本当に鳳陽って面白いねと思ったらこいつをポチッと押して下さいね→![人気ブログランキングへ](http://image.with2.net/img/banner/banner_22.gif)
鳳陽はとても充実していたので、19日の午後についても紹介することにする。
中都を予定通り縦断した後、午後からは周辺の施設を見学することにした。
南東部に鼓楼がありよく残っている。南西部に鐘楼があったのだがこれは残念なことに同じ事情で破壊された。鼓楼は鳳陽県の現在の町の中心部に所在し、その広場は市民の憩いの場となっている。鼓楼に昇ると市内を一望することができる。一説にはこの鼓楼を中心にして坊墻のような区画があるかに記されているが、今回はそれらを探索するゆとりはなかった。
鼓楼から車で20分ほど、さらに南、外城の外に父母の墓である皇陵がある。先の祖陵が高祖以来曾祖父祖父母を祀ったのに対し、ここでは両親達を祀ることになる。朱元璋は8人兄妹の末っ子であったようだが、両親も兄姉の多くも病気や飢えで亡くしたと伝えられている。皇陵碑によれば、父母や兄を葬るにも棺桶を買う金もなく、やむなく次兄と遺骸を山中に運んだとされている。もちろん正確な墓など分かりはしないのだろうが、朱元璋が明帝国を興し、皇帝になってからこの地に陵として建設したのである。皇帝陵自体は参道に石像を置く全国のそれと大差はないのだが、貧民から身を起こし皇帝にまでなった人物の祖先への思いを読み取るに相応しい大規模な陵墓であった。
この後、期待の円丘へ。その遺存度の高さにびっくり!!
円丘は直径238mの巨大な土壇で、周りには堀が掘られている。この土を壇に用いたのであろうか。村人達の話しによれば壇上には大きな石が埋没しているらしく、開墾時に発見して掘り起こそうとしたが、大きすぎて起こせずそのままにしたという。壇上の施設に関する礎石であろうか。
壇には正確に東西南北に4本の陸橋が設けられており、これを用いて儀式の出入り用通路としたことが推測できる。この様な素晴らしい遺跡が調査もされず放置されていることがとても残念で、日本で調査できないものか?と団長に詰め寄られたが、今の中国政府は、外国の調査を基本的に認めていないので、無理だと説明した。せめて測量調査でもさせてくれれば役に立つ→と思ったのだ・・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/50/db2da2884e9c0f7c299b63eaed4f95ca.jpg)
大龍興寺:中都建設断念の後その建物の一部を利用して立てられた寺だという。ただしその位置もかつてとは変わっているという説もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/61/85d7d27befe13015c506c6e0b4fa4688.jpg)
大龍興寺の現在の本殿。もちろんここでもお線香を上げさせて頂き、朧谷先生、、安藤さん、山田博士夫人のご快癒を願った!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/30/e162d51438bd3f22a54031354f60b03b.jpg)
再建中の塔
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鼓楼の正面観
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鼓楼の現在の建物
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鼓楼上から町の中心部を眺める。ここの広場は鳳陽の人々の休日のたまり場のようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/2c/bbb848158967ad670d9bbd93fd47d122.jpg)
鼓楼の建物は資料室になっていて、ちゃんと解説員もいる。その一角には玉座があり、服装を着けて座ることもできる(有料)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/d9/fa0586cf63fd1ac56b6293aadf0167a6.jpg)
そしてこんな若い解説員がいて、ナナナント日本語を話す。南京ならいざ知らず、鳳陽に来る日本人はよほどの専門家くらいであろう。もちろんM先生は直ぐにツーショットをおねだりする。彼女の名字が変わっていて、「章」と言うから驚きである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/dc/dbfbf1b291262aaa8a719f975a0da6a4.jpg)
ついで明皇陵へ。もちろんここでも60歳以上は半額!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/89/d6b0a9b284c2b5744f4ec610119e61a5.jpg)
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朱元璋系図
そしてここでは有料の解説員が付いてきたので、もちろんツーショットしたのだが、M先生、少々ご不満のようなのでカット!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/2d/82e18019f8b640f7e1d5d6af8c8d55f5.jpg)
今回の調査で気付いたことはとても花が少ないということです。公園などに人工的に置いてあるのは別にして、自然に咲く花の少ないこと!!何故なんですかね。ところでこの花何の花?久しぶりなので撮っては見たものの・・・。
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皇陵の墳丘
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ついで中都外郭城の南南東に所在する円丘へ。とにかくその遺存度の高いことに驚きました。建設中止後も円丘ではお祀りを度々したというので、大事にされていたのでしょうか、この後に訪ねた方丘と共にとてもよく遺構として残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/e8/d59c7e60ce9c69fc28c82f015c56e249.jpg)
図面を見た時はほんまかいな?と疑っていたのだが、実際に歩いてみてびっくり!!どうも以前に来た連中もここまでは気付かなかったらしい。大収穫であった。それにしてもこの堀を利用して稲を栽培しているところが鳳陽らしいところであろうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/20/c14736a29c2b7c8999bbdef17c62c9af.jpg)
円丘周囲の堀を利用して栽培されている稲。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/03/5243d7ab43e4c6337a0c95efa4c7e164.jpg)
図面に見える陸橋部。
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一部は堀のままになっていて、家鴨や鴨が泳いでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/04/ba628af65308c29e286c100e37d8e420.jpg)
突然の闖入者に大騒ぎの村人達。とても親しみ深く、この遺跡が大切にされているその背景がよく判った。
円丘、行ってみたいなと思ったらこいつをポチッと押して下さいね→![人気ブログランキングへ](http://image.with2.net/img/banner/banner_22.gif)
オバマ大統領のヒロシマ,ナガサキ訪問を求めよう!!
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鳳陽はとても充実していたので、19日の午後についても紹介することにする。
中都を予定通り縦断した後、午後からは周辺の施設を見学することにした。
南東部に鼓楼がありよく残っている。南西部に鐘楼があったのだがこれは残念なことに同じ事情で破壊された。鼓楼は鳳陽県の現在の町の中心部に所在し、その広場は市民の憩いの場となっている。鼓楼に昇ると市内を一望することができる。一説にはこの鼓楼を中心にして坊墻のような区画があるかに記されているが、今回はそれらを探索するゆとりはなかった。
鼓楼から車で20分ほど、さらに南、外城の外に父母の墓である皇陵がある。先の祖陵が高祖以来曾祖父祖父母を祀ったのに対し、ここでは両親達を祀ることになる。朱元璋は8人兄妹の末っ子であったようだが、両親も兄姉の多くも病気や飢えで亡くしたと伝えられている。皇陵碑によれば、父母や兄を葬るにも棺桶を買う金もなく、やむなく次兄と遺骸を山中に運んだとされている。もちろん正確な墓など分かりはしないのだろうが、朱元璋が明帝国を興し、皇帝になってからこの地に陵として建設したのである。皇帝陵自体は参道に石像を置く全国のそれと大差はないのだが、貧民から身を起こし皇帝にまでなった人物の祖先への思いを読み取るに相応しい大規模な陵墓であった。
この後、期待の円丘へ。その遺存度の高さにびっくり!!
円丘は直径238mの巨大な土壇で、周りには堀が掘られている。この土を壇に用いたのであろうか。村人達の話しによれば壇上には大きな石が埋没しているらしく、開墾時に発見して掘り起こそうとしたが、大きすぎて起こせずそのままにしたという。壇上の施設に関する礎石であろうか。
壇には正確に東西南北に4本の陸橋が設けられており、これを用いて儀式の出入り用通路としたことが推測できる。この様な素晴らしい遺跡が調査もされず放置されていることがとても残念で、日本で調査できないものか?と団長に詰め寄られたが、今の中国政府は、外国の調査を基本的に認めていないので、無理だと説明した。せめて測量調査でもさせてくれれば役に立つ→と思ったのだ・・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/50/db2da2884e9c0f7c299b63eaed4f95ca.jpg)
大龍興寺:中都建設断念の後その建物の一部を利用して立てられた寺だという。ただしその位置もかつてとは変わっているという説もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/61/85d7d27befe13015c506c6e0b4fa4688.jpg)
大龍興寺の現在の本殿。もちろんここでもお線香を上げさせて頂き、朧谷先生、、安藤さん、山田博士夫人のご快癒を願った!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/30/e162d51438bd3f22a54031354f60b03b.jpg)
再建中の塔
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鼓楼の正面観
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鼓楼の現在の建物
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鼓楼上から町の中心部を眺める。ここの広場は鳳陽の人々の休日のたまり場のようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/2c/bbb848158967ad670d9bbd93fd47d122.jpg)
鼓楼の建物は資料室になっていて、ちゃんと解説員もいる。その一角には玉座があり、服装を着けて座ることもできる(有料)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/d9/fa0586cf63fd1ac56b6293aadf0167a6.jpg)
そしてこんな若い解説員がいて、ナナナント日本語を話す。南京ならいざ知らず、鳳陽に来る日本人はよほどの専門家くらいであろう。もちろんM先生は直ぐにツーショットをおねだりする。彼女の名字が変わっていて、「章」と言うから驚きである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/dc/dbfbf1b291262aaa8a719f975a0da6a4.jpg)
ついで明皇陵へ。もちろんここでも60歳以上は半額!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/89/d6b0a9b284c2b5744f4ec610119e61a5.jpg)
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朱元璋系図
そしてここでは有料の解説員が付いてきたので、もちろんツーショットしたのだが、M先生、少々ご不満のようなのでカット!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/2d/82e18019f8b640f7e1d5d6af8c8d55f5.jpg)
今回の調査で気付いたことはとても花が少ないということです。公園などに人工的に置いてあるのは別にして、自然に咲く花の少ないこと!!何故なんですかね。ところでこの花何の花?久しぶりなので撮っては見たものの・・・。
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皇陵の墳丘
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/19/b331b4e1dc18861ba5b753c07de65b69.jpg)
ついで中都外郭城の南南東に所在する円丘へ。とにかくその遺存度の高いことに驚きました。建設中止後も円丘ではお祀りを度々したというので、大事にされていたのでしょうか、この後に訪ねた方丘と共にとてもよく遺構として残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/e8/d59c7e60ce9c69fc28c82f015c56e249.jpg)
図面を見た時はほんまかいな?と疑っていたのだが、実際に歩いてみてびっくり!!どうも以前に来た連中もここまでは気付かなかったらしい。大収穫であった。それにしてもこの堀を利用して稲を栽培しているところが鳳陽らしいところであろうか。
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円丘周囲の堀を利用して栽培されている稲。
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図面に見える陸橋部。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/64/0e78d8f83aea3a8174865c49de6f5882.jpg)
一部は堀のままになっていて、家鴨や鴨が泳いでいる。
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