yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

第16回 考古学研究会東海例会 ご案内の条

2011-01-19 18:30:00 | 歴史・考古情報《日本》-3 東日本
   第16回 考古学研究会東海例会

のご案内

日 時  2011(平成23)年2月5日(土)13時~17時

会 場  名古屋大学大学院文学研究科237講義室
     (〒464-8601 名古屋市千種区不老町)
     名古屋市営地下鉄名城線名古屋大学駅下車
     http://www.nagoya-u.ac.jp/global-info/access-map/access/

テーマ  古墳時代集落研究の再検討
  ~前期から中期の集落群を考える~


趣 旨
 これまで東海地方では、膨大な数の古墳時代集落について発掘調査が行われてきた。なかには豪族(首長)居館から一般集落とみられるものまで、さまざまな性格(階層)の遺跡が存在している。また、これら集落遺跡の周辺には、水田(畑)・窯業・製塩・金属器・木製品の生産工房など、地域王権を支えたとみられる生産関連の遺跡や、大小さまざまな規模の古墳が点在している。しかし、これらはいずれも単独の遺跡として調査・報告されてきたのが現状である。
 一方、近畿地方では、奈良県南郷遺跡群をもとに、坂靖氏や青柳泰介氏らによって集落群の内部構造と階層性の分析が行われ、大きな成果をあげている。また関東地方においても、群馬県の若狭徹氏らが、居館・集落・生産域・古墳などの有機的に関連させたモデルを提示している。
 そこで本研究会においても、これらの研究成果を目標として、古墳時代前期から中期における、ある一定地域内に展開する性格の異なる複数の遺跡を集落群として捉え直し、生産遺跡や古墳を絡めて相互の関連性や階層構造の複雑化、地域王権の成立などの過程を見通していきたいと考える。
 従来、東海地方における地域王権の階層構造などの研究は、もっぱら古墳(特に副葬品)を通じて行われてきた。本研究会では、このような「死後の世界」の研究を脱して、彼らの「生前の世界」から、上記の問題を解き明かしていきたいと考えている。
タイムスケジュール

13:00~13:05  挨拶

13:05~13:35  趣旨説明、伊勢湾東岸部における古墳時代前期集落群の構造
         と階層性–愛知県一宮市萩原遺跡群と安城市鹿乗川流域遺
         跡群の分析から–(樋上 昇:愛知県埋蔵文化財センター)

13:35~14:10  雲出川下流域における古墳時代前期の地域社会
        (川崎志乃:奈良県立橿原考古学研究所)

14:10~14:20  休憩

14:20~14:55  天竜川右岸域における古墳時代集落の動態–恒武遺跡群を
         中心として–(鈴木一有:浜松市教育委員会)

14:55~15:30  尾張「古渡遺跡群」の形成過程とその構造
        (早野浩二:愛知県埋蔵文化財センター)

15:30~15:40  休憩

15:40~16:50  討論(司会・石黒立人:愛知県埋蔵文化財センター、
         コメンテーター・石村 智:奈良文化財研究所)

16:50~17:00  次回の案内・閉会の挨拶

17:30~19:30  懇親会(名古屋大学生協食堂)


 早いものでもう16回になるのですね。すっかり定着した感のある東海例会。毎回興味深いテーマで実施されてきました。今回は愛知県の方々のご担当で、古墳時代社会を集落から見直そうという斬新な研究テーマです。ま、もっともこれまでが古墳からしかみてこなかったのが異常なのであって、ようやく当たり前の状態になりつつあるのかなという感じですね。

 ところで次回第17回は三重大学が主催です。今何をしようかな、と思案中です。実はこれが最後の東海例会開催となります。今回で私は表社会から消えようと思っていますので、最後の研究会主宰となります。

 第1候補は「東海地方の東海道・東山道の駅家」ですがまだ思案中です。ご意見をお寄せ下さい。

 今回も多数のご参集をお待ち申しております。

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伊勢湾熊野地域研究センター第9回研究会の御案内の条

2011-01-17 23:23:45 | 歴史・考古情報《日本》-3 東日本
伊勢湾・熊野地域研究センター
第9回研究会(1月19日水曜日)開催案内
第9回研究会を下記要領で開催致しますので、ご参加頂きますよう御案内申し上げます。


日時  2011年1月19日(水) 18:30~20:30
場所  伊勢湾・熊野地域研究センター室(共通教育4号館5階 2号館のエレベーターで5階までお上がり下さい)

報告者  榎村寛之先生(三重県立斎宮歴史博物館)
「律令国家と神宮『勢力』-奈良末平安初期の神宮研究の定点構築を目指して-」
要旨  伊勢神宮の研究においては、その国家的性格と地域的性格が常に問題にされてきた。しかし実際には、「国家が伊勢神宮をどのように定義し」、一方「伊勢神宮は現実にどのように運営されていた」のか、という点は、明確に意識された議論が進められてこなかったきらいがある。その原因は、「伊勢神宮」の内在的性格が他の神社に比べて複雑で見えにくく、「神宮と国家の関わりに複合的な性格があったこと」に由来していると考えられる。この研究はその複雑に絡まった伊勢神宮のありかたを解きほぐす試みとして、比較的史料の豊富な八世紀末から九世紀の朝廷と神宮の関係を整理し、神宮研究の定点の確立を目指すものである。




 斎宮航空写真




 方格地割復元模型


伊勢湾・熊野地域研究センターでは充実したスタッフの下、毎月1回の研究会を開催しています。
今後の予定は以下の通りです。幅広い分野から多数お集まり頂き、真摯な議論が展開できればと思っております。地域のみなさん、院生・学生の参加も大歓迎です。ふるってご参加下さい。

予告 (2010年度最終回)
第10回 2011年2月16日(水) 武笠俊一先生(三重大学人文学部)
「ウブメシに添える小石ー新生児を邪悪な神々から守る方法」
伊勢湾・熊野地域研究センター 連絡先 yaa1948@gmail.com


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 鈴鹿降ろし ポッケのコーヒー カイロ役  

不夜城から幽霊屋敷への条

2011-01-17 08:07:19 | yaasan随想
 13日に卒論提出が終わり、卒業生達は一斉に研究室から消えました。
 廊下まで熱気に溢れていた研究室は今や人っ子一人いません。煌々と明かりの点っていた廊下も電気が消え、夜中にトイレに行くのは少々勇気がいります。手探りで電気の位置を探し、外は吹雪なのかごうごう、ピューピュウと音を立てて吹いている風がトイレにまで入ってきて思わず肩をすくめてしまいます。
 
 ある者は同級生達と連れだってドライブに出かけ、ある者は恋人と旅に出る。そんな元気もなくただひたすら眠る者もいる。

 毎年繰り返される「行事」なのだが、なぜか今年も新鮮にその光景を眺める自分がいる。

 そんな感傷に浸る間もなく、センター試験が始まり、監督業務で朝から晩まで立ちっぱなしの一日が過ぎた。近鉄電車の事故とかで受験生の足が奪われ、開始が一時間遅れた。この頃のセンター試験の監督業務は労基法違反ではないかと思えるくらいに過酷だ。

 朝の9時から夕方の7時までほとんどずっと立ちっぱなしなのである。おまけに昨日は開始の遅れを取り戻そうと科目から科目への間の時間がほとんど消されてしまったのである。だから一つのミスも許されないという緊張状況で立ちっぱなしで監督し、やっと終わったかと思ってもインスタントコーヒーすら飲めないで直ぐ次の準備にかからなければならないのである。かつては受験場には椅子があちこちに置かれ、交替で休む事すらできた。巡回中も疲れれば腰掛ける事が許された。ところがどこぞの会場で居眠りする奴とか、内職する奴が出てきて、その原因が椅子のせいにされ、撤去されたのである。何でも一昨日は飴をなめる監督がいてそれがうるさいとかで苦情が出たとか。

「ええかげんにしいや!あんたらどこまで過保護なんや!」
「自分達は休憩時間にお茶を飲み、好きにしているが、我々はお茶すら飲む時間を与えられていないのだ。」たまに少々音がしたって動じないくらいの精神でなくて大学に入ってどうするの??だから直ぐ不登校だの、引き籠もりだのとなるんじゃないの?もういいかげんにして欲しい。

 もちろん居眠りや内職は論外だから、そんな奴は減給処分にでもしたらいいが、なぜ罪は全教員に満遍なく科されるの?何もしないでただひたすら立って、14時間労働させられる身にもなってよ。

でも昼休みはあるだろう?

ハイ、もちろんあります。しかし昨日はその昼休みですらわずか30分に短縮され、冷たい弁当を胃の中へ流し込むだけ。お茶を飲むゆとりもない。だから終わったときにはクタクタ!!何事も起きなかったからいいものの、何をする気力も起こらず、珍しく家に帰ってお風呂に入った。娘が「ご飯は?」と言ってくれるのだが、腹も減らず、風呂でボーッ!!

気持ちよかった!!

そのまま寝られないところがこのつらさ。直ぐ大学へ戻って、また机に向かう。でもさすがに疲れていたのか、ストーブの前でうたた寝。
こりゃ風邪ひくわい、と諦めてソファーで仮眠。

早朝めざめてサア!と思ったらまたまたメールで「仕事」がやってきた。

アーア、こんな調子でまだ原稿も終わらないし、嶋院考も書けない。寒々とした研究室のストーブで今朝は雑炊で朝ご飯。もう食べ飽きたけどね。

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 卒論の 山の向こうは 雪景色

 卒論に 打ち込む若さが 眩しくて

 卒論と 共に去りゆく 教え子よ

 卒論に ぶつけた力 社会でも

 


卒論提出日あと3時間の勝負の条

2011-01-13 12:55:09 | 三重大学考古学研究室情報
 今日は卒業論文提出日なのである。
 16時締め切りなので後3時間なのである。
 だから今四年生は必死なのである。バタバタとコピー機やら、印刷機やらパソコンやらがフル回転している。だから今朝の授業の資料が危うくできないところだったのである。

 でも既に提出した学生もいて、今年はとても優秀なのである。
 中味が?

 イヤ、もちろん、中味も時間も。

 指導教官の体たらくを横目で見ながら、彼らはああはなるまいと必死で書いたに違いない。まだきちんと中身まで読ませてもらったのは早々に提出した一人ぶんだけだが、一番心配していたが学生のものもきちんとできて今は何の心配もないのである。

 内容も結構いいもの、きちんと資料を収集し、中には現地へ何回も脚を運んで新たな視点を見出し、まとめ、作成した論文だから、安心なのである。論証がどうであれ、まずは第一関門突破である。よくやった!!

 そんな先輩方の雄姿?!を見て感動したのか、3年生の男子学生がぜんざいを作って振る舞ってくれた。昼ご飯も食べずにやっているので少しの腹ごしらへということらしい。

 何と優しい学生であることか。

 なぜかついでに?私もご相伴にあずかった。実はまだ書けていないので、(坂道に突然障害物が出てきたので、筆がストップしてしまっているのだ。後一息というのに。)だから僕にも振る舞ってくれたらしい。



 MA君が作ってくれた心温まるおぜんざい。
 おいしかったよ!ありがとう。

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 ぜんざいの 甘みが胸に しみいって

 餅くらい 筆走らせて 後何分

 卒論の 万歳待って 乾杯を

 

缶詰はいつ腐るのか?ドタキャンで始まった2011の条

2011-01-08 04:34:34 | yaasan随想
 正月元日を研究室で迎え、それでも元旦に家に戻り家族全員でおせちを食べて息子の息子や息子の娘にお年玉を渡し、・・・と、何とか順調に漕ぎ出したかにみえた2011年。ところがそうは問屋が卸さない。

 二日には大学に戻り、再び缶詰状態。そして迎えた今年最初の三連休。本来なら山口大学での海外の研究者も交えた研究会に出席する予定だったのだが、年末から缶詰の要因でとうとうドタキャンする羽目に。

 アーア春からこれでは先が思いやられるワ!!

 後少しのところまでこぎ着けたのだが、この年末からの缶詰が響いてその他の仕事も全て停滞。

 長岡宮西宮説の全面批判の記事もアップできないでいる。こんな説誰が信じるんや!と思うのだが、マスコミの威力は恐ろしい。年賀状でもこれを書いてきた人が結構いる。ブログに書いている暇があったら一刻も早く正式な論文「長岡宮嶋院考」で全面批判し、つぶしておかないととんでもない嘘が長岡京をつぶしてしまうことになる。だから余計に時間が欲しいのだが・・・。

 しかし、この仕事を放置していたのは誰でもない、私なのだから、責めを負うのは私以外の何者でもない!!関係者にご心配をかけっぱなしで、本当に申し訳なく思っている。

 ただ、それもドタキャンをした「お蔭」(本当に済みませんHY先生)でなんとか峠を越して、今終局に向かって坂道を転がり落ちつつある所だ。聞く所に依ると今年の箱根駅伝は大嫌いな瀬古が元監督の早稲田が勝ってしまったらしいが、何でもその勝因は下りの復路で貯めた貯金だったとか。

 これにあやかって、私も折角のドタキャンを最大限に活かして、これからこの三日間で貯金を作って今年の再スタートとしたく思っている。それまで(11日には長岡京嶋院説を全面展開する予定ですので)今しばらくお時間を下さい。

 ところで、缶詰の要因は間もなく刊行のK山市史なのですが、本来私が書く予定ではなかった原稿が回ってきて四苦八苦する中で、それなりに面白いことに気付きました。

 K市は奈良時代の東海道、平安時代の東海道、そして現在の東海道が通る日本の交通の中枢を担った町です。同市の西端には鈴鹿関も所在しています(この原稿は何とか終わりました)。ここまではとても有名なのですが、実は東海道から分岐して不破関へ向かう一直線の道(「旧伊勢街道」近世巡見街道)があります。もちろん古代(六世紀後半までには)に設けられた道なのですが、この分岐点に位置するのが、東海道を眼下に納める井田川茶臼山古墳、「旧伊勢街道」を睨むのが能褒野王塚古墳です。これらの古墳はとても有名なのですが、実はこの地に地蔵僧遺跡という縄文時代から奈良時代まで断続的ではありますが、濃密な資料を残している遺跡があります。

 弥生時代終末から古墳時代初頭の土器を出す遺跡としてはそれなりに地元では知られ、資料もあちこちで引用されているのですが、この遺跡の紹介をしなければならず、四苦八苦していたのであります。そもそもがどこにあるねん?ということから始まり、どんな特徴があるのや?等々、一からの出発でありました。

 そんなこともしらんのか?と三重の方々には笑われるに違いないのですが、この遺跡上記のようにとても面白い所に位置しているんですね。実はもっと面白いのがこの遺跡の直ぐ横を流れる川が安楽川という何とも意味深な名前の川なのですが、この川を遡っていくと石水渓という著名な名所に出、さらにそれを遡ると峠に出ます。そこが三重県と滋賀県の県境で、実はこの地を3万の部隊で越えた奴がいます。豊臣秀吉です。天正11(1583)年のことでした。三方から侵攻した7万とも10万ともいわれる秀吉軍は圧倒的な兵力で亀山城を攻めて、これを落としたという、賤ヶ岳の戦いの前哨戦となるとても有名な戦いです。その安楽越えで伊勢に入った所が地蔵僧遺跡なのです。

 この地蔵僧遺跡の弥生時代終末から古墳時代の初めの土器を分析すると、この時代の伊勢湾を象徴する「S字甕」という土器型式の「元祖」に近い奴にぶち当たるのです。その「元祖」は山の向こう、近江にあるらしく、なぜこんな所にあるのかということのヒントが「安楽越え」なのです。つまり、昔からこの地は鈴鹿峠以上に早くから、近江と伊勢を結ぶ交通の要所だったというわけです。

 「受領は倒れるところ土をも掴め」ですかね。

 果たしてつかんだものは土なのか宝なのか、よく判りませんが、そんな新しい刺激もようやく書く気になった今夜です。これからもう少し頑張ります。今年もよろしくです。

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 安楽越え 眼下に臨む 雪の関

 弥生人 甕に賀正の 山の幸

 地蔵僧 行き交う人の 慌ただし

伊勢湾の初日の出~の条

2011-01-01 23:08:49 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 今年も春から縁起がいい??



 何と!初日の出ですよ。其れも日本一神々しい(はずの)伊勢湾の初日の出!


 実はもう少し早く部屋を出たので、まだ私が出るときには真っ暗だったのであります。それでやむなく一人だけ研究室で正月を迎えた頑張り屋さんの学生に頼んで送ってもらったのであります。これはその数分前の私の部屋から写してくれた間もなく出てくるぞ!という写真。


 こんなものを正月元旦から仰げる今年はきっといいことがあるに違いない!(イヤ、反対で、こんなもの正月から拝んでいるようでは今年も思いやられる!! ←こっちが正解かも)



 そしてこれが送られてきた頃ようやく夜が明けてきた近鉄特急の車窓からの伊賀の雪景色。
 なかなかいいものでした。



 この雪も大和・桜井に入る頃には消えてしまい、京都に着く頃にはすっかりなくなってしまいました。でも京都の方が寒かった!

 新年も変わらぬ一年となりそうな予感。でも、元日くらいは決意を実行せねばと、これから残った原稿と送られてきた校正に励むのであります。

 退職まであと2年。いろいろ整理しなければと思う新年であります。
 
 今年も一年よろしくお願い致します。

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 元旦の 朝見る伊賀の 雪景色

 お年玉 受け取る指の 可愛らし

 伊勢湾の 初日に決意 年の計

 
 

謹賀新年~今年もよろしく~の条

2011-01-01 00:00:01 | yaasan随想
謹賀新年 

正月初句「初雷を 年初に聞く 温暖化」で開始。

2月長岡宮内裏脇殿から大量の小礼が出土!朝日にコメント。

3月二度目のレバノンは雨続き。バールベックではびしょ濡れ。

4月「若狭路の 石積む墓に 桜花の影」学生と若狭の後期古墳を訪ねる。

5月壬申の乱ウオークでは石占頓宮へ。柚井遺跡が榎撫駅家の一部と確信。

6月今泉隆雄さんから「岩出山のかりんとう」届く。年末まで全国のかりんとで研究室は大盛り上がり。

7月洛東高校時代の恩師・須田久重先生が春先にお亡くなりになっていたこと知りショック。月末から中国荊州・長沙を踏査。青磁の銅官窯に感激。

8月65年目のヒロシマを久しぶりに訪問。旧友と平和を語る。初めての台湾で居延漢簡を観察。

9月レバノンアルバスサイトの戦車競技場をGPSで3000ポイント測量。クタクタに。

10月春の大久保幸枝さん、秋の北村真美さんと卒業生の結婚ラッシュ。おめでとう!

11月ヒロシマの産婦人科医・河野美代子さんの「性と生を考える」講演会に感激。自らも講演ラッシュで今年は大いに伊勢神宮を語る。

12月初めての最後通告でやっと「都城と葬地・羅城」など完成。「長岡宮西宮」説報道に「資料」提示の恐ろしさを知る。。嶋院を確信。

息子の息子・陽は本格的な恐竜博士の道を進み、今年間もなく一年生。妹・穂(みのり)は歩き始め、なんだか一人でブツブツ喋っている。おてんばの予感。

長女玲・二男創は未だに独身。道代もついに還暦。

本年もよろしく!

2011年正月朔日

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