志摩の海女 藻塩焼く絶ゆ 道の壁
(しまのあま もしおやくたゆ みちのかべ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/c2/d12312711d979d2f21a8547e1838dd5a.jpg)
11月28日午前、久留倍官衙遺跡の学術調査現場を見学して、目の前に聳え立つ道路の高架橋に、かつて眼前に広がった伊勢の海の消えたことを悲しんで詠みました。20081128
○ 高架橋 伊勢の荒波 打ち消して
(こうかきょう いせのあらなみ うちけして)
同じく、久留倍遺跡の現地指導に出席して圧倒する高架橋に委員の皆さんが声を失って。20081128
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/1b/391e7ac11a74c0221ddfc065eb07cd74.jpg)
(遺跡には似合わないコンクリートの巨大建造物が林立していた。)
○ 菊の香の 漂う空に 蘇り
(きくのかの ただようそらに よみがえり)
11月19日は妹の誕生日である。生きていたら58歳になる。今頃は今年逝った母と楽しい会話を交わしているに違いない。20081119
○ 新嘗の 日に蘇り 涙する
(にひなめの ひによみがえり なみだする)
206年11月23日私の大恩人である高橋美久二さんが亡くなられた。11月23日を迎える度に高橋さんの知力溢れた研究指導、調査指導が甦ってくる。その構想力、あの計画性、そしてその全ての前提になっている能力。どれも63歳で失うにはあまりに早すぎたお命である。20081124
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/e7/07d4fbe4c9828fc6f0f9adc4b9c80560.jpg)
(東寺御影堂。ここも子供の頃の遊び場の一つでした。なにせ転勤、転職の大好き???な私の父は度々家を移り変わりました。なにせ小学校4年生までで私の記憶するだけで10回は替わったのですから。小学校も5校転校しました!その一つがこの東寺の直ぐ近くの南大内小学校でした。)
○ 新嘗の 香りに目覚む 美まし国
(にひなめの かほりにめざむ うましくに )
11月は私にとっての忌み月でもある。学恩篤き高橋美久二さんが亡くなられて早二年。ここのところの多忙でお参りにも参れず。お許し下さい。20081123
○ 五重の塔 葉落つる枝に 凛として
(ごえのとう はおつるえに りんとして)
山口大学の橋本義則さんの科研で本年度は日本の宮都を探訪している。わずか1週間前には紅葉に染まっていた東寺の五重塔は、葉の落ちたイチョウの木の間に,冬の寒さを貫くように聳え立っていた。20081124
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/ab/a4cc82ae1169f801b5107491ed0b2910.jpg)
○ 枯れ葉舞う 神泉苑の 美しき
(かれはまう しんせんえんの うつくしき)
紅葉がちって寂しいかなと思っていた神泉苑に、地面に落ちた紅葉が降り注ぎ、水面に浮かぶ紅葉に幻想的な美しさを感じて。20081129
○ 鍋の湯の 先の古泉の 深き香に
(なべのゆの さきのこせんの ふかきかに)
神泉苑の側の小料理屋からなべを囲みながら景色を楽しむ人々の心を思いながら。20081129
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/90/ca788cb9c288a434ccf7993c7d0f11e3.jpg)
(私の幼少の頃の遊び場・神泉苑にも行きました。とても懐かしかったです。でもその頃の主舞台も消え、幼稚園の園舎は閉鎖されてうら寂しく建っていました。神泉苑幼稚園を卒園ご入学したのが朱雀第三小学校。ただし一学期で転校して有隣小学校へ移りました。その小学校も今はないそうです。悲しい!!)
○ 木漏れ日の 野中古道 やはらかき
(こもれびの のなかふるみち やはらかき)
同じ研究会で枚方市の西田さんのご案内で交野の百済寺を見学した折り、桓武天皇が百済王明信に送った歌を思い起こしながら・・・。20081125
○ パソコンの 画面に撥ねる 氷雨の陽
(ぱそこんの がめんにはねる ひさめのひ)
本当なら今日は研究者仲間と長岡宮・京を歩く予定だった。しかし押し寄せる事務仕事が片付かず、泣く泣く大学に留まって月末に出かける中国の出張旅費の計算に明け暮れた。あまりに「お役所仕事」的な、いやある面それ以上の次から次へと出てくる細かな指示にとうとう大声が出そうになった。そんな時、窓には陽が差しながら冷たい冬の雨が通り過ぎていった。とてももの悲しい一日だった。
その後も雑務や会議は続き、とうとう中国出張の前日になってもまだ仕事は片付かない。とても悲しい!!!20081121-29
○ 布勢の皇女 初神嘗の 伊勢の海へ
(ふせのひめ はつかむなへの いせのみへ)
一向に筆の進まない布勢内親王がテーマの論文である。桓武天皇の皇女として二人の内親王が伊勢に赴いた。朝原と布勢である。朝原が陽の当たる斎王だとすると、布勢はどこか月にも似た裏寂しい雰囲気の漂う斎王であった。その生涯はほとんど知られていないが、桓武が彼女をとても大切にしていたことは、770町歩にも及ぶ土地を彼女の経済的基盤として与えたことからわかる。その布勢が群行したのは延暦18年の9月3日。9月は斎月とされ、初めて伊勢大神の神嘗祭に参るために斎王が群行する月であった。秋深まり、そろそろ伊勢湾に荒波が押し寄せる頃でもある。その不安な気持ちは伊勢の海を見てますます深まったに違いない。20081121
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/a3/abe67fa2a6beca24d235102f4fabed53.jpg)
(布勢内親王も通ったのだろうか、今は誰も気付くことなくひっそりとたたずむ羅城門跡である。)
○ 教え子と 赤い歯ブラシ 新嘗夜
(おしえごと あかいはぶらし にいなめのよ)
二度目の還暦を祝う会が名古屋で開かれた。前回も来てくれた教え子もいれば、今回鹿児島から二人の幼子を連れて来てくれた子、新潟の現場から駆けつけてくれた子もいる。その上申し訳ないことに同僚の山田雄司先生もお出で下さった。還暦といえば赤いちゃんちゃんこだが、ナナナント、60本の赤い歯ブラシに出席できない学生も含めてみんなの暖かいメッセージが書き込まれていた。感謝!!20081123
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/12/00ff81cfde7fe443f65e32348b73cd62.jpg)
以上あっと言う間に過ぎた1週間余の日々を歌ったものである。過ぎゆく日々に焦りだけが募ってくる。明日早朝の飛行機で西安に参ります。4日に帰る短い旅です。また帰国しましたら御報告します。とりあえず行ってきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/33/c55376df1912cfbabfdee42b6b14de7e.jpg)
(百済寺西塔跡を見学して)
紅の 野中古道 今一度
(くれないの のなかふるみち いまいちど)企良
(しまのあま もしおやくたゆ みちのかべ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/c2/d12312711d979d2f21a8547e1838dd5a.jpg)
11月28日午前、久留倍官衙遺跡の学術調査現場を見学して、目の前に聳え立つ道路の高架橋に、かつて眼前に広がった伊勢の海の消えたことを悲しんで詠みました。20081128
○ 高架橋 伊勢の荒波 打ち消して
(こうかきょう いせのあらなみ うちけして)
同じく、久留倍遺跡の現地指導に出席して圧倒する高架橋に委員の皆さんが声を失って。20081128
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/1b/391e7ac11a74c0221ddfc065eb07cd74.jpg)
(遺跡には似合わないコンクリートの巨大建造物が林立していた。)
○ 菊の香の 漂う空に 蘇り
(きくのかの ただようそらに よみがえり)
11月19日は妹の誕生日である。生きていたら58歳になる。今頃は今年逝った母と楽しい会話を交わしているに違いない。20081119
○ 新嘗の 日に蘇り 涙する
(にひなめの ひによみがえり なみだする)
206年11月23日私の大恩人である高橋美久二さんが亡くなられた。11月23日を迎える度に高橋さんの知力溢れた研究指導、調査指導が甦ってくる。その構想力、あの計画性、そしてその全ての前提になっている能力。どれも63歳で失うにはあまりに早すぎたお命である。20081124
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/e7/07d4fbe4c9828fc6f0f9adc4b9c80560.jpg)
(東寺御影堂。ここも子供の頃の遊び場の一つでした。なにせ転勤、転職の大好き???な私の父は度々家を移り変わりました。なにせ小学校4年生までで私の記憶するだけで10回は替わったのですから。小学校も5校転校しました!その一つがこの東寺の直ぐ近くの南大内小学校でした。)
○ 新嘗の 香りに目覚む 美まし国
(にひなめの かほりにめざむ うましくに )
11月は私にとっての忌み月でもある。学恩篤き高橋美久二さんが亡くなられて早二年。ここのところの多忙でお参りにも参れず。お許し下さい。20081123
○ 五重の塔 葉落つる枝に 凛として
(ごえのとう はおつるえに りんとして)
山口大学の橋本義則さんの科研で本年度は日本の宮都を探訪している。わずか1週間前には紅葉に染まっていた東寺の五重塔は、葉の落ちたイチョウの木の間に,冬の寒さを貫くように聳え立っていた。20081124
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/ab/a4cc82ae1169f801b5107491ed0b2910.jpg)
○ 枯れ葉舞う 神泉苑の 美しき
(かれはまう しんせんえんの うつくしき)
紅葉がちって寂しいかなと思っていた神泉苑に、地面に落ちた紅葉が降り注ぎ、水面に浮かぶ紅葉に幻想的な美しさを感じて。20081129
○ 鍋の湯の 先の古泉の 深き香に
(なべのゆの さきのこせんの ふかきかに)
神泉苑の側の小料理屋からなべを囲みながら景色を楽しむ人々の心を思いながら。20081129
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/90/ca788cb9c288a434ccf7993c7d0f11e3.jpg)
(私の幼少の頃の遊び場・神泉苑にも行きました。とても懐かしかったです。でもその頃の主舞台も消え、幼稚園の園舎は閉鎖されてうら寂しく建っていました。神泉苑幼稚園を卒園ご入学したのが朱雀第三小学校。ただし一学期で転校して有隣小学校へ移りました。その小学校も今はないそうです。悲しい!!)
○ 木漏れ日の 野中古道 やはらかき
(こもれびの のなかふるみち やはらかき)
同じ研究会で枚方市の西田さんのご案内で交野の百済寺を見学した折り、桓武天皇が百済王明信に送った歌を思い起こしながら・・・。20081125
○ パソコンの 画面に撥ねる 氷雨の陽
(ぱそこんの がめんにはねる ひさめのひ)
本当なら今日は研究者仲間と長岡宮・京を歩く予定だった。しかし押し寄せる事務仕事が片付かず、泣く泣く大学に留まって月末に出かける中国の出張旅費の計算に明け暮れた。あまりに「お役所仕事」的な、いやある面それ以上の次から次へと出てくる細かな指示にとうとう大声が出そうになった。そんな時、窓には陽が差しながら冷たい冬の雨が通り過ぎていった。とてももの悲しい一日だった。
その後も雑務や会議は続き、とうとう中国出張の前日になってもまだ仕事は片付かない。とても悲しい!!!20081121-29
○ 布勢の皇女 初神嘗の 伊勢の海へ
(ふせのひめ はつかむなへの いせのみへ)
一向に筆の進まない布勢内親王がテーマの論文である。桓武天皇の皇女として二人の内親王が伊勢に赴いた。朝原と布勢である。朝原が陽の当たる斎王だとすると、布勢はどこか月にも似た裏寂しい雰囲気の漂う斎王であった。その生涯はほとんど知られていないが、桓武が彼女をとても大切にしていたことは、770町歩にも及ぶ土地を彼女の経済的基盤として与えたことからわかる。その布勢が群行したのは延暦18年の9月3日。9月は斎月とされ、初めて伊勢大神の神嘗祭に参るために斎王が群行する月であった。秋深まり、そろそろ伊勢湾に荒波が押し寄せる頃でもある。その不安な気持ちは伊勢の海を見てますます深まったに違いない。20081121
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/a3/abe67fa2a6beca24d235102f4fabed53.jpg)
(布勢内親王も通ったのだろうか、今は誰も気付くことなくひっそりとたたずむ羅城門跡である。)
○ 教え子と 赤い歯ブラシ 新嘗夜
(おしえごと あかいはぶらし にいなめのよ)
二度目の還暦を祝う会が名古屋で開かれた。前回も来てくれた教え子もいれば、今回鹿児島から二人の幼子を連れて来てくれた子、新潟の現場から駆けつけてくれた子もいる。その上申し訳ないことに同僚の山田雄司先生もお出で下さった。還暦といえば赤いちゃんちゃんこだが、ナナナント、60本の赤い歯ブラシに出席できない学生も含めてみんなの暖かいメッセージが書き込まれていた。感謝!!20081123
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/12/00ff81cfde7fe443f65e32348b73cd62.jpg)
以上あっと言う間に過ぎた1週間余の日々を歌ったものである。過ぎゆく日々に焦りだけが募ってくる。明日早朝の飛行機で西安に参ります。4日に帰る短い旅です。また帰国しましたら御報告します。とりあえず行ってきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/33/c55376df1912cfbabfdee42b6b14de7e.jpg)
(百済寺西塔跡を見学して)
紅の 野中古道 今一度
(くれないの のなかふるみち いまいちど)企良