毎年この時期に開催している三重大学、奈良女子大学、京都府立大学三校の考古学研究室の学生による一年間の研究成果の発表会が奈良女子大学で行われた。
かつて奈良女子大学に赴任された私の尊敬する広瀬和雄さんと二人で、「田舎」に閉じこもりがちな二校の学生を刺激するために交流会をしようや、と言うことで始まったこの企画。途中から京都府立大学も加わって三校交流会となった。もう15年になる。
今年は奈良女子大学が開催校で、秋深まる奈良のキャンパスに伺った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/29/d98a00ae2264a8ff8965c6ceb4f3ca00.jpg)
今年の発表は
1 奈良女子大学「古墳時代後期を中心とした金銅装馬具に反映された階層性-鏡板を中心として-」
馬具という古墳時代研究の中核的資料の研究成果であるが、まだ研究史の段階のように感じた。「階層差」という言葉の定義も曖昧なようで、まず、自分の手で資料を集めないと、このような大きなテーマに新たな成果を出すのはとても難しいだろう。それにしても、研究者の中で、物集女車塚古墳の資料が結構いい加減に扱われているらしいことを知ってがっかりした。研究史を徹底することは大事だが、たいしたこともない研究まで取り上げると方向性を見失うのではないかと心配になった。
2 三重大学「奈良・平安時代の斎王制度の違い」
私の指導が悪いのだろう。このタイトルからしてとてもまともではない。タイトルほど中身を象徴するものはないからである。さらに問題なのは、せっかくの斎宮の考古資料が全く利用されていなかったことである。文献史料にみる制度の画期を朝原斎王、布勢斎王に見いだしながら、遺跡の変化とどう対応するのかを検討できないようでは困ったものである。所詮文献からの分厚い研究成果に現状での研究史の把握状況ではとても追いつかないからである。救いは、「視点」であろうか。これまでの斎宮の固定観念を一端横に置いて、素直に史料を集めるとどんな姿が見えてくるのか?疑ってかかることの無かった『延喜式』の世界が本当に奈良時代に制度化されていたと言えるのか?こういうスタンスでの研究はあまりなかったと思う。
そこでまず、正史を中心とした確実な史料に制度に関する事項はどれほど記されているのか、その実態はどうだったのか、「制度」に従って斎王は行動していると言えるのか、こうした課題設定の下、史料から言えることを整理した点は少し光が見えるような気がする。卒論まであと2ヶ月半、こうした文献史料の「実態」は遺跡にどの様に姿を落としているのか。後わずかに迫った卒論提出日まで、どこまで詰め切れるのかが課題であろう。
3 京都府立大学「土師器甕と人面墨書土器について」
甕の製作技法の変遷の中に人面土器の技法との共通性を見いだそうとするものだった。口縁端部の微妙な「成形」の痕跡や体部内外面の調整の差異を根拠に人面土器成立の背景を探ろうとするものであった。ただ、余り変化の差異を見いだしにくい部位の調整や成形の痕跡を根拠に、煮炊具と祭祀具を同列に比較できるのか?考古学が陥りがちな技術論に偏りすぎてその歴史的背景や社会的位置づけを忘れて分析する点に危惧を抱いた。技術的な同系統が言えるとするなら、土器生産体制の再編などより幅広い土器製作の様相を検討した上でないとなかなか課題に迫ることは難しいのではないかと感じた。
この三題だった。
正直言ってどれも余り面白くなかった。
三校交流会は毎年どんどんレベルが下がっているような気がする。
これまでは、大体毎年三重大学の学生が置いて行かれる傾向にあったのだが、ここのところ、そうでもないのである。これが、内の学生のレベルが上がってその差が接近してきたというなら嬉しいのだが、どうもそうではなさそうである。低いところで争うような感じなのである。「田舎者」が傷口をなめ合ってよどんでいるような感じなのである。
今年の場合、敢えて言えば、珍しく内の学生の発表方法はそれなりに丁寧で、わかりやすく(といっても後の宴会の話では古代の発表はさっぱり判らなかったという。相変わらず考古学は古代-文献史料-が苦手なようだ。寂しい!!),期待していなかった割にはうまくできたと思う。もちろん内容はまだまだなのだが。
これに対し他の発表は、発表方法も、発表内容も、ちょっと・・・という感じであった。
聴衆として参加した学生の対応も今年は少し差ができていた。積極的に質問したある大学の学生がいたのに対し、ほとんど発言しない大学の学生もいるという実情は、今後の研究室を占う上で危機的であった。
果たして三重大学の学生が何を感じたのか、来週聞いてみようと思っている。
今後続けるべきかどうかも含め、そろそろ再編を検討すべき時期かもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/29/dd8595fa0978482020f8801ca31210dd.jpg)
偏差値にそれほどの差のない学生達である。結局は大学に入ってからの「教育」の差異が現れている用に感じる今日この頃である。国公立大学という伝統にあぐらはかいておれなさそうである。もちろん我が三重大学の教育方針も、もう一度原点に立ち返て見直さねばならないのだが・・・。
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かつて奈良女子大学に赴任された私の尊敬する広瀬和雄さんと二人で、「田舎」に閉じこもりがちな二校の学生を刺激するために交流会をしようや、と言うことで始まったこの企画。途中から京都府立大学も加わって三校交流会となった。もう15年になる。
今年は奈良女子大学が開催校で、秋深まる奈良のキャンパスに伺った。
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今年の発表は
1 奈良女子大学「古墳時代後期を中心とした金銅装馬具に反映された階層性-鏡板を中心として-」
馬具という古墳時代研究の中核的資料の研究成果であるが、まだ研究史の段階のように感じた。「階層差」という言葉の定義も曖昧なようで、まず、自分の手で資料を集めないと、このような大きなテーマに新たな成果を出すのはとても難しいだろう。それにしても、研究者の中で、物集女車塚古墳の資料が結構いい加減に扱われているらしいことを知ってがっかりした。研究史を徹底することは大事だが、たいしたこともない研究まで取り上げると方向性を見失うのではないかと心配になった。
2 三重大学「奈良・平安時代の斎王制度の違い」
私の指導が悪いのだろう。このタイトルからしてとてもまともではない。タイトルほど中身を象徴するものはないからである。さらに問題なのは、せっかくの斎宮の考古資料が全く利用されていなかったことである。文献史料にみる制度の画期を朝原斎王、布勢斎王に見いだしながら、遺跡の変化とどう対応するのかを検討できないようでは困ったものである。所詮文献からの分厚い研究成果に現状での研究史の把握状況ではとても追いつかないからである。救いは、「視点」であろうか。これまでの斎宮の固定観念を一端横に置いて、素直に史料を集めるとどんな姿が見えてくるのか?疑ってかかることの無かった『延喜式』の世界が本当に奈良時代に制度化されていたと言えるのか?こういうスタンスでの研究はあまりなかったと思う。
そこでまず、正史を中心とした確実な史料に制度に関する事項はどれほど記されているのか、その実態はどうだったのか、「制度」に従って斎王は行動していると言えるのか、こうした課題設定の下、史料から言えることを整理した点は少し光が見えるような気がする。卒論まであと2ヶ月半、こうした文献史料の「実態」は遺跡にどの様に姿を落としているのか。後わずかに迫った卒論提出日まで、どこまで詰め切れるのかが課題であろう。
3 京都府立大学「土師器甕と人面墨書土器について」
甕の製作技法の変遷の中に人面土器の技法との共通性を見いだそうとするものだった。口縁端部の微妙な「成形」の痕跡や体部内外面の調整の差異を根拠に人面土器成立の背景を探ろうとするものであった。ただ、余り変化の差異を見いだしにくい部位の調整や成形の痕跡を根拠に、煮炊具と祭祀具を同列に比較できるのか?考古学が陥りがちな技術論に偏りすぎてその歴史的背景や社会的位置づけを忘れて分析する点に危惧を抱いた。技術的な同系統が言えるとするなら、土器生産体制の再編などより幅広い土器製作の様相を検討した上でないとなかなか課題に迫ることは難しいのではないかと感じた。
この三題だった。
正直言ってどれも余り面白くなかった。
三校交流会は毎年どんどんレベルが下がっているような気がする。
これまでは、大体毎年三重大学の学生が置いて行かれる傾向にあったのだが、ここのところ、そうでもないのである。これが、内の学生のレベルが上がってその差が接近してきたというなら嬉しいのだが、どうもそうではなさそうである。低いところで争うような感じなのである。「田舎者」が傷口をなめ合ってよどんでいるような感じなのである。
今年の場合、敢えて言えば、珍しく内の学生の発表方法はそれなりに丁寧で、わかりやすく(といっても後の宴会の話では古代の発表はさっぱり判らなかったという。相変わらず考古学は古代-文献史料-が苦手なようだ。寂しい!!),期待していなかった割にはうまくできたと思う。もちろん内容はまだまだなのだが。
これに対し他の発表は、発表方法も、発表内容も、ちょっと・・・という感じであった。
聴衆として参加した学生の対応も今年は少し差ができていた。積極的に質問したある大学の学生がいたのに対し、ほとんど発言しない大学の学生もいるという実情は、今後の研究室を占う上で危機的であった。
果たして三重大学の学生が何を感じたのか、来週聞いてみようと思っている。
今後続けるべきかどうかも含め、そろそろ再編を検討すべき時期かもしれない。
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偏差値にそれほどの差のない学生達である。結局は大学に入ってからの「教育」の差異が現れている用に感じる今日この頃である。国公立大学という伝統にあぐらはかいておれなさそうである。もちろん我が三重大学の教育方針も、もう一度原点に立ち返て見直さねばならないのだが・・・。
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