yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

NHK会長罷免の申し入れとNHK番組に関する質問書の提出

2014-02-10 00:07:13 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 こんな方々に公共放送を任せてはおけない!!

 直ちに会長の罷免を求めます。

 以下の文章を提出しました。

1 NHK会長の罷免を求める申し入れ書

2014年2月6日
NHK経営委員会御中

改めて籾井NHK会長の罷免を求める申し入れ(回答要望付き)

NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ
共同代表 湯山哲守・醍醐 聰

 貴委員会におかれましては、日頃より、NHKの公共放送として充実をはかるためご尽力されていることと存じます。
 当会は1月27日に貴委員会宛に文書を提出し、その中で次の3点を申し入れました。
 1. 1月25日に開かれた会長就任の記者会見の場で一連の発言によって、NHK会長の職に不適格な人物であることが明瞭になった籾井勝人氏をNHK会長職から解任するか、籾井氏に辞職を勧告していただくこと。
2. 会長就任早々、言論・報道機関の責任者としての自覚のなさをさらけ出す発言をするような人物を選任した貴委員会の任命責任を十分に協議され、その議事録を全面的に公開していただくこと。
3. 現在のNHK会長選考のシステムを、視聴者に開かれた、より透明なものにするよう抜本的に改革するための第一歩として、NHK会長選考のあるべき仕組みについて、広く視聴者から意見を求める機会(パブリックコメントや公聴会の開催)を近々に設けていただくこと。

 以上のような申し入れをして以降、1月28日に開催された貴委員会での籾井会長発言をめぐる審議の模様が報道され、さらに1月31日には衆議院予算委員会に籾井会長が招致されて、質疑が交わされました。これらの新たな情報にもとづいて、改めて後掲の申し入れをいたします。これらについて、27日付けの上記の3点の申し入れと併せ、2月15日までに別紙宛に文書で回答をお送りくださるようお願いいたします(先日の申し入れでは2月10日までに回答をいただくようお願いしましたが、上記2,3の申し入れと今回の申し入れに対するご回答を2月15日までと変更させていただきます)。

 籾井会長は1月25日の記者会見で、NHKが行う国際放送に関し、「領土問題については明確に日本の立場を主張するのは当然のこと。政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」と発言されました。こうした発言は「放送法」第65条で定められた、NHKが実施する国際放送は、明文にあるとおり、総務大臣からNHKに対する要請であって、NHKから言えば、それに応じるよう努める努力目標であって義務ではないこと、応じる場合も、放送番組の編集の自由に配慮すべきことをまったく理解しないものでした。
ところが籾井氏は1月31日の国会での質疑において、この点を質された場面でも、国際放送はNHKの義務かのように答弁し、「右」「左」を「赤」「白」に訂正するという意味不明の答弁をしました。
また、25日の会見での発言のどの部分を撤回したのかについても、「従軍慰安婦」に関する部分だけだったのかのような答弁をする一方、「全部取り消した」とも発言し、正確な真意はいまだ不明のままです。
 国会での籾井会長の答弁は終始、背後に控えたNHK職員から差し出されるメモを頼りにしたもので、「放送法」はもとより、公共放送に関する同氏の理解の欠落が露呈したものでした。  
 これらの発言に接したNHK幹部からは「あの従軍慰安婦発言は無知すぎる。同じ組織の人間として恥ずかしい」という感想が出され、ある経営委員は「個人的な発言なので今回は支える。だが、2度目はない」と発言したと伝えられています(『西日本新聞』2014年1月28日)。
 しかし、NHK会長に「見習い期間」や「試行期間」があるわけではありません。就任後は即、その言動にNHKのトップとしての責任が問われるのです。
 貴委員会はひとまず個人的見解として収拾するとされましたが、貴委員会内の指名部会で同意された「会長資格要件」は選考時点での籾井氏の個人的見識なり資質なりを問うたものですから、「従軍慰安婦はどこの国でもあった」と述べて当時の政府や軍が関与した戦時性暴力を是認するかのような籾井氏の個人的見解こそが問われなければならないのです。当会は、そのような人権意識の持ち主が「放送を公共の福祉に適合するように規律し」、「放送が健全な民主主義の発達に資するようにする」(「放送法」第1条)職責を担えるとは到底、判断できません。

申し入れ

 「放送法」は第55条で、「経営委員会は、会長、監査委員若しくは会計監査人が職務の執行の任に堪えないと認めるとき、又は会長、監査委員若しくは会計監査人に職務上の義務違反その他会長、監査委員若しくは会計監査人たるに適しない非行があると認めるときは、これを罷免することができる」と定めています。
 当会は上記のような理由から、籾井勝人氏はNHK会長の「職務の執行の任に堪えない」人物であると判断し、同氏をNHK会長職からすみやかに罷免するよう求めます。

 以 上


2 最近のNHKの放送番組に関する質問書

2014年2月6日
NHK会長
 籾井勝人様
NHK放送総局長
石田研一様
最近のNHKの放送番組に関する質問書
NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ
共同代表 湯山哲守・醍醐 聰

 貴職におかれましてはNHKの放送番組の充実のためにご尽力いただき、お礼を申し上げます。
私たちはNHKが国内外の諸問題について、様々な政治・経済勢力、とりわけ時の政権から自立した立場で、視聴者に多様な情報や意見を公平・公正に伝え、それを通じて視聴者が理性的な判断力を持って参政権を行使するのを支援する役割を果たすことを願っています。
 しかし、最近放送された番組のなかで、こうしたNHKの使命にもとる問題が起こっています。以下、これらについて質問をしますので、ご多忙のこととは存じますが、2月14日(金)までにご回答を別紙宛先まで文書でお送りくださるよう、お願いいたします。

1. 籾井勝人会長の就任記者会見での発言問題を28日まで自局のニュース番組で伝
えなかったのはなぜなのか。

1月25日の会長就任会見で籾井会長は「従軍慰安婦」問題、靖国神社参拝問題、領土問題に
関する国際放送、特定秘密保護法などについて言及されましたが、それらはすべて「放送法」に定められた公平・公平、不偏不党、多様な意見の反映に真っ向から反するものでした。特に、「領土問題については明確に日本の立場を主張するのは当然のこと。政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」という発言は、「国際的な紛争や各国間の利害が対立する問題などを取り上げる場合は、関係国の主張や国情などを客観的に伝えるとともに、日本の立場や世論の動向などを考慮して取り扱う」と定めた「NHK放送ガイドライン」にもとる暴言でした。
 そのため、NHKには1,800件(1月29日現在)を超える意見が寄せられ、全国紙も26日朝刊以降、連日、多くの紙面を割いて籾井会長の発言の重大性を報道しました。
ところが、当会がNHK視聴者センターに問い合わせて確認したところでは、NHKは28日の19時と21時のニュース番組で、それも国会の質疑で籾井発言が取り上げられたのを短く伝えただけで、それ以前はこの問題をまったく伝えませんでした。
この問題を考えるに当たって当会は、NHKが取材する側とされる側の双方当事者となる場合の放送のあり方を厳しく問いかけなければならないと考えます。
「NHK放送ガイドライン」の末尾に添付された「BPOの主な決定(NHK関連)」の中で、
2001年にNHKが4回シリーズで放送した「ETV2001 戦争をどう裁くか」の第2回「問われる戦時性暴力」を巡って、取材対象となった「女性国際戦犯法廷」を企画した市民団体がNHKに対して訴えを起こした裁判の報道を巡ってBPOが示した2つの意見・見解が掲載されています。2つは個別の内容に違いはありますが、NHKが報道する側とされる側の双方当事者となった点では共通しています。
1つ目は、「ETV2001」をめぐる東京高裁判決を伝えた「ニュースウオッチ9」がNHK側の言い分だけを伝え、訴えを起こした市民団体側の見解をまったく伝えなかった点について、BPOの放送人権委員会は、「NHK自身が、裁判の当事者だという特殊性を考えると、一般の裁判報道よりも公平・公正の点でより慎重な取り扱いが求められる」と指摘し、「相手方の見解になんら触れることなく、自らの解釈や番組への介入が疑われた政治家のコメントだけを放送したことは、公平・公正な取り扱いを欠き、放送倫理に違反する」とする見解を示したものです。
もう一つは、同じく「ETV2001」シリーズの第2回目の番組は放送倫理に反するとする市民の提訴に対して、BPOの放送倫理検証委員会が意見を表明したものです。この中で放送倫理検証委員会は、「国会担当の局長が制作現場の責任者に〔番組の〕改編を指示したことは公共放送にとって最も重要な自主・自律を危うくし視聴者に重大な疑念を抱かせる行為だった」と厳しく指摘しました。

【質問Ⅰ】
 Ⅰ-1 NHKに対する国民の信頼を根底から揺るがす今回の籾井会長の発言を、国会で
取り上げられるまで自局の放送で一切、報道しなかった理由をわかりやすく具体的
にご説明ください。
  Ⅰ-2  NHKが報道する側とされる側の双方当事者となった場合、自局の放送で当該問
題の報道を抑制するバイアスがからないようにするには、番組制作部門と経営部門
に利益相反が生じないようなファイアーウオール措置が必要です。これについて、
NHKはどのような措置を講じているのかご説明ください。例えば、政治部の記者な
どが取材で接触した政治家の意向を番組編集部門に公式・非公式に伝えるといった
関与をさせない措置をどのように講じているのか、ご説明ください。
    


2.原発問題をテーマにしたラジオ番組の放送をなぜ中止したのか?

1月30日の午前5~8時のラジオ第1放送「ラジオあさいちばん」で出演予定の中北徹・東洋大教授が「原発の再稼働のコストと事故リスク」をテーマに取り上げようとしたところ、番組担当のディレクターに「都知事選中は原発問題はやめてほしい」とテーマ自体の変更を求められ、中北教授がこれを断ったため放送が中止になったと伝えられています。
これについて、NHK広報部は「都知事選では原発をめぐる問題が争点の一つになっており、選挙期間中はより公平性を期す必要がある。今回は出演上、そうした対応を取ることが困難だったため、テーマの変更を求めた」(『毎日新聞』2014年1月31日)と説明しています。
しかし、当会が入手したこの番組の原稿メモによれば、中北氏は、①事前の安全確保の対策、保険料などといった原発稼働のコストが世界的にアップしていること。②万が一の際、巨大事故がもたらす損害が膨大化していること。③日本の場合、廃炉の費用が発生しているが、それが企業の費用に明示的に計上されていないこと、などを根拠に挙げ、それぞれを裏付けるデータを解説した上で、原発(稼働)ゼロでも、経済成長が実現できることを論じようとしたものでした。
その上で、中北氏は解説の最後で、原発事故発生のリスクと巨大事故が起きた際の損害額との関係に触れ、原発発生のリスクである積(事故の発生確率と、その事故がもたらす損害賠償料との両者の掛け算)の値を確実に減らし、ゼロにできるのは、原発を止めることになるだろうと説き、安倍首相も呼びかけた国民的議論の活性化を望む、と述べて解説を結ぶ予定だったといわれています。
「NHK放送ガイドライン」は、「意見が対立する問題を取り扱う場合には、原則として個々のニュースや番組の中で双方の意見を伝える。仮に双方の意見を紹介できないときでも、異なる意見があることを伝え、同一のシリーズ内で紹介するなど、放送全体で公平性を確保するように伝える」と定めています。
この点でいえば、中北氏は番組の中で、即時脱原発路線を支持するのか、それとも、時間をかけながら、緩やかに原発依存を減らしていくのか、という費用の選択の問題になる、それは国民がどう選択するのか、という政治的な課題である、と説明する予定だったと言われ、都知事選で特定の候補者の支持・不支持を促すものではありませんでした。
このように反証可能な実証的データに裏付けられた問題提起的な論説までも、「不偏不党」の原則を盾に抑制するのはあまりに過剰反応であり、重要な政治経済問題について国民の間で議論を喚起するという公共放送の使命に逆行するものです。かりに、上記の「NHK放送ガイドライン」に沿って、中北氏の見解と異なる意見を紹介しようと思うなら、NHK側の番組出演者が別の見解を紹介するなり、別の意見を取り上げる番組を企画すればよいのであり、個々の番組の中で対立する意見を紹介しない番組はまかりならないなどといった判断は成り立ちません。

【質問Ⅱ】
 Ⅱ-1 NHKは原発問題を取り上げる予定だった中北徹氏の出演予定の上記番組を、中
   北氏の不同意にもかかわらず、放送中止とした理由をわかりやすく、ご説明ください。
  Ⅱ-2 NHKは個々の番組の中で異なる意見を反映させない番組は常に放送しないとい
   う基準を採用しているのか、ケースバイケースで判断するのかどうかをお聞かせくだ
   さい。後者の場合は、どのような基準で採否を判断するのか、ご説明ください。


以上


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またもや大雪の中の壬申の乱ウオーク!!の条

2014-02-08 18:08:50 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 寒かった!!

 上から下までずぶ濡れ!!

 もう後半はどうにでもなれ!の心境。

 とにかく史上最悪の壬申の乱ウオークでした。

 やはり私は雨男!大雪男であることが実証されてしまいました。(笑)

 反省!! 2月は止めよう。来年からは(もし生きていたら)3月にします。

 でもこの超悪天候の中、ナンナント、45人もの方々が参加下さいました。それも、最高齢は85歳。21歳の若き女性から妙齢の女性まで、本当に老若男女たくさんの熱心な(物好きな―すみません)方々が参加下さいました。本当にありがとうございました。けが人がなかったのは幸いですが、どうかお風邪など召されませんように。

 
 
 大学周辺はそうでもなかったのですが、やはり、白山町に入ると一面銀世界!!


 
1 本日のコース
○ 近鉄榊原温泉口駅受付 9:00 集合 大雪の予報にもかかわらず45人の方がおいで下さいました。感謝!!
コース解説後9:20出発→9:25紀貫之の墓9:30→9:50白山郷土資料館にて、町内の主な文化財について概説。特にガガフタ古墳や河口頓宮跡出土重圏文軒丸瓦を解説。10:20→(県道28号)→11:05古市古墳(稲荷山古墳)を経て首塚明神の岡から河口頓宮跡を遠望。11:15→11:35野田浦遺跡・河口北方遺跡(河口頓宮雑舎跡)11:50→(白山中学校経由)→12:20津市白山総合支所・昼食13:00→13:15東光山医王寺・聖武天皇行宮跡石碑13:30→13:50JR名松線関ノ宮駅14:04

2 概要
 本日のコースは壬申の乱とは無縁です。これまでにも時々見学してきた聖武天皇東国行幸の跡地巡りでした。
 現在の津市白山町にある河口頓宮跡を巡りました。とは言っても歩く距離の制約がありますので、今回は「伊勢行幸』の主目的の一つである和遅野での遊猟地には参れませんでした。せっかく最近一志語り部の会のメンバーのお一人が記念碑をお建てになったのにです。
 白山町の資料館で町内出土考古資料を見学し、少し説明を加えました。特に興味深いのは家城にあるガガフタ古墳出土品です。ガガフタ古墳は二基からなり、いずれも右片袖の畿内系の横穴式石室をもつ有力な古墳です。六世紀後半の築造で、その立地が伊賀から伊勢に入る有力ルートである伊賀阿保→塩見峠→瀬戸ガ淵→家城というルート沿いにあります。副葬品も豊富で大量の鉄製品が発見されています。私はこのルートこそ聖武天皇の東国行幸のルートだと考えています。
 資料館から先は暫くずぶ濡れになりながらひたすら歩くだけでした。途中首塚明神の丘に登って河口頓宮跡を遠望しました。雪に覆われた頓宮跡もなかなか優雅なものでした。シャーベット状に雪の積もった階段は過酷でした。

 この後雲出川を渡っていよいよ頓宮跡です。もう10年前になりますが、私の科研費で掘った野田浦遺跡の跡は今も同じくグランドのままでした。もちろんここも白銀の世界。当時調査に参加した学生も既に何人かは結婚して子供もいます。月日の経つのは本当に早いです。
 白山中学校のグランドを横目に見ながら昼ご飯会場の白山川口公民館へ。暖房を効かせて頂いており、とても冷えた身体にはありがたかったです。でも大半は新聞紙を敷いて冷たい床に座っての昼ご飯。申し訳ありませんでした。

 昼食後に「聖武天皇行幸関宮行宮址」の石碑のある岡へ。ここで、朝から取材に来られていたNHKの記者からインタビューを受けました。27日放送するとか。もちろん三重県だけでしか見られませんが。

 そして朝から5時間経ってようやく帰路の名松線へ。疲れました。でも85歳のご夫婦はとてもお元気で、最後にご丁重なるご挨拶まで頂きました。こうした歳の取り方ができたらいいな、と思いました。いつまでもお元気で!!

3 写真で見るウオーク
 本日の行列。ホント、熱心です。どうして三重県はこうした熱意をもっともっと集める努力をしないのか、不思議なところですよね。

 まずは、白山町郷土資料館へ。



 ここまでで既にずぶ濡れ。お疲れのご様子。



 白山町家城にあるガガフタ古墳群の出土物を解説。聖武行幸ルート推定地の有力ルート上に展開する右片袖の後期古墳。


いつも元気に旗持ちを手伝ってくれる若者。



 かつて大角遺跡と呼ばれた白山中学校校庭で発見されたと伝えられる重圏文軒丸瓦を解説。


 首塚明神の上からの河口頓宮推定地の遠望




三重大学で発掘した旧金属会社グランド。それ以前の調査で暗文土師器や墨書土器がまとまって出ている。



やっと昼食会場として開放して下さった公民館のホール。暖房を効かせて下さって、とても助かりました。壬申の乱ウオークは、いつもたくさんの方々の援助があってできていますが、今回は特に地元「一志語り部の会」の方々のとても温かなご援助で大雪の、悪路でのウオークでしたが、けが人もなく無事終えることができました。感謝!!







最後の見学地「聖武天皇河口行宮址」の石碑(「行宮」が読めない我が研究室生がいて、悲しくなる)



2時間に一本くらいしか走らない名松線。14:04の時刻に合わせて説明を終了し乗り込む。3人ほどしか乗っておられなかった乗客の皆さんが、何事かとびっくり仰天。



本当は久しぶりに四日市にあるスーパー銭湯に行く予定で着替えも、タオルも全部用意していったのに、それらが全部びしょ濡れ。諦めてとぼとぼ研究室へ。今夜の夕食は冷凍の鍋焼きうどん。アー早くみのりん(孫娘)に会いたいよ!!


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第31回壬申の乱ウオーク~聖武天皇行幸地・河口頓宮跡を訪ねて~開催の条

2014-02-06 22:56:08 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 もうこれ以上弔辞やお別れの言葉を書くのはいや!!

 久しぶりに人間らしい歴史研究活動の紹介です。

第31回壬申の乱ウオークのご案内
 
日時 2014年2月8日(土)9:00~14:00
主催 久留倍遺跡を考える会
   三重大学人文学部考古学研究室
   伊勢湾・熊野地域研究センター


天平十二年十一月―河口頓宮にて-
~聖武天皇東国行幸と伊勢国~

1 本日のコース
○ 近鉄榊原温泉口駅受付 9:00集合〔事前申し込み不要〕積雪の場合は中止〔開催の有無は 09091173424 まで電話下さい〕
○ コース解説9:20出発→9:25紀貫之の墓9:30→9:50白山郷土資料館10:20→(県道28号)→11:05古市古墳(稲荷山古墳)11:15→11:35野田浦遺跡・河口北方遺跡(河口頓宮雑舎跡)11:50→(白山中学校経由)→12:20津市白山総合支所・昼食13:00→13:15東光山医王寺・聖武天皇行宮跡石碑13:30→13:50JR名松線関ノ宮駅14:04→14:38JR松阪・近鉄松阪名古屋方面15:19→15:41津16:09近鉄四日市16:15近鉄富田 

※ 本日の見所
 今回は交通手段の制約から最初と最後に見学のメインがあり、間が歩くだけという健脚コースです。当日は雨または寒冷との情報もありますので、体調に十分気をつけてご参加下さい。
 ① 白山町郷土資料館に関係出土遺物がまとまっています。
 ② 三重大学で10年前に発掘調査した野田浦遺跡をご案内し河口頓宮の広大な空間を眼で確かめていただきます。
 ③ 聖武天皇が伊賀の阿保からどのコースをとって河口に入ったのかについては種々議論があります。雲出川と推定ルートを眼で確かめてそのルートを確認していただきます。
 ④ 古墳時代後期の当地の中心がどこであったのかについて古墳の副葬品などから考えます。

2 持ち物など
 弁当・飲み物をご持参下さい。途中にコンビニなど販売施設はありません。ウオーク地は山間部で平地より2度ほど温度が低いものと予想されますので、十分な防寒着、防寒対策をご用意下さい。

3 解散はJR名松線関ノ宮〔14:04発松阪行き14:38着〕の予定です。名松線は本数が少ないため、一本前は12時07分、一本後は16時01分と限られています。ので、昼食時間を入れて時間調整をしています。
なお、14:04に乗車し、一志で降車しますと、徒歩5分のところに近鉄川合高岡駅があり、8分後の14:27発の津方面行き普通電車があります。

4 『続日本紀』関連記事
○ 天平十二(740)年十月壬午(29日)。行幸伊勢國。以知太政官事兼式部卿正二位鈴鹿王。兵部卿兼中衛大將正四位下藤原朝臣豊成爲留守。是日。到山邊郡竹谿村堀越頓宮。
○ 同年十月癸未(30日)。車駕到伊賀國名張郡。
○ 同年十一月甲申朔(1日)。到伊賀郡安保頓宮宿。大雨。途泥人馬疲煩。
○ 同年同月乙酉2日)。到伊勢國壹志郡河口頓宮。謂之關宮也。
○ 同年同月丙戌(3日)。遣少納言從五位下大井王。并中臣忌部等。奉幣帛於大神宮。車駕停御關宮十箇日。是日。大將軍東人等言。進士无位安倍朝臣黒麻呂以今月廿三日丙子。捕獲逆賊廣嗣於肥前國松浦郡値嘉嶋長野村。詔報曰。今覽十月廿九日奏。知捕得逆賊廣嗣。其罪顯露不在可疑。宜依法處决。然後奏聞。
○ 同年同月丁亥(4日)。遊獵于和遲野。免當國今年租。
○ 同年同月戊子(5日)。大將軍東人等言。以今月一日。於肥前國松浦郡。斬廣嗣綱手已訖。菅成以下從人已上。及僧二人者。禁正身置大宰府。其歴名如別。又以今月三日。差軍曹海犬養五百依。發遣。令迎逆人廣嗣之從三田兄人等廿餘人。申云。廣嗣之船從知駕嶋發。得東風往四ケ日。行見嶋。船上人云。是耽羅嶋也。于時東風猶扇。船留海中。不肯進行。漂蕩已經一日一夜。而西風卒起。更吹還船。於是。廣嗣自捧驛鈴一口云。我是大忠臣也。神靈弃我哉。乞頼神力。風波暫靜。以鈴投海。然猶風波弥甚。遂着等保知駕嶋色都嶋矣。廣嗣式部卿馬養之第一子也。
○ 同年同月乙未(12日)。車駕從河口發。到壹志郡宿。


5 次回(第32回)予定 2014年5月10日(土) in 犬山市入鹿池~村国男依と周辺遺跡~
  次々回(第33回)予定2014年8月9日(土)in 関市弥勒寺~身毛君廣と弥勒寺遺跡群~

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政権によるNHK支配への危惧

2014-02-06 08:35:43 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
http://mainichi.jp/shimen/news/20140205dde012070007000c.html

熱血!与良政談:「不偏不党」という欺まん=与良正男
毎日新聞 2014年02月05日 東京夕刊

 籾井勝人NHK会長の就任記者会見が批判を集める中、東洋大の教授がNHKのラジオ番組で「原発再稼働のコストと事故リスク」を取り上げようとしたところ、局側からテーマ変更を求められ、出演を取りやめる事態に至ったそうだ。9日に投開票される東京都知事選に影響を与える可能性があるというのがNHKの言い分である。
 確かに放送法は「放送の不偏不党」を明記している。だが、意見が一方的にならないようにする工夫はいくらでもできたはずだ。私はそもそもNHKは原発問題をテーマにしたくなかったのだと疑っている。
 原発が大きな争点になる都知事選を望んでいるのは誰か。そうでないのは誰か。それを考えれば簡単だ。わざわざ番組のテーマにして政権側から文句を言われたくないという意識が働いたのではなかろうか。
 面倒な問題こそ知恵を出して伝えていくのが私たちの役割だ。ところが「触らぬ神に」とばかりに報道しなくなっていく。私はそんな流れになっていることを心底恐れる。
 都知事選が告示された先月23日。午後9時からのNHK報道番組「ニュースウオッチ9」のトップはヤンキース入団が決まった田中将大投手の記者会見だった。続いて在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部の土地・建物再入札問題。さらに気象の話が続き、都知事選は4番目。主要候補の演説を粛々と報じた。
 手厚く報じる時間帯もなくはないが、私はこの扱いに驚いた。もしかするとNHKは都知事選を盛り上げたくないのではないか。「無党派層は寝ていてくれたら……」と考えているのではないかとさえ思ったものだ。
 籾井氏の発言にも触れておこう。仮に同氏が「個人的見解」と断りながら、「安倍晋三首相は靖国参拝すべきではなかった」と発言したらどうだったか。政権と自民党内には更迭論が噴出し、撤回しても許してもらえなかったのではないか。これが「不偏不党」の実態なのだ。
 放送法には「放送が健全な民主主義の発達に資するように」とも書いてある。繰り返すが政権から文句がつきそうな問題を避け報道しなくなることが民主主義の発達につながるはずがない。「言論不自由」な国になりつつある今の流れには抗していかなくてはならない。(論説委員)

 その通りだと思う。

二つの弔辞

2014-02-05 01:02:06 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
たった1ヶ月の間に二人の友人の弔辞を読み、書かなければいけない悲しさ。

今泉隆雄さんへの弔辞

弔辞

 今泉さん、昨年九月にお会いした時にこんなお話しをされましたよね。
 「山中さん、三月に辞めるのだったら、「最終講義」をするのでしょ。僕、行くから。日にちが決まったら知らせて下さい。」
「最終講義」はやらない、と考えていた私ですが、「今泉さんが来て下さるのなら」、と思い直し、準備を始めた矢先でした。こんなに早く逝ってしまわれるなんて、悲しくてたまりません。
 心残りなのは、この時、ぽつりと仰った言葉でした。

 「もう最後かもしれないから・・」

もっと重く受け止めるべきだったのです。

 私が今泉さんと初めてお会いしたのは一九七七年、真夏の京都でした。自治体職員として長岡京跡の発掘調査をしていた私は、千点を超す木簡を掘り出す機会に恵まれました。その釈読、分析、研究のために奈良文化財研究所の狩野 久先生を筆頭に、そうそうたる研究者が来て下さったのです。長岡京が初めて古代史の中に本格的に位置づけられた瞬間でもありました。今泉さんはその中心メンバーでした。

 エアコンもない、平屋のプレハブは尋常な暑さではなく、今泉さんは、腰にぶら下げたタオルで何度も何度も汗をぬぐわれていました。
 「何と汗っかきな人なのだろう・・・」これが私の第一印象でした。腎臓があまり丈夫ではないことをまだ存じ上げていませんでした。
 以来三七年、私の人生の転換期にはいつも今泉さんがいらっしゃいました。

 その後、東北大学に移られることになり、『古代宮都の研究』、『古代木簡の研究』と、次々と学史に残る名著を出されました。
 さらにもう一冊『東北古代史』を出すのだと、その構想を説明して下さいました。九月に荒浜から閖上へと、仙台湾の被災地をご案内頂いた時にもこんなお話しをなさいました。

「この閖上漁港の漁師達は、漁を終えて戻る際、遙か海上からでも西に見える太白山を目標に帰ってくるという。名取川の河口部に広がる閖上の潟は、太古の昔から良好な港だったらしい。律令国家による東北支配に当たって、海上交通の拠点として、閖上湊はとても重要視されていたのだと思う。」

 あるいは既に論文として構想ができあがっていたのかもしれません。聞くところによると、パソコンの中にはたくさんの論考が整理されているということです。

 今泉さんの忘れてはならないもう一つの大きな業績は、多くの研究者を育てられたことです。この後お話しになる岩手大学の樋口さんを筆頭に、宮内庁書陵部の鹿内さん、東北大学の永田さん、近畿大学の鈴木さん、米沢短期大学の吉田さん、花園大学の中野渡さんなど、たくさんの方々が大学、研究機関、調査機関で活躍されています。これも、今泉さんの普段はとても温厚でユーモア溢れる方なのですが、学問に対すると突然、とても厳しく、凛として接しられる、そんな姿勢によるのではないかと思います。

 近年はお身体のこともあり、お好きなお酒もあまり飲まれませんでした。しかしあちらには、関晃先生、岸俊男先生、工藤雅樹先生など、早く逝かれた方々が楽しい酒宴を開かれていることと思います。久しぶりにゆっくり呑みながら、下界の日本の歴史研究を見守っていただきたく思います。
 本当に長い間、親しく、ご交誼賜りありがとうございました。どうぞごゆっくりお休み下さい。さようなら。

 二〇一四年一月八日
           
         三重大学人文学部    山中 章   



西畑俊昭君へのお別れの手紙


西畑俊昭 様

 『近世入浜塩業の研究』(清文堂 二〇一三年二月四日)読ませてもらいました。
 もちろん近世史とは全く縁のない私にはその御高論の研究史的な位置づけはできません。しかし、先駆者が手を付けなかった史料を基礎に丹念に「得意な」数学を使って分析した人文科学の正当な分析手法は素人にも手に取るようによくわかります。
 そんな中でも感心したのは、随所に入れられた図やグラフ、表です。私のような考古屋は、文字ばかりが並ぶとその分析の対象史料の空間的把握に戸惑ってしまいます。しかし、こうして何気なく地図が入ると分析された史料を立体的に捉えることができます。
 さらに驚いたのはたくさんの新稿が入れられ、まさに「近世入浜塩業」を多角的に分析した著作として成り立っていることです。私などは、あちこちで書き殴った文章を少しタイトルを変えていかにもそれらしく並べるだけでした。ところがあなたは、これまでの論考が一点を目指したものであったとはいえ、その不足分をたくさんの新稿で補い、一書として完成させたところに偉大さがあります。近年は体調があまり優れなかったと聞きました。その中でのこれだけの新稿、見倣わなければと強く思いました。

 あとがきを読んで、まず第一に申し訳なく思いました。あなたを「悪の道」に引きずり込んだのは私だからです。大学時代の怠惰な生活の多くを私は共有しました。御著書を読んで、あの頃真面目に研究生活に入っていればもっと早く、身体をこわすこともなく研究書を何冊もまとめることができたに違いない。そう思うからです。教員生活を送りながら、これだけの成果を上げることができた人物だと知ったから、余計にそう思います。

 もちろん、あの怠惰な日々は、忘れられない学生時代の思い出として私の心にしみこんで残っています。北門裏の下宿でとりとめもない話しでワイワイやったこと。西門横の誰かの下宿で連日のように徹マンをやったこと。あなたが木箱を積み上げてやるパチンコ屋で、少し玉を分けてもらっても直ぐ終わってしまう私に大笑いする姿。酒の飲めないあなたとはコーヒーでした。小さなカリタ式のドリップで入れたコーヒーで何時間もおしゃべりしました。教育実習の時はあなたの下宿を拠点に授業の教案作りや反省会を何度もしました。その全てが私の心に残っている暖かい思い出です。

 社会に出て、私は公務員、あなたは教員と、少し研究生活とは離れた社会にいましたが、同じように学問への志を忘れず、博士号を採り、著作を刊行できたことはこの上ない喜びです。

 本当におめでとう。

この世で乾杯できなくなったから、あの世で飲めるように訓練しておいてくれよな。飲める余になったお前と大いに盛り上がろうぜ。私もそう長くはこの世にいないから。

 二〇一四年二月四日

                              山中 章


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なぜこんなに悲しいことばかり

2014-02-04 16:15:34 | yaasan随想
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今朝友人からのメールで知りました。年末の今泉さんに続いてあまりに残酷です。
今、通夜に向かっています。

山中章


山中 章
1時間前
西畑が昨夜亡くなりました。わずか四ヶ月の闘病生活でした。ついこないだ、広島からの帰り、相生を通った時、見舞いによればよかったと、思ったばかりでした。後悔先に立たずです。

年末に見舞った時、これから抗がん剤治療で、少しよくして、あと五年は頑張るんや!と言ってたのに。結局それもできなかったようです。

もう一度見舞うか、迷いました。体力を使うから、手紙にしよう!と、今朝から書き始めたところでした。

彼は、私の一つ年下の後輩です。それも、彼は国史、私は考古。普通なら接点はないのですが、広島大学ではその頃、教養にはクラスがあって、二年間いろいろな接点が設けられていました。なぜか、考古は国史とセットでした。定員が五人なので、どこかと一緒にしないといけなかったのでしょう。

だからと言って後輩との接点は普通ありません。1970年といえばまだ少し大学闘争の火が残っていました。まだ少し元気が残っていた私は、後輩たちを誘って講演会に行きました。そんな中に彼はいました。でも、彼を後輩だとは誰も思いませんでした。珍しく院生がきた!と思いました。すでに今と変わらぬ風貌を彼はしていました。ただし彼も、私と同じく二浪していましたので、他のものより老けているのは仕方ありません。年末に会った彼は、そのときのままでした。

その後の彼は、高校の先生になりました。ちょうど一年前に出した著作のあとがきによると、子供達に親しまれた先生だったようです。そして、とても素敵な同僚と出会ったようです。

著作『近世入浜塩業の研究』のあとがきによると、たくさんの仲間と研究会をし、著作の基礎を作っていたそうです。五年ほど前に、京都で会った時、その構想を熱心に語ってくれました。

広大を石をもて追われた仲間や、お前もちゃんと本を出せ!と、わけのわからない激励?をしたものです。その時一緒だった天理大学教授の谷山さんがずっと出版に向けて援助したと聞きます。その甲斐あってちょうど一年前、著作は完成しました。

近世史など全くわからない私には、その研究史的な評価はできません。でも、字間にほとばしる才気は読むものに鬼気迫る迫力がありました。

そして、私と同じく、広大で学位を取りました。今年の一月末のことです。

学位授与式には出られなかったそうです。ても、嬉しかったに違いありません。

心からおめでとう!と言いたいです。せっかく仲間が増えたのに、私の後輩のくせに、先に逝ってしまいました。悲しいです。悔しいです。

ま、先に逝ったのだから、地上で飲めなかった酒を練習しとけ!私も、そんなに待たせんから!あの世で大宴会しようぜ。
おっさん、さらば

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