10月15日から鬼が塩屋遺跡の第三次発掘調査が始まる。
現地表下2mで砂層を確認した。
ここに至るまでには言い尽くせないいろいろなことがあった。この歳になって、いや、2012年にもなってこんな基本的なことで行政指導を、それも大学側からしなければならないのか、一体日本の埋蔵文化財行政はどれくらいの質で列島全域に浸透しているのだろうか、と疑問を抱かざるを得ない事態だ。
基準点の確認(4-7ポイント)
4-2ポイント
そんなモヤモヤが一杯あるせいか、ここのところ血圧が高くて困ってもいる。先週末に受けた健康診断でも唯一引っかかったのが血圧。看護師さんが心配して三回も測ってくれたのだが、やっぱり高い!!私にしては本当に珍しいことなのだが、きっとこの間のイライラが原因に違いない!
そんな中、とにかく調査を始めなければならない。もちろん日常的には授業もある。週末には公開ゼミもあるし、高等学校で出張授業もある。こんなのみんながやっていればもう少し楽なのだが、大体やるのはごく一部の教官に過ぎない。やらない連中は平然としている。こんなことではいずれこの学部が消えても不思議はないように思う。
ま、愚痴はこれくらいにして、鬼が塩屋遺跡の発掘調査である。
調査地全景(北西から)
最も重要な調査目的は一つ! 地震履歴の年代確定である。これまでにもこの場でお知らせしたとおり、昨年の調査でこの大地震の年代を13世紀から19世紀の間のどれかと判定した。しかし、これでは余りに幅がありすぎる。その原因はわかっている。これまで工事が先行して液状化現象を受けていた地層より上の層が先に飛ばされて、液状化後に堆積した砂層の年代がはっきりしなかったのである。
そこで今回は旧高等農林時代の農場に使われていた耕作土の下に堆積する砂層から丁寧に発掘することにした。昨年の調査で、この砂層のある位置から19世紀初頭の常滑焼の擂り鉢が出土していたのだが、この段階では上部砂層について明確な地層確認ができていなかったのである。だから今回は丁寧にこの地層から調査し、下限年代を探るのである。
調査地は三箇所に及び、最も大きな病院の診療棟建設現場は某市教育委員会が担当することになったのだが、始める前からやる気のなさが露呈していた。
驚いたのは「試掘」調査にたった一人でやってきて、測量用具も画板も実測用用紙も何にも持ってこないのである。工事現場のユンボを使って掘らしているのだが、
「どうしてそこを掘るのか?」と聞くと、
「特に理由はありません」という。では
「なぜこの砂で止めるのか?」と聞くと
「地山だと思うからです」という。
調査前に私たちが作った報告書を見たか?と聞くと「知りません!」という。現地の状況も知らず、測量用具も持たず、たった一人で「試掘」に来させるとは何事か?呆れてものが言えなかった。直ぐに堅調に電話し、市役所に乗り込んでの直談判をやる始末。
その後何とか発掘調査に切り替えさせたのだが、聞くところによるとこの担当者、考古学など学んだことがないという!!
「ハッ???」信じられない。一体この人達はどれだけの遺跡を調査もせずに破壊してきたことか。
某市も含めてこの県は伊勢湾に面し、いざ大型地震が起これば直ぐに津波が襲い、多くの被害が予想されているのである。だから口先だけは防災、防災とうなるのだ。しかし実態はこれ!!全くやる気なし。悲しい現実だ。
もう一箇所は昨年の調査地の直ぐ横で、これについては研究室で行うことになった。さらにもう一箇所が、新しい校舎の建設予定地での調査で、こちらは発掘業者に委託するらしい。
なお、調査地の直ぐ東と南には2003年に発掘調査をした後建設された建物があり、この屋上から調査地の事前の様子を写真に撮ってみた。
発掘調査予定地全景(南から)
発掘調査予定地全景(東から)
調査地周辺
調査成果については適宜お知らせすることにしよう
こいつをポチッと押して下さいね→
現地表下2mで砂層を確認した。
ここに至るまでには言い尽くせないいろいろなことがあった。この歳になって、いや、2012年にもなってこんな基本的なことで行政指導を、それも大学側からしなければならないのか、一体日本の埋蔵文化財行政はどれくらいの質で列島全域に浸透しているのだろうか、と疑問を抱かざるを得ない事態だ。
基準点の確認(4-7ポイント)
4-2ポイント
そんなモヤモヤが一杯あるせいか、ここのところ血圧が高くて困ってもいる。先週末に受けた健康診断でも唯一引っかかったのが血圧。看護師さんが心配して三回も測ってくれたのだが、やっぱり高い!!私にしては本当に珍しいことなのだが、きっとこの間のイライラが原因に違いない!
そんな中、とにかく調査を始めなければならない。もちろん日常的には授業もある。週末には公開ゼミもあるし、高等学校で出張授業もある。こんなのみんながやっていればもう少し楽なのだが、大体やるのはごく一部の教官に過ぎない。やらない連中は平然としている。こんなことではいずれこの学部が消えても不思議はないように思う。
ま、愚痴はこれくらいにして、鬼が塩屋遺跡の発掘調査である。
調査地全景(北西から)
最も重要な調査目的は一つ! 地震履歴の年代確定である。これまでにもこの場でお知らせしたとおり、昨年の調査でこの大地震の年代を13世紀から19世紀の間のどれかと判定した。しかし、これでは余りに幅がありすぎる。その原因はわかっている。これまで工事が先行して液状化現象を受けていた地層より上の層が先に飛ばされて、液状化後に堆積した砂層の年代がはっきりしなかったのである。
そこで今回は旧高等農林時代の農場に使われていた耕作土の下に堆積する砂層から丁寧に発掘することにした。昨年の調査で、この砂層のある位置から19世紀初頭の常滑焼の擂り鉢が出土していたのだが、この段階では上部砂層について明確な地層確認ができていなかったのである。だから今回は丁寧にこの地層から調査し、下限年代を探るのである。
調査地は三箇所に及び、最も大きな病院の診療棟建設現場は某市教育委員会が担当することになったのだが、始める前からやる気のなさが露呈していた。
驚いたのは「試掘」調査にたった一人でやってきて、測量用具も画板も実測用用紙も何にも持ってこないのである。工事現場のユンボを使って掘らしているのだが、
「どうしてそこを掘るのか?」と聞くと、
「特に理由はありません」という。では
「なぜこの砂で止めるのか?」と聞くと
「地山だと思うからです」という。
調査前に私たちが作った報告書を見たか?と聞くと「知りません!」という。現地の状況も知らず、測量用具も持たず、たった一人で「試掘」に来させるとは何事か?呆れてものが言えなかった。直ぐに堅調に電話し、市役所に乗り込んでの直談判をやる始末。
その後何とか発掘調査に切り替えさせたのだが、聞くところによるとこの担当者、考古学など学んだことがないという!!
「ハッ???」信じられない。一体この人達はどれだけの遺跡を調査もせずに破壊してきたことか。
某市も含めてこの県は伊勢湾に面し、いざ大型地震が起これば直ぐに津波が襲い、多くの被害が予想されているのである。だから口先だけは防災、防災とうなるのだ。しかし実態はこれ!!全くやる気なし。悲しい現実だ。
もう一箇所は昨年の調査地の直ぐ横で、これについては研究室で行うことになった。さらにもう一箇所が、新しい校舎の建設予定地での調査で、こちらは発掘業者に委託するらしい。
なお、調査地の直ぐ東と南には2003年に発掘調査をした後建設された建物があり、この屋上から調査地の事前の様子を写真に撮ってみた。
発掘調査予定地全景(南から)
発掘調査予定地全景(東から)
調査地周辺
調査成果については適宜お知らせすることにしよう
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