yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

三校交流会開催の条

2012-11-12 18:04:04 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 毎年この時期に開催している三重大学、奈良女子大学、京都府立大学三校の考古学研究室の学生による一年間の研究成果の発表会が奈良女子大学で行われた。

 かつて奈良女子大学に赴任された私の尊敬する広瀬和雄さんと二人で、「田舎」に閉じこもりがちな二校の学生を刺激するために交流会をしようや、と言うことで始まったこの企画。途中から京都府立大学も加わって三校交流会となった。もう15年になる。

 今年は奈良女子大学が開催校で、秋深まる奈良のキャンパスに伺った。




 今年の発表は

 1 奈良女子大学「古墳時代後期を中心とした金銅装馬具に反映された階層性-鏡板を中心として-」
 馬具という古墳時代研究の中核的資料の研究成果であるが、まだ研究史の段階のように感じた。「階層差」という言葉の定義も曖昧なようで、まず、自分の手で資料を集めないと、このような大きなテーマに新たな成果を出すのはとても難しいだろう。それにしても、研究者の中で、物集女車塚古墳の資料が結構いい加減に扱われているらしいことを知ってがっかりした。研究史を徹底することは大事だが、たいしたこともない研究まで取り上げると方向性を見失うのではないかと心配になった。


 2 三重大学「奈良・平安時代の斎王制度の違い」
 
 私の指導が悪いのだろう。このタイトルからしてとてもまともではない。タイトルほど中身を象徴するものはないからである。さらに問題なのは、せっかくの斎宮の考古資料が全く利用されていなかったことである。文献史料にみる制度の画期を朝原斎王、布勢斎王に見いだしながら、遺跡の変化とどう対応するのかを検討できないようでは困ったものである。所詮文献からの分厚い研究成果に現状での研究史の把握状況ではとても追いつかないからである。救いは、「視点」であろうか。これまでの斎宮の固定観念を一端横に置いて、素直に史料を集めるとどんな姿が見えてくるのか?疑ってかかることの無かった『延喜式』の世界が本当に奈良時代に制度化されていたと言えるのか?こういうスタンスでの研究はあまりなかったと思う。
 そこでまず、正史を中心とした確実な史料に制度に関する事項はどれほど記されているのか、その実態はどうだったのか、「制度」に従って斎王は行動していると言えるのか、こうした課題設定の下、史料から言えることを整理した点は少し光が見えるような気がする。卒論まであと2ヶ月半、こうした文献史料の「実態」は遺跡にどの様に姿を落としているのか。後わずかに迫った卒論提出日まで、どこまで詰め切れるのかが課題であろう。

 3 京都府立大学「土師器甕と人面墨書土器について」

 甕の製作技法の変遷の中に人面土器の技法との共通性を見いだそうとするものだった。口縁端部の微妙な「成形」の痕跡や体部内外面の調整の差異を根拠に人面土器成立の背景を探ろうとするものであった。ただ、余り変化の差異を見いだしにくい部位の調整や成形の痕跡を根拠に、煮炊具と祭祀具を同列に比較できるのか?考古学が陥りがちな技術論に偏りすぎてその歴史的背景や社会的位置づけを忘れて分析する点に危惧を抱いた。技術的な同系統が言えるとするなら、土器生産体制の再編などより幅広い土器製作の様相を検討した上でないとなかなか課題に迫ることは難しいのではないかと感じた。

この三題だった。

 正直言ってどれも余り面白くなかった。

 三校交流会は毎年どんどんレベルが下がっているような気がする。
 これまでは、大体毎年三重大学の学生が置いて行かれる傾向にあったのだが、ここのところ、そうでもないのである。これが、内の学生のレベルが上がってその差が接近してきたというなら嬉しいのだが、どうもそうではなさそうである。低いところで争うような感じなのである。「田舎者」が傷口をなめ合ってよどんでいるような感じなのである。

 今年の場合、敢えて言えば、珍しく内の学生の発表方法はそれなりに丁寧で、わかりやすく(といっても後の宴会の話では古代の発表はさっぱり判らなかったという。相変わらず考古学は古代-文献史料-が苦手なようだ。寂しい!!),期待していなかった割にはうまくできたと思う。もちろん内容はまだまだなのだが。

 これに対し他の発表は、発表方法も、発表内容も、ちょっと・・・という感じであった。

 聴衆として参加した学生の対応も今年は少し差ができていた。積極的に質問したある大学の学生がいたのに対し、ほとんど発言しない大学の学生もいるという実情は、今後の研究室を占う上で危機的であった。

 果たして三重大学の学生が何を感じたのか、来週聞いてみようと思っている。

 今後続けるべきかどうかも含め、そろそろ再編を検討すべき時期かもしれない。



 偏差値にそれほどの差のない学生達である。結局は大学に入ってからの「教育」の差異が現れている用に感じる今日この頃である。国公立大学という伝統にあぐらはかいておれなさそうである。もちろん我が三重大学の教育方針も、もう一度原点に立ち返て見直さねばならないのだが・・・。


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薬師寺発掘現場と正倉院展の条

2012-11-11 10:57:14 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 大学校内の発掘調査はそれなりに順調に進んでいる。詳細は後日報告するとして、今日はその合間を縫って行った正倉院展の見学と薬師寺の発掘調査現場を紹介することとしよう。

 正倉院展は毎年研究室の学生と見学することにしている。今回も授業で興味のある学生を募り、17人で秋深まる奈良へ向かった。


薬師寺金堂前にて

 毎年正倉院展の後に奈良市内の発掘現場をお訪ねし、学生に生の優れた調査現場を見せるのが恒例であるが、今回は、事前に奈文研に聞くと薬師寺で現場をやっているという。学生に聞くと大半が薬師寺そのものにも行ったことがないというので、併せて見学することにした。


意外に攪乱の多い現場だった。

 

 今年の調査地は大講堂の北に位置する食堂跡であった。



 予想外に大きな攪乱がたくさん入っており、由緒ある古代寺院の跡とは思えない攪乱状況であった。さらに説明いただいた現場の担当者である石田氏の話によると、食堂の位置は当時から余り土地条件のよくない湧水の激しいところであり、食堂が損壊した後寺内の水田になっていたとかで、北半部は大きくえぐり取られていた。

 また、40余年前に杉山信三氏により一部発掘調査が行われており、その当時のトレンチ跡などもあり、学生にはかなり判断の難しい現場となっていた。

 その中で、南面に残されていた地福石(現場では延石かもしれないとの意見も聞かれた。確かにかなり幅の狭い凝灰岩が敷かれていた)は大変興味深かった。ちょうど階段部分を見せていただくことができ、階段の出に合わせて南へ飛び出した地福石の様子は、かつて長岡宮西第三道跡で検出したそれとそっくりで(実は長岡宮の「地覆石」も薬師寺のものと同じく幅の狭い「延石」風だったので,先の疑問にも即座に答えられなかったのである。もちろん長岡宮のそれは難波宮からの移転の産物だから地覆石が失われ、延石が地覆石として使用されたと考えれば説明が付くのだが、薬師寺が似ているというのはどう説明すればいいのだろうか?等と思案していたからである。)、ひょっとして、薬師寺の食堂が本薬師寺からの移転によるのかもしれない,等と妄想していたのである。




 さらにもう一つ面白かったのが、地盤の悪さに伴う補強の様子である。整地をした後、表面に瓦を敷いたというのである。この様子も、長岡宮朝堂院西第四堂跡のそれと似ており、この点も懐かしく観察できた。



 大変丁寧に1時間にもわたって説明して頂いた。果たしてどれだけ学生が理解したのか、甚だ疑問であったが、現場を後にし、薬師寺境内を見学した後、周辺を歩き、唐招提寺まで行って正倉院展に向かった。



 さて、正倉院展は、今年で64回目だという(私の歳と同じなのである!!)。、今年のウリは、公式サイトによると、まず特筆されるのが聖武天皇ゆかりの北倉の宝物が多数出陳されるていることらしい。分けても、紫檀の黒い地に螺鈿の白さが映える螺鈿紫檀琵琶とこれに附属する紅牙撥鏤撥は、華麗な天平時代の宮廷生活を想像させるのに充分な美しさと品格を兼ね備えているという。





これら楽器や双六板など娯楽に関する宝物が今回の中心資料でもあるらしい。

 また木画紫檀双六局をはじめ双六の駒や賽子等がまとめて出陳され、音楽とあわせて宮廷での遊びや楽しみの世界が展示室に甦るというのも珍しい。事前にNHKの日曜美術館ではその復元された楽器を奏でるグループの姿が紹介されていた。


双六板についてはその造り方などとても興味深かったのだが、これよりも、この板を入れた容器の方が興味深かった。

 次いで注目されるのは1994年以来18年ぶりの出陳となる瑠璃坏らしい。コバルトブルーのうっとりするような輝きやワイングラスを思わせる器形は、シルクロードの果てにある遠い異国を想い起こさせます。碧瑠璃小尺・黄瑠璃小尺のようなガラスを使ったアクセサリーやガラスの原料となった丹、同じ素材を釉薬に用いる磁瓶などとともに古代ガラスの世界に浸ってほしいともいう。

 私がもっとも注目したのはもちろん!ガラスである。


列の規制があり、並ぶと30分待ちだという。残念ながら直ぐ側ではみられなかった。しかし意外と色がネットなどで紹介されているほどクリアーではなかった。

 展覧会場に行って初めて気付いたのが鏡を入れた容器に付いていた鍵だった。

毎回こうした容器に付いている鍵に注目しているのだが、今回は展覧会場に行って初めて気付いた。特にこうした鏡箱に付いているタイプは珍しい。牝鍵の彫金は非常に細かいもので細工のすばらしさは言うまでもない。

 そのほか、現在分析中の玉滝杣に関する文書が出ていたのも感激であった。

 学生の帰り時間もあるので、2時間弱しかみられなかったのが残念だったが、十分に楽しめた今年の展示であった。



 瑠璃杯と呼ばれる深いコバルトブルーの「ワイングラス」である。外面に丸いガラスの円環を22個付けている点も特徴だという。外面を円形に削り取ったタイプは国内の古墳からも稀に出土することがあり、このようなスタイルで、深い青色に神秘的な雰囲気を醸す杯は珍宝として親しまれていたらしい。


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クタクタで体は動かないし、頸は回らないし・・・の条

2012-11-04 15:18:11 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 疲れてます!!

 三重大学校内の鬼が塩屋遺跡の調査を始めてはや2週間が過ぎました。この間同じ遺跡内で行われた津市教育委員会による大学病院の建設に伴う試掘調査にもつきあい(まともに調査できない調査員が来るので、仕方なく自分でスコップを持って掘らないといけないのです)、もちろん合間には授業をやっていたので、ほとんど頭も身体も限界状態です。昔の歌に月月火水木金金というのがありましたが、まさにそれに近い状態です。30年前にはそれに近いことも数年ありましたが、さすがに大学に来てからはそんな状態はなくなっていました。



津市教育委員会の調査地。ナナなんと海抜-3mまで掘ってみました。現在の海岸線からわずか300mの地点にあるこの位置で耕作土の地層面の海抜が海抜-1mなのです。おかしいのですが、時間をかけて広い範囲を掘れなかったので詳細は闇の中です。なぜこれだけの面積の開発が小さな試掘なのですか??信じられません。それも小さな試掘で終わろうとする!半世紀前の行政です。

 3月に定年を迎え、4月から特任になって、教授会にも出なくていいし、きっと少しは楽な日常が戻ってくるのでは・・・、と期待していたのは甘かったようです。

 特に4月の友人の旅立ちや自らの体調不良が体力に負担をかけたのかもしれません。肉体的にはえらく血圧が高いのもこの不調に関係があるのかもしれないのですが、本当のところは不明です。要するに加齢でしょうか。ここのところ気力がないのです。というより気力が長続きしないのであります。


四月にはこの病棟の10階にいたとは信じられない!!手前が大学病院診察棟建設の現場。

 そんなところへ秋になってから、「発掘」!!


とっても生き生きと現場作業をしてくれている我がけんきゅうしつの学生達。


最初はトータルステーションを立てるのに30分以上かかっていた学生も今や5分で立てられるように。素晴らしい!!


いろんな授業で学生達に現場を見てもらうと反応が変わってきた。

 発掘自体は楽しいのですよ。たった2×5m程度の狭い現場なのです。久しぶりに学生達に指導しながら発掘する楽しさは格別のものがあります。特に学生達の目の色が違うのがとても嬉しいのです。

「やっぱり現場やな!!」

こんなことを実感しています。


私たちの小さな発掘現場では新しい事実も明らかになりつつあります。どうも、近代の地層が乱れているのです。下層の液状化ほどではないのですが、・・・。1944年昭和東南海地震の痕跡でしょうか。


液状化の可能性の出てきた現場。毎日この現場と教室を行ったり来たりしています。


右手が図書館(改修中)、手前ができたての環境情報科学館、向日の白い建物が人文学部。人文学部の裏がグランドで、その先が海!!

 でも、肉体もそろそろ限界のようです。京都から通学していることも負担なのかもしれません。現場が終わると原稿を書く気力も書類を片付ける気力も起こらないのです。ぐずぐずしている内に時間が経ち、仕方なく授業や講演会の準備をする。でも、論文の原稿だけが進まないのです。だから、とっても大切な論文を二本(2冊)も流してしまいました。

 昨夜は現場が終わり京都に帰り、優勝して当たり前の巨人の今年最後の試合を見て、風呂にも入らずに寝てしまったのです。今日は久しぶりの日曜日なのですが、やらなければいけない仕事をすることもなく、上原ひろみのジャズピアノを聞いたり、井上陽水のCDを何となく聞きながらコーヒーを飲んでいるだけで今になってしまいました。

 そうなんです。最近は上原ひろみが気に入ってCDを何枚も買って聞いているのです。ジャズピアノはそんなに好きではなかったのですが、何となく気に入って、・・・。

 そんなわけで、中断している河西回廊の報告もしなければならないのですが、なかなかパソコンに向かう気力が起こらないので中断したままです。

 もちろん世の中のくだらない動きもこの無気力に輪をかけているのでしょうね。

 そういえば田中真紀子が久しぶりに話題になっていますが、どうも私に理解できないのは、不認可になった大学の学生が可愛そう!という論調で田中を非難していることです。そもそも認可が下りもしない内から学生を募集することが当たり前になっているところに、政治主導とは全く無縁な官僚による実効支配が進んでいることに驚かされるのです。そのような無責任な募集?進路指導?を行った大学こそ非難されるべきではないのですか?

 あれだけ規則、規則と自分たちの気にくわない政治家や学者が少し外れた行動をとると針小棒大に批判するくせに、逆の場合はその規則を無視して「同情論」に走る。気に入らない奴が言うと、指導力がない!!といって批判
し、指導力を発揮すると「勝手だ!」と非難する。こんなむちゃくちゃなマスコミこそ非難されるべきではないのでしょうか。

 不認可になった大学の実態を私はよく知りませんが、今の大学は酷すぎます。私もいくつも非常勤で周辺部の私立大学に講師としていきましたが、その能力たるや私たちの時代の高校生以下です!!

 例えば春先、最初の授業で、学生達がどれだけの知識があるのかを知るために簡単なアンケートを採ります。

 次の語句を説明しなさい。

 東大寺 平安京 銅鐸 縄文時代 前方後円墳 聖武天皇 大化の改新 源頼朝 ・・・・

 大体こんな感じのものを20問ほど尋ねるのです。一言も書けない学生が半数以上いる大学がたくさんあるのです。酷いところでは半数以上が外国人「留学生」で、そもそもこの質問の意味すら理解していないのです。もっともこんな「大学」では受講している日本人の学生は,答えられないだけでなくたいてい寝ているのです。

 こんな「大学」を設置審が「認可」しているのです。田中氏が批判することのどこがおかしいのか、私にはさっぱり判りません。高崎の堀越学園だけではない!!といっていますが、その通りです。一度作ったものはそれこそ「学生が可愛そう」といってほとんど廃校にすることができません。

 私は今回の田中氏の決断は久しぶりの快挙だと思っています。いやちょっと褒めすぎかもしれません。これくらいのこと当たり前にする政権として民主党に期待した人が多かったと思うのです。約束もしていない消費税を導入する決断??は批判するでも、支持するでもなく曖昧にし、こんなことになると目くじらを立てる。ホント、今のマスコミは腐っています。

 これも私の気力を奪っている大きな原因です。こんな社会で長生きして何になるのか?論文をたくさん残してどうなるというのか?虚しい!!

 さっさとあちらの世界にいけるものなら行きたいと思う今日この頃です。

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