先日ある大学の授業を利用して、名古屋市立博物館での(おそらく万博を記念して開催されていた)『古代エジプト展』に行った。
平日の午後であるにもかかわらず沢山の人々で会場はごった返していた。予想通りであった。
そもそも私が考古学に興味を持ったのが小学校の時に聞いたラジオ番組と中学校の時に京都市立美術館に来た『ツタンカーメン王展』であった。その前後に『ミロのヴィーナス展』も来た。今から考えると随分豪華な展示が次々と来たし、学校もよくぞ子供達を連れて行ってくれたもんだと思う。世界最高の「物」を見て私は是非海外で発掘調査がしたい!!と心に強く思ったものである(残念ながら語学の素質のない私は結局日本の考古学をやることになってしまったが)。
これら一級品はただ置いてあるだけで見る人々を圧倒する。だから
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/ce/9455bbccbd3bbd9cc1e2bcd8d7ae8479.jpg)
へたくそな展示解説などいらないのである。しかし残念ながら今やこれらは簡単に持ち出せないし、仮に持ち出せても大変な金がかかる。だから久しぶりの古代エジプト展は大盛況になること間違いなしだった。ところが常設展示には無料で入れるにもかかわらず、ほとんどの観客は見向きもしなかった。
学生達を連れて行ったのには理由があって、エジプト展と常設展を比較してどこがどのように違うのか、或いは、観客の反応はどうかなどをレポートさせるためだ。
異口同音にして語られたのが、せっかくの素晴らしい展示品があまりに会場が狭いので、肩寄せ合うようにして詰め込んで展示しすぎではないかという点であった。コーナー毎のパピルスを模した紙を用いた説明は、なかなか雰囲気があって良かったがそれらと各個別展示とがあまりに違いすぎて、コーナー解説にエネルギーが注ぎ込まれすぎて本体にまで及ばなかったのではないかという批評が印象的だった。
常設展との比較では尾張の通史がいろんなジオラマを用いて説明してあったのが好意的に評価された。もちろん大半の学生が初めて見たらしい(名古屋の大学生なのに寂しい限りだが、これも博物館に問題がないわけではない。)が、ほとんど人のいなかったことに驚いていた。
やはりここでも常設展鑑賞者の少なさが大いに問題とされたわけである。「博物館と閑古鳥問題」である。
まず提案したい第一は、日本中の博物館展示企画から展示を専門とする大企業をはずすことである。
○○企画、××メデア、□□科学などがおそらく全国の博物館の90パーセントを企画立案したに違いない。その結果全国に実に見事に「美しい」博物館・資料館ができた。ところがその結果全国どこに行っても同じ雰囲気の展示施設を見る羽目になったのである。目さえ肥えてくれば、それがどこの業者のものかすぐに分かる。つまり、金太郎飴現象の招来である。説明やイメージは同じで、置いてある物だけが違う。これでは二度と常設展を見ようという気にならないのが当たり前だろう。
提案の第二は学芸員の定期異動である。ほとんどの資料館・博物館の学芸員は一度その館に採用されたなら、別世界へでも転職するか、国立博物館のように異動できる人を除き、大半が生涯その施設に勤務する。このため館の内情を大変よく知り、館の中の主となる。これが資料の管理や物の貸借に便利なことはいうまでもないが、当然マンネリ化という弊害も生み出す。独善的な展示にふんぞり返り、「俺の研究成果じゃ、見たけりゃみろ。わからんやつはこんでもええ」といった感じの展示が横行する。閑古鳥が鳴いても平気な学芸員は日本中に山ほどいる(こんな苦言を呈する私などは彼らにとってはとんでもない極悪非道のやくざ、と言うことかも知れない)。
私は彼らを追放しろとは言っていない、学芸員でもできる他部局での仕事(例えば公立の博物館なら教育委員会の生涯学習事業や文化財調査、国庫補助金の管理事務等々。私立の博物館でも助成金事務や館外活動、他館との交流事業や宣伝事業など)はあるはずだ。それが資料館運営に役立つことは間違いない。こうしたことに抵抗を示す学芸員のたいていは学芸員の本来の仕事を忘れて研究者気取りでいる。もちろん学芸員が研究してはいけないなどと言うつもりは全くない。学芸員が学芸員として研究すべき課題は山ほどあるからだ。興味のある問題を自分なりに深化し、研究論文を書くことも当然のことであろう。しかし第一に「閑古鳥」問題はもっとも深刻で大きな課題である。それを真剣に研究して初めて(或いは平行して初めて)学芸員として職を得ている意味があるのである。そうでない学芸員は職務怠慢なのだから、全く別分野に異動させられても、場合によったらクビを切られてもし仕方なかろう。
第三に、資料館同士の交流を具体化すべきである。特に同一県下、或いは同一地域に所在する館同士が、相互に開催する展示会を数年間にわたって予め協議し、同一内容を避けたり、相互に関連し合う展示を心がけたり、ジオラマの開発を共同で行ったり、今はやりの3Dを研究したり・・・・、することはいくらでもあるはずだ。もちろん閑古鳥が鳴いている常設展の改善に対してどうすればいいかを協議すべきであろう。資料館に閑古鳥が鳴いている今こそ絶好の改革のチャンスである。是非真剣に検討してもらいたいものだ。
まだまだ提案したいことはいくらでもあるが、とりあえずここまでで止めて、皆さんの批判を待つことにしよう。