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昨日は予定通り朝から晩まで私のところに所属する学生達1人1人と話をした。3年生から院生までの11人。途中来客もあり、終わったのは夜の9時。
でも終わった時には爽快な気分になった。学生達がこんなにも真剣にこの一ヶ月の激動を受け止めてくれていたのだと。
本当に苦しい2・3月だった。限られた人数で、雨の日も風の日も、時には吹雪の中で、後何カ所と絶望的な気分で残った土地の広大なことに思い責務を感じさせられながら、ただひたすら大地に落ちている小さなかけらを求めてを歩く。「現場」が終わると夜は整理。休みもなく毎日毎日これを繰り返す。精神的にも肉体的にも極限に近づいていた。
こんなはずではなかったのだが、予定というのは狂うものだ。誰のせいでもない。いろんな事が悪い時には重なるものだ。病に倒れるもの、試験を受けに行くもの、クラブの行事に出かけるもの、そして予想外の大雪・・・等々。そのいずれをも想定しておかなかった私の「想定外」が第一の原因であるのだが、そんな人ごとではなく、自らの問題として、自らに必要なものとして、この事態を自らの問題として対応してくれていたことを知った。
確かに「今時の学生達」の気質は私にはよく分からない。その大きな流れが個人主義にあるだろうという見当はつくのだが、しかしこの言葉でも言い表せない何か独自なものがあるような気がしてならなかった。その一部が今回の話の中で少し見えたような気がした。もちろんこれが全ての学生に通用するとも思えない。学生気質などと言っても、これまでだって、バラバラがったに違いなく、所詮大まかな雰囲気的な用語に過ぎない。私達の時代だっていろんな奴はいた。
「分布調査でどんなことを思った?」という私からの問に対して、「自分たちの歩いた古墳が前方後円墳ではないかと思いついて、先生にその旨伝えた時、「そうではないか」と推定の正しさを認めてもらった時はとてもうれしかったです」「先輩が苦しんでいる中で私がこれを全うして助けることができてとても良かったです。勉強にもなりました。初めての経験です。」「日が経つに従っていろんなものを見つけることができ、次第に分布の楽しみ方が分かって、とても勉強になりました。」こんな答えが次々と返ってきた。もちろん教師の前で問われて批判したり、真正直に不満をぶつける人間はいないのかも知れない。そんな答えで安心していられるものか、と言う批判もあるかも知れない。しかし昨日の私はそんな事をみじんも感じなかった。そんな批判は失礼だ!とさえ思った。
学生達はきちんと人間的に成長していたのだ。ある面それは「個人主義」のお陰かも知れない。もしこれまでの私達のような集団を重視する考え方だったとしたら、不満ばかりが溜まって、とっくの昔に集団は壊滅していたかも知れない。先ず自分にとってこの事態は何なのかを考える。その上で自分にとってこの集団の解体が何を意味するのかを考える、そしてどちらも必要なものだという結論に至れば両方を維持するための行動を取る、そんな思考回路なのだろうか(これは私の勝手な推測ですからもちろん大間違いかも知れない)。
だからといって、まさに「個人主義」的に個人だけを中心に集団に与える影響を考えずに行動した仲間を認めるわけではない。明確に彼らの「個人主義」を批判し、彼らに対して堂々と問題点を指摘し、反省を求める。求められた学生もその指摘を真摯に受け止め、素直に謝罪する。後はその個人の行動が言葉の真偽を証明する。
なるほどこうして集団としてのわだかまりを減らし集団を維持していくのか!何となく合点がいった気がした。つまらない集団主義に陥っていた私には実に新鮮に見えた。こんな「仲間」と一緒に考古学を勉強できる私は幸せだとやっと気づいた。
「今頃?」と皮肉が飛んできそうだ。ごめんなさい。
だからこんな素敵な学生達としっかり考古学するために、明後日からの新年度の新しい個別カリキュラムで一緒に勉強していくことにする。
大学院に進学する者、進学はしたいが、家庭の事情でどうなるか分からない者、でもこの勉強は続けたいと思っている者、就職するが考古学は好きな者、考古学が好きかどうか実際のところよく分からないが、でもここで勉強したい者等々、まさに千差万別。こんな学生達をたった一つの袋で一緒にして「今時の学生」としてとらえ、教えよう、勉強しようと思っていたのが間違いだった。いろんな袋を用意することはなかなか言うは易し、行うは堅しだ。4月からどれだけ答えられるか、真剣勝負の開始である。
失格教師の再出発の9年目が間もなく始まる。
(そんなこんなで、あちこちに約束したいろいろな原稿の「最後通告の日」が次々と過ぎていった。愛想を尽かしてお断りの出版社まで出てきてしまいそうだ。本当にごめんなさい。これからとにかく一つ一つ進めていきますから!本当に。きっとこれを密かに読んでおられる出版社の方へ)
山田博士の平安京閑話もよろしく。
昨日は予定通り朝から晩まで私のところに所属する学生達1人1人と話をした。3年生から院生までの11人。途中来客もあり、終わったのは夜の9時。
でも終わった時には爽快な気分になった。学生達がこんなにも真剣にこの一ヶ月の激動を受け止めてくれていたのだと。
本当に苦しい2・3月だった。限られた人数で、雨の日も風の日も、時には吹雪の中で、後何カ所と絶望的な気分で残った土地の広大なことに思い責務を感じさせられながら、ただひたすら大地に落ちている小さなかけらを求めてを歩く。「現場」が終わると夜は整理。休みもなく毎日毎日これを繰り返す。精神的にも肉体的にも極限に近づいていた。
こんなはずではなかったのだが、予定というのは狂うものだ。誰のせいでもない。いろんな事が悪い時には重なるものだ。病に倒れるもの、試験を受けに行くもの、クラブの行事に出かけるもの、そして予想外の大雪・・・等々。そのいずれをも想定しておかなかった私の「想定外」が第一の原因であるのだが、そんな人ごとではなく、自らの問題として、自らに必要なものとして、この事態を自らの問題として対応してくれていたことを知った。
確かに「今時の学生達」の気質は私にはよく分からない。その大きな流れが個人主義にあるだろうという見当はつくのだが、しかしこの言葉でも言い表せない何か独自なものがあるような気がしてならなかった。その一部が今回の話の中で少し見えたような気がした。もちろんこれが全ての学生に通用するとも思えない。学生気質などと言っても、これまでだって、バラバラがったに違いなく、所詮大まかな雰囲気的な用語に過ぎない。私達の時代だっていろんな奴はいた。
「分布調査でどんなことを思った?」という私からの問に対して、「自分たちの歩いた古墳が前方後円墳ではないかと思いついて、先生にその旨伝えた時、「そうではないか」と推定の正しさを認めてもらった時はとてもうれしかったです」「先輩が苦しんでいる中で私がこれを全うして助けることができてとても良かったです。勉強にもなりました。初めての経験です。」「日が経つに従っていろんなものを見つけることができ、次第に分布の楽しみ方が分かって、とても勉強になりました。」こんな答えが次々と返ってきた。もちろん教師の前で問われて批判したり、真正直に不満をぶつける人間はいないのかも知れない。そんな答えで安心していられるものか、と言う批判もあるかも知れない。しかし昨日の私はそんな事をみじんも感じなかった。そんな批判は失礼だ!とさえ思った。
学生達はきちんと人間的に成長していたのだ。ある面それは「個人主義」のお陰かも知れない。もしこれまでの私達のような集団を重視する考え方だったとしたら、不満ばかりが溜まって、とっくの昔に集団は壊滅していたかも知れない。先ず自分にとってこの事態は何なのかを考える。その上で自分にとってこの集団の解体が何を意味するのかを考える、そしてどちらも必要なものだという結論に至れば両方を維持するための行動を取る、そんな思考回路なのだろうか(これは私の勝手な推測ですからもちろん大間違いかも知れない)。
だからといって、まさに「個人主義」的に個人だけを中心に集団に与える影響を考えずに行動した仲間を認めるわけではない。明確に彼らの「個人主義」を批判し、彼らに対して堂々と問題点を指摘し、反省を求める。求められた学生もその指摘を真摯に受け止め、素直に謝罪する。後はその個人の行動が言葉の真偽を証明する。
なるほどこうして集団としてのわだかまりを減らし集団を維持していくのか!何となく合点がいった気がした。つまらない集団主義に陥っていた私には実に新鮮に見えた。こんな「仲間」と一緒に考古学を勉強できる私は幸せだとやっと気づいた。
「今頃?」と皮肉が飛んできそうだ。ごめんなさい。
だからこんな素敵な学生達としっかり考古学するために、明後日からの新年度の新しい個別カリキュラムで一緒に勉強していくことにする。
大学院に進学する者、進学はしたいが、家庭の事情でどうなるか分からない者、でもこの勉強は続けたいと思っている者、就職するが考古学は好きな者、考古学が好きかどうか実際のところよく分からないが、でもここで勉強したい者等々、まさに千差万別。こんな学生達をたった一つの袋で一緒にして「今時の学生」としてとらえ、教えよう、勉強しようと思っていたのが間違いだった。いろんな袋を用意することはなかなか言うは易し、行うは堅しだ。4月からどれだけ答えられるか、真剣勝負の開始である。
失格教師の再出発の9年目が間もなく始まる。
(そんなこんなで、あちこちに約束したいろいろな原稿の「最後通告の日」が次々と過ぎていった。愛想を尽かしてお断りの出版社まで出てきてしまいそうだ。本当にごめんなさい。これからとにかく一つ一つ進めていきますから!本当に。きっとこれを密かに読んでおられる出版社の方へ)
山田博士の平安京閑話もよろしく。