yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

春休み!!の条

2012-02-13 12:13:38 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 ようやく一年間の授業が終わりました。試験も、採点もすべて終わり、大学の監督業務等々一連の公務もおわり、やっと自由の身であります。

 もちろんこの時こそと、あちこちから会議の予定などが入ってくるのですが、それは苦にはなりません。

 春休み行事の第一弾として実施した第23回壬申の乱ウオークは大盛況の家に終了しました。バス参加者100名、現地参加者9名の109名でした。山城資料館を皮切りに恭仁京跡→高麗寺跡→蟹満寺→井手寺跡を回りました。皆さんさすがに熱心で、飛んでくる質問がとても専門的。そんなのに答えているとあっという間に時間が過ぎ、次の遺跡へと移らねばなりません。

恭仁宮跡へは昨年来たばかりなのですが、そのときはなかった駐車場ができていてびっくりしました。井手寺跡は発掘調査がされたときに現場に来たことがあるのですが、今回その後初めて現地に立ちました。調査原因は道路の拡張工事だったのですが、その道路が完成し、調査現場は遺跡の下になっていましたが、歩道の舗装に柱の位置が記されていたのでした。

山城郷土資料館では旧知のHSさんに久しぶり(15年ぶりかな)に会いました。何でもこれまで京都府下の保存処理を一手に引き受けてきた彼が定年になるともう京都府では保存処理をしない!とか。せっかくの設備があるというのに、本当に行政というのは無駄!の山ですね。仕方ないので、彼は退職金をつぎ込んで保存処理施設を自宅に置き、何とか需要に応えようとすると言う。ホント情けないことです。

実はここ数日風邪を引いていて、とてもしんどかったのです。しかし、壬申の乱ウオークは私が行かないとできない事業。這ってでも行かねばならないと、何年ぶりだろうか、おそらく20年ぶりくらいで風邪薬を買って飲みました。お蔭で風邪はそれなりに持ちこたえられたのですが、胃が重くて、未だにおなかがいやな雰囲気です。

その前日には三重県の埋蔵文化財担当者会議で昨年行った鬼が塩屋遺跡の調査成果と今後の課題についてお話をさせて頂きました。たった9平方メートルの発掘ですから、それに30分頂くのは申し訳なかったのですが、ま、それなりに興味を抱いて頂いたのではないかと思っております。ただ、残念だったのは、一部の発表がだらだらと時間ばかりとってまとまりのないものだったことでした。もっと手短にまとめとけよ!!といいたくなりました。おそらくそんな実情を知ってか、市町村の職員が半分も来ていな買ったように見えました。不幸なことです。行政発掘がもう破綻して来つつある確実な証拠でしょうか。

特にひどかったのは県の担当者の報告(個人を批評するとまたどこかから矢が飛んできそうですが、ちょっとひどすぎたので)。若者?らしく元気で、文献史学の研究にまで踏み込んで報告する姿はなかなかよかったのです。しかし、話が進むうちに化けの皮がはげて、あまりの勉強不足、思いつき的「考証」が相次いで、がっかりしました。後の質問で県のHHさんが柔らかく批判なさったのでまだよかったのですが、あのまま誰も質問せずに帰ったとしたらとんでもないことになったことでしょう。それも予定の時間を15分もオーバーしてだらだらというのに至っては噴飯者でした。うちの学生でももう少しまともにミヤケ制を知っていますよ。もう少しきちんと勉強してから発表してね!!

壬申の乱ウオーク、次回は5月、宇陀辺りに行こうかと思っている。壬申の乱ウオーク一度参加してみようかなと思う人はこいつをポチッと押して下さいね→人気ブログランキングへ

のらりくらりのブログの条

2012-02-07 08:44:55 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 新年を迎えてもなかなかブログに向かわない私です。

 このまま止めたら、という意見や、もっと書けよという意見が錯綜していて、このことものらりくらりの原因です。その一方で少しだけFacebook に浮気してみたり、なかなか定まらない毎日です。

 ま、どっちでもいいのですが、適当なときに適当に書く習慣が身につきつつあり、どうもこのままのらりくらりとなりそうな予感がしています(笑)。

 さて近況は、今日が最後の試験で本年度の授業関係が終わります。マ、これで一息です。しかしこの一ヶ月とても尋常な毎日ではありませんでした。大学院入試問題が一番のネックでした。入試の問題を作ることではなく、入学者定員をいかに確保するかという問題なので、私が悩んでもどうしようもないのですが、人文社会科学研究科、強いては人文学部の存亡に関わることなので、とても神経を使いました。

 それも何とか無事試験が終わり、間もなく結果が出るので、私のお役はご免!となりホッとしました。

 ところがこの間、私の尊敬すべき先輩広瀬和雄さんの奥様がお亡くなりになるというショッキングなニュースが入ってき、心を痛めました。普通は研究者の奥様というのはほとんど存じ上げないのですが、広瀬さんの奥様とはあちこちでお目にかかると共に、ご自宅に何度かお邪魔し、気軽に雑談をさせて頂くこともあっただけにとてもショックでした。まだ59歳というお若さでした。とにかく気さくな方で、関西弁丸出しの、明るい素敵な奥様でした。広瀬さん自身もことある毎に奥様のことをお話になり、歴博へ単身赴任されたときも、「うちの奥さんはなー、人の面倒見るのが好きで、町内の役やら京都市の仕事やらでなんかいっぱいやってるんや、そやから千葉には来てもらえへんのや。」「僕はカードも使ったことないし、食事も作ったことない。風呂の沸かし方もわからのや、だから大変なんや。」とも仰っていた。奥様なしでは十分な生活もできないくらい頼り切られていたのだ。

 その奥様が突然亡くなられて、ご葬儀に参らせて頂いたときの喪主の憔悴しきった姿は、これまでのどんな葬儀でも見かけることのなかったものだった。本当におつらいのだと言うこと参列者のみんなに伝わった心温まるご葬儀でもあった。

 その他卒論提出、修論提出と、例年のドタバタがあり、ようやく今日の試験で今年度の基本公務が終わるので一息ついているところなのである。

 そこで何か書こうかなと思って立ち上げたのですが、写真をアップするのは「面倒」なので結局お知らせとなりました。

 2月11日(土)第24回壬申の乱ウオーク~恭仁京を巡る~開催 のご案内です。

 壬申の乱ウオークと言っても実際には聖武天皇関東行幸の道を歩くことを兼ねている行事なのだが、今回は聖武の二ヶ月に及ぶ行幸の到達点恭仁京を巡ることにした。四日市を出発して西名阪から先ず山城郷土資料館を訪問する。資料館では事前に京都府のMさんにお世話になり、コースの選択や道順など詳しくご指導頂いた。感謝!四日市からはバス二台で行き、既にバスの予約は満席で、我々学生ボランテアは助手席と相成った。

 現地へ直接来られる方(山城郷土資料館11時集合。今からでも現地集合なら大丈夫ですよ)もいらっしゃって、総勢107名の大所帯となった。

 12時に恭仁宮跡へ参り、そこで説明しながらお昼。13時15分に高麗寺跡へ移動。14時蟹満寺、15時30分井手寺跡を見学して帰る予定である。
 
 ちょっと狭い道もあるのだが、いつもの通り「考える会」の方々が事前に十分下見をなさっていて、問題なし!ということになった。現地集合なら大丈夫ですので、どうぞご参加下さい。

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