yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

またまた大失敗

2005-05-31 12:06:35 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
これでとうとう四回失敗!
とにかくアップする気持ちがあることだけを伝えて、もう出発しなければならないので、これで失敗に失敗を重ねた飛鳥巡りの報告は終わり。また今夜でもします。

写真はアップできないし、せっかく書いた文章は消えるし・・・、どうすりゃいいの?

斎宮歴史博物館の見学

2005-05-29 08:13:15 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
今日は某大学の授業で、斎宮歴史博物館で開催中の「石山古墳展」を見学に行った。本当なら30人はいるはずなのに来たのはたったの7人。内留学生が二人という有様。事前に事情を説明に来たのが3人ほどだから少なくとも後20人は来ても良かったのだが・・・・・・。

マ、そんな愚痴は今日はやめといて、やってきた7人は結構熱心な学生。一応のコースが終わって、番外編に行くか?と聞くと5人付いてきた。留学生も二人いたのである。暑い中、遺跡も歩いたので、アイスクリームをごちそうすることにして、休憩所で休んだ。

たまたま横に留学生の一人がいたので、「君はどこの出身?」と聞くと「青海省」だという。「それどこ?」「チベットの近く」「ふーん、じゃシルクロードの一角?」「はい」「君楼蘭て知ってる?」とついでに聞いてみると「はい、私の家から近いです」という。「どのくらい?」「車で二時間くらいの所です」

「ところで君は何しに日本へ来たの?「はい、私は国に帰ったら観光業をやりたいんです。」
「実は、ぼく楼蘭へ一度行ってみたいんだけれど、帰国したら案内してくれる?」
「もちろん!!」

と言うわけでひょっとしたら来年あたり彼の案内で楼蘭へ行けるかも・・・。

不慣れなBlog

2005-05-28 02:05:06 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
せっかくの長文の書き込みを作ったにもかかわらず、ちょっと途中で浮気して、インターネットの情報を見に行ったら書き込みが消えてしまいました。ショック!

だから今日はこれでおしまし。だってこれから朝までかかって某国府の報告書を仕上げないといけないもので・・・。アー、シンド!

ちょっとだけ書こうとした、アップ寸前まで行った今日の考古学ネタのさわりを。

「トイレの展示」
近年研究のめざましいトイレの考古学の成果をいかに博物館の中で展示するか?これが今日の某大学での授業のテーマでした。毎週金曜日は苦痛な日なのです。二つも某私立大学へ出かけて、ほとんど考古学てなものに興味のない「学生」に講義をするのです。最近は学生アンケートがはやりで、そんな学生からも授業評価を受けます。するといつも指摘されるのは「字が汚い」「もっと黒板に書け」です。
黒板にかかんでも済むように、図や写真も入れて資料として渡しているのに、同じことを黒板にかけと言うのです。高等学校教育の弊害ですよね。人の喋っていることを聞きもしないで、何か書き出したら突然必死でそれを写す。なんなんじゃこれ!と思います。

それでも先生は「反省」して、自らの教育方法に問題がないか考えろと言うんです。
はいはい、分かりました!と言うところです。ちなみに私は今年勤務校のFD委員長なんです。憂鬱!

てな訳で、今年は、授業に工夫をしようと、クラスを小グループに分けてグループに課題を与えて議論をさせ、報告させるという方法を実験的に取り入れてやっています。

トイレの展示もそういうFD活動の中から生まれたテーマです。
実はこれ、3年後に国立歴史民俗博物館でやる予定の「桓武朝の光と影」(仮題)の展示構想検討の過程でもあるんです。以前に埋文センターに勤務していた時に器用なアルバイトに頼んで、素敵な模型を作ったことがあります。短期間の速報点に披露されただけでその後、古文書にしか興味のない学芸員?にその模型は追放され、どこかに売り飛ばされたという噂です。これは絶対に復活させようと思っています。
『餓鬼草子』の中の伺便餓鬼のシーンの模型です。
他に有名な『ヨルビックバイキングセンタ』の展示に習って臭いも付けたらどうかと思うのですが・・・。その展示空間を閉鎖して展示を見ながら堂々とおならをする、してもいい、と言う展示、どうですかね。

なお、私は近年訪れる世界中の遺跡に併設されているトイレの写真を撮ってきました。ところがつい最近その写真集を保存していたハードデスクが壊れ、消えてしまい大変なショックを受けています。現代トイレ考も私の隠れたテーマです。何とか残ったトイレの写真がこれ。近所の斎宮跡の一角にある野外トイレです。
遺跡の中にあるせいか?はたまたお金がないだけなのか!汲み取り式です。こんなトイレに今時の女子学生は行きませんよね!!つまり税金の無駄遣い(もっとも女子学生は遺跡にはあんまり行かないからこれでいいんだという意見もあります)。

こんな有様だから保存された遺跡に閑古鳥が鳴くんだ!これが私の持論。これも追々お話ししていこうと思います。とにかく今日は疲れたのでこれで終わり。とは言ってもこれから朝まで報告書の原稿書き。アーシンド。(ところでblogて一回に使える写真は一枚なんですかね?いろいろやってみるんだけれどどうも一枚しか載せられなくて・・・。だれかおせえて)


内モンゴルの旅-2

2005-05-25 01:59:18 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
内モンゴルでは元大都、遼上京、中京、慶陵・慶陵陵邑、租陵・租陵陵邑などを4日間で回りました。
なかなかの強行軍でしたが、氷点下の厳しい毎日だ!と脅されて訪れた内モンゴルの草原地帯は意外にも温暖で過ごしやすい毎日でした。お陰で、大量に持ち込んだ防寒着は一日だけ使っただけで、ホカロンも全く不要でした。
さて、3月29日に訪れたのが中京跡でした。遼には五京が設けられていましたが、中京は南京(現在の北京)と共に比較的温暖な土地に設けられた都でした。
中京に入ってすぐ目につくのがこの真っ白な塔です。中京には他に破損したものも含めて2基の塔がありますが、これほど優美なものはありません。

中京の大きな特徴は発掘調査がかなり目的意識的に実施されその造営計画が復原されていることです。内城、宮城、外城の3ブロックに分かれ、外城が東にある河川の影響で西に広く造営されている他は極めて整然と100尺単位の完数値になるよう左右対称に建設されている。各城壁の遺存状態は極めて良好で、内部から発見された官衙や、宮殿の遺構が石柱によって明示されている。惜しむらくはこれの遺構の眠る土地が農民によって畑として利用され続けていることである。世の常の例と同様、徐々に破壊が進行している。

宮城中軸線と外城南城壁との交点に南門が開くが、その北100メートルほどにやや小降りの門ケツを持つ建物遺構がある。解説をしてくれた博物館の館長はこれを「市」の遺構だとするが、その根拠右派明確ではなかった。
写真の塔は宮城の南城壁のすぐ南に建設されたもので、同様にして他の塔も外城内に所在する。塔の内部は公開されていないが、外見は極めて残りがよく美しい。
塔のすぐ横に博物館があり、興味深い出土品も多数あるが、長年展示物の掃除も行われていないらしく、埃をかぶっているものが多数あった。

北京から車で7時間ほどのところなので、少し不便だが、見逃せない優品である。

内モンゴルの旅ー1

2005-05-23 00:51:27 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
内モンゴルの旅は強烈でした。いろいろな面で。
せっかく撮ったデジカメ映像がまたまた壊れたパソコンのせいで公開できません。残念。ただいま一緒に行った人から画像を入手中ですが、まだ届きません。よって、しばらくは手元のデジカメの中に残った上京と中京の映像です。ご勘弁を!

歴史考古学への挑戦

2005-05-22 23:46:43 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
全く偶然、たった数時間前に「ブログ」なるものがあることを知った。
それも何となく読んでいたasahicomのニュースに、何となく見つけた記事「ブログする相撲取り普天王」が気になって、「ブログ」とはなんぞや?と好奇心で覗く内に、何となく作ってみた結果がこれなんです。
タイトルも、概要もまだまだこれから変わると思うのですが、何せ、内の学校のホームページが、個人情報だの、やれ許可を取れだのとうるさいので、「ブログ」でしばらくやってみようかな?という気になったのです。

元々「yaaさんの個人ホームページ」も作ろうと思っていたから、ちょうどよかった。

マ、とにかく気楽に書いてみることにします。

今日掲載した写真は3月25日から31日まで橋本科研で行った内モンゴル、遼の宮城遺跡です。

ところで、アテルイをご存じです四へ。僕は前から一度論文にしなければ・・・、と思っていたのですが、蝦夷の鼻に一過言もっているんです。詳しくは次回以降に・・・。お楽しみに。