yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

どっち向いて謝ってるの?そんなにアメリカにゴマすりたいのか!の条

2013-05-27 23:05:23 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 もうこれで終わりにしようと思う。

 あまりに低俗で、人間としてはもちろんのこと、政治家としても最低であることが判った橋下某氏への批判は,十分すぎるくらい十分にやりましたので。

 ホント、耳を疑いたくなるような言い逃れの羅列である。

 アメリカ人やアメリカには謝るが、日本人には謝らない大阪市長・日本の政党の共同代表者。こんな政治家がかつて、どこかの政党にいただろうか。

 毎日新聞のニュースはこんな事を伝えている。


 橋下氏:発言撤回も沖縄憤り「まず沖縄女性に謝るべきだ」

毎日新聞 2013年05月27日 20時01分(最終更新 05月27日 20時15分)

 「沖縄の在日米軍司令官に米兵の風俗業活用を勧めた自らの発言を27日の会見で改めて撤回した橋下氏。発言の意図として「人権を蹂躙(じゅうりん)され続ける沖縄県民の怒り」があったと説いたが、沖縄女性史家の宮城晴美さん(63)は「まずは我慢を強いられてきた沖縄の女性に謝るべきだ」と憤った。」

 →全くその通りだ。どっち向いてしゃべっとんや!!と言いたくなる。

 「宮城さんは米軍資料などを基に、沖縄で起きた米兵による性犯罪事件を調べている。それによると、沖縄戦で米軍が上陸した1945年4月の直後に始まり、これまでに少なくとも約500件に及ぶという。72年の本土復帰以降に限っても、沖縄県警の統計で2011年までに127件(軍属と家族も含む)の検挙件数が判明している。」
 「こうした実態を踏まえ、宮城さんは橋下氏の釈明に「米軍や米国にこびを売るような文句ばかりで謝罪の順序が逆だ。市民目線で沖縄のことを語る配慮はないのか」と突き放した。」

 →正に「こびを売る」とはこのことだ。最も典型的な姿である。何でも6月早々にアメリカに公金を使っていくらしい。でも誰も会ってくれそうにないらしい。自民党までもが訪米の中止を提案する始末だ。

 「また、琉球大の喜納育江教授(米文学・ジェンダー研究)は橋下氏の会見について「根本的な解決策を示さず、言葉に化粧を重ねただけの空虚さを感じる」と話した。
 在日米軍施設の約74%が集中する沖縄の現状に言及しないまま、米兵の綱紀粛正を求めんがために出た言葉とする釈明に「米軍が徹底できても、沖縄に軍隊を置く限り、米兵による性暴力はなくならない。沖縄の心を代弁したいのなら、沖縄から基地をなくすのが先ではないか」と語った。」【平川哲也】

 → 政治家とは人々が困っている課題を解決するためにある存在。偏見に充ち満ちた素養も、人間性もない方にその説明をしていただかなくてもいいのです。
 
 → こんなくだらない政治家のために憤っているのがバカらしくなりました。こんな方を選ばれるのは大坂の方ですから、その方々に任せます。横山ノック以来の大坂の恥ですよ。このまま放置するのですか?と       → これでおしまいにします。                                                                                                
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我が家の家訓・株と相場には手を出すな!!の条

2013-05-27 08:15:51 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 貨幣経済が日本列島に導入されて1300年。富本銭がその最初だという説もあるが、私はやはり大量生産され、実際に流通した和同開珎が最初の実体貨幣だと思っている。

 それはさておき、貨幣が経済の核をなしてからこの貨幣を悪用する経済政策が何度か採られたことがある。その最初が藤原仲麻呂によるインフレ政策である。歴史を少しも学ぼうとしない、今の政権は経済政策でも過去の教訓を活かすことなく、己の延命のために人々を騙し続けている。、

藤原仲麻呂は、それまでの貨幣和同開珎1枚=1文を10枚(=10文)で新銭萬年通宝1枚で通用させようとしたのである。和同開珎1枚(1文)で米1合が買えていたのが、萬年通宝1枚で米1升が買える計算になる。和同開珎と萬年通宝は銭文(貨幣の名前を刻んだ部分)が違うだけで、銅の質も大きさもほぼ同じである。当然市場は大混乱する。萬年通宝1枚=10文という決まりが信用されなくなり、物の値段そのものが値上がりする。10文で結局1合しか買えなくなるのである。物価の上昇、インフレである。もちろん萬年通宝を鋳造するのは国家である。同じ資源と労力で10倍の価値を生み出すことにするのだから、当初はその差額で多くの物を購入することができる。

 彼が差額をつぎ込もうとしたのが軍事費である。当時彼は朝鮮半島の新羅侵略を考えていた。その軍事費捻出のための新貨鋳造だったのである。もちろんこんな事がすんなり認められるほど当時の人々もバカではない。だから直ぐに物価が値上がりし、それどころか、元々使っていた和同開珎の値打ちが下がるから、和同開珎は使われなくなる。かといって萬年通宝がどんどん鋳造されたら益々信用のならない貨幣が市場に出回ることになるから。一体どの貨幣を用いて、どの様な値段を付ければいいのか、混乱に拍車がかかる。

 結局この事態は政権が代わると元に戻され、実体経済に沿った形で値段が決まり、混乱が収まっていったのである。

 権力者は金(経済)がなければ自分の政策を実行に移すことはできない。だから目先の政策を遂行できて、「人気」が取れれば、その先の社会がどうなろうと意に介さないのである。インフレは直ぐには起こらない、その隙間を縫って自らの政策の「夢」をばらまき、人々の歓心を得る。しかし、これまでの歴史はそうした権力者の失敗は間もなく暴かれ、失脚してきた。この経験を活かして失脚しないための方策を予め講じておこうというのが今の日本の権力者の方策である。

 決まりの根本である憲法を変えるという禁じ手に手を染めようとしている。基準を変えれば、基準を自分たちに有利なように変えれば直ぐには「失脚」しない。さらに悪どいことに、この変えるシステムをそう容易にはさせないために設定されていた改正のための条件(96条)を変えるというのである。政権の都合で次々と根本基準(憲法)を変えることができるようにすると言うのである。その先に見えるものは、混乱!である。

 ま、呆れるほど実にいろいろと姑息なことを考えた政権の誕生だとは思う。しかし、それを批判もしないどころか宣伝に荷担するマスメデアのお蔭で、これが着実に実を結ぼうとしている。テレビや新聞、ネットで流される圧倒的情報が人々の気持ちを動かす装置と化しているからである。そのテレビも、新聞も、「かね」
に飢えている。
 結局立ち止まってよく考えてみないといけないのが、軽々しい、「夢」のような中身のない宣伝ではなくて、中身「実態」なのである。

 価値ある物がきちんと売られ、価値を理解した人々がその価値に従って値段を付け、値段に納得して物を売り買いする、これが当たり前の社会なのである。ところが、今の社会を動かしているのは、架空の「金」なのてまある。株や相場というマネーゲームで得た大金のターゲットが、いま、日本に向けられ、あたかも景気が良くなるかのごとき幻想がばら撒かれているにすぎないのである。これをあたかも、安倍晋三の優れた政策の賜物ともてはやすマスコミ。しかし、幻想が弾けた時、誰も責任はとってくれない!その頃までに憲法を改正して、責任逃れができるシステムを作ってしまえばいい。

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TPP参加に反対することの意味の条

2013-05-21 01:34:27 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 私は先日知人に誘われてTPPの参加に反対する大学教員の署名に賛同しました。周辺の方々にも賛同するようにメールをしましたが、締め切りの直前だったので、どれだけの方が賛同してくれたのかは判りませんでした。

 ところが先日、別方面からの働きかけで署名された同僚の先生にお会いすると、我が大学ではたったの3人だけだったというのです。つまり、私と、その方と、もう一人の方。全体で1000人くらいはいる教員のたったの0.3%だったと聞きました。その方も呆れてました。全国で870人ほどらしいので、これも全大学教員の数からすると、ほんの一握りです。情けないことです。事の深刻さが判っていないのです。

 でも、私の友人の一人は、わざわざメールを下さいました。

「この提唱者の一人が(私の)熱心にしている支援活動に敵対する人物なので署名しません」と。

 一般的に、こうした要請は賛同されない場合は、たいてい「無視」されるのが普通です。

 しかし今回のメールは、とても親しい友人からのものでした。

 「どうしたのだろう?」

 メールをやりとりしていて納得しました。(友人とはこのことでしばらく真摯な議論をした。そのお蔭で益々心が一つになったような気がしました。心を開いて話すことがいかに大事か、逃げていてはダメだということを深く理解しました。)

 そういえば、同僚も「日頃景気のいいことをいう人も賛同しなかったんですよ。」と言っていました。

 ま、大学教員なんてそんなもんだと、もう45年前に知ってしまった私はそれほど驚きませんでしたが、彼は相当ショックだったみたいです。その怒りが爆発したのか、不満のはけ口だったのか、よくわからなかったのですが、突然

 「先生、それで、TPPの問題をいろいろな立場から訴えるために一度話をしてもらえませんかね」という。

「エッツ!?ちょっと待って。・・・」(それとこれとは違うやろ)

 あまりに唐突な話だったので答えに窮してしまいました。

 しかし落ちついてよく考えてみると、確かに、TPPという極めて今日的な問題といえども、研究者である以上、それぞれの立場から発言することはとても大事なことだと思い直したのです。

 「TPPと考古学」、あまり真剣に考えたことがなかったので直ぐには返事できなかったのですが、これから少し考えを巡らせなければいけなくなったのです。

 「TPPが破壊するものは何か?」と言うことから考え始めればいいのでしょうか。
 
  「伝統と文化の破壊」等というと、「どんな伝統と文化をあなたは守りたいのか?」と問われそうな気がする。下手をすると自民党憲法草案前文にあるような「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家で」あるからこれを守るのだ、と言うことにもなりかねない。

 とんでもない!!私は天皇のために「長い歴史と固有の文化」の魅力を伝えて来たつもりはこれっぽっちもないし、どんなに強制されようがそんなことを伝えるつもりは全くない!!同前文は「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守」れとも言っているが、天皇の名を借りた権力によって「守れ!」と強制されるのだけはゴメンだ。そんな強制をされなくとも、私たちは、権力者が、その利害のために無理強いしなければ、きちんと社会を作り、自然と沸き上がる郷土愛でこれを守ってきたのです。まさに一部の資本家の利益のために、そしてそれで利益を得る政治家のために参加しようとしているTPPなる強制さえなければ、自分たちが毎日暮らしている国土の魅力を熟知し、それに合った技術を生み出し、社会のルールを作って美しい国土を守ってきたのである。一政治家の、一政党の倫理観で「美しさ」「愛」を強制される必要性などどこにもないのです。

 その事例を一つ一つ紹介し、いらぬお節介で「愛国心を強制されない」よう発信し続けなければならない。
 ただ、あまりこれを強調すると妙な民族主義に陥ってしまう危険性もある。どこかの総理大臣がいう「美しい日本」とは、天皇が主導する、天皇のために家族が奉仕する国家が「美しい」らしいので、そんなものと一緒にされたらたまらない。

 前近代において日本とはどういう国だったのだろうか、明治維新後それはどう変化したのだろうか。何が破壊され、何が生まれたのだろうか。歴史学から明らかにしないといけない課題です。これからしっかり調べて報告していきたく思っています。


 さて、TPPについて身近な問題から少し考えてみようと思います。

 例えば私は、どんなに安くても、中国産の食品は買わないようにしています。どんな農薬が使用され、どんな薬品が使用されて生産されているか判らないからです。

 実は、私の今住んでいるところは近郊農業地帯です。元々はほとんどが農地だったのですが、どんどん都市化して、今や住宅の間に農地が点在するような形に変化してしまいました。かつては大規模な水田が広がっていましたが、米が売れないこともあり、農地を手放す人が増えてこの様になったのです。残った農地では野菜が栽培されています。私の家のすぐ前にも点在しています。ネギや豆、キュウリやなすびなどが四季折々栽培されています。ところがこの農地には雑草一本すら生えていません。直ぐ横で家庭菜園させていただいている我が家の畑は草ボウボウです。

 「なぜ?」

 「農薬」です。とてもよく効くようです。

 しかしここで問題が。その商品は町のスーパーなどに出荷されます。ただし栽培農家が自家で食べる野菜は別に栽培されています。そしてそこには農薬が撒かれていません。農業をやっている人は農薬がいかに危険かをよく知っているのです。日本においてすらこれなのです。日本で認められていない農薬をどんどん使って世話を焼く人件費を削って、大規模に食料を生産し、安く海外に売ろうとしているアメリカ。こんな国の農産物がどんどん入ってくればどうなつのでしょうか?

 農薬の恐ろしさについて、以前、私の三重県の友人が語ってくれたことがあります。

 「家の近所にはたくさんのゴルフ場があるんですわ。ここでは芝をきれいに管理するために大量の農薬が毎日のように撒かれています。明確な因果関係はなかなか証明しにくいんですが、近所の多くの女性が次々と乳がんで亡くなっていったんですわ。そいでなー、内の女房も・・・・・。」

 どんなに悔しかったことだろうか。

 「高くてもいいから日本の物を買うよ」 今ならまだこんな選択肢もあるかもしれません。しかし、TPPによって廃業に追いやられ、日本の農業は壊滅します。買おうにも売っていないのです。TPPが決まってしまえば、後戻りはできません。膨大な訴訟が起こされ、莫大な訴訟費用を要求されるからです。みんなで大声を出して反対しなければなりません。「アベノミクス」などという張り子の虎に浮かれている暇などありません。株や相場などという実態のない経済に浮かれているのではなく、しっかり足下を見て、確実な物を生産し、活用し、この自然豊かな国土を守っていきたいものです。

 実は、TPPに関してはこの署名活動の中心を担っておられた東京大学名誉教授の醍醐聡さんが極めて的確にその問題点を指摘下さっています。

 醍醐さんのブログでは、今も最新の活動が実に丁寧に紹介されている。醍醐さんは会計学の専門家で、京都大学と東京大学経済学部で研究指導なさった方だが、実に丁寧で的確、論理的な批評をなさる。是非読んでいただきたいブログです。
 
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/

 醍醐さんが経済学なら、私は当然歴史学の立場からきちんと伝えなければいけないのだと思っています。

 もう一つ、このブログ記事の中で出てくるIWJ代表岩上安身さんのブログ(ツイッター)とても中身が濃いのです。是非ご一読を。


 →  https://twitter.com/iwakamiyasumi

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かつてわいせつ行為で横山ノックは知事を辞めさせられました。では橋下徹は・・の条

2013-05-20 22:05:24 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 あまりに恥ずかしくて、はっきり言わせてもらいます。お辞めください!!と。

 かつて横山ノックはわいせつ行為で大阪府知事を辞任しました。

 では、「合法的買春」を勧める橋下徹は辞めなくてもいいのですか?

 大阪市民の皆さん、タレントの低俗政治家にこりごりではないのですか?

 こんな方が毎日強弁すればするほど、大阪の恥を世界にさらすのですよ。

 さっさと辞めてもらいましょうよ。

 文楽や博物館などに対する教養がないだけかと思っていたら、本当に低俗なんですね。

 こんな方が市長を続ければ続けるほど、博物館や図書館はどんどん潰され、文楽などの伝統芸能は虐げられ、低俗化を求められ、そして町には「合法的性風俗施設」が氾濫する。こんな街作りに励む市長がそんなに必要ですか?

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弁解すればするほどボロが出る!!もっともっと悪あがきすればいいの条

2013-05-19 10:15:39 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 この方の品格のなさはとっくの昔にバレバレのはずなのだ(文楽が古くさい!と言った時点でもうどうしようもない)が、関西では、読○TVという強力な援軍があって、そのボロを繕ってくれていたので、何とかこれまでもってきた。

 今回のこの方の品位を最もよく示す「お言葉」を、ナナナント、発言の翌日の読○TVの朝番組をやっているジャーナリスト気取りの辛△某(新聞を並べて自己流の適当な解説をするだけのお方)は、「朝日や毎日のように「あの方」に批判的な新聞だけが報じているもので、そんなに大騒ぎするようなものでもない」とのたまわっていた。こんなタレントの言葉に直ぐ騙されるところがまた関西人の、いや、今や日本人の情けないところ。

 要するに「建前」ばかり主張する朝日や毎日とは違って、「あの方」」は「本音」をきちんと仰っていて、逃げていないのだと。あからさまに擁護していた。もちろん、あの方の側近、松□某幹事長さんも同じ趣旨の擁護をなさっていた。

 ところが、アメリカが批判し出すと、途端に、み○なの党の党首様?も、読売NPも、自○党も無視できなくなって(参議院選挙に影響が出ることを察知して)俄にあの方批判に走り出した。

 自○党もあの方と同じ狢だと思われたら、せっかくマスコミを挙げて支持率高揚に努力してもらったことがパーになると判ったので、「私たちとは考え方が違います」と逃げた。賢いのは、あまり言葉を費やさないことだ。

 元々愚かなあの方は、焦ってどんどんしゃべる。そしてまたまた朝日と毎日にのせいでこうなったと強弁する。底なし沼に向かってどんどん沈んで行っている。新聞も、ジャーナリスト気取りの朝番組のおじさま方も、このままこいつを放置しておくとせっかく「憲法改正」の方向に大きく舵が切れているのに、それが曲がってしまうと危機感を感じ、トカゲのしっぽ切りに走り出した。

 そうすると益々饒舌になるあの方。もがけ!もがけ!あと少しで口が塞がる!!

 こんな方を擁護した低俗番組、低俗司会者、どうしてクビにならないのですかね。信じられない。この方方も本心ではあの方と同じ考え方なのですよ。(そういえば同じ朝番組でジャーナリスト気取りの、み△も◇た、総理大臣に喚ばれて食事を共にしたとえらくはしゃいでいたとか。権力にしっぽ振る醜い姿を視聴者はどこまで感じ取ることができたのか知らないが、明らかに公共機関を利用した体制賛美歌隊)

 さらに追い打ちをかけたのが西◎某という国会議員。ま、この方の低俗さは、以前から明白なのだが、それを承知で(いやそれこそ本音で話してくれるから代弁者としていいという理由で)公認したにもかかわらず、これまたトカゲのしっぽ切り。

 善人面して「任命者の私に責任がある」と仰る。

 ある!!ある!!責任とって代表辞めて!政党を解散して!!こんな方を代表にする政党が21世紀のこの時代にあること自体がおかしい!!(もちろんもう一人の代表のお方も同じ!!)

 大体、西◎某の発言と同じことを叫んで、デモしているらしいのが、あの「会」の方々。国会で追及されると、心にもなく「止めてほしい」と答弁する。FBで「自粛を呼びかけたらしい。その効果のほどは知らないが、少なくともこう呼びかけるということは、「鶴の一声」で操作できることを暗示している。おそらく選挙に勝てば、鎧が前面に出てくるのだろう。おぞましいことに、情勢が落ちつけば、この鶴の一声で、「突っ込め-!」と命ずることもできる。

 とにかく、参議院選挙が終わって、両院で絶対多数を取るまでは、ウソ八百並べ立てても構わない。だってばれるのは8年後とか10年後。その頃にはもうとっくに国民はがんじがらめ。気がついた時にはもう遅い。だから、今は「ア◎□△○ス」なる幻想をばらまいて、騙せばいいのだ。

 野党時代に必死で追究した財政赤字。あれは何だったの?でも、とにかく選挙で勝ちさえすれば、いい!ウソをいくら並べ立てても、憲法さえ変えてしまえば何とでもなる。だから、もはや使い物にならないあの方とはおさらば。ま、これで関西の連中も少しは前が見えて、二者選択になれば、少しは変わるかもね。(甘いかしら?だってノックで懲りたはずなのに、また、あの方だもんね)

 大江さんだけに任せずに一人一人、自分たちのそれぞれの立場でもっときちんと発言しようよ!!

 私の友人広島の産婦人科医河野美代子さんは、あの方の「弁解」がいかに取り繕うだけの、ごまかしのものであるかを毎日明確に伝えてくれています。是非ご一読下さい。

河野の美代子さんのブログ→ http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/

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『延喜式』輪読会式部省式朝堂座の条

2013-05-15 15:35:58 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 月曜日(13日)は毎月第二月曜と第四月曜に開催している『延喜式』輪読会の勉強会の日であった。向日市在籍中に始めた勉強会だからもう15年以上やっていることになる。

 当時のメンバーで残っているのは私と、同僚のSM博士だけである。ま、私は参加者の賑やかしのようなもので、なかなかきちんとした報告ができず、いつも苦慮するばかりであるが、今回は、朝座条ということで、それなりに張り切っていたのだが、あまりに早く準備しすぎて、最後の詰めが足りなかった。
 その第27番目の条文が同じ朝座条の中にある大臣への政務報告の際の動座の規範なのであるが、これがなかなか難解であった。
 『延喜式』式部省式24条によれば、朝堂院の朝庭に配置された十二堂の朝堂には予め内官達の着座の建物が定められている。東の第一堂(昌福堂)が太政大臣、左右大臣、第二堂(含章堂)が大納言、中納言、参議で、以下東第三堂(承光堂)中務省、図書寮、陰陽寮、東第四堂(明礼堂)治部省、雅楽寮、玄番寮、諸陵司、東第五堂(暉章堂)少納言、左右弁官、東第六堂(康楽堂)民部省、主計寮、主税寮と東側の朝堂の座が、西側は、西第一堂(延休堂)が親王、西第二堂(含嘉堂)が弾正台、西第三堂(顕章堂)刑部省、判事、西第四堂(延禄堂)、西第五堂(修式堂)式部省、兵部省、西第六堂(永寧堂)大学寮と、それぞれの着座が定められているのである。
 奈良時代の事例によれば、それぞれ往時の該当者個人名でどこに座るかも明記していたらしい。これらのことは厚い研究史があって、宮都の研究者ならば「常識」と言っていいものだ。第25条には在京文官でありながら着座のない役所も明記されており、『延喜式』のその他の条文では夜明けを知らせる開門鼓、朝堂の開門を知らせる大門鼓の時間も明記され、これによって在京官人が朝参し、着座すべき位置が判るようになっているのである。実にきめ細かな規定である。



 朝堂の殿舎名などを示す『平安京提要』の図

 ところがこの後の条文に手こずったのである。準備不足もあったのだが、どうも書かれている内容の具体的な動きがつかめなかったのである。

 まず第26条では、朝座に就く時の各官職別に使用すべき階段の位置、上座、下座が明示される。例えば、南北棟である昌福堂では、太政大臣が北の階段(朝堂には基本的に前後に三箇所ずつの階段が付いている。南北棟の場合は北、中、南の三つである)、左右大臣が中の階段という案配である。ところがさらに続けて南の階段は大納言、中納言、参議、少納言、左右弁とある。

 ???エッ?大納言、中納言、参議は含嘉堂に、少納言・左右弁は暉章堂に着座するのであって、なんで、昌福堂の階段を昇るの??



昌福堂や暉章堂の規模や配置を示す『大内裏図考証』

 ここで混乱が起こったのである。文献なんぞきちんと読んだことのない考古屋の宿命である。そこで、博士を初め最近参加してくれるようになった京大の院生の文献屋さんに助けを求める羽目に。

 どうもこの条文からは、朝堂院で実際に行われる大臣執政に伴う太政官の大納言以下の役人達がそれぞれの朝座から大臣が座っている昌福堂へ報告に行く時の所作を記した条文らしいのだ。大体私たち考古屋はしっかり読めるわけではないので、最近刊行された虎尾俊哉先生編集の集英社の『延喜式』の解説をしっかり読んで、概要を頭に入れてから自分の担当分で考古学と関係ありそうな内容について、調査成果や研究成果について紹介し、『延喜式』の解釈に考古学からコメントできるところがないか検討するのが常である。ところがこの第26・27条についてはほとんど細かな解説がないのである。人のせいにしてはいけないのだが、そんなにややこしい条文ならなおのこと解説して欲しいのに・・・、などと不満を抱きながら条文の分析に当たる。

 これによれば、朝堂院の東第一堂(昌福堂)に、まず太政大臣以下、左右大臣が座る(もちろんこの3人が揃っていることはあまりないのだが)。続いて東第二堂(含章堂)に大納言、中納言、参議が座る・・・、以下順番に座る。のだが、ここでまた問題が。第27条には、昌福堂に座る順番が記してあって、北から順番に太政大臣、左右大臣、大納言、中納言、参議、が一列に西向いて座り、少納言、左右弁が東を先頭に北向いて座るというのだ。

 ここでも???である。大納言・中納言・参議は含章堂、少納言達は暉章堂に座るのではないのか?

 この「混乱〉(私の混乱に過ぎないのだが)に答えを与えてくれたのが、この続きの内容であった。

 大臣が昌福堂の座に就くと、次いで大納言以下が含章堂の座に就く。以下在京官人が座に就いたところで、大臣が予め任命してあった「招使」を喚び、招使に命じて大納言以下を呼びに行かせるのである。

 この場合の礼法もきちんと記されており、招使が含章堂の前の版に行き北を向いて大納言を召す。召された大納言は先に示された昌福堂の右大臣の座の南の座に就く。以下、中納言、少納言も定められた座に就く。

 これが終わると左右の弁官による「政」が行われる。左右弁官は予め諸司、諸国から決裁を仰ぐべき課題の提示を受け、これを内部で検討し、大臣の決裁を仰がなければならないと判断したものについて申政するのである。

 この時、五位以上の弁官は暉章堂の前の階段を下りて立ち、六位以下の場合は階段を下りてその西側に立つ。そして少納言や左右の弁がまず(昌福堂の)前の版に進み、外記や左右史は彼らの後に従って、昌福堂の前の後の版に就くのである。この後、役職などに従って、ある者は階段を昇って少納言以下の座に居並ぶのである。六位以下の者は予め建物の庇部分におかれた案(机)のところに北に向かって立ち、この後、弁の一人が各官司から提出された案件について申政し、史がこれを読み上げ、大臣達の決済を待つのである。こうして順次決済がすめば、六位以下から順序下がるのであるが、その場合も、六位以下がまず暉章堂の後の階段に集まり、以下五位以上から順次退席し、階段または版のところに集まるのであった。

 どうもいろいろな決まりの全体が残っているわけではなく、一部が連続しているかのごとく装って公開されているのである。

 しっかり読めば読むほど内容がより具体的に判ってくるようで楽しい『延喜式』輪読会である。   


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雨中の第28回壬申の乱ウオーク油日の条

2013-05-12 18:28:23 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 昨日、五月十一日(土)は第28回壬申の乱ウオークだった。今回は滋賀県甲賀市の油日一帯を歩くコースである。

 この地は『日本書紀』には鹿深の道と記され、壬申の乱の際、高市皇子が、大海人皇子一行と合流するために大津宮から駆けつけるために通った道と推定されている。この地を通って、一山越えれば伊賀の柘植である。六七二年六月二十五日のことだった。おそらく父達が出発した二十四日に合わせて密かに大津宮を抜け出し、60キロほどの道のりを歩いてきたのであろう。

 残念ながら当地にその証拠の跡は遺されていないが、その後の歴史を見ると、この地がいかに重要な地であったかが判る。そこで、JR油日駅に集まって、油日神社→甲賀歴史民俗資料館→櫟野寺→鹿深歴史の森学習館を巡ることにしたのである。

 予想通り、あいにくの雨だったのだが、今回も90人を超える多くの方が参加下さった。感謝!!!

 天気予報では午後からは上がるということだったのだが、むしろ午後から本降りになってしまい、参加者はずぶ濡れになってしまわれた。雨男山中 章のせいであります。申し訳ありませんでした。私自身も途中から急に腰と股関節が痛み出して、表向きは元気にしていたのだが、実はとてもきつかった!!

 さて、10:05到着の電車で民さん集合され、出発である。ところでJR草津線は私も通勤に時々使う馴染みの深い路線である。問題は一日に電車の数が少ないということ、そして、電車が古いせいか、よく揺れて本も読んでいられないということだ。特に問題は亀山や柘植での乗り継ぎが非常に悪いのである。だからうまく乗り継ぎのある時間帯なら2時間弱で京都から津まで行けるのに、昼間の悪い時だと2時間半はかかってしまうのである。地元でも複線化を要望しているようだが、そのお気持ちよくわかるのである。ちなみに、我が奈良線は最近一部にしろ複線化され、とても便利になったのである。だから最近の奈良線の乗車率はとても高く、そのお蔭で、本数も増えて、便利になったのである。がんばれ、草津線沿線の皆さん!!

 ところで、出発点のJR油日駅の宣伝を一つ。



 駅員さん?駅の管理人さん?!のお話しで判ったのだが、これが駅舎。
 何に見えます?

 ・・・・・・・・・

 ピンポーン 「忍者!!」そう、この地は甲賀忍者のふるさと。何でも小学生のアイデアだったとか。この時は目にあたる電気が付いていなかったのだが、時には電気が付けられ、ちょうど目のように見えるのだとか。いいですね。

 そんな解説をお聞きして出発。


最初の訪問地油日神社。



この後でてくる建物すべてが重要文化財というからすばらしい。檜皮葺きの門、床のある回廊、正面の拝殿、そして本殿、全てが檜皮葺きでとても厳かである。

おうかがいするとお宮参りのご家族がいらっしゃったのでしばらく休憩、お参りを終わられた宮司さんが、雨の中で説明して下さった。



このご説明がとても謙虚で、正確!こういった国指定品をたくさん持っておられる社寺というのはともすれば「自慢」が高じて、えらく誇大宣伝になりがちなのだが、このご神職はとても謙虚であった。だから私は何もしなくてよかった。神主さんのご配慮で回廊の縁に座って、雨宿りをしながらお話を伺うことができた。感謝!!





 この回廊というのが変わっていて、床が敷いてあるのだ。この施設でいろんな行事もなさるとか。そもそも神社なのに、中門があり、これが回廊と繋がり、その内部に拝殿や本殿があるというところからして変わっている。今は神社だけなのだが、明治までは神仏習合の思想による寺でもあったのだ。その証拠にこの神社には春日刷りといわれる興福寺の版木で刷られた大般若経が残されている。



本殿もどこかお寺風である。



前には拝殿がある。



いつも気をつけてみる南門の基礎部分である。軸受け、方立て、柱の様子がよくわかる。

神社が運営されている甲賀民俗資料館の内部も見学することができた。それにしても、国や、県の補助が不十分なのか、施設の水回りが極めて悪く、周りの山から集まってきた水が滝のように流れていた。何とかして欲しいものだ。

 次は油日の名刹:櫟野寺である。

 

 こちらの方があまり寺院という感じがしなかった。その理由は、仏像の重要文化財がたくさんあり、これを護るために鉄筋コンクリートの頑丈な収蔵庫を兼ねた本堂担っていたからだ。



 残念ながら十一面観音像は撮影厳禁ということで写すことができなかったが、後で買った絵はがきを接写できたのでこれを紹介しておこう。修復が加わっているがなかなかの仏様である。何せ、この地油日には数多くの最澄伝説を持つ寺院があふれている。その真偽の程は(ご住職も語られたように)鵜呑みにはできないのだが、何の背景もなく創作されることはないはずだ。近江と伊賀、伊勢を繋ぐ二本の官道が通過する交通の要所である。今回は行くことができなかったが、北の「東海道」沿いには田村神社もあり、数多くの坂上田村麻呂伝承の残る地域でもある。





 そんな用地だからこそその後も多くの荘園が営まれ、特に藤原道長の大原荘がおかれたことは注目に値する。初めてゆっくり二軒の社寺を回ったのだが、二度三度と天候のよい時にゆっくり回ってみたいと、参加者の皆様も思われたようだった。

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あまちゃんとチーフプロドユーサーの条

2013-05-11 01:43:11 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 4月1日から始まったNHK連続テレビ小説『あまちゃん』。岩手・北三陸の小さな田舎町を舞台にして、びっくりした時に思わず口から出る「じぇじぇじぇ!」など、テンポのよい方言が飛びかう。そんなあまちゃんが大好きなのが私の友人である。彼女のFBによれば何でも朝、昼、再放送と3回は見るらしい。

 しかし、私の朝ドラと言えば、大昔の樫山文枝の「おはなはん」(1966年放送だから私の高校3年生の時の一年間だ)の記憶しかない。その後は大学生になって、テレビなんぞ下宿にはなかったし、就職すると、この時間に家にいることがないのでまず見ることがなかったのである。ところが今年からは非常勤に近い勤務状態だから、ときどきこの時間に朝ご飯を食べながらテレビを見ることもある。とは言っても習慣とは恐ろしいもので、家の者が朝ドラを見ないから、私も見る気にはならなかった。

 ところで、最近の私の日課はネット上の新聞を読むことから始まる。
  
 朝日はこの頃有料になって(3回分はただが)あまり読まなくなった。これも朝日の現在の会社経営のあり方(まずは金!だから安倍とも仲良く懇談する)、論説の基本(政権批判をしない!まさに戦前回帰)と大いに関わっている。毎日と読売を読んで、時々産経をのぞきに行く。

 それはさておき、昨日朝のyahooニュースにこんなのがふと目にとまった。
(http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/golden_week/?1368141311)

『あまちゃん』舞台の岩手県久慈市 平日に300人の観光客来る

NEWS ポストセブン 5月10日(金)7時6分配信

 スタートから1か月あまり。視聴率は連日20%を超え、驚きを表す方言「じぇじぇじぇ!」が早くも“流行語大賞”か? と噂されるなど、絶好調の連続テレビ小説『あまちゃん』(NHK総合)。

 主なロケ地となっている岩手県久慈市には、その場所をひと目見ようと、ゴールデンウイークも観光客が殺到した。

 能年玲奈(19才)演じるヒロイン・天野アキが海女として何度も海に飛び込むのは小袖海岸。そこに広がる光景は『あまちゃん』の世界そのままだ。現地にある小袖海女センターは、例年は夏期以外は訪れる人もいないため閉館しているが、今年は観光客がどっと押し寄せたこともあり、急遽、営業開始。ドラマにも登場する「まめぶ汁」やいか焼きなどを本物の海女さんたちが作ってくれる。

「4月の土日だけで5000人近い人が来場。5月は平日でも1日に300~400人が全国各地から訪れています。海女さんの実演がない(実演は7~9月)ので、観光に来たお客さんたちに、ロケのこぼれ話をしながら、ガイドをしています」(観光スポットのガイドを務める弐又真美さん)

 劇中の「北三陸鉄道」の撮影協力をする三陸鉄道北リアス線は、東日本大震災の影響で、現在は宮古~小本、田野畑~久慈間の運行だが、こちらの乗客もドラマ顔負けの急増ぶり。

「GW期間中はお座敷列車を予約制で走らせましたが、連日満員の状態でした」(三陸鉄道・旅客サービス部)

※女性セブン2013年5月23日号


 関連ニュースを辿るとその元ネタらしいこんなのもあった。

(http://www.news-postseven.com/archives/20130404_180660.html)

 ヒロインの高校2年生・天野アキを演じるのは能年玲奈(19才/のうねん・れな)。そして、その母親・春子を小泉今日子(47才)、祖母・夏を宮本信子(68才)が演じる。さらに、母娘3人の脇を杉本哲太(47才)、渡辺えり(58才)ら実力派俳優がガッチリ固め、慌ただしい日本の朝にたくさんの笑いを提供している。

 朝ドラの“お家芸”であるヒロインの成長を描く脚本は『池袋ウエストゲートパーク』(2000年・TBS系)、『木更津キャッツアイ』(2002年・TBS系)などで人気の宮藤官九郎(42才)が担当。細かなギャクを随所に盛り込み、ハイスピードで展開する宮藤脚本を採用した理由をチーフ・プロデューサーの訓覇圭氏(45才)が明かす。

「視聴者が見ていて明るく元気になれることが朝ドラの基本です。宮藤さんには朝ドラと正反対のイメージもありますが、実は彼は6才の頃から朝ドラを見ているという“朝ドラ通”。お会いして『明るく、元気』という朝ドラの核を守りつつ、面白いドラマが作れると確信しました。ドラマは“笑わせる”のではなく生きている人間が自然に“笑える”喜劇にしたいですね」

 実際、第1週放送では岩手の伝統料理・まめぶ汁を「甘いのか辛いのかわからない。おかずなのかおやつなのかもわからない」と紹介したり、夏の手で海に突き落とされたアキが「何すんだこのババア!」とつぶやくなど、宮藤脚本らしい“笑える”シーンがふんだんに用意されている。『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』著者の田幸和歌子さんが言う。

「前作『純と愛』は“朝ドラを壊す”と始まったドラマでしたが、今回は笑いと愛のある朝ドラらしい展開になりそうです。当初はテンポの速さや小ネタの多さが真骨頂のクドカン脚本に、朝ドラ視聴者がついてこられるかという不安の声もありましたが、代表作のドラマ『タイガー&ドラゴン』(2005年・TBS系)の根底に家族愛があったように、彼は家族を描く物語が得意。実は朝ドラにピッタリなんです」

※女性セブン2013年4月18日号
(http://www.news-postseven.com/archives/20130404_180660.html)

 この記事を見て驚いた!!内容ではなく、この番組のチーフプロデユーサーのお名前だ。

 訓覇(圭)さんと言うらしい。この姓を普通に読める人はよほどの研究者である。

 くるべと読むのだと思う。

 実はこのお名前。三重県四日市にあった古代の地名によっている。この方とどういうご関係かは知らないが、以前私が講演会をした時、終了後に名刺を出されて驚いた!!

 訓覇と書かれていたのである。

 おそるおそる伺ったのだ。「くるべ さんですか?」

 「はい。私は今は関西に住んでいますが、ご先祖は四日市だったと聞いています。」と。そして、「久留倍遺跡の保存、応援しています!」とも仰って下さった。とても嬉しかった。

 その同じお名前をこんなところで見るとはまたまた驚きだったのである。これから間もなく、その久留倍遺跡の保存運動として始めた「壬申の乱ウオーク」の第28回が始まる。今日は高市皇子がやってきたルートである。草津から柘植に入っていく近江最後の地点にある「油日」一帯を散策する。どうも今日は久しぶりに雨らしい。でも、午後にはやむと言うから小降りのようだ。頑張って歩いてこようと思う。

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高橋美久二著『古代交通の考古地理』(大明堂 1995年)の条

2013-05-08 18:22:14 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 高橋美久二さんが亡くなられて今年で7年になる。 十一月二三日、新嘗祭の日がご命日である。 

 昨年のご命日にお伺いしようと思ってご自宅にご都合をお伺いしたところ、7回忌で田舎で法要があるのでその日は留守にするということだった。その後高橋門下生の橋本清一さんとご一緒にご自宅をお伺いした。以前からの課題であった、遺された書籍の追加寄贈についてもう一度その状況を確認する目的もあった。しかし、近年の行動力の鈍化は疑いようもなく、その後なかなかお訪ねしてその準備をすることができていなかった。

 しかし、今年の正月にあった研究会で、この間高橋さんの書籍の寄贈について仲立ちをして下さっている滋賀県立大学の田中俊明さんにお会いして、具体的な準備をしてほしいと言われ、お尻に火が付いた。四月に入ってほんの少し気持ちに余裕ができて、ご自宅にお伺いする日が決まった。たまたま家にあった新の段ボール箱を持っておうかがいすることができた。

 高橋美久二さんは、歴史地理学を考古地理学として確立された歴史地理学会の大家である。

 高橋さんは広島県東部の町府中市のご出身で、府中高校から京都大学文学部へ進まれ、藤岡謙二郎先生の下で歴史地理学を学ばれた。と同時に考古学研究室の門を叩かれ、小林行雄先生から考古学も学ばれた。当時歴史地理学は地名や古地図、航空写真からの遺存地割の研究が主流でしたが、高橋さんはいち早く歴史地理研究に考古学の視点を導入された。特に卒業論文のテーマでもあった古代山陽道の研究では、いち早く遺跡と出土瓦との関係に着目され、今里幾次先生と共にこれが山陽道駅家の位置を特定する有力な材料であることを明らかにされたのでした。



 その諸論考を集めた『古代交通の考古地理』は出版直後から注目されていたのですが、2004年に出版元である大明堂が廃業となり、入手困難となった「幻の名著」なのです。ところがこれが、偶然高橋さんのご自宅から複数冊見つかったのです。以前から何とか手に入れたかった御著書である。何せ古本市場にも出てこないのである。そこで奥様に、

 「済みません、この本を一冊頂いてもいいでしょうか?」厚かましくもこう申し上げたのだ。

 もちろんご快諾頂いた。

 「この御著書はもうなかなか手に入らなくて、本当にありがとうございます。」

 なんだか、お手伝いの駄賃をせがんだみたいで恥ずかしいのだが、ずっと気になっていたことがやっと実現してとても嬉しい日となった。きっとあの世から

 「山中君、そんなもの読んでどうするんや?今から交通史でもやるのか?やるんだったらしっかり論文を書けよ!!」

こんなことを仰っているに違いない。たまたま長崎外国語大学の木本先生のご依頼で、年末までに「鈴鹿関と三間」について書かなければならない。きっとそれを知って高橋さんが出して下さったのだろう。恥ずかしい論文は書けなくなったのだが・・・・。


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富田勲イーハトーブ交響曲と初音ミクの条

2013-05-07 23:31:44 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 5月4日深夜、パソコンに向かうのに疲れて何気なくテレビのスイッチを入れると、富田勲の新交響曲・イーハトーブ交響曲の制作秘話が放送されていた。深夜1時を過ぎていたと思うのだが、一気に引き込まれ、とうとう最後まで見てしまった。

 宮沢賢治の銀河鉄道の宇宙観を交響曲にしたのだという。しかし、賢治の世界をどの様に音にするかについて随分試行錯誤を繰り返したそうだ。そんな時たまたま出会ったのが[初音ミク]の音楽だったという。大昔から、当時最新の技術であったシンセサイザーを取り入れていた富田にとって初音ミクは新たな刺激だったらしい。

 直ぐに初音ミク開発ソフト会社に相談に赴き、これを交響曲に取り込むことにした。とは言っても一筋縄ではいかない。初音ミクは「歌う」だけではなく「踊り」もするのである。交響曲の複雑な音の変化にいかに合わせてミクを踊らすのか、この試行錯誤がまた面白いのである。

 できあがった音楽、映像の素晴らしいこと!!直ぐにネットでこのCDを買って連休後半はこれに聴き惚れた。

 80歳にしてまだまだ創作意欲旺盛な富田勲に、たかが64歳で老け込んでいてはいかん!!と大いに刺激を受けたのであった。

 
 ところで全く話は違うのだが、つい先ほど、これも授業の準備に疲れて何気なくi-phoneでFBを眺めていた。滅多に見ないし、もちろんほとんど書き込むこともないのだが、何となく知り合いの記事を読みながら、「皆さん元気だな-」と勝手に思いながら読み進んでいた。

 フ、と目に入ったのが、九州歴史資料館の岡寺良さんの記事だ。いつもあちこちの調査に行った時の記事を載せられているので、とても役に立つのだが、なぜか今日?の記事は、「キャリーパミュパミュの新曲、「キャリーパミュパミュインベーダー」という曲がYouTube の動画で紹介されていた。

 私がキャリーパミュパミュと出会った?のは一年ほど前に新聞記事を見ていた時のことだった。「キャリーパミュパミュ」この文字をどこで区切って読むのか、そもそもこれは何を意味する言葉なのか?などと思いながら不思議な気持ちで文字を追っていたのである。
 それが人の名前?歌手の「名前」と判ったのは数日後であった。とは言っても相変わらず、これをどう発音したらいいのか?それがよくわからなかった。ど派手な格好でど派手な音を頭の先から出しながら訳も無く踊る彼女にテレビの画面上で出会って、何となく普通に「キャリーパミュパミュ」と言えるようになった。

 先ほどその新曲がネット上にあるとかで聞いてみてびっくりした。

 これは生きた「初音ミク」なのではないか?!!そんな思いが湧いてきた。どっちが先なのかは知らないが、キャリーパミュパミュの踊り、発声、コスチューム、どれを取っても私には「初音ミク」としか思えないのである。そう思いながら重ねて新曲を聴く内に、フッと富田勲の「イーハトーブ交響曲が重なったのである。

 思わず手を打った。そうか、そうなんだ。「キャリーパミュパミュ」は生きた初音ミクなんだ!!

 是非、富田さんに伝えてほしいものだ。さらに新しい交響曲を「表と裏」をテーマに創作していただき、出演者に表のキャリーと裏の初音ミクをコラボして登場させ、宇宙を往ったり来たりするイメージの交響曲を作って欲しいと。

 キャリーパミュパミュの新曲「キャリーパミュパミュインベーダーインベーダー」はこんな曲

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五月五日長島・松井の条

2013-05-06 15:35:24 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 昨日は長島と松井に国民栄誉賞が与えられるというので、朝からテレビはそのニュースで持ちきりだった。巨人ファン以外にはそんなに嬉しい話でもないから、関心のない方も多かったに違いない。

 生まれる前からの巨人ファンを自認する私も、安倍が審判に立つと聞いて興ざめした。所詮こんなものは時の為政者達の税金を使ったパフォーマンスに過ぎない。そう思うからである。何でも決めるのは総理大臣だというからなおさらである。だから、セレモニーなどみる気もしなかった。

 ところが、その後始まった試合の最中にも度々この場面が映し出され、夜までこの話題で持ちきりだったために、自ずと見る羽目になってしまった。一番おぞましかったのは背番号「96」を付けてニコニコしながら松井や長島と話す安倍の姿だった。

 「なんでこんな奴から賞をもらわないといかんのや」

とても気分が悪かった。おまけにキャッチャーがあの大嫌いな原!もう最悪のセレモニーだった。

 でも根っからの長島ファンである私は内心とても嬉しかった。まだもつれはするがあの独特のやや口籠もった声が聞けたからである。松井のスピーチもなかなかのものだった。その後の試合も、内海の好投で勝ったから余計に嬉しかった。ただし、むかついたのが原!!完封目前の内海を交替させて西村へスイッチ。無死満塁で、アー同点どころか逆転負けも覚悟する場面に・・・・。

 それにしても、松井は巨人の監督をやる気満々であることが判った。直ぐになると長島の例もあるから少しコーチ修行をした方がいいとは思うが、これで原が数年の内には松井に交替する可能性が出てきた。これが昨日の最も嬉しかったニュースである。

 ま、今の調子じゃ今年の交替はなさそうだが、2~3年後に楽しみができた。

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この子供達に銃は持たせられない!!の条

2013-05-05 00:12:38 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
昨日から藤森神社の春祭りが行われています。

藤森神社は旧府社で、現在はいろいろな神様が祀られている。中央に素戔嗚尊、応神天皇、仁徳天皇、東に舎人親王、天武天皇、西に崇道天皇、伊予親王、井上内親王、それぞれ合祀のいわれがあるようだが、史料の裏付けがあるわけではない。

 明日5日には著名な駆馬があるが、その成立の歴史的背景も定かではない。それはさておき、毎年この時期には春祭りが行われ、境内にはたくさんの店が出る。私は特に興味があるわけではないが、孫達には羽目を外す数少ない機会である。



 神社のご神体が三座に別れているのに合わせてか、神輿も三基ある。


 
 その前では数多くの店が並ぶ。私は子供の頃からこうした祭りが苦手なので、ほとんど積極的に出ることはなかった。しかし、孫のお母さんは大阪南部のだんじり祭りに育った人なので、子供達も『連れてって』とせがむ。そんなわけでここのところ毎年のように祭りに出かけることになる。一番のお目当てが『金魚すくい』である。
 勝ち気な孫娘は兄を押しのけて金魚すくいに挑戦である。昨年は話にならなかったのが、今年はナナ何と、次々とすくい上げる。お兄ちゃん顔負けの凄腕である。
 
 でも、私の心を暗くするのは、この子達が成人した頃、日本はどんな国になっているのだろうという心配である。
 どんな憲法がいいのかも表では言わないで、その改正手続きのハードルが高いからこれを規制する96条を改訂して、変えやすくしようという現政権、及び、その補完政党。これでは政権が代わる度に憲法がかわる可能性も出てくる。

 大企業にごまするために、世界に原発を売り込み、自国の原発の維持管理もまともにできないまま原発の再稼働、新造を認めていこうとする現政権。

 押しつけられたから自主的に作り直すのだと言って、結局『押しつけられた原因となった戦前の政治体制に戻す憲法に改悪』して再び戦争に突き進もうとしている現政権。

 このあどけない子供達の姿がいつまで保証されるのか。無防備だから防備を固めるという。そのための軍事費の増強を選挙公約にすると言う。巨大化した軍隊は、自国に都合のいい理屈を付けて他国を侵略する。この時必ず多くの両国民が死ぬ。死んだ人は『お国のために死んだのだから英霊だ』という。でも、軍隊がなければ死ぬことはなかった。国家によって殺されることはなかった!!

 止まって考えてみようよ。私たちの国は、1945年まで、自ら仕掛けた戦争で多くの国民が死に追いやられることはあっても、他国の軍隊によって侵略されたことはなかった。斉明天皇の白村江の戦いしかり、豊臣秀吉の朝鮮出兵しかり。

 どこゾの総理大臣は『侵略』という言葉の意味すらご存じないようで、いや、『侵略』だけではなく、あらゆる歴史的認識をご自分の身勝手な解釈だけでしか理解しようとなさらないようだ。自分の認識以外の見解は全て間違っているらしい。まさに『独裁者』である。

 そんな彼のいい加減な歴史認識の上になされたのが突然湧いてきた4月28日の「主権回復・放棄の日」であった。そのいい加減さを毎日新聞の「木語」が実に的確に批判している。

本日の毎日新聞 「木語」には「主権回復・放棄の日」と題した専門編集委員の金子秀敏氏の論説である。とても説得力のある論説だと思うので、一部引用しながらみてみよう。

 「4月28日は政府主催の「主権回復の日」式典だった。1952年のこの日、サンフランシスコ講和条約が発効した。その結果、沖縄県は米国の信託統治下に入れられた。沖縄県民から「がってぃん(合点)ならん」という抗議の声が上がったのも当然だ。」事実この日沖縄では1万人を超す多くの県民が抗議の声を上げた。

 「そもそもサンフランシスコ講和条約発効の日は「主権回復の日」なのか。第1条a項は「日本国と各連合国との間の戦争状態は……(この条約の発効の日に)終了する」と書いてある。だったら4月28日は「終戦記念日」のほうが正しい。」
 「b項には、連合国が日本国の「完全な主権を承認する」とあるが、続く第2条以下には、日本が主権を放棄する領土が書き連ねられている。」つまり、この日は、沖縄などを除く「一部日本」の主権が回復されたに過ぎない日なのである。

 「本土は沖縄県をトカゲのしっぽにして、占領を終え主権回復した。しっぽの先にある島が尖閣諸島だ。いま、尖閣諸島の主権を守れと叫ぶ本土のひとびとが、尖閣を含めた沖縄県全体を失った日である4・28をなぜ祝うのか、合点がいかない。」

 その通りである。己の立場に都合のいい時だけいいように使い、都合が悪い時には無視する。歴史が証明する典型的な独裁者の姿である。

 「ソ連、いまのロシアとの北方四島問題も、中国との尖閣諸島問題も、くすぶり続けている。祝える状態か。」

 先の日ロ首脳会談の結果を、大半の新聞社が「成果」と強調する。現政権のいいなりの記事を載せた。四島返還と豪語する現総理大臣のどこに「成果」があったのだろう。それどころかプーチンは、二島返還をちらつかせながら、見事に自国の経済的利益を確保する言質を取った。したたかそのものである。中身のないうわべだけの景気のいい言葉ばかりを並べる日本の総理大臣とは大違いである。アベノミクス程虚しい言葉はない。苦い思いをついこの前経験したばかりなのに、目先にぶら下げられてにんじんを追いかける国民の姿はあまりに滑稽だ。

 さらに「木語」は、靖国参拝問題にも迫る重要な指摘をしている。

 「必然性が理解しにくいだけではない。サンフランシスコ講和条約の第11条では、東京の極東国際軍事裁判所と海外の戦犯法廷で行われた裁判と刑執行を日本が受け入れるよう命じている。」

 まさに、いつもどんな場合もそうなのだが、彼は自分に都合の悪いことは無視し、都合のいいところだけを取り出して、「権力」で押し切ろうとするのである。理性のない権力者の常の姿である。

 「式典を主催した安倍晋三首相は、戦勝国による「侵略の定義」を受け入れていないようだ。東京裁判の判決に異を唱えないと定めた条文は、首相の歴史観と食い違う。不思議な「主権回復の日」だった。」
「 」は毎日新聞 2013年05月02日 東京朝刊 http://mainichi.jp/opinion/news/20130502ddm003070129000c.html  の引用。

 憲法に反して天皇を政治的に利用し、多額の国費が虚しい式典のために投じられた。
 ところでほとんど報じられなかった事実として、「集会」の最後に「天皇陛下万歳」が叫ばれたという。戦前、このように叫んで、戦場に送られた兵士の姿と重なる。異様な姿である。なんともおぞましい!!こんな政治家に孫達の未来がめちゃくちゃにされようとしている。諦めないで、自民党+アルファーの絶対権力化を防ぐために様々なところから声を上げようではありませんか。

 こんな総理大臣に国家を任せておくことはできない!と思う人はこいつをポチッと押して下さいね→og.with2.net/link.php/109856">人気ブログランキングへ 

悲しくて悲しくて、情けなくての条

2013-05-01 00:17:58 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 随分前にも書いたことがあるのだが、どうして我が大学の学生達は平気で道路に貼られた点字板の上に自転車を置くのでしょうか。

 私は緑内障で、視野がどんどん狭くなっており、最近は、自分の目の前に指をかざしても見えない状態なのです。だから、自動車も放棄したし、最近は今のうちの訓練だと思って道を歩く時にはできるだけ点字板の上を歩き、足下にそれがどの様に伝わるのかを確かめているのです。時には目をつむって、点字板を歩く訓練もしています。

 ところが、大学校内に入るととても危なくてこんな事ができないのです。何台もの自転車が歩道に貼られた点字板の上に堂々と置かれているのです。一、二台ならそれを外して自転車を置き変えるのですが、十数台があちこちに置かれているととてもそれを排除する力も気持ちの余裕もなくなるのです。

 かつて教授会でこんな状況に業を煮やし、何とかしてほしいと訴え、ビラを作って撒くから協力してほしいと頼んだのですが、そんなことに協力はできないと拒絶され、「アーこの大学(学部)はもう終わりだな!」と思ってやる気を無くしたのですが、ここに来て怒りがムラムラと沸き上がってきてのであります。

 もうこうなったら、勝手にビラを作って撒こうと思っています。

 どうしてこの行為が悪いのか、私にはさっぱり判らないのですが、三重大学にもう大した未練もないので、理事者に嫌われようが排除されようがどうでもいいので、我が道を行きたいと思います。だって、この状況はあまりに恥ずかしいのです。

 今世の中はどんどん弱者の切り捨てが進められようとしています。まるで弱者が「盗人」であるかのごとき言いようもあちこちから聞こえてきます。しかし、弱者に心の及ばない人間なんて、まともな人間とは言えません。だから、当たり前に、淡々と訴えます。


 点字板に自転車を置かないで下さい!!
と。

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