yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

緊急最新情報・肥後国編 国史跡池辺寺が面白い!!の条

2009-05-26 03:35:36 | 歴史・考古情報《日本》-2 西日本
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西海道古代官衙研究会事務局の山村さんから、こんな情報が届きましたのでお知らせ致します。

西海道古代官衙研究会会員の皆様

ご無沙汰いたしております。
肥後熊本の古代山林寺院である国史跡地辺寺跡が、史跡整備前の最後の再調査で、伽藍中心建物(9世紀)部分を調査中で見学可能となっております。建物は、床じきまで残っている稀有な例だと思われます。さらに、後背部の斜面に分布する「100メートル四方に100個の石塔が迫りくるロケーション」は見応えのある必見の資料です。多数お誘い合わせの上で下記要領に従ってご見学下さい。


史跡池辺寺跡 百塚地区本堂建物跡 見学会
のご案内

史跡概要
熊本県熊本市に所在する史跡池辺寺跡(9世紀の山林寺院)では、整備事業に伴い百塚地区C地点の本堂建物跡を再調査しています。部分的な公開ですが、3009年6月7日(日)に一般見学会を予定しており、西海道古代官衙研究会の皆様には6日(土)午後にご案内いたします。建物跡の見学会は、最後の機会かもしれません。是非ご覧ください。

時間のある方は、二本木遺跡群での遺物見学会も計画しています。

 日程:2009年6月6日(土)13時30分~16時頃
 場所:史跡池辺寺跡(熊本市池上町平、西平山公園となり)
 
JRご利用の方や池辺寺跡の場所がわからない方は、二本木遺跡群(熊本市文化財資料室春日分室)からの送迎・案内をおこないます。春日分室を13時に出発します。春日分室はJR熊本駅西側、熊本市立春日小学校向かいの2階建プレハブですが、周辺は新幹線関連の開発で仮設道路が多くなっています。ご注意ください。

 懇親会:同日18:00頃から熊本駅周辺 

お申し込み先:電子メールにて西海道研事務局の山村まで 

dazaifu2340@mail.goo.ne.jp

(懇親会ご参加の有無もお書きください)山村携帯090-9561-8886

連絡先:池辺寺跡担当 網田 携帯090-5470-2296
E-mail amita.tatsuo@city.kumamoto.lg.jp
春日分室  096-323-4043(担当:原田)

残念ながら私は当日は先に御案内致しました「長岡京見学会」のために参加できません(今時関西から沢山人が行くのも問題かも・・・(笑))。九州及び近辺の方はご参加下さい。いえ、もちろん菌を持っていらっしゃらない方で元気な方は是非全国からお出かけ下さい。



(池辺寺の調査状況写真。山村さん提供)



(建物跡の実測図。同提供)
池辺寺、面白そうですね!!

6月20・21日に廣島に行くんですが、もうその頃は終わってますかね・・・・残念!!

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屋島城探訪-1 阿波から讃岐へ屋島を目指しての条

2009-05-24 15:44:10 | 歴史・考古情報《日本》-2 西日本
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 「源平の 合戦の声 春風に」 義経がこの城のあることをしっていたとは思えないが、軍事に長けた者の嗅覚は同じだったのか?眼下に平氏の船を見たとき、既に勝利は決まっていたとか。屋島城の主は眼下に唐・新羅船を見ることはなかったのだが・・。 



(屋島の雄大な光景にただひたすら圧倒されていました。向こうに霞んで見えるのが女島と男島でしょうか)

 阿波国に後ろ髪引かれる思いで讃岐に向かいました。徳島駅からJRの普通電車で1時間半、屋島に向かった。古代南海道が通ったという大坂峠越えのルートを、今もJRが通っている。一駅一駅「まだ阿波か、オッツ、讃岐に入った!」と1人感動しながら屋島を目指しました。普通電車の旅もなかなか粋なもので、ゆったりと風景を楽しみながらの優雅な旅だった。若いカップルが寄り添って、徳島からずっと乗っていた。高松まで行くのだろうか。ゆったりとした時間が流れ、40年前を錯覚させる光景だった。

 屋島駅には高松市教育委員会の山元敏裕さんが出迎えて下さっていた。折角の連休の真っ直中を御案内下さるというのである。何でもこの日のために前日お子さんを実家へお預けになったとか、本当に申し訳ない(お子さんにも)。感謝以外の何物でもない。聞くところによると山元さんは学生時代京都で過ごされたとかで、京都のことはよくご存知だった。だから直ぐに意気投合して気楽な旅となった。

 心配していた観光客による大渋滞(その半分は麓の著名なうどん屋さんに来る客だとか)もなく、無事山頂の駐車場へ。そこから半日、観光客の喧噪を離れて、時には道無き道を雑木をかき分けかき分け、念願の城門に辿り着いた。もちろん現在はシートに覆われているので、本物はみられない(11月頃から発掘調査を再開するのでその頃来るとみられるらしい。是非行こうと思っている。)が、崖際にへばりつくようにして設けられた城門の立地は手に取るように判る。
 説明によると、ほぼ標高270m付近を、南嶺だけなら4キロ、北嶺も入れると7キロ屋島特有の断崖絶壁をうまく取り込みながら一周しているらしい。


(これは東城門の続きに延びる城門の基底部です。)

 これを起点に屋島南嶺をほぼ一周しました。あちこちに水門の跡や城壁の断続的に続く石塁の跡が確認できます。詳細は次回にして、取り急ぎダイジェストをお送り致します。

 屋島城見学をダイジェストでスライドショーにしておこう。まずはこれで全体像をご確認下さい。

 そうそう、もう一つお伝えするのを忘れていました。屋島の麓にあるうどん屋さんでとても美味しい讃岐うどんを頂いた後、直ぐ近くの久本古墳に参りました。高い石棚を持つ円墳で、讃岐ではここだけだそうです。私はこの地こそ山田郡海部郷だと思っています。



(久本古墳は道路に面して開口しています。中に入ると玄室に巨石を用いた高い石棚があります。見事です。調査が不十分なのが残念ですが、屋島とのシチュエーションが抜群です。この間に製塩遺跡が広がっていないのかしら?)

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「石棚を 見上げた隙間に 蝶の舞う」
「讃岐うどん 春風と飲む 汁の音」
 

阿波国報告-2 徳島県埋蔵文化財センター20周年記念シンポジウム

2009-05-23 00:00:00 | 歴史・考古情報《日本》-2 西日本
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 「弟国部」と阿曇部、本当に感激しました!必ずもう一度、いや何回も阿波に行くぞ!!

当日のシンポジウムで与えられた課題は以下のようなものでした。


阿波の国府と平城京・長岡京

 レジュメ集の構成は以下のような感じで、これに図を付けて主に都の構造の変化―官衙機構の拡大と現業官司の宮外への進出(宮外官衙の成立)について詳述し、8世紀末以降と以前との中央における官衙配置や機能の変化が国府においても起こる可能性のあることを指摘しました。
 観音寺遺跡(阿波国府)における広範囲における木簡の出土や関連建物群の検出もこうした官衙機構の変遷、拡充と大いに関係があるのではないかと考えたのです。
 その上で国府域については既に藤川智之氏によって指摘されているように、金田章裕氏の提唱する南北型であろうとする見解を支持しました。
 報告では十分に指摘できなかったのですが、『続日本紀』に出る長岡京造営(一度は山崎橋修造のための料材の進上)への阿波国の関与が、水陸の便を目的とした長岡京遷都に起因していると考えました。

 なお、個人的には、テーマから外れますが、平城京出土阿波国木簡を分析した松原弘宣氏の研究成果(「都城出土の阿波国関係木簡」『観音寺遺跡Ⅰ』2002)にある「堅魚木簡」に大いに興味を抱きました。同堅魚を貢進したのは「阿波国那賀郡武芸駅子」「薩麻駅子」の生部や鵜甘部でした。私が注目したのは同郡同郷から御取鮑を出した海部里阿曇部大嶋・若万呂でした。
 大化前代には長国造支配域に所在した那賀郡の那賀川流域及びその海岸部の一部には海部が分布し、阿曇部に統括されて堅魚や鮑の海産物を収取して貢納していた姿が浮かび上がるのです。先に考察した(拙稿67. 「律令国家と海部―海浜部小国・人給制にみる日本古代律令支配の特質―」(広瀬和雄・仁藤敦史編『支配の古代史』青木書店,pp.45-64 2008年)隠伎国における海部の動向及び阿曇氏による統括の関係がここでも確認できるのです。俄調べによると現在の海部郡の後期古墳の初めとして大里古墳があることを知りました。恐らく海部との関係を大いに予想させる古墳です。

 シンポジウムの成果はともかくとして、報告の機会を頂いたお蔭で、これまで全く勉強していなかった阿波国(長国造支配領域)と海部との関係を知る貴重な資料を確認することができました。
 さらに、観音寺木簡によって初めて確認された「弟国部」の存在はこうした阿波国と王権との関係の契機の一つが継体朝がある可能性を考えることができたのです。ワンダフル!!

 新しい阿波国研究の契機を頂いて大満足したシンポでした。必ずもう一度、特に長国造の故郷を訪ねて、今回得られた新しい研究材料の追究に努めることを約して阿波国を後にしました。機会を与えて頂いた徳島県埋蔵文化財センターの藤川智之さんに最大限の謝意を呈して次なる目標地屋島へ向かいました。

 (屋島編はこの後続けてお届けします。今しばらくお待ち下さい。)

 当日のレジュメの一部はこんな感じ。

はじめに
・ 初めての阿波国
・ 宮都研究から地方研究へ
・ 長岡京と阿波国:宮城諸門の移築
・ 斎宮・鈴鹿関・河口頓宮・朝明頓宮・美濃国府・朝明郡衙・朝明駅の研究
・ 東海道・東山道・古伊勢街道の研究
・ 志摩国・伊賀国と部民制(海部)・ミヤケ制
・ 阿波国府と伊勢国府・美濃国府の比較は可能か

1 国司の仕事と阿波国木簡
(1)『養老職員令』大国・上国条の規定
・ 法律(『律令』)で定められていた国司の仕事
・ 当時の地方行政組織:国-郡-郷(-里)
・ 国の経営責任者が国司(守カミ・介スケ・掾ジョウ・目サカン-四等官制)
・ 国司の配下で各種事務的、現業的仕事をする人々
・ 阿波国は大・上・中・下国の内の上国
・ 最低でも640人余の大所帯
・ 大国
 守一人。掌祠社。戸口。簿帳。字養百姓。勧課農桑。糺察所部。貢挙。孝義。田宅。良賎。訴訟。租調。倉廩。徭役。兵士。器仗。鼓吹。郵駅。伝馬。烽候。城牧。過所。公私馬牛。闌遺雑物。及寺。僧尼名籍事。余守準此。其陸奥出羽越後等国。兼知饗給。征討。斥候。壱岐対馬日向薩摩大隅等国。総知鎮捍。防守。及蕃客帰化。三関国。又掌関剗及関契事。介一人。掌同守。余介準此。大掾一人。掌糺判府内。審署文案。勾稽失。察非違。余掾準此。少掾一人。掌同大掾。大目一人。掌受事上抄。勘署文案。検出稽失。読申公文。余目準此。少目一人。掌同大目。史生三人。
 上国
 守一人。介一人。掾一人。目一人。史生三人。
(2) 観音寺木簡と国衙官人の仕事(和田萃2002より)
A 国司の仕事(数字は『観音寺遺跡Ⅰ』の木簡番号)
① 祠社:2・5
② 簿帳:6・34・35・37・62・66
③ 租調:4・15・20・60
④ 糺察所部:70
⑤ 勧課農桑:23
⑥ 勘署文案

B 雑員の仕事
⑦ 治療・施薬
⑧ 教育
⑨ 物品管理:4
⑩ 食事の弁備:「国厨」
⑪ 製本・文具の製作:紙・墨・筆
⑫ 土木工事作業・運搬
表1 主な国衙職員一覧表(山中敏史1994より)

2 宮都の役所とその配置
(1) 中央官庁
・ 平安宮城図:二官八省の配置
・ 対称的官衙配置:形式的官衙配置
・ 北二条分:大蔵空間
・ 東西辺:警備・警察的官司
・ 平安宮内裏図:内裏施設の回廊連結化
・ 平城宮光仁・桓武内裏が祖型、長岡宮内裏が原型
・ 皇后宮・後宮の発達・東宮の接近

(2) 宮外官衙

・ 長岡京条坊図:T字形官衙配置の形成
・ 宮城内中軸:王権の支配空間・内廷官司
・ 宮城内東西:二官八省(皇城的空間)
・ 宮城東西面街区:王権の二次的支配空間(行宮)・二官八省の現業的官司・饗宴施設・大規模邸宅・公的宿所
・ 宮城南面街区:王権の二次的支配空間(行宮)・二官八省の現業的官司・饗宴施設・大規模邸宅・公的宿所(造長岡宮使)・鴻臚館(外交施設)・国家寺院(平安京東寺・西寺)
・ 左・右京街区:官僚居住空間・東西市(経済空間)・市町・物資運搬水陸交通網・工業製品生産施設・祭祀空間(四隅祭)
・ 禁苑・禁野の形成:京の北部に形成;王権の二次的支配空間(遊猟・祖廟・饗宴)・祭祀空間・王陵空間(皇后藤原乙牟漏陵・皇太后高野新笠陵・妃藤原旅子陵・淳和天皇火葬地・長野古墓・物集女車塚古墳・向日丘陵古墳群)・緑釉陶器(国家秘伝技術)生産地
・ 外交国家津・山崎津:水陸交通の結節点(中国・朝鮮→鴻臚館→瀬戸内海(山陽道)→淀川→山崎津

・ 長岡京官衙町・宿所町

・ 平安京諸司厨町図
・ 平安宮朝堂院・豊楽院・太政官曹司の比較
・ 中央の基本官制(二官八省)

3 阿波国府の構造
(1) 国府の基本構造:国府の類型模式図(金田1995「国府の形態と構造について」より)
・ 方八町国府説から諸類型型へ
・ 阿波国府南北型説:藤川智之2002(『観音寺遺跡Ⅰ』)
・ 国司・国府の機能から検討
・ 宮都の官衙配置・機能比較
・ 出土木簡・文字資料からの分析
・ 周辺地形・所在遺跡からの検討
・ 阿波国府航空写真と遺存地割:N10°W地割と正方位地割
・ 大御和神社説から観音寺説へ
・ 国府・国分寺・国分尼寺・駅・国府津・南海道などの総合的検討
・ 敷地遺跡:推定国司館
・ 矢野遺跡:現業的空間(厨・手工業生産)
・ 観音寺遺跡:国衙・祭祀空間・地方行政事務機構

(2) 阿波国府の推定構造
1 敷地遺跡:国司館?                 
2 観音寺遺跡の建物群
3 観音寺遺跡:木簡廃棄場?
4 木簡出土状況と墨書器

(2) 阿波国関係宮都出土木簡と阿波国府
 A 平城京出土木簡
 B 長岡京出土木簡

【史料】 
1 『律令』に定められた阿波国
官位令
・ 11 従五位下 上国守
・ 13 従六位上 上国介
・ 15 従七位上 上国掾
・ 17 従八位下 上国目
・ 史生:無位
 
2 『続日本紀』に見える阿波国
 A 飢饉・賑給記事
・ 文武天皇元(697)年閏十二月七日:播磨・備前・備中・周防・淡路・阿波・讃岐・伊豫
・ 大宝二(702)年九月十七日:駿河・伊豆・下総・備中・阿波
・ 慶雲元(704)年四月廿七日:備中・備後・安藝・阿波
・ 天平三(731)年八月廿五日辛丑。詔曰。如聞。天地貺所。豊年最好。今歳登穀。朕甚嘉之。思与天下共受斯慶。宜免京及諸國今年田租之半。但淡路。阿波。譛岐。隱伎等國租并天平元年以往公私未納稻者。咸免除之。
・ 天平五(733)年閏三月二日:和泉監・紀伊・淡路・阿波
・ 天平宝字七(763)年七月廿六日:備前・阿波
・ 天平宝字七年八月廿三日:阿波・讃岐
・ 天平宝字八(764)年四月十六日:阿波・讃岐・伊豫
・ 天平神護元(765)年三月十六日:尾張・參河・播磨・石見・紀伊・阿波
・ 延暦九(790)年四月五日:備前・阿波 

 B 地方行政関係・改姓記事
・ 和銅五(712)年七月十五日秋七月壬午。令伊勢。尾張。參河。駿河。伊豆。近江。越前。丹波。但馬。因幡。伯耆。出雲。播磨。備前。備中。備後。安藝。紀伊。阿波。伊豫。讃岐等廿一國。始織綾錦。
・ 養老二(718)年五月七日庚子。土左國言。公私使直指土左。而其道經伊与國。行程迂遠。山谷險難。但阿波國。境土相接。往還甚易。請就此國。以爲通路。許之。
・ 養老三(719)年七月十三日庚子始置按察使。〈中略〉伊豫國守從五位上高安王。管阿波。讃岐。土左三國。
・ 養老六(722)年八月廿九日丁夘。伊勢。志摩。尾張。參河。遠江。美濃。飛騨。若狹。越前。丹後。但馬。因幡。播磨。美作。備前。備中。淡路。阿波。讃岐等國司。先是。奉使入京。不聽乘驛。至是始聽之。但伊賀。近江。丹波。紀伊四國。不在之限。
・ 天平元(729)年十一月七日〈上略〉又阿波國山背國陸田者不問高下。皆悉還公。即給當土百姓。
・ 天平勝宝八(756)年十二月二十日己亥。越後。丹波。丹後。但馬。因幡。伯耆。出雲。石見。美作。備前。備中。備後。安藝。周防。長門。紀伊。阿波。讃岐。伊豫。土左。筑後。肥前。肥後。豊前。豊後。日向等廿六國。國別頒下潅頂幡一具。道塲幡四十九首。緋綱二條。以充周忌御齋莊餝。用了收置金光明寺。永爲寺物。隨事出用之。
・ 天平宝字五(761)年十一月十七日〈上略〉紀伊。阿波。讃岐。伊豫。土左。播磨。美作。備前。備中。備後。安藝。周防等十二國。検定船一百廿一隻。兵士一万二千五百人。子弟六十二人。水手四千九百廿人。
・ 神護景雲元(767)年十二月四日庚辰。收在阿波國王臣功田位田。班給百姓口分田。以其土少田也。
・ 神護景雲二(768)年七月十四日乙酉。阿波國麻殖郡人外從七位下忌部連方麻呂。從五位上忌部連須美等十一人賜姓宿祢。大初位下忌部越麻呂等十四人賜姓連。
・ 宝亀四(773)年五月七日辛巳。阿波國勝浦郡領長費人立言。庚午之年。長直籍皆著費之字。因之。前郡領長直救夫。披訴改注長直。天平寳字二年。國司從五位下豊野眞人篠原。以無記驗更爲長費。官判依庚午籍爲定。又其天下氏姓青衣爲采女。耳中爲紀。阿曾美爲朝臣足尼爲宿祢。諸如此類。不必從古。
・ 宝亀六(775)年三月二日三月乙未。始置〈中略〉美作。備中。阿波。伊豫。土左大少目員。肥後少目二員。豊前大少目員。
・ 延暦二(783)年十二月二日甲辰。阿波國人正六位上粟凡直豊穗。飛騨國人從七位上飛騨國造祖門並任國造。

 C 中央政府関係・祥瑞報告記事
・ 慶雲元(704)年六月十五日己巳。阿波國獻木連理。
・ 延暦三(784)年七月四日秋七月癸酉。仰阿波。讃岐。伊豫三國。令進造山埼橋料材。
・ 延暦十(791)年九月十六日甲戌。仰越前。丹波。但馬。
播磨。美作。備前。阿波。伊豫等國。壞運平城宮諸門。以移作長岡宮矣。斷伊勢。尾張。近江。美濃。若狹。越前。紀伊等國百姓。殺牛用祭漢神。
           ※ 阿波国司任官記事は省略
3 『観音寺遺跡Ⅰ』木簡 別掲
2・4・5・6・15・20・23・34・35・37・60・62・66・70
【参考資料】 国庁の諸類型(山中敏史『古代地方官衙遺跡の研究』1994より)
① 長舎型-1
① 長舎型-2
② 大宰府型
③ 城柵型-1 多賀城
 ・ 曹司の機能
 ・ 国衙と曹司
 ・ 肥前国府と曹司
 ・ 伊勢国府と曹司
 ・ 伊勢国衙の構造


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「初堅魚 捕る海部の目に 幡羅の郷」
「弟国部 初夏の鳴門を 渡り来て」 企良

楽しみだな―、阿波国の海部探訪

阿波国報告-1 観音寺遺跡と阿波国府の条

2009-05-20 13:45:54 | 歴史・考古情報《日本》-2 西日本
 連休中様々な行動の報告を少しずつやっていきます。まずは徳島県埋蔵文化財センターでのシンポの様子をアップ! 

 5月1日、京都駅を8時10分発の高速バスに乗ると徳島駅に11時に着きます。何と便利な!!


(京都駅の乗り場探しで少し焦りましたが、後は順調!ただしそれは往きしだけ!実はこの後とんでもないことに・・・・)

 徳島県埋蔵文化財センター設立20周年記念シンポジウムでの報告のために前日に徳島へ向かうことに。

 実は恥ずかしながら、阿波国へは行ったことがなかったのです。讃岐へは何度も、土佐へも数度行ったことがあるので、何となく行ったつもりだったのです。ところが、よくよく調べてみる(記憶をたどってみると)、どう考えても行ってないのです。
 一昨年北海道に初めて行って、これで47都道府県全制覇!!と思っていたら大間違いでした。日本国秘境の地!いえいえとんでもない!京都からわずか二時間半で来られるところに来てい無かったとは、実に恥ずかしい。

 まずはテーマである観音寺遺跡を見ておかなければ、と前日に遺跡へ!!
 何と最寄り駅がこれ!「府中」と書いて「こう」と読む。



 府中駅を降りて何となく観音寺を探すが、途中で不安に。地元のおばさんに尋ねてまずは一宮-大御和神社を目指す。観音寺はその直ぐ隣だと聞く。
 


(春祭りのための縁が立っていた。さらにラッキーなことに、本殿前では神楽が演じられていた。神主の娘だろうか?面をかぶって鈴を鳴らしながら氏子の周りをそろりそろりと歩いて行く。少々ぎこちないところが素朴でとてもよかった!!)



(本殿の裏はこんな感じ。「おおみわ」という名称も意味深だが、なかなか古風でいい神社である。)



 大御和神社の前が旧伊予街道。江戸時代はこの道が伊予へ向かう官道だったとか。これを西にとると直ぐに16番札所観音寺へ。『観音寺遺跡1』という県が刊行した報告書はとてもよくまとまっている内容でにわか勉強にはもってこいだった。その報告書(執筆者は今回私を誘って下さった県埋文の藤川智之さん)によれば江戸時代の地積図によってかなり正確に当地周辺の小字や地割が復原できるという。それによればこの伊予街道は東西に神社の前を通り、なぜか、観音寺の前で南へ少し膨らんで再び西へ向かっている。藤川さんの研究ではどうも国府は従来の推定地であった大御和神社周辺ではなく、この観音寺一帯らしいので、この膨らみも意味がありそうである。



 そんな妄想を抱きながら観音寺へ。

 

(何と、若いカップルが二人より沿って、真剣に経を読んでいる。「ウーン・・・もちろんTDLにいくよりはいいのだが・・・」ちょっと考えさせられた。怨霊に興味を抱く学生が多いのと共通するようにも見えた。少し複雑な感じ!!?)



(観音寺遺跡周辺の航空写真。『観音寺遺跡Ⅰ』より)

 とりあえずをご覧あれ!!

観音寺遺跡周辺のミニスライドショー


 とにかく、阿波国、とても気に入りました!!間もなく近くで見付かった川港?の遺跡の現説もあるとか、是非もう一度行ってみようと思っています。 

長~いトンネルの先にやっと光が・・・の条

2009-05-18 12:02:26 | yaasan随想
長い、長いトンネルの先にやっと小さな光が見えてきました!ホントクタクタです!!病気が再発しないかとちょっぴり心配しています。


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 昨日で連休前後の超忙しいが終わりました。本当はまだまだやることは山ほどあるのですが、とりあえず一段落した気分です。だから久しぶりにブログを書く気になりました。

以前4月以降の予定を書きましたが、それが意外と大変なことになってしまいました。

 4月以降の土日祝日の我が動向はこうでした。

 4月5日 法事
 11日 鈴鹿関案内
 19日久留倍遺跡を考える会総会・ミニ講演
 25・26日 考古学研究会大会・委員会
 29日 考古学研究室飛鳥巡り
 5月1~3日 徳島県埋蔵文化財センター講演会及び現地見学
 9日 壬申の乱ウオーク(養老町)
 10日 飛鳥巡り第二弾
 11日 亀山市史会議
 13日 慶應女子高校出前授業(長岡京案内)
 14日 伊勢湾・熊野地域研究センター開催
 15日 三重県埋蔵文化財センター講演「子どもが集まる博物館・史跡をめざして」
 16・17日 放送大学面接授業(終日) 

ま、何とかなるわ!と思っていたのですが、これも以前(5月1日)に書きましたが、4月19日に山田博士の祟りで風邪を引いて、無理をしながら授業をしているとどんどん酷くなって、悲惨な状態で仕事をこなしました。何とか4月後半には治したのですが、結局岡山での考古学研究会には参加できず。その間予定していた夜に書く原稿などの予定が全てパー!!
 そのしわ寄せが連休に来て、あっと言う間に連休が終わり、ハッと気がつくと先週末のいろいろな行事。お引き受けしたときは問題ないと思っていたことが意外とプレッシャーに、とうとう15日の三重県での講演はその日の朝に資料ができる始末。本当に三重県埋文センターのTHさんには申し訳なかったです。ごめんなさい!

 さらにその翌日つまり昨日、一昨日のことですが、放送大学の集中講義。二日間8コマぶっ通しの授業は疲れました!さすがに昨日は、津から京都に帰る特急の中で久しぶりにビールを飲んでしまい熟睡しました。だから危うく大和八木で乗り過ごすところで。もうぐったりでした。

 救いは一応どれもこれも好評だったことでしょうか?(三重県での講演は反応がなかったからつまんなかったかもネ・・・)

 さて本格的にブログを!と思っても、この間の写真を全く整理しておらず、なかなか直ぐには書けないのが現実。その上、実は山田博士に大不義理をしている原稿が、最後の最後で止まってしまって。さすがに一両日中には出さないと、本当に絶交されそうなので、また今週はこれにかかり切り。ということで大した情報も出せないのですが、少しだけ自分が提供できる情報を一つ。

 今年は授業で初めて、「長岡京の歴史考古学」をやっています。何でかって?そりゃそうでしょう、自分の専門をやるのはちょっと気が引けます。だって、半ば空でもやれるんですもの。そんなに底が浅い?ま、そうかもしれませんね。ところがここのところに来て久しぶりに長岡京に関する新しい論文をいくつか立て続けに書いたもので、その新ネタを織り込んで授業に使うことに。これで少し新しいことを語ることができた。

 さらに大学院の授業(院生1人と一対一の授業)で『続日本紀』を丁寧に読み直すと、とても新鮮で、新しい解釈に行き着いたり、新たな発見にあったりで、近年巷で流布している皮相な「解釈」に鉄槌を下す意欲がわいてきた。

 そこでまたまた馬鹿な私は仕事を自ら増やしてしまいました。それがこれです。関西は今や豚インフルエンザの塊、長岡京はその直ぐ隣なので若干心配なのですが、ま、この頃には日本中に広まっていて、どうしようもなくなっているでしょうから、なるようになると思っています。
 お暇ならご参加下さい。ただし、残念ながら現在進行中の長岡宮城北部での発掘現場が終わってしまゥらしく、当日は見られないんです。大昔私が掘って、有舌尖頭器を出したり、宮城内道路を出した遺構群の直ぐ横なんですが、この頃は調査期間も限られているらしく、必要部分の拡張もできず、短期間で終わらされるらしく、現説もできないで終わるらしいんです。遺跡が可哀相!!


古代宮都探訪会
第1回見学会 長岡京① ~長岡宮中枢部を訪ねて~

案内次第

1 日時  2009年6月6日(土) 
    11:05 JR向日町駅集合或いは11:15阪急東向日駅集合

2 案内  山中 章・清水みき(三重大学)

3 主な見学コース
  
11:05向日町駅出発 → 11:15 阪急東向町合流 → 11:30 向日市文化資料館見学 → 12:30 向日神社(昼食・見学) → 13:15 元稲荷古墳 → 13;30 長岡京遠景 → 14:00 長岡宮大極殿 → 14:30 長岡宮朝堂南門 → 14:45 長岡宮築地 → 15:15 長岡宮内裏 → 15:45 長岡宮春宮坊 → 16:15 長岡宮旧東院跡 → 17:00 向日町駅解散 → 懇親会(取りやめ!!)


4 アクセス(あくまで東海地方から来る学生用の安価コース!ゆとりのある方は特急や新幹線をお使い下さい)

津→柘植→草津→京都→向日町ルート
津  8:26発  8:51着  乗車時間 25分 17分で乗換え JR紀勢本線(普通) 亀山(三重) 9:08発 9:34着 乗車時間 26分
6分で乗換え JR関西本線(普通) 柘植 9:40発 10:26着 乗車時間 46分 3分で乗換え JR草津線(普通) 草津(滋賀) 10:29発 11:01着 乗車時間  32分 1,890円 JR東海道本線(快速)向日町

名古屋→米原→京都→向日町ルート8:39名古屋発9:48着 乗車時間 69分 3分で乗換えJR東海道本線(特別快速) 米原 9:51発 10:43着乗車時間 52分4分で乗換えJR東海道本線(新快速)京都 10:47発 10:54着 乗車時間 7分 2,520円 JR東海道本線(普通)向日町

5 見学のポイント
① 長岡京の立地
② 中枢部の官衙・施設配置
③ 朝堂の基本構造
④ 平安京との距離感

6 注意事項
① 雨天決行
② 弁当・水筒その他食糧持参
③ 帽子着用
④ 終了後近くで懇親会をします。会費2000円程度→と思っていたのですが、案内が終わって直ぐに市内に出かけて会議をしなければならないはめに。よってこれは急遽中止!

7 見学資料 (当日配布)


上の時刻表はあくまで三重大学学生達が来ることを想定して調べたもので(それも貧乏な学生のために安いコース)、これで来なければならないわけではありません。関西の人は東向町駅に11時15分に集まってもらって結構です。
また、今回は初心者コースですので、決して専門家は来ないように!!
なお、放送大学受講生も何人か参加予定です。
 長岡京、ちょっと珍しいな、久しぶりだな-と思ったら、ご参加下さい。 
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考古学研究会東海例会第13回例会決定!!の条

2009-05-12 04:58:51 | 三重大学考古学研究室情報
超多忙で、ブログを更新できていません。ごめんなさい。
これは最新情報です。是非多数ご参加下さい!! 


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                                  2009,5,11
 考古学研究会東海例会<第13回例会>案内


テーマ「庭園風景と考古学」 


1. 趣 旨
 考古学が直面する課題のひとつに、研究や調査成果を如何に日常的な生活のなかに融合できるかというテーマがある。これまでにも考古学は、発掘調査や史跡整備という行為において、人々の関心を引き寄せながら蓄積してきた実績がある。
東海例会では、これまで例会テーマに「史跡整備」や「風景」を取り上げ、「まちづくり」へと結実できる可能性を模索してきた。今回の例会では、多くの人々に観賞されかつ観光や日常のなかで親しまれている「庭園」を取り上げ、「庭園」の分野に対する近年の考古学の貢献と今後の関与の可能性を探りたい。

2. 日  時   2009年8月1日(土) 12:45~17:45

3. 場  所   名古屋大学 文学研究科237講義室 

4. 報告内容
12:45~13:00   開会と趣旨説明
13:00~13:30  「江馬氏下館跡の庭園遺構と整備」大平愛子(飛騨市教育委員会)
13:30~14:00  「多気北畠氏城館跡と庭園」熊崎 司(津市教育委員会)
14:00~14:30  「大知波峠廃寺跡にみる庭園遺構と山林寺院」
                     後藤健一(湖西市教育委員
14:30~14:45   休憩
14:45~15:30  「庭園研究と考古学」小野健吉(奈良文化財研究所)
15:30~16:15  「浄土庭園 平等院の系譜」溝口正人(名古屋市立大学)
16:15~16:30   休憩
16:30~17:30   座談会    
17:30~17:45   次回案内と閉会
18:00~      懇親会

           問い合わせ先:〒464-8601名古屋市千種区不老町
           名古屋大学大学院文学研究科 考古学研究室
            E-mail: kajiwara@lit.nagoya-u.ac.jp

風邪でダウンしてました!!の条

2009-05-01 23:08:09 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
4月19日に宴会がありました。

二次会は山田博士と行きました。それがきっと祟りだったのです!!

一昨日までダウンしてました。

風邪です。

アーしんどかった。でも授業はさぼるわけにいきません(ヒューヒュー教師の鑑!!)
授業をすればする程声が枯れてきます。木曜日の昼は深刻でした。

そんなこんなで最後の大学院の授業は延期してもらいました。ところが!、世間はそう甘くない!!私が暇そうに見えたのか次々と学生が押し押せてきます。

明日は徳島だというのにその心学生知らず。結局乗った電車はいつもと同じ!!京都に帰ったらもうバスはなく、またまた駅まで迎えに来てもらう始末。しかしそんなことは言ってられない、明日の準備がまだ不十分。やるぞ!!と思ったが前日までの無理が祟ってダウン。目が覚めたらば巣に載る一時間前。アーどうしようもない!!


というわけで今日は徳島なんです。済みません。本当は今日行った遺跡がとても興味深くて、一杯ブログに載せたいのですが、明日があるのでもうお休み!!

それはそうと、今日の飲み会でとてもい情報を入手!!

ナナナント、山田博士は来週の土日に徳島にお忍びで来られるとか!!
マックもクイールも全くその情報を知らされていない!!まさにお忍びです。
誰も工藤静香のコンサートのためにわざわざ徳島に来るとは申しておりませんよ。しかし!!

ジャーン!!


彼は二日間にもわたって、徳島で濃厚な接待を受けることが今日判明したのであります。会場では工藤静香の音楽がバックグラウンドとして流れ、質問も先のブログに示された
各曲の解釈について会場から工藤静香ファン総出であるそうです。

博士、間違っても卑弥呼は工藤静香だなんて口走ってはいけませんよ、

ということでやっとブログを書く元気が出ました。一杯一杯載せることがあるのですが、豚インフルエンザも怖いし、しばらくおとなしくしてます。


とにかく阿波国府が面白い!!

久しぶりのyaaでした。お休みなさい。