友はいいよね!と思ったらよろしくお願いします。
ここ1週間の間に次々と懐かしい人からメールが飛び込んできた。その一方でそろそろと届いてもいいはずのメールが届かないという不思議な事態に陥っている。
その突破口は私の後輩からのメールである。
確か、私の記憶では彼女からメールをもらったことがないから、彼女自身がどこかで私のメールを探し出して送ってきたに違いない。それもとても嬉しいワクワクするような知らせでしばらく有頂天になったくらいだ。
彼女は私が大学に在籍中から知っている数少ない(というより唯一の)後輩である。1年生の時に下宿に訪ねていったこともある。ドアーを開けてびっくり、中にはたくさんの若者がいて、ギターを奏で、歌を歌っていた。用事を済ませ、直ぐ帰った記憶が今も鮮明に残っている。そんな長い?付き合いだから私が卒業後も度々お酒を飲みに行った。今はK考古学研究所にいるMさんに元職場の発掘調査員として来てもらい、とても確実で、丁寧ないい仕事をしてもらえたのも、実は、彼女のお陰だったのだ。
歳が離れてはいるし、男と女という事もあって、変に誤解する人がいたかも知れないが、とても気の置けない友である。
しかし、彼女が、職を求めて関東に行き、エジプトの「acoris」遺跡を調査するようになってからは余り会うこともなく、時々電話で話をするくらいになった。最後に会ったのがいつだったか正確には覚えていない。おそらく10年程前の大学の○○周年記念パーテーだったと思う。その頃、彼女の計画で、レバノンのローマ時代の遺跡を発掘調査するという壮大な計画があり、手伝ってくれないかと誘われていた。度々電話などもしたのだが、結局資金の問題が解決せず、立ち消えになってしまった。
余談だが、その頃のレバノンはとても危険で、イスラエルとパレスチナとの間でドンパチが日常茶飯事、いつ発掘現場にミサイルが落ちてもおかしくはない状況だった。だから学生達に
「一緒に行こうよ!」と誘っても誰も行くとは言ってくれなかった。
(ローマの遺跡で死ねるなんて世界中の考古学者を捜してもないんやから、行こうよ!と言ったのだが駄目だった。 (笑))
そんな彼女からのメールだから恐る恐る開けてみた。
開けてびっくり玉手箱!!浦島太郎のような気分にもなった。
いずれ正式に決まればどんな内容かご紹介することができるだろうが、今は
「秘密!」
とにかく楽しい遺跡の発掘調査の話しが舞い込んできて、ヴェトナムであった嫌なことが一挙に吹き飛んだ。今回のヴェトナム調査で実感したことだが、共同調査というものは、お互いに気心の知れあったものが取り組まないととんでもないことが起こるのだということだった。もちろん、ヴェトナムでもそれなりに理解をしていたつもりだったが、常識では考えられない「人格」に遭遇し、ここのところずっと胃が痛くて困っていたところだ。
そんなメールが届いた数日後、今度は中国から突然メールが来た。
2年ほど行方が判らなかった内の卒業生だった。異国の地に行ったまま「行方の判らない女性」となると諏訪、事件か?!となる。そろそろご自宅にでも電話してご家族もお知りでないのかどうか確かめてから行動を起こそうと思っていた矢先だった。
ところが、やはり現代っ子である。こちらの心配など笑い飛ばす勢い、他の同級生も心配してたぞと伝えると。逆に「私こそ探してたのに」と逆襲される始末。何でも今月末に異動の発表があって、日本に帰って来れそうだというのである。薄給で随分苦労したようだが、本人はあっけらかんとしていて、何の悲壮感もない。きっと中国語はぺらぺらで、仕事の面でもうまくいっているのだろう。自信を持って帰国してきそうだ。それにしても今の女子学生は強い!!度胸がある!!それに比べてレバノンのミサイルを怖がる男子学生なんぞへの突っ張りにもならない (大笑)。
さて、今日はもう一つ朗報が届いた。我が娘の就職が決まったという。希望通りではないかも知れないが、一応中国語を活かした仕事だという。ま、親父もそうだったように、
「いくつか仕事をやってみて、本当に自分にあったものを探せばいい」と、言ってある。これで我が家は子育てから解放されたわけだ。嬉しくもあり、悲しくもある・・・、複雑な心境の日でもあった。
それにしてもメールの威力は素晴らしいねと思ったら・・・・・もよろしくね
ここ1週間の間に次々と懐かしい人からメールが飛び込んできた。その一方でそろそろと届いてもいいはずのメールが届かないという不思議な事態に陥っている。
その突破口は私の後輩からのメールである。
確か、私の記憶では彼女からメールをもらったことがないから、彼女自身がどこかで私のメールを探し出して送ってきたに違いない。それもとても嬉しいワクワクするような知らせでしばらく有頂天になったくらいだ。
彼女は私が大学に在籍中から知っている数少ない(というより唯一の)後輩である。1年生の時に下宿に訪ねていったこともある。ドアーを開けてびっくり、中にはたくさんの若者がいて、ギターを奏で、歌を歌っていた。用事を済ませ、直ぐ帰った記憶が今も鮮明に残っている。そんな長い?付き合いだから私が卒業後も度々お酒を飲みに行った。今はK考古学研究所にいるMさんに元職場の発掘調査員として来てもらい、とても確実で、丁寧ないい仕事をしてもらえたのも、実は、彼女のお陰だったのだ。
歳が離れてはいるし、男と女という事もあって、変に誤解する人がいたかも知れないが、とても気の置けない友である。
しかし、彼女が、職を求めて関東に行き、エジプトの「acoris」遺跡を調査するようになってからは余り会うこともなく、時々電話で話をするくらいになった。最後に会ったのがいつだったか正確には覚えていない。おそらく10年程前の大学の○○周年記念パーテーだったと思う。その頃、彼女の計画で、レバノンのローマ時代の遺跡を発掘調査するという壮大な計画があり、手伝ってくれないかと誘われていた。度々電話などもしたのだが、結局資金の問題が解決せず、立ち消えになってしまった。
余談だが、その頃のレバノンはとても危険で、イスラエルとパレスチナとの間でドンパチが日常茶飯事、いつ発掘現場にミサイルが落ちてもおかしくはない状況だった。だから学生達に
「一緒に行こうよ!」と誘っても誰も行くとは言ってくれなかった。
(ローマの遺跡で死ねるなんて世界中の考古学者を捜してもないんやから、行こうよ!と言ったのだが駄目だった。 (笑))
そんな彼女からのメールだから恐る恐る開けてみた。
開けてびっくり玉手箱!!浦島太郎のような気分にもなった。
いずれ正式に決まればどんな内容かご紹介することができるだろうが、今は
「秘密!」
とにかく楽しい遺跡の発掘調査の話しが舞い込んできて、ヴェトナムであった嫌なことが一挙に吹き飛んだ。今回のヴェトナム調査で実感したことだが、共同調査というものは、お互いに気心の知れあったものが取り組まないととんでもないことが起こるのだということだった。もちろん、ヴェトナムでもそれなりに理解をしていたつもりだったが、常識では考えられない「人格」に遭遇し、ここのところずっと胃が痛くて困っていたところだ。
そんなメールが届いた数日後、今度は中国から突然メールが来た。
2年ほど行方が判らなかった内の卒業生だった。異国の地に行ったまま「行方の判らない女性」となると諏訪、事件か?!となる。そろそろご自宅にでも電話してご家族もお知りでないのかどうか確かめてから行動を起こそうと思っていた矢先だった。
ところが、やはり現代っ子である。こちらの心配など笑い飛ばす勢い、他の同級生も心配してたぞと伝えると。逆に「私こそ探してたのに」と逆襲される始末。何でも今月末に異動の発表があって、日本に帰って来れそうだというのである。薄給で随分苦労したようだが、本人はあっけらかんとしていて、何の悲壮感もない。きっと中国語はぺらぺらで、仕事の面でもうまくいっているのだろう。自信を持って帰国してきそうだ。それにしても今の女子学生は強い!!度胸がある!!それに比べてレバノンのミサイルを怖がる男子学生なんぞへの突っ張りにもならない (大笑)。
さて、今日はもう一つ朗報が届いた。我が娘の就職が決まったという。希望通りではないかも知れないが、一応中国語を活かした仕事だという。ま、親父もそうだったように、
「いくつか仕事をやってみて、本当に自分にあったものを探せばいい」と、言ってある。これで我が家は子育てから解放されたわけだ。嬉しくもあり、悲しくもある・・・、複雑な心境の日でもあった。
それにしてもメールの威力は素晴らしいねと思ったら・・・・・もよろしくね