yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

落合ですらクビなのになぜ原はクビにならないのか信じられないの条

2011-09-22 16:33:35 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 さきほどのasahicomのトップニュースで驚くべきニュースが飛び込んできた。

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 http://www.asahi.com/sports/update/0922/NGY201109220008.html

プロ野球中日は22日、落合博満監督(57)が今季限りで退団し、来季からの新監督には高木守道・元監督(70)をあてると発表した。

 落合監督は2004年に就任。鋭い戦術眼と巧みなベンチワークを発揮し、同年、いきなりセ・リーグ優勝を果たした。06、10年にもリーグを制覇し、07年はリーグ2位からクライマックスシリーズ、日本シリーズを勝ち上がって53年ぶりの日本一に輝くなど、中日を優勝争いの常連に押し上げた。

 今季は序盤、けが人が相次ぎ、打線の不振にも苦しんだが、9月は10勝4敗2引き分けと好調で、21日現在、首位ヤクルトと4.5ゲーム差の2位につけている。しかし、落合監督は球団との3年契約の最終年であるため、去就が注目されていた。

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去年優勝し、今年も最後の最後まで優勝争いをし、まだその可能性が残されている中日を、実に個性的で、プロ好みの巧みなな采配ぶりで引っ張ってきた落合監督。その監督が

クビ!!

有り余る戦力と金を無駄にばかり使って成績も上がらない巨人の原がさっさと

続投????

ホント馬鹿げてる。こんな事してるから野球ファンがどんどんサッカーに流れていくのだ。

宣言!!

原が巨人の監督をし続ける限り、私は野球を一切見ません!!
「野球」の中には高校野球も大リーグも含まれています。

高校野球は既に私立高校の宣伝事業と化し、どこが高校球児の真剣勝負か!といいたくなるセミプロ化!今年の選抜も夏も全く面白くなかった。もう二度と見るもんかとおもった。最悪は夏の決勝戦とその後のスキャンダル。予選の厳しい大阪からめぼしい選手を引き抜いてかき集め、勝てばいいという教育をするから酒はのむは博打は打つワ!
その野球部を処罰もできない高野連。最低!!

大リーグに至っては元々興味はなかったが、なぜみんなあんな下らない世界に憧れていくのか、さっぱり判らん。下手くそ、戦術が単純、審判がいいかげん、こんな世界が「最高峰」???(だから無能原が監督してもWBCで勝てたりする)な~んにも面白くないから最近は見たことがない!!

さ~これから論文一杯書くぞ!!

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新聞記者の日本語の条

2011-09-17 08:51:50 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 最近特に気になって仕方のないのが新聞やネットニュースの記事の日本語である。
 私は国語学者でも日本語の専門家でもないのだが、どう考えても意味の通らない記事があまりに多いのだ。

 ついさっき朝の日課としてasahicomを読んでいた。こんなタイトルで記事が載っていた。http://www.asahi.com/national/update/0916/TKY201109160688.html

 首絞められ、瀕死で川に遺棄か 東京・木場の女性遺体

 東京都江東区木場4丁目の大横川で14日朝、遺体で見つかった女性について警視庁は16日、首を強く圧迫されて死亡した疑いが強まったとして、殺人・死体遺棄事件として深川署に捜査本部を設置した。女性は現場近くで首を絞められ、瀕死(ひんし)の状態で川に投げ込まれた可能性が高いことが捜査関係者への取材でわかった。

 捜査関係者によると、遺体には死後に運ばれたことを示す痕跡がなく、肺の中には水があったという。

 捜査本部によると、司法解剖の結果、死亡したのは13日夜とみられる。首に幅の広いもので圧迫されたような痕があり、窒息死した可能性が高いという。



 タイトルを見て、「瀕死」つまり亡くなりかけているがまだ息のある状態で川に投げ込まれたと思った。ところが本文には、この被害者は「首を強く圧迫されて死亡した疑いが強まった」とある。

どっちやねん?

さらに「遺体には死後に運ばれたことを示す痕跡がなく、肺の中には水があった」とあるから、これはやはりタイトルが正しいのか、と思う。

 ところがところがさらに「首に幅の広いもので圧迫されたような痕があり、窒息死した可能性が高い」

 ええ加減にせい!!と言いたくなる。

 大体捜査関係者と捜査当局と紛らわしい使い分けを何でせなあかんねん。これだと、「関係者」は瀕死で川に棄てられて溺死したといい、「当局」は絞め殺されたといっているようにも読める。さっぱり事態が読み取れないのである。これ、記者に資料、人の話を分析する能力がないことに起因しているように思える。理解できていたら質問できたはずなのである。それもせずに帰社してからデスクで適当に「取材」ネタを継ぎ接ぎして書いたとしか思えないのである。

 とにかくこれはまさに氷山の一角。こんなのなんぼでもある。特にネットのニュースが酷いわけでもなく、新聞本紙でも、一杯あるのである。

 同様のことは私の関係でも度々起こる。

 考古学の発掘調査成果は度々新聞記事になる。自分が担当した遺跡の取材もあれば、よそでの調査に対するコメントを求められることも多い。

 しかし時々、肝心なところがカットされたり、言葉尻が取り出されて伝えられるという場合がある。そんな時、後に記者にあって指摘すると「整理部が・・」と愚痴る場合が多い。

 生の原稿はもちろん現場の記者が書く。しかし、その日のニュースはドンなものがどれだけ来るか判らない。その全部を載せるわけにも行かない。そこで「整理部」が全体を見て?担当者の能力で記事を切り貼りするのだ。大体この時に問題が起こる。取材記事には微妙なニュアンスもある。その微妙さを優れた記者は実に微妙に表現してみせる。さすが言葉のプロ!!と思うこともしばしばである。

 ところが整理部はソンナ雰囲気を読み取っている暇もない。そこで大まかな内容が伝わればいい、ということでバッサバッサと切り取り、継ぎ接ぎして紙面とするのである。

 今朝の記事はそんなレベルでもなく、あまりに酷いものなのだが、どうも最近の新聞は、速報性ばかりを競って、中味が疎かにされているように思えてならない。

 先ごろ鉢呂経産相が「発言」を問題視されて辞任させられた。

 私にはこの間繰り返される「言葉尻を捉えて追究する」マスコミの
報道の仕方にとても嫌な影を見る。その場にいない私が「発言」の真意を知ることはとてもできないのだが、どうとでも取れる言葉を一側面からのみ捉えて批判することはとても公平とは思えないのである。

 「ゴーストタウン」という言葉には被害者の立場からすれば、特にその町に住んでいた人の気持ちからすれば、確かにいい響きは持てない。その町に帰りたくても帰れない方々にとって、我が町が「ゴーストタウン」と化しているといわれると絶望的になることは想像に難くない。

 しかし、人間誰しも直感というものがある。それを表現する言葉もそれなりの経験から限られている。おそらく日本の誰もが「ゴーストタウン」など目の当たりにしたことはないだろう。きっと映画の一シーンで思い描く光景がそれであるに違いない。

 彼が一瞬その光景と重ねたとき、言葉になったとしてもそれは仕方のないことではないだろうか。公式の場で、「あの町はゴーストタウンでした」と言ったわけでもないのだ。どんな雰囲気で、どんな場で彼が発した言葉なのか、録画でもあればそれこそ判るのだが、そうではないらしい。

 どうも、マスコミの誰かがその言葉だけを捉えて取り上げ、一部の感情を刺激することを目的に取り上げたらしいのである。とすると、これはいかがなものであろうか。特に彼は就任時に「原発の再稼働や増設には慎重」である発言をした人物である。経産省にとっては厄介な人物が大臣になったのである。前の海江田のように言いなり、口パクの大臣ではないのである。経産省の役人が言葉尻を捉えて吹聴した(そう思っている記者と一緒になって吹聴した)とするとこれほど恐ろしいことはない。

 もちろんその辺りの攻撃があるということも予想できずに大臣になって有頂天で喋った風にも見える人物である。マ、器ではなかったということだろうが、この後大臣になったのが、原発維持に配慮を言い続けてきた枝野だけに一番喜んだのが経産省であるということだけは事実であろう。こうした記事も倫理委員会で検証すべきだと思うのである。

 これとは別に読売に「天皇が燕尾服なのに議員はノーネクタイ」という記事があった。一体いつから日本はこのような規制を受けなければならない国になったのだろうか。

 もちろん一定の社会的常識が服装にはある。どこでもどんな格好をしてもよいとは思わない。しかし、その基準が天皇に置かれると??と思わざるを得ない。ノーネクタイはここのところの日本の国家としての当たり前の服装である。実は私は25年程前、所属した職場の総責任者から「なぜお前はいつもネクタイをしないのか!ちゃんとした格好をしろ!」と叱責されたことがある。毎日毎日発掘調査に明け暮れていた私は朝から作業服で現場にいた。ネクタイをして発掘する奴がいたらそいつは偽物だ!!というのは考古学界の常識だろう。現場にまで電話がかかってきて直ぐ帰って,服装を正せ!!というのである。あまりの理不尽に怒り狂った私は直ぐに職場に戻ってその責任者と大げんかになった。

 ただその時思ったことは社会にはいろんな見方をする人間がいるもんだな~ということだった。あまりに頭に来るものだから、抗議の意味も込めて夏も冬も作業着の下にはカッターシャツを着、ネクタイをすることにした。走すると見学者までもが、「この暑いのにネクタイなんかしなくてもいいではないですか」と声をかけてくれることとなった。密かに上司の理不尽を市民に伝えるための抗議手段であったのだ。

 そんなことがあってから私はTPOなど関係なくいつもカッターシャツにネクタイである。私はそれの方が恐ろしいと思う。

 さて、話を戻すと、総理大臣も、各大臣も震災時には作業服で会見に臨んでいた。国事行事として憲法に規定されて天皇が国会の開催を宣言する。今の天皇にあっては最も大事な「仕事」の一つである。古代には各儀礼の場毎に服装が規制されていた。だから天皇にもその遺制があるのかも知れない。燕尾服はそうした「規則」によるのかも知れない。

 しかし、今の国会議員に服装の規制などあるのだろうか。きっとバッチを付ける付けないはあるように思うのだが、服装まで規制はないと思う。議員にとっても国会開催はその根幹をなす仕事の場である。だから私が議員であったなら、普通に背広にネクタイで出席すると思う。しかし、それは先の延長線上でノーネクタイでも何ら問題はないと思う。別に浴衣を着ていたわけでも、半パンでいたわけでもない。それを天皇が燕尾服なのに議員は・・・というのはどこか背後に戦前の統制の影が見え隠れしてとても恐ろしく感じた。

 そしてこのことを平気で記事にする記者のいること。記事を載せる新聞社があることに絶望する。

 もしこのことを記事にするとするなら、ノーネクタイの議員に取材して、「国会と服装」あるいは「場と服装」についてどう思うのか、その考え方をしっかり聞いて記事に書けばいいと思うのである。

 ちなみに、我が大学で今年の7月7日に、ある教官が大学当局に提案して「東北の被災者の方々を思い、日本の伝統的な服装である浴衣を着て受講しよう」という主旨の呼びかけをした。寝耳に水の私達は直ちに抗議声明を出し、受講を拒否すると宣言した。

 その理由はこうだ。
 ① 服装は自由である。一般常識として考えられる範囲であるならば、ジーンズであろうが、浴衣であろうがご自由にと思う。受講に相応しい服装を定めて規制しろ!等とは毛頭思わない。
 ② しかし、大学当局が学生に対して「浴衣を着て受講しろ」と強制(強要)するのは服装の自由を侵す重要問題である。
 ③ そもそも東北で震災を受けた方々を思って浴衣を着るということのどこに論理的繋がりがあるというのか。被害を受けなかった学生は暢気に浴衣を着て受講するのか?と疑念を抱かれるだけだ。このような非論理的で東北の方々に失礼な行為を大学当局が認めて実施するというのは大学の恥である。
 ④ 浴衣が日本の伝統的服装というのは単なる浴衣業界の宣伝にあるだけで、浴衣なるものが普遍化するのはつい最近のことである。これを日本の伝統などと嘘を行って学生に求めるのは学問の府として問題がある。

等々であった。要するに、基本的に服装は自由だと思うが、もしその場を主催する人が不愉快に思うとすると、その服装について議論をした上で、規制するなり、認めるなりすべきであるというのが私の考えである。何でも自由とは思わない。自由をはき違えている人も随分いると思う。だからといってその人の考えも聞かずに一方的に規制、強要するのはもっと間違っていると思うのである。

 スポーツ記事で国民を鼓舞していれば喜ばれ、会社からも称えられる。今は震災ネタなら取り上げられやすいか安直にそれに結びつけた記事を書く。これでは社会が抱えている問題を暴き出し、国民に考える素材を与える新聞の使命は果たせない。

 せめて日本語くらいまともに書けよ!といいたくなる。

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「原」の「辰」ニュースの条

2011-09-14 22:17:52 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 久しぶりにスポーツネタを一つ。

 ご存じの方も多いと思うが、私は生まれる前からの巨人ファン(大の阪神嫌い)にして原辰徳が大嫌いな人間なのです。

 だから、ここ数年私は俄カープファンであり、アンチ巨人ファンなのであります。

 それがやっとこのシーズンオフには解消され、来年からは気持ちよく甲子園に行き、巨人の応援をし、阪神を木っ端みじんに打ち砕いて溜飲を下げるという夢が抱けるようになったと思っていたのです。

 だって、去年もBクラス目前、今年は何度も最下位に転落し、借金だらけ、首位ヤクルトとは10ゲームも離される体たらく。「アーやっとこれで原の顔を見なくていい!、巨人ファンに戻れる!!」と思っていたら、ナナナント!あの野球を知らない渡辺が「あれだけの借金を解消して「首位攻防??」に持ち込んだ能力は素晴らしい!!」と言い出したのである。

 鶴の一声(ぼけ老人の戯言)を聞いた「えせオーナー」は小躍りした喜んだ。「これで我々のデタラメ補強の「罪」がごまかせる!」と。間髪入れずに「来季も」と言うことになった。もちろん厚顔無恥、己の能力を判らない原は即答した「快諾」と。

 「エエッツ!!なんぼ何でもそれは無いやろ」
 「ゴマすり張本でも言うてるやないか、「オフには人事異動があるでしょうね」と」
 「この体たらくで続投やったら一体いつ原は辞めるんや!!??」

 今年の原ほどその能力の無さをさらけ出したシーズンはなかった。
 これまでは潤沢な選手層で適当に指揮しても何とかCSくらいはクリアーできてきた。ところが今年は、野球音痴GM やら、素人オーナーやら、無能力スカウトやらが集めてきた外人が尽く「害人」。どれ一つとして役立たず。これだけで何億という金がパー!!(その分ファームの日本人選手の給料あげたったらもっと活躍するのに)さらに小笠原が怪我。この時こそ監督の能力が問われるのである。しかしもちろん能力のない原はいじらなくていい四番を毎日のようにいじり、さっさと見捨てなければならない坂本をいつまでも使い続け、泥沼にはまったのである。

 何?坂本は得点圏打率トップだって?!

 もう、素人さん相手では話にならん!!

 これは監督譲りの帳尻合わせの才能。要するに肝心なときに打たない、それどころか肝心なときにエラーをする。巨人のショートといえば、広岡に始まり、黒江、二岡といぶし銀ばかり。エラーどころかどれだけファインプレーで巨人を救ったことか。坂本のファインプレーなんて聞いたこともない。ちょっと一昨年よかったからといって女遊びに惚け、スター気取りでええカッコばかりする。だから下半身はがたがた。こんなショートはいらん!!

 さらに原の最悪なところは「エコ贔屓」自分に素直な奴は失敗しようが何度でも使うが、ゴマすらない奴は使わない!東海大の後輩は可愛がるがそうでない奴には冷酷。太田なんてまだまだ二軍以下。亀井はもう一度鍛え直し。福田に至っては戦力外。外人は全部要らんし、日ハムやロッテから取ってきた元四番なんて熨斗付けて返せばいい。

 さらにさらに、折角中日から川相を引き抜いてきたのに、キャンプの時だけバントの練習させて、一軍では皆無!!だから失敗ばかり。中日が下手くそになってくれて喜んでいたら、合わせて巨人も下手くそ、これでは勝てるはずもない。バント失敗したら直ぐに二軍へ落として練習させ、できたらあげるくらいの裁量がなければならないのに。

 昨日の試合も、4回にノウアウトで古城が出て、長野に強行させて三振、その後高橋のヒットやら四球やらが出たのに結局1点も入らず、挙げ句の果ては1対1の同点なのに内海を代えて、坂本のエラーでサヨナラ負け。要するにホームランでしか点を取ろうとしないバカ監督の采配が折角好投している投手陣を何度も見殺しにしているのだ。一番の犠牲者が沢村!!今頃15勝はしていても不思議のない投球をしているのに、原の采配で7勝11敗。アー可愛そう!!

 原の続投を聞いて、阪神ファンも、中日ファンも大喜びしているに違いない。おそらく一番喜んでいるのは落合だろう。「これで来年も俺は安泰だ!!」と。

 オーナー・経営者・指揮官がしっかりしていれば成果が上がることは現在の日本サッカーを見れば明白だ。長期展望に立って育成し、様々な機会に競わせ、誰を贔屓にすることなく実力で這い上がらせる。

 折角定年後の唯一の楽しみとして思い描いていた「巨人戦三昧」の夢が絶たれ、俄カープファンも長続きせず、そろそろサッカーに完全移行しようかなと思う今日この頃である。ちなみに私はJリーグ以前から「日産」つまりマリノスの大ファンなのである。まだ生試合は見たことがないが、本当に原が続投なら、今冬はワールドカップ予選の生試合でも見に行こうかなと思う今日この頃である。

 フレーフレーカープ!!巨人と阪神を引きずり落として三位になーれ!!

 追記 9月15日21時

 昨日の付録です。

 今日突然、日ハム梨田監督の辞任が発表された。

 何と潔い!!清々しいことか!と感激した。

 4年間で優勝1回、本年度も開幕当初からソフトバンクと二強の争い。
 
 人気だけで実力のない斎藤をうまく使いこなして観客動員し、荒馬中田を調教して4番に据え、原に棄てられた二岡をうまく使って勝利に導くなど、さすがキャッチャー出身の監督だけあって、大した選手のいないチームをうまく操っている。

 どこぞの監督のように潤沢な資金で選手を買いまくり、有り余る戦力をもてあまして思いつきばかりの起用で失敗し、招来展望もなく場当たり的に選手を使い、子飼いばかり起用して選手のやる気を失わせるのと大違い。

 監督7回もやって日本1になったのはたったの2回。多そうに見えるがこれだけの戦力をもらって情けない数字。優勝争い中の監督が辞めて、二年続けて三位争いに汲々とし、仮に5位になったとしても辞めないなんてとんでもない。

 あー、何とか広島に頑張って欲しいが、監督が野村ではね~~~

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 アースッキリした!!


壬申の乱ウオーク-22~初代大来斎王の斎宮を歩く~出発の条 

2011-09-14 07:18:01 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 恒例の壬申の乱ウオークが近付いて参りました。

 本来なら8月の第二土曜なのですが、この時期はお盆と重なることが多く、その上、今回は私が8月16日からトルコに踏査に出かけたのでお詫びして、9月にして頂くことにしました。

 壬申の乱と斎宮と何の関係があるねん!?と疑問を抱かれる方もおられるかと存じますが、これが大ありなのであります。

 まず初代斎王は天武天皇の娘大来(伯)皇女であります。

 彼女にとって果たして壬申の乱の勝利がよかったことなのかどうか?

 大来(伯)皇女ほど数奇な運命を生きた女性は少ないのではないでしょうか。

 彼女のお母さんは天智天皇の娘太田皇女、お父さんは天武天皇です(参考史料(3))。当時の最高権力者に最も近い女性の一人だったと言えます。その彼女は、祖母(曾祖母)が斉明天皇。斉明天皇が百済の要請を受けて朝鮮出兵を企て、難波から九州へ向かう途中の備前邑久湾の船上で生まれました。その名「大来(伯)」(おおく)もこの地名から採られたと考えられています。

 しかし母太田皇女はその後663年に九州で息子大津皇子を生んだ後、大来六歳の667年に亡くなります。母の亡骸は祖母と伯母の眠る牽牛子塚古墳の傍に設けられます(参考史料(4) 越塚御門[こしつかごもん]古墳 いずれも第21回で訪れました)。

 その五年後に壬申の乱が起こるわけですが、『日本書紀』によれば大津の皇子は当初大津宮におり、連絡を受けて急遽大津宮を脱出して鈴鹿関を経て天武の下に馳せ参じたとされます。当然姉の大来(伯)皇女もまた、天武等と共に吉野を脱出し、山道を不眠不休で進軍し、桑名に至っていたと考えられます。

 天武一家は大変な労苦を重ねたわけです。そして勝利の喜びもつかの間、大来(伯)皇女に降りかかったのが初代斎王として天照大神に奉祭する任務だったのです。天皇の名代としてと言えば聞こえはいいのですが、私はこれこそ鸕野讃良皇女(持統天皇)の策略だったのではないかと考えています。

 とまれ、父天武が皇位に就くことによって、母・太田皇女という強力な後ろ盾のない大来・大津の姉弟に悲劇の歴史が始まるのでした。

 私は壬申の乱こそ彼女の人生を狂わせたのだと思っています。

 もし天武側が勝たなかったら、彼女は一皇族の一人として平凡ではあるが、平穏な人生を過ごすことができたのではないでしょうか。そんな思いで斎宮を歩いてみようと思います。


 第22回壬申の乱ウオーク

 斎宮を歩く!!

 9月18日(日)9時 近鉄斎宮駅集合 解散予定12時30分斎宮歴史博物館


概要は以下の通りです。

初代大来斎王の斎宮を歩く
本日のコース 案内 山中 章(三重大学)

近鉄斎宮駅(いつきのみや歴史体験館広場) 9:00 集合
斎宮と大来皇女解説9:00~9:15 → 9:20 斎宮方格地割10分の1模型解説9:40 → 9:50 竹神社10:05 → 10:15 発掘現場紹介 10:35 → 10:45 斎王の森 11:00 → 11:15 初期斎宮跡 11:30 → 11:45 斎宮歴史博物館 12:30 解散 → 13:07 近鉄斎宮駅 → 14:10 近鉄四日市 → 近鉄富田14:16

現在大急ぎで資料を作っています。


参考史料
1 『日本書紀』斉明6(660)年~天武2(673)年
 (1) 『日本書紀』巻二六 斉明天皇六年(六六〇)十二月庚寅《廿四》◆十二月丁卯朔庚寅。天皇幸于難波宮。天皇方随福信所乞之意。思幸筑紫將遣救軍。而初幸斯備諸軍器。☆是歳。欲爲百濟將伐新羅。乃勅駿河國。造船。巳訖。挽至績麻郊之時。其船夜中無故艫舳相反。衆知終敗。』科野國言。蝿羣向西飛踰巨坂。大十圍許。高至蒼天。或知救軍敗績之恠。有童謠曰。摩比邏矩。都能倶例豆例。於能幣陀乎。邏賦倶能理歌理鵝。美和陀騰能理歌美。烏能陛陀烏。邏賦倶能理歌理鵝。甲子。騰和與騰美。烏能陛陀烏。邏賦倶能理歌理鵝。
 (2) 『日本書紀』巻二六斉明天皇七年(六六一)正月壬寅《六》◆七年春正月丁酉朔壬寅。御船西征。始就于海路。
 (3) 『日本書紀』巻二六斉明天皇七年(六六一)正月甲辰《八》◆甲辰。御船到于大伯海。時大田姫皇女産女焉。仍名是女曰大伯皇女。
 (4) 『日本書紀』巻二七天智天皇六年(六六七)二月戊午《廿七》◆六年春二月壬辰朔戊午。《廿七》合葬天豐財重日足姫天皇與間人皇女於小市岡上陵。▼是日。以皇孫大田皇女葬於陵前之墓。高麗。百濟。新羅皆奉哀於御路。皇太子謂羣臣曰。我奉皇太后天皇之所勅。憂恤萬民之故。不起石槨之役。所冀永代以爲鏡誡焉。
 (5) 『日本書紀』巻二九天武天皇二年(六七三)二月癸未《廿七》◆二月丁巳朔癸未。《廿七》天皇命有司。設壇場即帝位於飛鳥浮御原宮。立正妃爲皇后。々生草壁皇子尊。先納皇后姉大田皇女爲妃生大來皇女與大津皇子。次妃大江皇女。生長皇子與弓削皇子。次妃新田部皇女。生舎人皇子。又夫人藤原大臣女氷上娘。生但馬皇女。次夫人氷上娘弟五百重娘。生新田部皇子。次夫人蘇我赤兄大臣女大甦娘。生一男。二女。其一曰穗積皇子。其二曰紀皇女。其三曰田形皇女。天皇初娶鏡王女額田姫王。生十市皇女。次納胸形君徳善女尼子娘。生高市皇子命。次完人臣大麻呂女擬媛娘。生二男。二女。其一曰忍壁皇子。其二曰磯城皇子。其三曰泊瀬部皇女。其四曰託基皇女。
 (6) 『日本書紀』巻二九天武天皇二年(六七三)四月己巳《十四》◆夏四月丙辰朔己巳。欲遣侍大來皇女于天照大神宮。而令居泊瀬齋宮。是先潔身。稍近神之所也。
 (7) 『日本書紀』巻二九天武天皇三年(六七四)十月乙酉《九》◆冬十月丁丑朔乙酉。大來皇女自泊瀬齋宮向伊勢神宮。
 (8) 『日本書紀』巻三〇持統天皇即位前紀朱鳥元年(六八六)十月丙申《廿九》◆丙申。詔曰。皇子大津謀反詿誤吏民帳内不得已。今皇子大津已滅。從者當坐皇子大津者皆赦之。但砺杵道作流伊豆。又詔曰。新羅沙門行心。與皇子大津謀反。朕不忍加法。徙飛騨國伽藍。
 (9) 『日本書紀』巻三〇持統天皇即位前紀朱鳥元年(六八六)十一月壬子《十六》◆十一月丁酉朔壬子奉伊勢神祠皇女大來。還至京師。
 (10) 『続日本紀』巻二大宝元年(七〇一)十二月乙丑《廿七》◆乙丑。大伯内親王薨。天武天皇之皇女也。


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トルコ踏査-8 台風の来る前に無事帰国しましたの条

2011-09-03 03:35:47 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 飛行機での移動も含めて17日間という結構な強行日程でしたが、体調を崩すこともなく、台風に邪魔されることもなく、無事帰国しました。

 帰国してまず思うことは、トルコ料理がどうして世界三大料理なのか!!と言うことです。

 マ、これまで訪ねてきた国々の料理に比べて、「不味い!」とは言いませんよ。でも、お世辞にも「美味い!!」とは絶対に言えない料理でした。比較的食材は豊富なのです。牛肉、羊肉、魚肉があり、野菜もトマト、キャベツ、玉葱、唐辛子を筆頭に豊富にあるのです。しかし、調理がみんな同じ!!私の評価からすると、一番不味いのがイギリス、続いてアメリカ、次がイタリア、そしてせいぜいその次にランクされるのがレバノン料理。トルコ料理というのは、どんなに甘くしてもこれくらいの位置付けしか与えられないのです。まだベトナム料理の方がまし!!で、中国料理がこの次くらいと思うのです。

 絶対に日本料理の方が美味い!!のです。
 
 だから帰国してほぼ24時間が過ぎて、刺身、うどん、パン、酢の物、煮物、焼き物等々、家庭料理を一通り食べたのですが、やはり日本食が一番!!なのです。
 
 帰国した1日は、息子の息子の7歳の誕生日だった。当然今時の家族は大々的に??お祝いをする。つまり最良のスイーツ、ケーキを帰国して直ぐに頂くことができたのです。この見事なお味!!甘過ぎもなく、かすかすではなく、新鮮なフルーツが載り、紅茶にピッタリなお味なのです。要するに前菜、スープ、主菜、フルーツ、スイーツそのどれをとっても、日本が一番なのです。

 実感として、日本の食材、調理方法、スイーツのとても微妙な味、どれをとってもトルコなんぞに負けるとはとても思えないのです。

 等という遺跡とは何の関係のない感想を抱いた帰国一日目であした。 

 時差の関係で夜中の3時頃まで目が冴えて寝たのだが4時。ところが8時には息子の娘に起こされて眠い!眠い!!
 やっと目を凝らして新聞を見ると、朝日新聞京都版に見慣れた写真が!!

 酒を醸造するために大瓶を据えた穴の並ぶ写真だ。コメントはNK市のKYさん。彼は25年前、これを初めて酒醸造施設と解き明かした人物だ。前回のものを合わせて70余の酒醸造瓶が調査地周辺にあったことになるという。

 ただ、彼のコメントは「この酒が庶民のまつりごとに使うものだった」のではないかという。

???

もちろん庶民も酒を嗜んでいた。粉酒とか言われた酒粕の混じった酒や糟湯酒と表現された酒を呑んでいた。しかし、それはあくまで個人的に醸したものであって、この様に大規模に醸造する必要性などなかったし、仮にその様なことをしても酒は直ぐ酢になるか腐ってしまったはずなのである。庶民が酒を醸したとはとても思えないのである。

 私の見解はこうである。

 ① この地が長岡京西市に近いこと。
 ② 過去の資料分析で、周辺部には市に提供する様々な製品を製作する施設が見付かっていること。
 ③ この酒も市で売る酒の醸造所だったのだとすると、もちろん国家が売ることが前提だが、長屋王邸の木簡資料を見ると、貴族が有り余る米を有効利用するため酒にして売ったり、飯に炊いて売ったりしていることが知られている(ちなみにこの売値が1升(今の4合)1文だったらしい)。

 ひょっとしたら、長岡京期の大貴族の誰かが市の近くで酒を売るために醸造していた場所かも知れない。

 久しぶりに長岡京のニュースを見て、嬉しくなった次第である。

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トルコ踏査-8 台風の来る前に無事帰国しましたの条

2011-09-03 02:13:44 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 飛行機での移動も含めて17日間という結構な強行日程でしたが、体調を崩すこともなく、台風に邪魔されることもなく、無事帰国しました。

 帰国してまず思うことは、トルコ料理がどうして世界三大料理なのか!!と言うことです。

 マ、これまで訪ねてきた国々の料理に比べて、「不味い!」とは言いませんよ。でも、お世辞にも「美味い!!」とは絶対に言えない料理でした。比較的食材は豊富なのです。牛肉、羊肉、魚肉があり、野菜もトマト、キャベツ、玉葱、唐辛子を筆頭に豊富にあるのです。しかし、調理がみんな同じ!!私の評価からすると、一番不味いのがイギリス、続いてアメリカ、次がイタリア、そしてせいぜいその次にランクされるのがレバノン料理。トルコ料理というのは、せいぜいこれくらいの位置付けですな。まだベトナム料理の方がまし!!で、中国料理は、マ、庶民の料理はこの次くらいかな。

 絶対に日本料理の方が美味い!!のです。
 
 だから帰国してほぼ24時間が過ぎて、刺身、うどん、パン、酢の物、煮物、焼き物等々、家庭料理を一通り食べたのですが、やはり日本食が一番!!なのである。
 
 帰国した1日は、息子の息子の7歳の誕生日だった。当然今時の家族は大々的に??お祝いをする。つまり最良のスイーツ、ケーキを帰国して直ぐに頂くことができたのである。この見事なお味!!甘過ぎもなく、かすかすではなく、新鮮なフルーツが載り、紅茶にピッタリなお味なのである。要するに前菜、スープ、主菜、フルーツ、スイーツそのどれをとっても、日本が一番なのである。

 実感として、日本の食材、調理方法、スイーツのとても微妙な味、どれをとってもトルコなんぞに負けるとはとても思えないのである。

 等という遺跡とは何の関係のない感想を抱いた帰国一日目であった。 

 時差の関係で夜中の3時頃まで目が冴えて寝たのだが4時。ところが8時には息子の娘に起こされて眠い!眠い!!
 やっと目を凝らして新聞を見ると、朝日新聞京都版に見慣れて写真が!!

 酒を醸造するために大瓶を据えた穴の並ぶ写真だ。コメントはNK市のKYさん。彼は25年前、これを初めて酒醸造施設と解き明かした人物だ。前回のものを合わせて70余の酒醸造瓶が調査地周辺にあったことになるという。

 ただ、彼のコメントは「この酒が庶民のまつりごとに使うものだった」のではないかという。

???

もちろん庶民も酒を嗜んでいた。粉酒とか言われた酒粕の混じった酒や糟湯酒と表現された酒を呑んでいた。しかし、それはあくまで個人であった。庶民が酒販売のために醸したとはとても思えないのである。

 私の見解はこうである。

 ① この地が長岡京西市に近いこと。
 ② 過去の資料分析で、周辺部には市に提供する様々な製品を製作する施設が見付かっていること。
 ③ この酒も市で売る酒の醸造所だったのだとすると、                    もちろん国家が売ることが前提だが、長屋王邸の木簡資料を見ると、貴族が有り余る米を有効利用するため酒にして売ったり、飯に炊いて売ったりしていることが知られている(ちなみにこの売値が1升(今の4合)1文だったらしい)。

 ひょっとしたら、長岡京期の大貴族の誰かが市の近くで酒を売るために醸造していた場所かも知れない。

 久しぶりに長岡京のニュースを見て、嬉しくなった次第である。

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