有り難う!大森
28日のお通夜、29日のご葬儀、たくさんの人がお参りに訪れられました。両日共に激しい雨の降る中、500名近い参列がありました。ご両親も驚かれる参列者に大森君の人柄が偲ばれました。
三重大学からも、遠くは静岡県藤枝市、愛知県豊川市、奈良市から卒業生が参列してくれました。みんな心を込めて鶴を折ってくれた先輩達です。
もちろん東海地方に就職、就学している卒業生がたくさん来てくれました。ゼミ生ではない卒業生も来てくれました。とても有り難かったです。
在学生達も2年生や山田・塚本ゼミの学生・院生を含む20人あまりが参列してくれました。みんな一様にショックは隠せないのですが、いろいろなエピソードを知ることができました。
塚本明先生、山田雄司先生、関口敦仁先生も参列下さいました。
ご両親の通夜・葬儀でのご挨拶はとても感動的でした。
そんな中で、三重大学での様々な活動が、とても印象的だったと話されたときには思わず慟哭してしまいました。会場には、ヴェトナムで発掘調査を一緒にしたヴェトナムの若き研究者・文英君とのスナップも紹介されていました。とってもいい笑顔で笑っているのが、逆にとても辛かったです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/46/d268cabc07d505a11d10dcfe550cc4f3.jpg)
(みんなでバイクに乗ってハノイ市内をドライブしたんです。また来いよ!日本にもお出でね!といって別れたのに)
弔辞は同級生の大竹君が述べました。
用意した弔辞の文章そのものは、儀礼的になるといって、そのまま棺に納めました。代わって、目の前に横たわる大森君に向かって、話しかけるように述べました。
とても落ち着いていて、それがさらに悲しみを深めました。淡々とした中に彼らの友情の深さがひしひしと伝わってきました。
日常のこと、美味しいお菓子のこと、ヴェトナムでの毎日(彼らはホテルの同室で1ヶ月過ごしました)のこと、凝縮した1年半をまるで二人で追想するように語ってくれました。これまでのどんな弔辞よりも感動的でした。
有り難う!!大竹君。
こんな素晴らしい二人と一緒に過ごせたこと、感謝しています。
三松堂さんからはたくさんのお菓子が送られてきました。みんなみんな彼の大好きなお菓子でした。会場のみんなと一緒にいただきました。
こんなにみんなに愛されているのに・・・・
研究室のみんなの思いを込めて、短い弔電を打ちました。
弔電・・・・・
大森!
チーズケーキ美味しかったよ。
シフォンケーキプロ級だったよ。
「また作って来るよ」て言ってたよね。
残念です!
真冬の藤原岳の麓を3年間、毎日毎日調査のために歩いてくれて有り難う!もうすぐ報告書ができるよ。
酷暑のハノイで、いろんな事に耐えながら明るく振る舞ってくれて、どれだけみんなが勇気をもらったことか。
君の丁寧な作業のお陰で、とても正確な図面ができたよ。
土砂降りの中の「壬申の乱ウオーク」、黙々と歩いてくれてみんな感謝してたよ。
卒論の「昆虫からみた原始古代一宮の環境復原」とても楽しみだったのに。
そして津和野の三松堂さん、君と構想を練った新しい和菓子、作ってくれたよ。
できばえを報告してね。
どれもあなたにしかできないことだけど、残されたみんなが「心」にきちんと刻んで、あなたの目指したほんの一部を引き継いでいこうと思う。
ちょっとしばらくお別れだけど、また向こうで会おう!その時まで good by!
2008年6月29日
三重大学人文学部考古学研究室
山中章・研究室生一同
ご葬儀が終わって、みんなで一宮駅の7階にあるぶどう園というオープンカフェで甘い物を一杯いただきました。とても素敵なお店でした。大森はきっと通っていたに違いありません。そんな思いを込めていただきました。
大森が三重大学にいた証に、みんなで思い出集を作ろうと思っています。いつまでもいつまでもみなさんの心に刻んでやって下さい。
大森俊輔 2008年6月25日22時27分没 22歳
さようなら
28日のお通夜、29日のご葬儀、たくさんの人がお参りに訪れられました。両日共に激しい雨の降る中、500名近い参列がありました。ご両親も驚かれる参列者に大森君の人柄が偲ばれました。
三重大学からも、遠くは静岡県藤枝市、愛知県豊川市、奈良市から卒業生が参列してくれました。みんな心を込めて鶴を折ってくれた先輩達です。
もちろん東海地方に就職、就学している卒業生がたくさん来てくれました。ゼミ生ではない卒業生も来てくれました。とても有り難かったです。
在学生達も2年生や山田・塚本ゼミの学生・院生を含む20人あまりが参列してくれました。みんな一様にショックは隠せないのですが、いろいろなエピソードを知ることができました。
塚本明先生、山田雄司先生、関口敦仁先生も参列下さいました。
ご両親の通夜・葬儀でのご挨拶はとても感動的でした。
そんな中で、三重大学での様々な活動が、とても印象的だったと話されたときには思わず慟哭してしまいました。会場には、ヴェトナムで発掘調査を一緒にしたヴェトナムの若き研究者・文英君とのスナップも紹介されていました。とってもいい笑顔で笑っているのが、逆にとても辛かったです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/46/d268cabc07d505a11d10dcfe550cc4f3.jpg)
(みんなでバイクに乗ってハノイ市内をドライブしたんです。また来いよ!日本にもお出でね!といって別れたのに)
弔辞は同級生の大竹君が述べました。
用意した弔辞の文章そのものは、儀礼的になるといって、そのまま棺に納めました。代わって、目の前に横たわる大森君に向かって、話しかけるように述べました。
とても落ち着いていて、それがさらに悲しみを深めました。淡々とした中に彼らの友情の深さがひしひしと伝わってきました。
日常のこと、美味しいお菓子のこと、ヴェトナムでの毎日(彼らはホテルの同室で1ヶ月過ごしました)のこと、凝縮した1年半をまるで二人で追想するように語ってくれました。これまでのどんな弔辞よりも感動的でした。
有り難う!!大竹君。
こんな素晴らしい二人と一緒に過ごせたこと、感謝しています。
三松堂さんからはたくさんのお菓子が送られてきました。みんなみんな彼の大好きなお菓子でした。会場のみんなと一緒にいただきました。
こんなにみんなに愛されているのに・・・・
研究室のみんなの思いを込めて、短い弔電を打ちました。
弔電・・・・・
大森!
チーズケーキ美味しかったよ。
シフォンケーキプロ級だったよ。
「また作って来るよ」て言ってたよね。
残念です!
真冬の藤原岳の麓を3年間、毎日毎日調査のために歩いてくれて有り難う!もうすぐ報告書ができるよ。
酷暑のハノイで、いろんな事に耐えながら明るく振る舞ってくれて、どれだけみんなが勇気をもらったことか。
君の丁寧な作業のお陰で、とても正確な図面ができたよ。
土砂降りの中の「壬申の乱ウオーク」、黙々と歩いてくれてみんな感謝してたよ。
卒論の「昆虫からみた原始古代一宮の環境復原」とても楽しみだったのに。
そして津和野の三松堂さん、君と構想を練った新しい和菓子、作ってくれたよ。
できばえを報告してね。
どれもあなたにしかできないことだけど、残されたみんなが「心」にきちんと刻んで、あなたの目指したほんの一部を引き継いでいこうと思う。
ちょっとしばらくお別れだけど、また向こうで会おう!その時まで good by!
2008年6月29日
三重大学人文学部考古学研究室
山中章・研究室生一同
ご葬儀が終わって、みんなで一宮駅の7階にあるぶどう園というオープンカフェで甘い物を一杯いただきました。とても素敵なお店でした。大森はきっと通っていたに違いありません。そんな思いを込めていただきました。
大森が三重大学にいた証に、みんなで思い出集を作ろうと思っています。いつまでもいつまでもみなさんの心に刻んでやって下さい。
大森俊輔 2008年6月25日22時27分没 22歳
さようなら