yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

第41回古代城柵官衙遺跡検討会参加の条

2015-02-28 08:15:12 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 今日はこれから多賀城にある東北歴史博物館で開催される古代城柵官衙遺跡検討会に参加のため移動中です。
 毎年楽しみにしている研究会ですが、今回は余り気乗りがしません。一昨年末に今泉高尾さんが亡くなられ、研究会の中身だけではなく、いつも楽しみにしていたその前後の今泉さんとの「旅」遺跡巡りができないからです。



今日の伊吹山

 今年で41回だそうですが、おそらくその半分くらいは参加していると思います。そのたびに多賀城で開催されるときはその周辺を、以外の地域での開催の時はどこかで落ち合って周辺の古代遺跡をいつもご案内いただいていました。だからそのお蔭で私は東北の古代遺跡のほとんどを回ることができました。そして最高の解説者と共に。

 でも今回からはこれが適いません。だからもう行かないでおこう、と思っていたのです。しかし、昨年開催された「今泉隆雄さんを偲ぶ会」に出席して、少し簡単なスピーチをやらせていただいて、
 「死ぬまで研究しないといけないよ。それが研究者でしょう!」という今泉さんお声がきこえてき、思い直しました。

 すぐに切符を手配し、大会参加の申し込みをし、今泉さんの奥様にも連絡を入れて、ご自宅へお参りに参りたい旨お伝えした。

 「そうだ、研究会への惨禍に会わせて毎回お墓参りに行こう!!」

こんなプランも思いつき、実行することにしたのである。早朝に京都を出た新幹線は今名古屋駅を出た。後5時間ほどで仙台だ。

 そうそう、実はもう一つ楽しみがある。今泉さんのお孫さん、桜ちゃんに会うことだ。4月で二歳になられるらしい。とっても元気な素敵なお孫さんだ。今泉さんが生きておられたらきっと溺愛されたに違いない可愛いお孫さん。彼女に会うことをもう一つの楽しみに加えることになった。

もっと早くに載せるべきだったのだけれど、今回のプログラムはこんな感じなのです。12年ほど前、今泉さんに案内されて伺った三十三間堂遺跡もテーマの一つらしい。楽しみである。

宮城県多賀城跡調査研究所からのお知らせを掲載しています。
第41回古代城柵官衙遺跡検討会の開催について

 第41回古代城柵官衙遺跡検討会(事務局:多賀城跡調査研究所内)を下記の日程・要項により東北歴史博物館にて開催します。今回の特集報告は『多賀城と陸奥国南部海道の諸郡』で、会の最後に平川南氏(人間文化研究機構理事)による特別講演「古代東北『海道』をゆく」を予定しています。
 多くの方々のご参加をお待ちいたしております。なお、参加には申し込み(所定の参加申込用紙による)が必要で、資料代として2,000円がかかります。

期 日:平成27年2月28日(土)・3月1日(日)

会 場:宮城県多賀城市 東北歴史博物館講堂(多賀城市高崎一丁目22-1 TEL:022-368-0101)

主 催:古代城柵官衙遺跡検討会

共 催:東北歴史博物館・多賀城市教育委員会・宮城県考古学会

日 程:
第1日目 2月28日(土)
13:00~ 開場・ 受付開始
14:00~14:10 開会行事(代表世話人挨拶)
平成26年度調査成果報告
14:10~14:35 秋田城跡第104・105次調査(秋田市秋田城跡調査事務所)
14:35~15:00 東山官衙遺跡(加美町教育委員会)
15:00~15:15 〈休 憩〉
15:15~15:40 多賀城跡第87次調査(宮城県多賀城跡調査研究所)
15:40~16:05 西木流D遺跡ほか(福島県文化振興財団)
16:05~16:20 〈質疑応答〉

18:00~20:00  情報交換会 (会場:ホテル法華クラブ仙台)

第2日目 3月1日(日)
9:00~ 開場・受付開始
特集報告 『多賀城と陸奥国南部海道の諸郡』
9:30~9:35 趣旨説明
9:35~10:15 報告1「熊の作遺跡と亘理郡南部の遺跡群(仮)」(宮城県教育委員会)
10:15~10:30 コメント「熊の作遺跡出土の木簡と墨書土器」(宮城県教育委員会)
10:30~10:40 〈休 憩〉
10:40~11:20 報告2「三十三間堂官衙遺跡とその周辺(仮)」(亘理町教育委員会)
11:20~12:00 報告3「泉官衙遺跡と製鉄遺跡群(仮)」(南相馬市教育委員会)
12:00~13:00 〈 昼 食〉
13:00~13:40 報告4「多賀城と陸奥国南部の諸郡」(宮城県多賀城跡調査研究所)
13:40~13:55 〈質疑応答〉
特別講演
14:00~15:00 「古代東北『海道』をゆく」 平川 南 氏(人間文化研究機構理事)

15:00~ 閉会行事(代表世話人挨拶)

平成26年度調査成果資料報告
1.徳丹城跡(矢巾町教育委員会)
2.払田柵跡(秋田県払田柵跡調査事務所)
3.井岡遺跡(由理柵・駅家研究会)
4.源光遺跡(栗原市教育委員会)
5.日向館跡(涌谷町教育委員会)
6.矢本横穴墓群(東松島市教育委員会)
7.山王遺跡(宮城県教育委員会)
8.山王遺跡(多賀城市埋蔵文化財センター)
9.鍛冶屋敷A遺跡(仙台市教育委員会)
10.清水遺跡(山形県埋蔵文化財センター)

参加費用・申し込み方法等
 所定の申し込み用紙に必要事項をご記入の上、下記事務局あてに郵送もしくはFAXでお申し込みください。参加諸費用は当日会場受付にて頂戴いたします。
→第41回古代城柵官衙遺跡検討会参加申込用紙(PDFファイル:66KB)

申し込み先
 〒985-0862 多賀城市高崎1-22-1
 宮城県多賀城跡調査研究所 古代城柵官衙遺跡検討会事務局(担当:吉野)
 FAX:022-368-0104 TEL:022-368-0102

申し込み締め切り
 平成27年2月6日(金)
 ※ただし、会場の定員280名になり次第、締め切りとさせていただきます。

費用
 参加費(資料代) 2,000円
 情報交換会 会費 6,000円
 2日目昼食代(お弁当) 1,000円

注意事項
※会場までは、仙台駅からJR東北本線で国府多賀城駅(運賃240円)が便利です。
※情報交換会場の「ホテル法華クラブ仙台」は仙台駅西口から徒歩15分です。Googleマップで情報交換会会場を確認→
※検討会会場は席に限りがありますので、手荷物は少なめにお願いします。博物館の手荷物ロッカーは少ないので予めご了承ください。
※3月1日(日)の昼食は博物館内外のレストラン・コンビニ・スーパーもご利用になれます。事務局で用意する弁当(1,000円)を希望される方は別紙申込書にて予めご予約ください。
※図書交換会参加希望者は、参加申込書記載欄に必要事項を記入し事務局へお申込みください。
※宿泊施設につきましては、事務局では斡旋いたしませんので各自でご予約ください。早めのご予約をお勧めいたします。

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今年の進学状況の条

2015-02-18 00:45:50 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 先に三重大学考古学研究室の今年の就職状況についてご紹介したが、昨日、進学状況が確定した。
 進学については近年は複数の大学院を複数回受験することができ、その合格発表も配慮されているので、進学の幅が結構広く空いているのが現実である。そんな中で卒業生の内二人が進学を希望し、一人が、歴史時代、一人が古墳時代を専攻としていたので、それぞれ専門の研究者がおられるところを複数受験した。

 その結果古墳時代の人物埴輪を研究テーマにした学生が京都大学へ、奈良時代の瓦塔について研究した学生が三重大学の大学院に進学することが決まった。

 一人の卒論が「伊勢の瓦塔」、もう一人が「女子埴輪の所作-所作の造形とその意味について-」というものだった。
 毎年卒論は四年生の初めから近世史、中世史、考古学の三分野合同で演習形式で発表-批評-討論の形で、前期に一人二回、後期に一人二回の合計4回の発表機会を与えて完成に近づけていくスタイルを採ってきた。私はもちろん今年度は関係ないのだが、3年生の演習で卒論の基になる演習を担当してきたので、それなりの責任がある。学生達も一年間、私が非常勤で出校する日に相談に来ることがあったので、卒論の出来具合にはそれなりの関心を持っていた。

 毎年のことだが、資料を収集し、事実関係を分析、分類するところまではよくできるのだが、それらを、論文としてまとめる段になると失敗する。抽象化ができないのである。おそらく、演習の段階で先生方も口が酸っぱくなるくらいそのことを指摘されるのだが、資料集めに汲々して結局結論がうまくまとまらないのだ。

 ま、この二人の卒論も、結論的にはその域を脱することはなく、聞くところによると院入試の諮問段階でたくさん突っ込まれたと聞く。にもかかわらず入れたのは、現在の院事情も大いになることだろう。かつてなら、他大学から京大や東大の大学院に入ることは至難の業だった。しかし、近年では旧帝大の文系の学部生がなかなか大学院に進学したがらないのだ。大学院に進学すると修了後の就職が難しくなる、というのが理由らしい。ところが文科省は定員の確保を命じ、確保できない場合はペナルテイーを与えるという脅しにかかる。そうなると質より量となる場合が出てくるのである。もちろん個々の事情があるので、一概にそんなことは言えないのだが、一般論としてそのようなことがささやかれている。

 三重大の二人がどうか、私はそれなりに期待の持てる学生だと思っている。

 伊勢の瓦塔の分析では、岡山古窯という四日市市にあった窯から出土して30年近く資料整理も十分になされていなかった資料を倉庫から引っ張り出し、瓦塔の断片と思われるものを全て集めて分類し、初めて「放射状屋蓋」というタイプを見つけ出し、その分布について検討した斬新なものであった。もちろん、なぜ岡山古窯にあり、東海地方では珍しいのか、なぜ九州に類例があるのかなどについてはまだまだ分析が十分ではないが、卒論で新しい事実を指摘できればそれなりの評価は与えられる。まさに大学院に入ってからの伸びしろがあれば画期的な論文ができる可能性があるのだ。きっとこの点が評価されたのだろう。

 女子埴輪の所作については2012年の7月に学生達と一緒に「常光坊谷4号墳の埴輪」の調査」について簡単な文章を書いたことがある。( http://blog.goo.ne.jp/yaasanarchaeologue/m/201207 )
 今思えばあれが研究の始まりだった。真夏の松阪市埋蔵文化財センター収蔵庫で汗みどろになりながら、常光坊谷4号墳から出土した人物埴輪を3人の学生と共に詳細に観察したあの日のことが鮮明に蘇ってくる。その時から、学生の観察力と「根性」には感心していたのだが、それが卒論にまで結実し、埴輪研究のメッカ、京都大学でその研究を継続することができるようになったのだ。指導教員として、これほどの喜びはない。

 
http://www.city.matsusaka.mie.jp/www/contents/1324874993513/index.html より
 もちろん、微妙な埴輪の手先の造形の違いによって、分類される所作の集合体である古墳上の人物埴輪達が何を表現するものなのかという肝心な課題の解決はこれからなのだが、少なくともこれまで漠然と「捧げる」、とか、「祈る」とか「解釈」してきた埴輪の所作が、彼女の詳細な観察と分類により、もっと具体的に解明できる素地は確立できたと思う。
 大学院に進めばたくさんの時間があり、京都大学の資料はもちろん、全国の埴輪を見る機会が無限大に増えるのだから、是非本物のプロを目指してこれからしっかり勉強してもらいたいと思った一日でもある。
 
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最近の身体事情の条(補足)

2015-02-16 01:09:25 | yaasan随想
 昨日(14日)は一ヶ月に一回ある定期診察の日だった。
 いつもは血液検査をし、医師が「ウ~ン、まだだめやな」とうなって、薬をどうするかの相談なのだが、この日は違っていた。
 先に書いた通り、4週間前から打っている注射がかなり効いている感覚があって、それが数値で出るかどうかが判る日だったからだ。

 医師のニコニコ顔を見て直ぐに理解した。

 「すごいね~!これ見て、一年前から検査を続けてきて、薬を増やしてきて、なかなか数値が改善しなかったんだけれど、0.1やぞ」

「エッツ!! そんなに下がったんですか。」
 「イヤー、よう効くわ!0~0.5が正常値やから、明らかに改善されてるな。やっぱり高いだけあるわ」
 「ホントですね。この1ヶ月ほとんど痛み止め無しで過ごせてるんでそうかな、とは思ってたんですが、そんなに下がったのですか。」

 「リュウマチは治らないと言われていたんだけれど、この薬が出てからそうでないと言われてきた。これだけ劇的だと、やはりこの薬は本物やな。よかった!!」
 「ありがとうございます!!」

 「まだ油断はできんぞ。でもこれでプレドニンとかが減らせるわ」
 「嬉しいです」
 「これからは痛みが出ないか様子を見ながら減らしていこう」

 「ありがとうございます!!」

というわけで、さすがに高い薬だけあって、一気に数値が下がってきた。ここのところ痛みがほとんどないことの理由がはっきりして、昨日から今日にかけて、俄然元気が出てきた。止まってしまっていた原稿も進み、喫緊の課題だった2回分の講演レジュメも一気に進み始めた。

 「病は気から」と言うけれど、やはり具体的な裏付けがないとなかなか「気」も出ないものだ。それだけに今度の気力は本物かも知れない。

 サ~戦闘開始!!

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初めての銀座の条

2015-02-11 20:09:57 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都


 昨日(11日)は朝から某会議のために東京に行きました。

 別に東京なんて何回行ったか数え切れないくらい行っているのですが、昨日は初めて経験した貴重な日でした。

 つまり銀ブラです。

 私は東京という都市が大嫌いなんです。私の先輩広瀬和雄さんは大好きなのです。同じ京都に生まれ、育ち、同じ高校に行ったのにです。もっとも大学が彼は京都で私が広島ですから、この辺りから感覚がずれてきたのかな?さらに就職先が向日市と大阪府ではね!!!(笑)

 東京がきらいな理由。
 第一に人が多すぎること。
 第二に東京弁をしゃべる人間ばかりいること。
 第三に人間が規則を守りすぎること。以前22時過ぎの東京の駅を降りて改札口を出ると、長蛇の列。{なんじゃこれ??」階段の上から下まで先を辿るとそこはタクシー乗り場。「ギョ!!」アー怖かった。こんな方々は右向け右でしょうね。
 第四にせかせかしていること。
 第五に坂が多すぎること。
 第六に道が方向も規模もバラバラなこと。
 第七に交通機関があり過ぎてどれに乗ったらいいのかわかりにくいこと。
等々、数え切れないくらい一杯あるのです。その大嫌いな東京のど真ん中はもっと嫌いです。一番が丸の内・霞ヶ関、二番が赤坂・銀座、ところがその銀座に行ったのです。

 初めて有楽町駅に降りました。



 「銀恋」に出てくるあそこです。

 さて、東京駅に着きました。会議の場所が「銀座」というので当然東京駅から普通に行けるものと思い込んでいました。ところが新幹線の駅を降りて案内表示を見るにどこにも銀座という文字がありません。{????}
 おかしいな?仕方なく改札にいたJRのおねえさんに

 「地下鉄銀座線はどこですか?」と聞きました。素っ気なく
、「地下鉄銀座線はありません。」というのです。
  「どこに行くのですか?」
 「銀座一丁目です。」
 「それなら○○で□□で降りて下さい」と早口で路線名と駅名を言われる。何とか駅名が「有楽町」らしいことは判ったのだが、路線名が聞き取れない。でもま、案内標識に有楽町はこっちくらい書いてあるのだろうと思い直し、再び進むがどこにもない!!「エッツ??」さっきのおねえさんにきくのははずかしいからやむなくはなれたところにいたお兄さんに聞くと
 「山手線五番ホームです。」と少々早口だが、何とか聞き取って五番線へ向かう。

歩きながらブツブツ。「杖突いた老人が、新幹線を降りた改札口で尋ねているんだから、〈お上りさん〉くらい判るやろ。もうちょっとゆっくりとわかりやすく説明できひんのかいな!!そら、ようけ降りてきゃはるから一々丁寧にやってたら仕事がはかどらんというのは判る。そやけど、もうちょっと丁寧に説明できるやろ!」と思った次第です。

 何とかおにいちゃんの説明通り有楽町の駅を降りました。これがまたとんでもないところ。そこでまた、駅員さんに「松屋はどこですか?」と聞く。
 「ア、ココマッスグイッタラアリマスヨ」
 「ハア!?」

 で、真っ直ぐらしい道に出るとその道といわれたところには真ん中にどかんと大きなビルがある。その両側に道がある。「???」どっちや?」もう聞きに行けないので左側の道を進む。すると何とこの道の両側にはあるわあるわバーバリ、プランタン、zoe、ブルガリ(最初これ読めんかった(笑))そしてルイビトンが目標の松屋の角にあった。





お上りさんに思われるのが悔しいからそっと写真を撮ったら逆光でこんな写真しか撮れなかった。クッソー(笑)

 「ふー」その上この松屋の前の道は歩行者天国、あいにく昨日は祝日(私はこの日は祝日なんて思わないから以前から仕事をしている)で大変な人だかり。最終目的地がルノアールという喫茶店なので、先ずそこを探さないと。これがまた判らない。



ルノアールという喫茶店は東京中にあるらしく、私は東大の赤門前のルノアールはよく行ったことがあるが、銀座は初めて。何とか聞き出して判ったのだが、約束の時間には早過ぎる。仕方ないから昼飯でも食うかと周りの店を覗くといるわいるわどこの店も超満員!!それどころか東京名物・待っている人が長蛇の列!!(これがいやだから東京に行っても店に入らない。第八番目の理由)スタバまですごい人。ちなみにスタバは松屋の裏通りの左右に2軒もある。確か、津にはないと思うのだが、どっか郊外にあるのかも。とにかく津駅前にはうすいコーヒーで有名??(要するに私の嫌いなコーヒーしか出さない)ドトールしかない。

 そろそろ脚が痛くなってきたのでどこかに座りたいのだが・・・店がない!!いや、店は一杯あるのだが、入れない。どうしよう?仕方ない、待合の店に入って先にコーヒーでも飲んでいよう。と入ると同じ会議の方が順番待ちの席に座っておられる。座っていいというので、やっと座れた。

 (アー、とにかくしんどかった。二度と銀座なんて行くもんか!!)と心に秘めて京都に帰ったのでありました。ホント、疲れた!!益々東京が嫌いになった一日でした。

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 ちなみに、嫌いな理由をもう一つ思い出した。店が混んでいて、仮に待たずに座れても、ほとんどの店が「相席」。場所によっては知らない店で知らない客と尻付き合わせて食事をする。こんなのブロイラーと同じ。これも大嫌いな理由の一つ。

今年の就職状況の条

2015-02-11 00:56:37 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 今年の三重大学考古学研究室の就職・進学状況は100%希望を達成した記念すべき年となりました。

 とは言ってももう私は関係ないので、後任の小澤先生の指導のお蔭なんで、とても嬉しく思っています。その効果があってか、今年の専攻生は5人もいるとか(3年生進級時点で指導教官を決めます)、院生も一人進級する予定なので、4年生が一人と可愛そうだったのですが、これで発掘調査しても形になる態勢が組めそうです。

 是非、考古学をやりたいと思っている人は三重大学に進学して下さいね。いいところですよ(自分で言うのもなんですが (笑))。

 それにしても今年の卒業生は院生二人が文化財関係の専門職、進学希望者が二人でほぼ進学先が決まり、高等学校社会科教員が一人、博物館学芸員が一人と、完璧な状況。私の時にはなかった快挙なのです。これで卒業生でまだ正職になれない二人が何とか決まってくれれば私は思い残すことがないんだけれど・・・。この二人もとっても頑張っているし、能力は抜群なんだけれど、なにせ、面接がダメなんだよね。

 今年も4次まである最終まで行って落とされるんだからよっぽで面接がダメなんだろうな~~~。悲しい!!僕がちょうど忙しいときに面接があったので事前練習してやれなかったのだけれど、もし来年度こんな機会があれば絶対にやってやろうと思っている。

 それにしてもここのところの求人はすごい!!確実に求人の方が多く、学生は選択できる点が魅力。

 団塊の世代が定年延長や再就職を終えて、完全にリタイアしたからだろうか。相当数の専門職の募集がある。そんな中でいつまで経っても嘱託でごまかそうとする自治体があったりで、そういう自治体に限って調査体制もろくなもんじゃない。嘱託の待遇も悪く、酷いものだ。

 ま、少なくとも私も1~3年間は面倒見た学生が無事就職してくれてこんなに嬉しいことはない。これから、しっかり現場で経験を積んで、10年くらい経てば経験した現場の資料を素材に論文を書きためて、是非研究者を目指して欲しいものである。

 今年は春から結婚式が二件とこの就職・進学状況、本当に縁起がいい!!

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最近の身体事情の条

2015-02-09 22:06:27 | yaasan随想
 試験も終わり、成績も出し、初めての公務のない2・3月が始まりました。
 とは言っても昨日は早速卒業生の結婚式があり、簡単なスピーチをし、来週は朝日カルチャーで東京に出かけ、再来週は『延喜式』研究会の発表と古代学協会での講演会、月末は仙台で古代城柵官衙遺跡検討会があるので、そんなに暇ではないのですが、この時期大学に勤めていると一杯ある教授会やら、様々な委員会の会議や、学生の卒論諮問や修論諮問など、公務がぎっしりなのです。だから、そうした公務のない初めての春休み(春の無職状態)をどう過ごすのか?まだよくわかりません。

 そんな中、我が膠原病(免疫不全・関節リュウマチの一種らしい)の本格的な治療が始まりました。これまではリュウマチ専用の薬・リューマトレックスとやらを週末に5錠、6錠をプレドニン(ステロイド)と併用して少しずつ増やしながら飲んでいたのですが、一向にリュウマチの血液に出てくるCRPという値が改善されないので、正常ならだいたい0.45~0.5らしいのですが、私は1.0から下がることがなく、最大6にまでなったのです。直近でも3前後を繰り返し、痛みも痛み止め無しでは絶えられない痛さを発するのです。

 そこで、以前から言われていた高額だが、効き目は高いエンブレルという注射を打つことになったのです。いろいろなタイプがあって1ヶ月効く通院して注射するもの、二週間置きに注射するもの、毎週自分で注射するもの、どれかを選択しろと言うことでした。1ヶ月でいずれも5万円余するという代物。最低でも6ヶ月、普通は1年間注射して効き目が安定するという。年間60万円ほどの臨時出費である。正規に勤めているときなら問題はないのだが、年金生活者にはなかなかの負担である。しかし、放置しておくと身体のそこら中が曲がってき、それを元に戻すことは不可能で、いずれ車椅子になるというからそちらの方が問題だ。まだ働けるので、今のうちに薬代くらいは働いて、何とか家族に迷惑をかけない老後としなければ!!

 そんな思いから3週間前から打ち始めた。値段は高いが、結構効き目があり、この3週間、痛み止めが全くいらない。このまま数値が安定することを願うばかりだ。

 死の直前まで元気で、ある日パタンと死ぬとは思っていなかったが、それにしても予想外にいろいろなところにガタが来るものである。ケチのつき始めが緑内障、これは結局治療のミスもあって右目はほとんど見えないまま。後何年もつかさっぱり判らない。運を天に任す以外になさそうである。次が突発性血小板減少性紫斑病(難病指定でこれは治療費がいらなかった)そして今回の膠原病。原因不明だが、先の病気(突然免疫が狂い、血小板がなくなった病気)の影響があるのだろうという。そしてこれと平行して判った前立腺の異常。他の数値はことごとく平均値でいいのに、どうも免疫系だけがフラフラしている。

 もっとも、痛みさえなければ何とかなるので、もう少し、気力が萎えないうちに何とか溜まっている原稿を書き上げたいのだが、・・・・。既に薬の影響か?気力も徐々に衰えている。

 皆さん、病や老いとどう闘っているのですかね。

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2014年度の最終講義の条

2015-02-03 22:46:19 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 2014年度は二つの大学で非常勤として考古学の授業を行った。京都のある私立大学の授業は既に終わって、間もなく大学から学生のレポートが送られてくるはずだ。後は成績を付けて終わり。この大学では、受講生が考古学の道に進むわけではないので、興味のある学生に少しそのエキスを紹介する授業をした。先日の平安宮歩きもその一環だった。今日送られてきたレポートに添えられた授業の感想では、この平安宮見学がとても印象深かったようだ。
もう一つの国立大学では、考古学の特講を受け持った。一人専門の道に進みたいという学生がいるので特講らしい内容の濃い授業をした。もっとも昨年度からの連続した内容の授業で、本当は2年続けてとってくれるとありがたいのだが、なかなか・・・。但し、この授業は市民開放授業なので、5人の社会人の方が受講されている。とても熱心で、ほぼ全員が皆勤。授業が終わると20分前後質問攻めに遭う。
 
 後期のテーマは『長岡京から平安京~後期宮都の構造比較』だった。
 まず最初に、私の長岡京後半期に関する論文や今問題の「西宮説」を紹介し、その論点と果たすべき課題を検討した。次いで、私の平安京に関する論文を紹介し、その意図を講義した上で、網伸也著『平安京造営と古代律令国家』塙書房 2011年)を教科書にして全10章で構成される論文を一章ずつ内容を分析した。論点や現状での評価などを一部最新の発掘調査なども入れながら検討した。
 網氏の論文については発表された時点で大半は読んだつもりでいたが、いざ、読み直してみるととても頭に入っていなかったことに気付かされ再度じっくり読むことになった。そういう意味では、ほぼ全章を精読し得た点はとても有意義であった。専門を目指す学生のいる大学での授業はこうした自分自身の勉強になるというメリットがある。

 その中でも、発表されたときから大きな注目をあびた第一部第二章「平安京の造営計画とその実態」については、少々難解な論文だっただけに、メモをとり、数値を確認しながら何度も読み込んだ。お蔭でこれまで十分に理解できていなかった点が理解でき、私の今後の研究に重要なヒントを与えてくれる成果となった。同論文では私の条坊制論が厳しく批判されており、もし反論の余地が見いだせるものなら、いつか論文にしたいと思っていた好論であるだけにその精読には力が入った。

 精緻な網氏の資料批判を踏まえた遺物や遺構の分析は、読み直したお蔭で相変わらず結論は異なるのだが、私の研究にとても役に立つ面白い視点が提供されていることに気付いた。やはり研究は正確な資料をいかに丁寧に分析するかにその質がかかっていることを改めて認識した。今の仕事が片付けば早々に書いてみたいという欲求に駆られたくらいである。

 また、同氏の専門である平安京の瓦に関する論考がまとめられた第2部は精細な資料分析に則った、覆しようのない質の高い論考であることを改めて確認した。
 特に、近年発見されたばかりの大山崎瓦窯に関する分析は鋭く、その開窯の目的が明確に判る好論であることを再認識した。もちろん、造東大寺使の設置に始まる8世紀後半の造瓦体制と宮都の造営に関する考え方には異論もあるが、この点も後日表現できればいいな、と思った。

 ところで、この授業の間に、平安京左京九条三坊から施薬院に関する木簡の出土が伝えられた。左京でも南の方は結構木製品等が遺るのだということが判っただけでも大きな成果なのだが、さらにその内容が施薬院という教科書にまで出てくる施設に関するものだけに直ぐに授業でも紹介した。この最新資料は昨年12月に開かれた木簡学会でも調査成果が紹介され大きな関心を集めた。但し、この報告の中で、考古学と文献史学の調査担当者や研究者のそれぞれの報告があったのだが、少し残念に思ったのは、相変わらず、考古の発表と文献の発表が十分に噛み合わなかった点である。
 発掘調査は左京九条三坊十町の西半部でなされた。木簡の発見された「池」は一部西端を限る条坊遺構にまで及んでおり、この宅地が東西二町以上利用されていた可能性がある。もしそうだとすると後世の史料に施薬院が九条三坊三町に所在したという記録との関係が注目できるのである。だから、木簡が池の東側からか西側からかどちら側から投棄されたのかが大きな問題であった。その点を質問したのだが、

「確認できていない」とのことだった。

 木簡はとかく書かれている文字に注目が集まる。当然ではある。この場合も、「施薬院」に関係する内容が書かれていないただの板きれなら、ほとんどの人が注目しないだろうから。だから文字は不可欠何のだが、といって考古学から提供できる情報がないわけではないのである。壺の調査の場合、木簡が池の西から投棄されたのか東からなのかという情報は、木簡には書いていない木簡がどこにどのように保管されていたのかを探る貴重な情報なのだ。もし西から投棄されたことが証明できれば、平安初期に平安京の南端付近九条三坊には七町・十町の二町にまたがって施薬院関係の施設があったことを実証できるのである。そのことはつまり、後の史料に出てくる三町に所在したという記録との関係も俄に注目されることになるのである。

 そんなことなどにも触れながら授業をすることができた。

 来年度は「日本古代木簡を通してみた宮都と地方」をテーマに、亡くなられた今泉隆雄さん『古代木簡の研究』などをテキストに講義するつもりである。できれば、以前から懸案の隠岐国、伊豆国、安房国から貢進された木簡のルーツに関する研究をまとめてみたく思っている。今泉さんへの恩返しでもある。

 考古学と文献史学、それぞれが自分の領域を精度高く研究した上で、他の領域とのしっかりした研究のやりとりをしないとね。

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