第1回 講座長岡京歴史よもやま話は「トイ」がテーマでしたが、今回のテーマは「風呂」です。
風呂もトイレも現代人には欠かせない生活必需施設ですが、その起原や変遷については意外と知られていません。ところが長岡京跡からは現状で日本最古の風呂遺構が発見されているのです。向日市寺戸町に所在する宝菩提院廃寺の発掘調査で発見された遺構です。宝菩提院廃寺は壬申の乱後、山背地域を代表する白鳳寺院として王権によって建設されました。この寺域の東辺部から発見されたのが日本最古の風呂跡です。見事な石敷きを伴う遺構はなぜか史跡に指定されることもなく開発が行われ、の大半は失われてしまいました。某国家機関担当者の無責任な一言「こんなもんどこにでもある」という発言が決め手になり処理されてしまったものです。国私は、長屋王邸の破壊、長岡京東院の破壊と並ぶ日本古代宮都関連遺跡の破壊だと考えています。今でもその悔しさは忘れられません。
もっとも、その責任は某担当者一人だけにあるのではなく、日本の歴史考古学研究者、担当者の実力の結果だとも思っています。その点についてはいずれ別にお話しするとして、今回の「よもやま話」の概要をご紹介し、31日の講座へのお誘いを申し上げたく思います。
実は私は、この遺構を見て直ぐに「なんと素敵な風呂が日本古代にあるものだ」と感激した一人です。残念ながらその後の本遺構の分析はなぜか建築史学の研究者に委ねられ、特定の解釈が与えられて今日に至っています。どうして遺跡を検出した考古学の発言がほとんど無いのか、不思議なのですが、ま、そこには私の力の及ばない特殊な事情があるのでしょう。そこでより広い視点から長岡京跡発見の風呂遺構を分析、評価するために諸外国の遺構を収集、分析することに致しました。
その結果、世界の風呂文化には四種類あり、長岡京のそれは日本独自の「風呂観」に基づく極めて特異な構造、文化に基づくものであることに気づきました。今回の講座の主要テーマはこれです。
風呂の歴史は、自然に湧く温泉を除くと、今のところ、フェニキア人の手になるケルクアンの風呂が最古の例のようです。フェニキア人の風呂は現代日本の風呂に酷似しています。人一人が入れる浴槽を設け、内部には腰掛け用の段差も設けられていました。おそらくお湯を溜め、浴槽に入って身体を温めたり洗浄したのでしょう。ケルクアンには各家に一基程度この設備が設けられていたようです。集団用のものもあり、それらは家に風呂のない人々が使用シアノかも知れません。なぜこの風呂構造がローマに受け継がれなかったのか、とても興味深いテーマです。
フェニキア(カルタゴはその一部)を制圧したローマ人も新しいローマ時代のカルタゴに大規模な風呂を造ります。しかしその構造は、首都ローマで開発された「サウナ式」のものでした。密閉された室内に供給された高温の湯から発生する蒸気によって部屋を暖め、発汗させる構造で、現代のサウナ風呂そっくりでした。風呂好きなローマ人は征服した各地の支配拠点にも必ず風呂を建設し給水のための水道施設と共にローマの象徴となりました。近年はヤマザキマリさんの「テルマエロマエ」という漫画が大流行し、その存在は広く知れ渡ることになりました。しかし、日本を良く検討してみると風呂遺構は少なく、奈良・平安時代では宝菩提院廃寺のものが唯一です。その上、遺構を詳細に検討すると、当該風呂は湯を浴びるスタイルのもので、ローマのそれや近世に発展する岩風呂でもありませんでした。極めて独自性の高い風呂文化が宝菩提院廃寺の風呂遺構によって初めて確認でき、世界の風呂と比較することが可能になったのです。
今回の「よもやま話」では、こうした風呂文化を比較し、日本の風呂文化の変遷についてもご紹介します。
なお、開催場所は、第6向陽小学校へ行く途中に桓武天皇皇后藤原乙牟漏高畠陵がありますが、その東隣に所在する「寿恵更紗ミュージアム」です。添付の地図などを参考においで下さい。
第2回長岡京歴史よもやま話~長岡京の風呂と世界の風呂~ご案内
仲秋の候、皆様にはいかがお過ごしでしょうか。第2回よもやま話を「風呂」をテーマに開催します。長岡京跡では、現在のところ日本最古の風呂跡が宝菩提院廃寺の一角から発見されています。見事な石敷きの湯浴み場を供えた例を見ない施設です。なぜ宝菩提院廃寺からなのか、風呂好きと言われる日本人ですが、世界の民族の風呂はどんな施設なのか。比較して考えてみたいと思います。修了後宝菩提院廃寺風呂跡の現地を見学します。
記
日時 2015年10月31日(土)13:00~15:00
集合 寿恵更紗ミュージアム(TEL 075-934-6395 第六向陽小、桓武天皇皇后陵の東) 阪急東向日駅徒歩15分或いは阪急バス東山バス停から徒歩5分.阪急東向日発66系統善峰寺行き12:42→東山12:50着)
【次回行事案内】「中山修一先生生誕100年記念特別講演会」2015年11月22日(日)長岡京市中央公民館3階市民ホール
長岡京歴史散策の会075-934-1684
寿恵更紗ミュージアム地図
http://map.yahoo.co.jp/maps?lat=34.94873900&lon=135.69829550&ac=26208&az=&z=13&id=&fa=pa&ei=utf8&p=%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C%E5%90%91%E6%97%A5%E5%B8%82
地図中の「NPO法人日本燦クラブ」=寿恵更紗ミュージアム
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風呂もトイレも現代人には欠かせない生活必需施設ですが、その起原や変遷については意外と知られていません。ところが長岡京跡からは現状で日本最古の風呂遺構が発見されているのです。向日市寺戸町に所在する宝菩提院廃寺の発掘調査で発見された遺構です。宝菩提院廃寺は壬申の乱後、山背地域を代表する白鳳寺院として王権によって建設されました。この寺域の東辺部から発見されたのが日本最古の風呂跡です。見事な石敷きを伴う遺構はなぜか史跡に指定されることもなく開発が行われ、の大半は失われてしまいました。某国家機関担当者の無責任な一言「こんなもんどこにでもある」という発言が決め手になり処理されてしまったものです。国私は、長屋王邸の破壊、長岡京東院の破壊と並ぶ日本古代宮都関連遺跡の破壊だと考えています。今でもその悔しさは忘れられません。
もっとも、その責任は某担当者一人だけにあるのではなく、日本の歴史考古学研究者、担当者の実力の結果だとも思っています。その点についてはいずれ別にお話しするとして、今回の「よもやま話」の概要をご紹介し、31日の講座へのお誘いを申し上げたく思います。
実は私は、この遺構を見て直ぐに「なんと素敵な風呂が日本古代にあるものだ」と感激した一人です。残念ながらその後の本遺構の分析はなぜか建築史学の研究者に委ねられ、特定の解釈が与えられて今日に至っています。どうして遺跡を検出した考古学の発言がほとんど無いのか、不思議なのですが、ま、そこには私の力の及ばない特殊な事情があるのでしょう。そこでより広い視点から長岡京跡発見の風呂遺構を分析、評価するために諸外国の遺構を収集、分析することに致しました。
その結果、世界の風呂文化には四種類あり、長岡京のそれは日本独自の「風呂観」に基づく極めて特異な構造、文化に基づくものであることに気づきました。今回の講座の主要テーマはこれです。
風呂の歴史は、自然に湧く温泉を除くと、今のところ、フェニキア人の手になるケルクアンの風呂が最古の例のようです。フェニキア人の風呂は現代日本の風呂に酷似しています。人一人が入れる浴槽を設け、内部には腰掛け用の段差も設けられていました。おそらくお湯を溜め、浴槽に入って身体を温めたり洗浄したのでしょう。ケルクアンには各家に一基程度この設備が設けられていたようです。集団用のものもあり、それらは家に風呂のない人々が使用シアノかも知れません。なぜこの風呂構造がローマに受け継がれなかったのか、とても興味深いテーマです。
フェニキア(カルタゴはその一部)を制圧したローマ人も新しいローマ時代のカルタゴに大規模な風呂を造ります。しかしその構造は、首都ローマで開発された「サウナ式」のものでした。密閉された室内に供給された高温の湯から発生する蒸気によって部屋を暖め、発汗させる構造で、現代のサウナ風呂そっくりでした。風呂好きなローマ人は征服した各地の支配拠点にも必ず風呂を建設し給水のための水道施設と共にローマの象徴となりました。近年はヤマザキマリさんの「テルマエロマエ」という漫画が大流行し、その存在は広く知れ渡ることになりました。しかし、日本を良く検討してみると風呂遺構は少なく、奈良・平安時代では宝菩提院廃寺のものが唯一です。その上、遺構を詳細に検討すると、当該風呂は湯を浴びるスタイルのもので、ローマのそれや近世に発展する岩風呂でもありませんでした。極めて独自性の高い風呂文化が宝菩提院廃寺の風呂遺構によって初めて確認でき、世界の風呂と比較することが可能になったのです。
今回の「よもやま話」では、こうした風呂文化を比較し、日本の風呂文化の変遷についてもご紹介します。
なお、開催場所は、第6向陽小学校へ行く途中に桓武天皇皇后藤原乙牟漏高畠陵がありますが、その東隣に所在する「寿恵更紗ミュージアム」です。添付の地図などを参考においで下さい。
第2回長岡京歴史よもやま話~長岡京の風呂と世界の風呂~ご案内
仲秋の候、皆様にはいかがお過ごしでしょうか。第2回よもやま話を「風呂」をテーマに開催します。長岡京跡では、現在のところ日本最古の風呂跡が宝菩提院廃寺の一角から発見されています。見事な石敷きの湯浴み場を供えた例を見ない施設です。なぜ宝菩提院廃寺からなのか、風呂好きと言われる日本人ですが、世界の民族の風呂はどんな施設なのか。比較して考えてみたいと思います。修了後宝菩提院廃寺風呂跡の現地を見学します。
記
日時 2015年10月31日(土)13:00~15:00
集合 寿恵更紗ミュージアム(TEL 075-934-6395 第六向陽小、桓武天皇皇后陵の東) 阪急東向日駅徒歩15分或いは阪急バス東山バス停から徒歩5分.阪急東向日発66系統善峰寺行き12:42→東山12:50着)
【次回行事案内】「中山修一先生生誕100年記念特別講演会」2015年11月22日(日)長岡京市中央公民館3階市民ホール
長岡京歴史散策の会075-934-1684
寿恵更紗ミュージアム地図
http://map.yahoo.co.jp/maps?lat=34.94873900&lon=135.69829550&ac=26208&az=&z=13&id=&fa=pa&ei=utf8&p=%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C%E5%90%91%E6%97%A5%E5%B8%82
地図中の「NPO法人日本燦クラブ」=寿恵更紗ミュージアム
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