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発掘調査中にはいろいろな方が見学に来られ、意見を拝聴することができました。( 次々と研究者が現場を訪れて下さったのですが、お名前を出す許可を得ていませんので基本的にイニシャルにしましたご無礼お許し下さい。)
皆さん貴重な意見や着想を教えてくださいました。お陰様で発掘調査に際しましても遺構の理解に大いに役立てることができました。厚く御礼申し上げます。そこで調査も終了したところで各先生方のご意見、見解をご紹介し、皆様の理解の助けにしていただければと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/c2/3f6f10a09b404ded792c0b849ca2eea7.jpg)
(東北大学の先生方と古厩にて)
一番最初に来ていただいたのは東京大学史料編纂所TI先生でした。続いて近畿大学ST先生、東北学院大学KK先生にお出でいただきましたが生憎私が留守だったもので直接貴重なご意見をお伺いすることができませんでした。残念!!次いで、東北大学IT・NH両先生、長崎外国語大学KM先生、皇學館大学ON先生、三重大学YY・HY両先生、立命館大学KT先生、奈良女子大学TK・YS先生、名古屋大学のKY先生、奈良文化財研究所OT先生、橿原考古学研究所IT先生、花園大学YK先生が次々とお出でになりました。特に最後にお出でになった國學院大學のSY・SY両先生と國學院栃木女子短期大学のSM先生には伊勢国府を御案内するつもりが道を間違えてしまったあげく予定の時間に津に戻れず、大変ご迷惑をおかけしてしまいました。ここに改めてお詫び申し上げます。 他、地元の埋蔵文化財調査担当者の方々、元同僚の仲間達が現場を見学に来られ様々な意見を拝聴することができました。来週の日曜日(11月5日)には条里制・古代都市研究会の現地見学会の皆さんがお出でいただくことになっています。話題は当然「東海道」となるに違い有りません。楽しみです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/b3/77aa53cc4c3b7d159617f866b460b09f.jpg)
(國學院大學の先生方と現場上の巨岩にて東海道を見る。本当にごめんなさい!お付き合いいただいた奈良文化財研究所のITさんにも多大なご迷惑をおかけいたしました。)
特にこの春に滋賀県立大学をご勇退なさった高橋美久二先生からは、野磨駅跡の貴重な報告書や先生の最新の御高論を頂き、山陽道の駅が丘陵斜面地の一角に建設され、築地構造の壁で囲繞されていたことを教えていただきました。その中心建物の北側斜面側には石組みがなされており、今回の築地基底部の石組み同様大きさの異なる石を貼り付けるような工法であるように見受けられます。私の言うところの「古墳葺石工法」であります。先日ご紹介した大野城屯水石垣の一部にも認められた稚拙な?石組み工法が古代の地方官衙遺跡においても認められるとしたら、土木技術史を研究する上で貴重な資料といえます。私が最も尊敬する高橋先生から温かい励ましのお言葉も頂き本当にうれしく思いました。本当ならお迎えに上がってでも現地を見ていただきたいのですが、それが叶わないところがとても残念でなりません。
直接拝聴することができなかった先生方もいらっしゃいますが、歴史、考古、地理、文学など様々な分野の先生方から多様な見解を伺うことができました。忘れないうちにその見解を少し整理しておくことにします。あくまで私の忘備で、聞き間違い、勘違い、理解不足など有ろうかと思いますが、私的なメモとして残しておくことにします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/68/c3a4c7ee1ab5dbc9122f05d8724cad5c.jpg)
(いろいろな先生方に山に登っていただきました。お疲れ様でした。)
考古学の先生方からは、地層の堆積状況や崩落過程について様々なご意見をいただくことができました。
なんと言っても意見が分かれたのは崩落過程の一つではないかと考えた大石の解釈でした。大石の載る土層が微妙な土色をなしている上、結構よく締まっているので、やはり、築造過程のものではないかというご意見です。既に述べたことがありますように私たちもそう考えたのですが、土層の斬り合い関係から崩落過程の一部と解釈することも不可能ではないかと考えました。最終段階で地層の詳細な分層を試み、結論として次のようなものを導き出しました。①南側斜面を下る小さな谷地形が造成工事着手段階に認められ、これを埋めるために伝統的「古墳葺石工法」でもって巨岩や土石を利用して埋め立てる。②その上で、築地基底部を形成するために人頭大の礫を含む「土塁」を構築する。③「土塁」に最も雨水の流下する部分に人頭大前後の石を貼り付ける。④「土塁」中に木製暗渠を設ける。⑤「土塁」上面に掘り込みを入れ、築地を構築する。⑥暗渠部分を中心に崩落が生じ、築地が大きく解体する。
次いで西側中段の造成過程と崩落についても貴重なご意見を伺うことができました。不破関同様土塁状の基底部には外側に堀があるのではないかというご指摘です。もちろんそれも考えての結論でしたが、地層が斜面上に堆積している現状から、断面に見えている地層が必ずしもそのまま奥に続いているとは限らないのではないかというご意見です。確かに一部そうした状況を確認している地層があり、少し調査区を広げて平面から再精査することにしましたが、結論的には西側には後世の雨水の流露は確認できるが、大規模な堀はないことが判明しました。
考古学だけではなく他の分野の先生方の指摘でもあるのですが、これら築地がどこをどう巡るのかという問題には関心が集中しました。
正直言っていろいろな可能性が考えられ、正論がないのが現状ですが、多くは、現状を活かして、地形に沿って建設されているという、未調査の部分も含めて確認できる築地状高まり全てをつなぎ合わせて考える見解です。そこに鈴鹿関の特徴があるのではないかというご意見もいただきました。私たちも基本的にそう考えているのですが、調査中の委員会で、調査地外に部分トレンチを入れて検討してはどうかという積極的なご意見も頂きありがたく拝聴しました。時間が許せば少し実施してみたく思っていましたが果たせませんでした。
瓦の年代観については異論はありませんでしたが、出土須恵器については猿投産だろうというご指摘がありました。年代観も含めて一致し、一安心です。
調査方法についても築地基底部まできれいに出すために瓦の堆積を一部除去してでも早く下まで掘ってはどうかというご意見もありました。貴重な遺跡だけに慎重に慎重を重ね、こうしていろいろな情報を即座に提供して調査してきました。最終段階で瓦落ち部分を確認し、その幅が1㍍足らずの狭いものであることが判明しました。今回の発掘調査範囲では基底部上面の雨水を排水する小溝群による暗渠排水溝は発見できませんでした。もちろん今回の調査地以外のところも早く掘ったら!というご意見もいただきました。できることならこの現場に死ぬまでへばりついて調査したいくらいなので大変ありがたいお言葉なのですが、大学での授業もあり、たくさんの雑務も待っていましたので諦めました。いずれ亀山市教育委員会が継続的に調査されることでしょうから、定年後にはボランテアで参加させてもらおうかと思っています(迷惑かな?!)。
文献の先生方からもたくさんのご研究成果のご教示をいただきました。まだ未公表のご見解もあるようなので詳しくは述べられませんが、三関が律令に規定されているように「関剗」であることに注目すべきであることをご教示いただいたのは東北大学の今泉隆雄・永田英明両先生のご指摘でした。現在調査している遺構そのものが剗であることを明快に指摘していただきました。厚く御礼申し上げます。剗が築地であることも日本の「関」の特徴と考えていいのかもしれません。なぜならば、再検討したところ、不破関も土塁状の高まりの上に構築された築地を外城に持っていることが判明しているからです(当然愛発関も築地でしょう!!)。その剗に使用された瓦が重圈文(結局重画文は出ませんでした。)であること、伊勢国府からも同瓦窯産の重圈文が出ていることも、その維持管理に国司があたる三関の特徴と見事に一致しています。おそらく複雑な自然地形の中に大規模な造成工事を実施してまで建設した本城壁は剗の機能を十二分に発揮していると言えそうです。
奈良女子大学の舘野先生からは鈴鹿関の場合「大関」「小関」をどう考えるのか、という課題も与えられました。もちろんこれまでにも八賀先生による東西城の復原案な
どがあり、これらと大関・小関の関係などが注目されるところです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/a8/7369791703fe9ece4ba4bebcdc98ba4c.jpg)
(現場の直ぐ上にある巨岩の上からご指導?いただく山田博士。愛妻へのメールが欠かせないらしく、こんな所からもメールなさっていました。)
鈴鹿関が壬申の乱における進行コース、奈良時代の東海道、平安時代の東海道、伊勢への別街道等々複雑に入り組む歴史的・交通史的環境下にありますので、今回の調査ではとてもそうした課題に答えることができませんが、軍事的性格、官衙的性格、交通制度的性格等々複雑に絡む歴史環境を、これから地道な発掘調査によって解明していかなければならないことを痛感させられたところです。まだまだご指摘、ご教示いただいたことはたくさんあるのですが、とりあえずこうした指摘を胸に刻み年度末にはまとめなければならない報告書に向け早速月末から準備に係ります。
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発掘調査中にはいろいろな方が見学に来られ、意見を拝聴することができました。( 次々と研究者が現場を訪れて下さったのですが、お名前を出す許可を得ていませんので基本的にイニシャルにしましたご無礼お許し下さい。)
皆さん貴重な意見や着想を教えてくださいました。お陰様で発掘調査に際しましても遺構の理解に大いに役立てることができました。厚く御礼申し上げます。そこで調査も終了したところで各先生方のご意見、見解をご紹介し、皆様の理解の助けにしていただければと思います。
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(東北大学の先生方と古厩にて)
一番最初に来ていただいたのは東京大学史料編纂所TI先生でした。続いて近畿大学ST先生、東北学院大学KK先生にお出でいただきましたが生憎私が留守だったもので直接貴重なご意見をお伺いすることができませんでした。残念!!次いで、東北大学IT・NH両先生、長崎外国語大学KM先生、皇學館大学ON先生、三重大学YY・HY両先生、立命館大学KT先生、奈良女子大学TK・YS先生、名古屋大学のKY先生、奈良文化財研究所OT先生、橿原考古学研究所IT先生、花園大学YK先生が次々とお出でになりました。特に最後にお出でになった國學院大學のSY・SY両先生と國學院栃木女子短期大学のSM先生には伊勢国府を御案内するつもりが道を間違えてしまったあげく予定の時間に津に戻れず、大変ご迷惑をおかけしてしまいました。ここに改めてお詫び申し上げます。 他、地元の埋蔵文化財調査担当者の方々、元同僚の仲間達が現場を見学に来られ様々な意見を拝聴することができました。来週の日曜日(11月5日)には条里制・古代都市研究会の現地見学会の皆さんがお出でいただくことになっています。話題は当然「東海道」となるに違い有りません。楽しみです。
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(國學院大學の先生方と現場上の巨岩にて東海道を見る。本当にごめんなさい!お付き合いいただいた奈良文化財研究所のITさんにも多大なご迷惑をおかけいたしました。)
特にこの春に滋賀県立大学をご勇退なさった高橋美久二先生からは、野磨駅跡の貴重な報告書や先生の最新の御高論を頂き、山陽道の駅が丘陵斜面地の一角に建設され、築地構造の壁で囲繞されていたことを教えていただきました。その中心建物の北側斜面側には石組みがなされており、今回の築地基底部の石組み同様大きさの異なる石を貼り付けるような工法であるように見受けられます。私の言うところの「古墳葺石工法」であります。先日ご紹介した大野城屯水石垣の一部にも認められた稚拙な?石組み工法が古代の地方官衙遺跡においても認められるとしたら、土木技術史を研究する上で貴重な資料といえます。私が最も尊敬する高橋先生から温かい励ましのお言葉も頂き本当にうれしく思いました。本当ならお迎えに上がってでも現地を見ていただきたいのですが、それが叶わないところがとても残念でなりません。
直接拝聴することができなかった先生方もいらっしゃいますが、歴史、考古、地理、文学など様々な分野の先生方から多様な見解を伺うことができました。忘れないうちにその見解を少し整理しておくことにします。あくまで私の忘備で、聞き間違い、勘違い、理解不足など有ろうかと思いますが、私的なメモとして残しておくことにします。
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(いろいろな先生方に山に登っていただきました。お疲れ様でした。)
考古学の先生方からは、地層の堆積状況や崩落過程について様々なご意見をいただくことができました。
なんと言っても意見が分かれたのは崩落過程の一つではないかと考えた大石の解釈でした。大石の載る土層が微妙な土色をなしている上、結構よく締まっているので、やはり、築造過程のものではないかというご意見です。既に述べたことがありますように私たちもそう考えたのですが、土層の斬り合い関係から崩落過程の一部と解釈することも不可能ではないかと考えました。最終段階で地層の詳細な分層を試み、結論として次のようなものを導き出しました。①南側斜面を下る小さな谷地形が造成工事着手段階に認められ、これを埋めるために伝統的「古墳葺石工法」でもって巨岩や土石を利用して埋め立てる。②その上で、築地基底部を形成するために人頭大の礫を含む「土塁」を構築する。③「土塁」に最も雨水の流下する部分に人頭大前後の石を貼り付ける。④「土塁」中に木製暗渠を設ける。⑤「土塁」上面に掘り込みを入れ、築地を構築する。⑥暗渠部分を中心に崩落が生じ、築地が大きく解体する。
次いで西側中段の造成過程と崩落についても貴重なご意見を伺うことができました。不破関同様土塁状の基底部には外側に堀があるのではないかというご指摘です。もちろんそれも考えての結論でしたが、地層が斜面上に堆積している現状から、断面に見えている地層が必ずしもそのまま奥に続いているとは限らないのではないかというご意見です。確かに一部そうした状況を確認している地層があり、少し調査区を広げて平面から再精査することにしましたが、結論的には西側には後世の雨水の流露は確認できるが、大規模な堀はないことが判明しました。
考古学だけではなく他の分野の先生方の指摘でもあるのですが、これら築地がどこをどう巡るのかという問題には関心が集中しました。
正直言っていろいろな可能性が考えられ、正論がないのが現状ですが、多くは、現状を活かして、地形に沿って建設されているという、未調査の部分も含めて確認できる築地状高まり全てをつなぎ合わせて考える見解です。そこに鈴鹿関の特徴があるのではないかというご意見もいただきました。私たちも基本的にそう考えているのですが、調査中の委員会で、調査地外に部分トレンチを入れて検討してはどうかという積極的なご意見も頂きありがたく拝聴しました。時間が許せば少し実施してみたく思っていましたが果たせませんでした。
瓦の年代観については異論はありませんでしたが、出土須恵器については猿投産だろうというご指摘がありました。年代観も含めて一致し、一安心です。
調査方法についても築地基底部まできれいに出すために瓦の堆積を一部除去してでも早く下まで掘ってはどうかというご意見もありました。貴重な遺跡だけに慎重に慎重を重ね、こうしていろいろな情報を即座に提供して調査してきました。最終段階で瓦落ち部分を確認し、その幅が1㍍足らずの狭いものであることが判明しました。今回の発掘調査範囲では基底部上面の雨水を排水する小溝群による暗渠排水溝は発見できませんでした。もちろん今回の調査地以外のところも早く掘ったら!というご意見もいただきました。できることならこの現場に死ぬまでへばりついて調査したいくらいなので大変ありがたいお言葉なのですが、大学での授業もあり、たくさんの雑務も待っていましたので諦めました。いずれ亀山市教育委員会が継続的に調査されることでしょうから、定年後にはボランテアで参加させてもらおうかと思っています(迷惑かな?!)。
文献の先生方からもたくさんのご研究成果のご教示をいただきました。まだ未公表のご見解もあるようなので詳しくは述べられませんが、三関が律令に規定されているように「関剗」であることに注目すべきであることをご教示いただいたのは東北大学の今泉隆雄・永田英明両先生のご指摘でした。現在調査している遺構そのものが剗であることを明快に指摘していただきました。厚く御礼申し上げます。剗が築地であることも日本の「関」の特徴と考えていいのかもしれません。なぜならば、再検討したところ、不破関も土塁状の高まりの上に構築された築地を外城に持っていることが判明しているからです(当然愛発関も築地でしょう!!)。その剗に使用された瓦が重圈文(結局重画文は出ませんでした。)であること、伊勢国府からも同瓦窯産の重圈文が出ていることも、その維持管理に国司があたる三関の特徴と見事に一致しています。おそらく複雑な自然地形の中に大規模な造成工事を実施してまで建設した本城壁は剗の機能を十二分に発揮していると言えそうです。
奈良女子大学の舘野先生からは鈴鹿関の場合「大関」「小関」をどう考えるのか、という課題も与えられました。もちろんこれまでにも八賀先生による東西城の復原案な
どがあり、これらと大関・小関の関係などが注目されるところです。
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(現場の直ぐ上にある巨岩の上からご指導?いただく山田博士。愛妻へのメールが欠かせないらしく、こんな所からもメールなさっていました。)
鈴鹿関が壬申の乱における進行コース、奈良時代の東海道、平安時代の東海道、伊勢への別街道等々複雑に入り組む歴史的・交通史的環境下にありますので、今回の調査ではとてもそうした課題に答えることができませんが、軍事的性格、官衙的性格、交通制度的性格等々複雑に絡む歴史環境を、これから地道な発掘調査によって解明していかなければならないことを痛感させられたところです。まだまだご指摘、ご教示いただいたことはたくさんあるのですが、とりあえずこうした指摘を胸に刻み年度末にはまとめなければならない報告書に向け早速月末から準備に係ります。
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