もきっと慌てているに違いない。

 そんな混乱に乗じて?菅直人が出てきた。しかし、金はない、基盤は弱い、頼りが『政治家』では大した事はできないに違いない。だからいずれ作り上げられた『期待度』は口の開いた風船のように一気にしぼむに違いない。

 唯一の救いは、再び自公政権や自民+みんなの○○+有象無象の寄せ集め政権ができる可能性が少し遠のいたことだけかも。これまでのように一年で退陣ということのないようにせめて数年は『貧困と戦争のない世の中』のためにいてもらいたいとは思うのだが・・・・(無理でしょうね)。

 そもそもが、自分達のこれからの人生と最も関係のある若者が相変わらず社会に対して無関心なのである。あの小泉の威勢だけがいい息子が徴兵だの、核武装だのと言って大声を張り上げたらすんなり受け入れてしまいそうな雰囲気なのである。悲しい日本の現状。かつてのヒットラー出現期のように、ころっとそんなアジテーションに騙され走る可能性も大いにあると思う。

 果たしてそんな時代まで生きているか判らないのでとりあえず今の政治状況について一言言いたくなったのである。

 それにしても小沢一郎というのは本当に肝っ玉の小さい人間ですな。

 たとえ鳩山に促されたにしても、一応自分で了承して幹事長を辞めたはずなのに、自分が総理大臣になれないものだから、自分がパフォーマンスできないから「総会」を欠席する。こんな人が「民主主義」だの「平和」だのと言うこと自体がちゃんちゃらおかしい。身から出た錆!議員辞職しなければならないところ、首の皮一枚つながっているだけなのに、本人も周囲も何も判っちゃいない。

 表が駄目なら裏で支配するつもりだったのですかね。相変わらず。

 恥ずかしーーーー!

 こんなの子供達のお山の大将、子供のダダとどこが違うの?
 普通の大人はせんやろ!恥ずかしくてできんやろ。
 周りの人間は忠告もできんのでしょうな。

 そしてそんな人間に引き連れられている議員が民主党の中に130人もいるとか。これまた空恐ろしい!!
 今回の一連の動きで、小沢はゼネコンからの金の流れを止められ、幹事長という権力を奪われ、場合によったら被告人になって裁判で追及されることになるかも、しかし、未だにそれらがあると思っている。誰も忠告しないからみえないのであろう!

 裸の王様!!


 そんな王様は放っておいて、一刻も早く世界から核を無くし、日本から基地を無くすこと!!それだけが私の唯一の願いなのです。

 今年も8.6が近づいてきました。結局あれから一年、日本では核に関する進展は何もありませんでした。しかし、何と言われようと日本列島に核は要りません。もちろん基地もいりません。

 マスコミは沖縄の人々の苦しみ・・・。とかええカッコばかりいいますが、じゃ、基地を撤去せよと主張できるのでしょうか。ノー!でしょう。日米安保条約の廃棄なんてみじんも考えていないマスコミが沖縄の基地も徳之島の基地も全部駄目だという。

 「よういうわ!」と言うところだ。本気で沖縄や徳之島の人々の苦しみを思うのだったら、

「日本に基地は全部いらない!!」とキャンペーンを張ればいいではないか。そんな気概などあるはずもなく、単に国民を扇動して右往左往させているだけ。

ホント腹立たしい!!

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飛鳥めぐり第二弾キトラ四神と出会うの条

2010-06-06 14:04:27 | 三重大学考古学研究室情報
 本年度二回目の飛鳥巡りを実施した。
 
 もっとも前回は研究室の事業として、今回は授業の一環として実施したものだが、結果的には二度の飛鳥巡りでほぼ藤原京域から飛鳥京域まで制覇した事になる。特に今回は前回酷評した奈良博の「大遣唐使展」に比べて中味がいい!!とコメントでご推薦頂いた橿原考古学研究所附属博物館主催の「大皇帝陵展」へ行くことを主目的にした。

 

 飛鳥資料館は大変な人だった。果たしてどんな印象を持ったのか、感想文が楽しみだ。

 実は当初はキトラの四神展を見る予定はなかったのだ。しかし折角目の前にいてみないで帰るのは・・・、と言うことで入ることに。長蛇の列の先でほんの少しだけお目にかかることができた。壁全体を剥がし保存したのかと思いきや、四神だけが剥ぎ取られていて、少し驚いた。もちろん周りの壁もあるのかも知れないが、なぜか公開はその部分だけだった。本物の迫力は言うまでもないのだが、やはり石室全体を本物でみてみたいものだと思った。



 私達は10時頃には資料館に入ったので、待ち時間無しだったが、この後どんどん時間が延びて、後で通ったときには30分待ちになっていた。



 今回の飛鳥巡りは非常勤のSM博士のクラスと合同だったので、彼らは予め課されていた各遺跡毎の調べた結果を現場で報告してくれた。



 流石に総勢40人余となると結構遺跡の中も人で一杯になる。



 奥山久米寺付近の交差点で中世史4年のSさんが説明。。



 山田道に沿った中ッ道の交差点付近で。



 漏刻の跡では近世史3年生のSさんが説明。そろそろこの辺りでみなさんばててきた。早いな!!



 漏刻も随分傷んできていますね。



 飛鳥寺ではみなさん日陰に、この後飛鳥大仏へ。



 それにしてもどこの拝観料も高い!!!
 前にも言ったが、学生はもっともっと安くしてやればいいと思う。
 ちなみに今回の諸経費は、飛鳥のバス代が520円、飛鳥資料館が団体割引を利用できたので200円、飛鳥寺の大仏が320円、万葉文化館は500円もしたのでパス!!橿原考古学研究所附属博物館の太唐皇帝陵展が学生700円、締めて1740円
これに往復の交通費を納れると5000円は超える。ちょっと学生には気の毒な値段であった。





 万葉文化館北側に残された飛鳥池遺跡の復原広場。ここでようやくお昼に。




酒船石にもなんとか登り、文化会館西口からバスに乗って橿原神宮前まで戻る。かなりくたびれているようだが、何とか博物館まで。



 博物館に入ってお金を払っていると思いがけず館長さんのMさんに出会う。
 「そのコーナーで中国皇帝の衣服と后のそれを復原しているから学生さんに着てもらいなさいよ」と仰る。

 そこで三人が挑戦、なかなかよく似合っている。



 そしてみんなで記念撮影。暑い中、みなさんお疲れ様!!レポート楽しみにしているよ。

 この「大唐皇帝陵」展はコメントでの推薦で是非!と言うことになったのだが、予想に違わぬとてもすっきりした、目的のはっきりした展示だった。キトラを見た人にとっては太子墓の墓道に描かれた青龍と白虎の模写展示は両者を比較するに相応しいものであった。

 個人的に感動したのは李(にんべんに)垂という唐初代皇帝高祖の五世の孫に当たる人物のお墓である。736年になくなったとあり、まさに日本では奈良時代、聖武天皇の頃である。その墓は珍しく未盗掘で様々な副葬品が無傷で残ったのだが、その中に、銀製の海老錠があった。以前から海老錠を調査している私にはとても貴重な資料となった。それにしても同じ頃遣唐使がもたらせたものであろう正倉院宝物の中にもこれとそっくりなものがあるのを覚えていて驚いた。その他の各種銅製のミニチュア製品は、かつて東龍山漢墓を掘ったときのミニチュア製品と重なった。

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かりんと物語其の2 びっくり仰天大盛り上がりの条

2010-06-03 22:20:40 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
昨日の深夜東北大学を退官されたばかりの今泉隆雄さんから一通のメールが飛び込んできた。

何事かとみると、タイトルが「かりんとう」

「????なんじゃこれ?」

恐る恐る開けてみるとこんな文章があった。

**********************

山中 章 様                      今泉隆雄

仙台は6月になってようやく気持ちのよい季候になってきました。ご無沙汰しています。

大学の研究室宛に、岩出山のかりんとうをお送りしました。3日(木)14:00-16:
00到着予定の由。

岩出山はいっしょに何度か行ったことのある大崎地方の西部。このかりんとうは、研究室の院生の祖父の愛好品で、岩出山に行く時には買ってくるように頼まれる由。伊達政宗が仙台に入る前に居た岩出山城跡の麓の店で買っていました。

宮城のかりんとうをご賞味あれ。

***********************

早速演習の準備をしている学生達に話すと,もちろんブログを読んでいらっしゃったからでしょうね。これで全国から集まってきますね。と言うことに。今日の午後が楽しみだった。

そして演習が始まる前に事務方へ取りに行ってもらった。

演習が終わって部屋に戻ると学生が少しざわざわしている。

「???どうしたん?かりんとは?」

「これです」

↓↓↓


 
 こんな大きな箱に入ったかりんと?ほんま?

順番に開けていくことに



エエッツなにこれ~??



オイオイ、「かりんとう」と書いてあるぞ!この中全部かりんと???



岩出山名産
  おおくぼの
     かりんとう
  ゴマ入り

 品名 油菓子(かりんとう)
 材料 小麦粉・植物油(米)・砂糖・食塩・ごま・膨張剤
 容量 2100g
 賞味期限 2010.7.29
 製造元 宮城県大崎市岩出山下野目字南原109
     TEL/FAX 0229-72-3079     
       大久保製菓 大久保 巧
中を開けると



巨大な袋が二つ!!





判ります?この大きさ!



もちろんみんなにお裾分け



男女平等にね。

さて、ここからが考古学研究室らしいところ!

なぜこのかりんとは今までのものと形態が異なるのか?

どの様に製造したのか?その製作技法は?次々と疑問が!
形態分類を試みると・・・・

「う~ん!小麦粉を練って板状にしたものを適当に切って油の中に次々と放り込んだのでは?」

「あんまり法則性がないね!」と云うことに。果たして正解は?




もちろん直ぐに今泉さんにメールを打った。

今泉 隆雄 様

有り難うございました!!

丁度4年生の卒論演習が終わったところだったので全員の前で「ご開帳」致しま
した。

開けた瞬間のみなさんの歓声のすごかったこと!
予想外の函缶入りの巨大なかりんとうにみんなとっても喜んでくれました。

とにかく、小さな袋に入ったものが来るのかと思っておりましたので、箱が届い
た時点で期待がふくらみ、中から缶が出てきたときには「ワーッツ」そして「大笑い」でした。

それに次なるみんなの反応は「形」でした。
いつも見慣れているねじったかりんとではなく板状の様々な形態があり、早速製作技法の分析にかかりました(笑)。

とてもあっさりしていて、本当に懐かしい、「かりんと」という味のお菓子でした。

有り難うございました。

卒論や就活で苦しんでいた学生の顔が一気に緩み笑いが広がって、研究室が明るくなりました。
ホントにホントに有り難うございました。もちろんこれからブログに書き込みます。

とりあえず御礼まで。

山中 章


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三考研再開!の条

2010-06-02 22:43:15 | 三重大学考古学研究室情報
 三重大学考古学研究室研究会略して「三考研」が何年かぶりかで再開された。

 私が三重大学に赴任して3~4年経って.大学院生がコンスタントに進学した頃から表記の研究会を開催し、月に1回くらいのペースで学生や院生の勉強会を開催していた。

 修論や卒論のテーマを中心に、10人前後は必ずいる研究室の構成員の発表の場を確保するための行事だった。しかしそれも、2005年から大学院進学希望者をそのテーマに応じて京都大学や、名古屋大学、奈良女子大学、南山大学等に勧めたものだから不在となり、学部生だけでは発表が負担となり、いつしか開催されなくなった。

 ところが今年、二人の大学院生が内部から誕生し、「復活」を提案したところ、喜んで!と言うことになり、準備を進めてきたのである。今年の学生達のいいところは、今の四年生も三年生もとても真面目で積極的。四年生5人のうちの二人は進学して専門家希望だし、三年生は二人しかいないのだが、とても優秀な男子学生の二人組で、毎週のように回ってくる演習をとても楽しみながらやっているのである。

 そんな学部生のバックボーンもあって、三考研が再開できたのであるが、記念すべき第1回目の研究会の報告者は、その熱心な四年生のMT君が一番バッターだった。

題して

「弥生時代末~古墳時代初頭の伊勢湾西岸地域における土器様式について」
 
だった。卒論のテーマで、つい最近基本的内容を私は聞いたばかりなので、あまり新鮮味はなかったのだが、発表者の方は二回目と云うこともあってスラスラと報告していた。

 伊勢湾西岸を中心に弥生時代の終わりから古墳時代の初めにかけて盛行する「s」字形の甕の型式変化を検討した意欲的なものであった。実はこれ、私の尊敬する愛知県埋蔵文化財センターの赤塚次郎さんの研究成果への「挑戦状」でもある。

 もちろん赤塚さんにしてみればいたくも痒くもない学生の戯言なのだろうが、私にとってはそれなりに先の展望を持っている研究の一つなのである。私は弥生時代など全く判らない人間なのだが、たまたま発掘調査した三重大学の校内で発見された鬼が塩屋遺跡から同じ頃の土器がそれなりの量出土した。その中で興味を持ったのが瓢壷と呼称される特異な形態をした壷であった。
 
 「なんじゃこれ?」調べてみるとあまりこの壷に関する研究がない。並行して資料を集めさせるとえらく三重県内からの出土が目立つ。

「????」

「誰か調べてみいひんか?」

この間何人もの学生を挑発したのだが、残念ながらみんなに逃げられてきた。

 「俺が若かったら絶対にやる資料なんだがな~」

こうして5年余の年月が過ぎ、諦めかけた頃MT君がやりたいと言い出したのである。丁度同じ頃亀山市史で弥生時代の資料をやる人間がいないのでなんとかうちで対応してくれないか、と言うことになり、彼に白羽の矢が当たった。連日夜遅くまで残って、再実測に取り掛かった。なにせ調査自身はもう20年以上前に行われ、その原図もないとのことで、みんな実測し直さなければならなかったのだ。こうして徐々に、亀山における「s」字甕の実態が明らかになってきた。近江とは鈴鹿峠を挟んで最も近接する伊勢最西端の亀山市の当該期の土器が、強く近江との関係をもち、そこから「s」字化が始まっているかに見えるのである。

 赤塚説とは真っ向から対立するこの「事実」を如何に証明するか。これが大きな課題であり、まだまだ取り組まなければならない課題は多いのだが、小さな穴は空いたように思っている。卒論まであと8ヶ月。もちろんその後の大学院でも研究を続けばいいのだが、一定の成果は欲しい。

 そんな意欲的な報告に、研究室のみんなもとてもよく食いつき、鋭い質問の雨を降らせてくれた。私にとってはこちらの方が大収穫であった。結構みんな進歩しているな!と言う強い印象を得た。

 三考研、やって良かった!!

と思えた今日の夕方であった。

次回は二週間後、新大学院生のMKさんが報告する。

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