yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

タンロン通信-3 ハノイの地鎮祭と戒律破りの条

2008-02-26 06:46:58 | 歴史・考古情報《東アジア》-2 越南
看病も大変だねと思ったらよろしくお願いします。


 昨日は若者達は元気だ!とお伝えしたのだが、今朝になって山田博士の祟りか。はたまた単なる偶然か、朝、男子学生がダウン、昼から女子学生がダウン。これで病人は合計三人にまで膨れあがった。

 残るは三人、最後まで残るのは誰か、等というくだらない順番当て競争が始まりつつある。異国の地での健康管理は本当に難しい。


(ようやく綺麗になった調査前の現場です(南から)。向こう側の屋根の下になっているのがD2区です。)

 貴重な戦力を二人も裂かれる中、午後にはようやく西側壁面の断面実測図を開始することになった。ここで問題となったのがいったいどの層が連続した意図の下に形成されたのかという問題である。前回報告したように池状遺構は二段階に分けて埋め立ってられたことが確実になってきた。ところがその第1段階目がどこで終わっているかについての判断を鈍らせる土層が北端部にあるのである。この判断の違いによっては2段階目の造成時期が相当異なることになる。


(東側の断面にもやはり海抜7mの位置で真っ直ぐ伸びる地層のラインが見えつつあります。西側の断面と連続します。)

 もちろんこれまでの調査自体が余りこの遺跡の破壊状況について注目してこなかった形跡があるので、我々のために遺されている地層がほんのわずかであるという問題がある。しかし当然のことながら新しい遺構がどこまで古い遺構群を破壊しているかを明確にしておかなければ発掘調査などできるはずがないので、やむなくその判断に全力を傾けているのである。明日4日目には、反対側に遺されている断面がようやく新鮮面を出す予定である。これとの総合的判断で、この問題に決着を付けいよいよ本格的に平面調査にはいる。

 今日4日目はその調査直前状況の写真撮影も行ったところである。

 ところで私達の調査区の直ぐ南隣は新国会議事堂建設予定地である。既に既存施設は除去され、整地されて発掘調査の開始を待つばかりである。そんな調査地のど真ん中に忽然と祭壇が現れた。


(新国会議事堂の建設予定地で始まった地鎮祭の跡。)
 果物、鶏肉、穀物、酒、酢?水?等の食材の他に、バラの花やお菓子が供えられ、模造のお金が大量に置かれている。もちろん線香と蝋燭が絶やされることはなく、仏教色の濃い祭壇となっている。その端に置かれていた馬の模型は色紙で飾られ、異界を結ぶ役目を担っているようだ。

 この光景を見てすぐさま思い出したのが2003年中国東龍山漢墓で発掘調査をやったときのことである。墳丘の前に置かれた祭壇には今回と同じ様々な食材が並べられ、線香が焚かれていた。地元の名士と共に私も拝まされ、調査の無事を祈ったものである。今回と異なるのは、拝礼が終わると共に爆竹が鳴らされ、生きた鶏が持ち出され、その生き血が四周に撒かれたことであろう。さすがに犠牲の国である。日本ではもっとも忌み嫌う血を敢えてこの儀式の場に持ち出すのである。

 ヴェトナムではその中間なのだろうか?少なくとも犠牲は捧げられなかったようである。儀礼終了後、貨幣や馬のミニチュアは燃やされたことは言うまでもない。

 現代に生きる地鎮の実体を見ることができた貴重な一日でもあった。果たしてどんな遺跡がこの地から姿を現すのか楽しみではあるのだが・・・

 ところで、その夕刻に大事件!が起こった?

 ナナナント、体調不良で意識朦朧となさっていたのか、彼の大根嫌い教の教祖様山田博士が、こともあろうにその最も大事な戒律である

「大根を食べない」

を自ら破り、ヴェトナムの大根をお召し上がりになったのである。その事実を突きつけられ、狼狽した教祖様は、

「イヤ、あの、あ、大根に見えなかったのだ」とか「やはり大根ではないのではないか」とか見苦しい言い訳をすのである。

 そこでもちろん私は宣言したのである。

 「本日をもちまして山田大根嫌い教は解体されました!!信者の皆様(どこにもいないが・・・)、どうかご信心を変更下さい。世界の大根栽培農家のためにも、こぞって健康にいい、大根を食べましょう!」と。

 2008年2月25日19時5分34秒はこの世から大根嫌い教が消滅した記念すべき日となりました。記録に留めておきたく思います。

 異国の地の地鎮祭とても興味深いねと思ったらもよろしくね

 

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