憧れの殷虚!!皆さんも是非一度訪れてみて下さい。
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今日で今回の洛陽から偃師→鄭州→登封→安陽→鄴城踏査は終わりです。この3人組で行くと大抵、いろんなトラブルやら思いがけない出会いやら、予想外の遺跡の発見など、様々なことが起こるのですが、予想に違わずやはり今回も、ありました。
ところが二三日前から風邪をひいてしまって、何とか毎日現場には出ていたのですが、ブログを更新する元気が無くて、帰って、ご飯を食べると暖かくしてバタンキュウ!毎日8時間以上寝ていました。二日間でベットはぐっしょり、二つあるベットを交替交代に使っていたので何とかなりましたが、毎日汗で濡れた下着の洗濯もせにゃならず、疲れました。そんなこんなで今朝まではひょっとしたらインフルエンザではないか!と疑っていたのですが、どうやら危機は脱したようで今夜は少し元気になりましたので、忘れないうちにここ二三日の分をアップしておきます。
と安心していると、仲間のMB先生が先程から調子が悪いと言って先に寝てしまいました。やはりインフルエンザだったのかしら!?申し訳ないことをしました。
さて、8月27日はいよいよ鄴城へ!と思っていたのですが、社会科学院の先生方の都合もあり、鄴城へは28日に行くことになりました。代わって最後に行く予定の殷虚博物館と殷虚遺跡の発掘現場、そして安陽の北60キロほどの郊外にある唐代の方塔を見学することになりました。
午前中に修定寺という寺院跡に残された方塔を見に出かけました。さほど期待はしていなかったのですが、見てびっくりなかなかのものでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/b2/7c6d65bdbb788049ec1978ccdf35bb25.jpg)
修定寺の現在の山門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/d8/16d64b948a0bb28b10d6dbf04c8f90bb.jpg)
南からの塔
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/cb/df035c906bd5c18f0f9c31a7d576f5b1.jpg)
屋根の頂部
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/87/96d069cda50ea2d10a550d74706985ca.jpg)
壁面は修復されているが古代のものもよく残っており、素晴らしい姿を見せてくれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/40/24e825f95ed646495bb71a47646d30cc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/de/f2690635dbc6e00a638626c79f32307a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/9b/c7b3d87aa296a0bc8bb3d8cb01511ec5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/67/12ff9e172da03ade47ff90a69a2c65fb.jpg)
じっくり見ていたかったのですが、そうも行かず、1時間ほどで、安陽に戻ることになりました。それにしてもどうして正方形なのか、その理由はよく判っていないようです。図柄の中にもインドの動物などが出てくるようで、丁寧に図像を分析すると面白いのかも知れません。
食事の前に発掘中の殷虚遺跡を見学させてやるというのです。大規模な工場建設の事前調査のようで、数年前から何回かに分けて調査しているようです。残念ながらここは写真も禁止なのでメモを取ってきました。
それによると1箇所では轍の跡が発見されていました。車輪自身の跡が、日本古代とは比べものにならないくらい幅広く、約20㎝くらいあり驚きましたが、午後から殷虚博物館を訪れて、車馬坑を見学し、その幅の広いことに納得しました。
もう1箇所では廊下で繋がった建物跡を見学しました。掘立柱建物の柱跡に自然石を入れたものがあり、礎石とも説明されました。よく判りません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/52/879f7ba62d4fab05f3c55e44ebb95911.jpg)
正面入口
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/99/c49cb9d5a970412ff1cd0d9160317114.jpg)
入口を入ったところ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/54/a62a4831a0a527c3836ced09c3911b5a.jpg)
展示品のいろいろ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/22/7451b710caf51be7447b2b05f7ed95d6.jpg)
さて、憧れの殷虚遺跡です。
というのも、私は小学校4年生の頃に聞いた「インカの少年」というラジオドラマが考古学への興味の最初なのですが、実はこれを確実なものにし、何としても考古学のある大学に行こう!!と決定的な印象を与えたのが、洛東高校1年生の時に図書室で見つけたみすず書房の世界考古学のシリーズだったのです。
中でもチャドウイックの『線文字Bの解読』はとても刺激的で何度も何度も読みました。そんな中でもう一つ離せなかったのが貝塚茂樹の『古代殷帝国』でした。だから、いつか死ぬまでに訪れてみたいところがインカ、殷虚、クレタ島だったのです。その一つも実現していなかったのですが、今回、鄴城探査のお蔭で訪れることができました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/b3/072d6b4b5024fc7af7efc9fa38688e20.jpg)
沢山の骨製品も出ている.これは簪。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/44/17e89ba20180d96f6ede62086fc65334.jpg)
よく知られている青銅器群
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/05/5ce98a0fce1acc6679db081c6b5d0b95.jpg)
権力が構築されると人間というのは本当にむごいことができるものである。これは人間の頭を青銅器に詰め込んで行われた祭祀の跡らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/be/f24965c11b08e19d043189a10df37328.jpg)
典型的な青銅器。殷と言えば青銅器だが、今やこの文化は夏まで発見されてさらに遡る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/f0/5fadf59d5c9f8c3f873d68a500be677f.jpg)
様々な玉器も出土している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/93/ea0be1adcf16c472a6c0f2f3dd8647a0.jpg)
甲骨文字誕生の亀甲祭祀。漢方薬として知られていた亀甲を砕いた薬の中に小さな破片を見つけたのがきっかけだったというのはあまりに有名。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/75/48b6d23e1fc99d650e97a4b8c2ad3714.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/fd/4ee98901f5cbc3a3fbe2dbe1b35c5257.jpg)
読めるだろうか、結構小さい字である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/18/ba9daea8232a89fcefe0599abba17302.jpg)
車馬坑の展示状況。出土状況の写真。中には馬子も生け贄にされているものがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/d3/1bed666ecd659d59221b27d1b05b237b.jpg)
祭祀を執り行った建物群であろう。日本風の展示光景なのだが、説明も十分でなくちょっと手抜きかな?!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/c0/c76247e604e6e090ed682857e322ca42.jpg)
建物群の直ぐ横が墓域でもあったらしい。大量の墓地が人骨を復元して展示してあったのだが、既に展示施設に草が入り込み見えないものもあった。北京オリンピック時だけの管理だとすると悲しい!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/7c/6ad7dcf27c1e67488499f6ada8cead10.jpg)
唯一未盗掘だった婦好墓。地下に遺跡が復元されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/cf/aec161a7bf078a1ea8a8163b88936495.jpg)
この墓は7層にも分けて版築され、その各層に犠牲が葬られていたという。これまた残酷な話しである。ただしこの版築が盗掘者の目を騙したらしく、建物跡と誤認した盗掘者は途中で諦めて今日に至ったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/61/3c8d07133191378fa6a0f9dfcf088c97.jpg)
王陵群である。王の墓がまとまって設けられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/05/7cc4eda960cb65a99853dd3cbb42accf.jpg)
官人であろうか、貴族であろうか、王族以外の墓が別にある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/15/3721472f25a24121bb1591f31257a4a6.jpg)
この様に生け垣で王墓の位置が示されている。奈文研仕込みであろうか。
この施設まだ公開されていないらしく、整備途中だった。
なにせこの日は40度を超す猛暑、風邪も手伝って、参りました!!
ただし、殷虚遺跡は殷虚博物苑に様変わりし、とても整った公園と化していました。僕のイメージでは、鄙びた田舎にぽつんと文物碑が建っていて、かつて村人達が薬の材料として売っていた甲骨文字のある亀甲採取の穴だけが何となく判るのかと思っていたら、とんでもない近代的博物施設でした。あまりに整いすぎていて。金太郎飴を見ているようで少し残念に思いました。このワンパターン、何とかならないのでしょうか。
「殷虚にて 炎天下に臥す 人骨達」
「轍往く 戦いの日々 蝉の声」
「甲骨に 刻みたる文字 卜占の夏」
「若き日の 憧れの地に 汗滂沱」
オバマ大統領のヒロシマ86,ナガサキ89訪問を求めよう!!こいつをポチッと押して下さいね→![人気ブログランキングへ](http://image.with2.net/img/banner/banner_22.gif)
昨日昼に食べたものがいけなかったのか、今度は激しい下痢に襲われて今朝からぐったり。なかなか簡単には帰らせてくれません。フーッツ。これから荷物をまとめて安陽から新幹線で北京に向かいます。今夜は中国の研究者では唯一と言ってもいい親しい友人との再会!楽しみです。
この続き(前半の洛陽の探査について)は帰国してからアップします。
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今日で今回の洛陽から偃師→鄭州→登封→安陽→鄴城踏査は終わりです。この3人組で行くと大抵、いろんなトラブルやら思いがけない出会いやら、予想外の遺跡の発見など、様々なことが起こるのですが、予想に違わずやはり今回も、ありました。
ところが二三日前から風邪をひいてしまって、何とか毎日現場には出ていたのですが、ブログを更新する元気が無くて、帰って、ご飯を食べると暖かくしてバタンキュウ!毎日8時間以上寝ていました。二日間でベットはぐっしょり、二つあるベットを交替交代に使っていたので何とかなりましたが、毎日汗で濡れた下着の洗濯もせにゃならず、疲れました。そんなこんなで今朝まではひょっとしたらインフルエンザではないか!と疑っていたのですが、どうやら危機は脱したようで今夜は少し元気になりましたので、忘れないうちにここ二三日の分をアップしておきます。
と安心していると、仲間のMB先生が先程から調子が悪いと言って先に寝てしまいました。やはりインフルエンザだったのかしら!?申し訳ないことをしました。
さて、8月27日はいよいよ鄴城へ!と思っていたのですが、社会科学院の先生方の都合もあり、鄴城へは28日に行くことになりました。代わって最後に行く予定の殷虚博物館と殷虚遺跡の発掘現場、そして安陽の北60キロほどの郊外にある唐代の方塔を見学することになりました。
午前中に修定寺という寺院跡に残された方塔を見に出かけました。さほど期待はしていなかったのですが、見てびっくりなかなかのものでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/b2/7c6d65bdbb788049ec1978ccdf35bb25.jpg)
修定寺の現在の山門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/d8/16d64b948a0bb28b10d6dbf04c8f90bb.jpg)
南からの塔
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/cb/df035c906bd5c18f0f9c31a7d576f5b1.jpg)
屋根の頂部
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/87/96d069cda50ea2d10a550d74706985ca.jpg)
壁面は修復されているが古代のものもよく残っており、素晴らしい姿を見せてくれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/40/24e825f95ed646495bb71a47646d30cc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/de/f2690635dbc6e00a638626c79f32307a.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/67/12ff9e172da03ade47ff90a69a2c65fb.jpg)
じっくり見ていたかったのですが、そうも行かず、1時間ほどで、安陽に戻ることになりました。それにしてもどうして正方形なのか、その理由はよく判っていないようです。図柄の中にもインドの動物などが出てくるようで、丁寧に図像を分析すると面白いのかも知れません。
食事の前に発掘中の殷虚遺跡を見学させてやるというのです。大規模な工場建設の事前調査のようで、数年前から何回かに分けて調査しているようです。残念ながらここは写真も禁止なのでメモを取ってきました。
それによると1箇所では轍の跡が発見されていました。車輪自身の跡が、日本古代とは比べものにならないくらい幅広く、約20㎝くらいあり驚きましたが、午後から殷虚博物館を訪れて、車馬坑を見学し、その幅の広いことに納得しました。
もう1箇所では廊下で繋がった建物跡を見学しました。掘立柱建物の柱跡に自然石を入れたものがあり、礎石とも説明されました。よく判りません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/52/879f7ba62d4fab05f3c55e44ebb95911.jpg)
正面入口
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/99/c49cb9d5a970412ff1cd0d9160317114.jpg)
入口を入ったところ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/54/a62a4831a0a527c3836ced09c3911b5a.jpg)
展示品のいろいろ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/22/7451b710caf51be7447b2b05f7ed95d6.jpg)
さて、憧れの殷虚遺跡です。
というのも、私は小学校4年生の頃に聞いた「インカの少年」というラジオドラマが考古学への興味の最初なのですが、実はこれを確実なものにし、何としても考古学のある大学に行こう!!と決定的な印象を与えたのが、洛東高校1年生の時に図書室で見つけたみすず書房の世界考古学のシリーズだったのです。
中でもチャドウイックの『線文字Bの解読』はとても刺激的で何度も何度も読みました。そんな中でもう一つ離せなかったのが貝塚茂樹の『古代殷帝国』でした。だから、いつか死ぬまでに訪れてみたいところがインカ、殷虚、クレタ島だったのです。その一つも実現していなかったのですが、今回、鄴城探査のお蔭で訪れることができました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/b3/072d6b4b5024fc7af7efc9fa38688e20.jpg)
沢山の骨製品も出ている.これは簪。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/44/17e89ba20180d96f6ede62086fc65334.jpg)
よく知られている青銅器群
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/05/5ce98a0fce1acc6679db081c6b5d0b95.jpg)
権力が構築されると人間というのは本当にむごいことができるものである。これは人間の頭を青銅器に詰め込んで行われた祭祀の跡らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/be/f24965c11b08e19d043189a10df37328.jpg)
典型的な青銅器。殷と言えば青銅器だが、今やこの文化は夏まで発見されてさらに遡る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/f0/5fadf59d5c9f8c3f873d68a500be677f.jpg)
様々な玉器も出土している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/93/ea0be1adcf16c472a6c0f2f3dd8647a0.jpg)
甲骨文字誕生の亀甲祭祀。漢方薬として知られていた亀甲を砕いた薬の中に小さな破片を見つけたのがきっかけだったというのはあまりに有名。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/75/48b6d23e1fc99d650e97a4b8c2ad3714.jpg)
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読めるだろうか、結構小さい字である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/18/ba9daea8232a89fcefe0599abba17302.jpg)
車馬坑の展示状況。出土状況の写真。中には馬子も生け贄にされているものがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/d3/1bed666ecd659d59221b27d1b05b237b.jpg)
祭祀を執り行った建物群であろう。日本風の展示光景なのだが、説明も十分でなくちょっと手抜きかな?!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/c0/c76247e604e6e090ed682857e322ca42.jpg)
建物群の直ぐ横が墓域でもあったらしい。大量の墓地が人骨を復元して展示してあったのだが、既に展示施設に草が入り込み見えないものもあった。北京オリンピック時だけの管理だとすると悲しい!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/7c/6ad7dcf27c1e67488499f6ada8cead10.jpg)
唯一未盗掘だった婦好墓。地下に遺跡が復元されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/cf/aec161a7bf078a1ea8a8163b88936495.jpg)
この墓は7層にも分けて版築され、その各層に犠牲が葬られていたという。これまた残酷な話しである。ただしこの版築が盗掘者の目を騙したらしく、建物跡と誤認した盗掘者は途中で諦めて今日に至ったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/61/3c8d07133191378fa6a0f9dfcf088c97.jpg)
王陵群である。王の墓がまとまって設けられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/05/7cc4eda960cb65a99853dd3cbb42accf.jpg)
官人であろうか、貴族であろうか、王族以外の墓が別にある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/15/3721472f25a24121bb1591f31257a4a6.jpg)
この様に生け垣で王墓の位置が示されている。奈文研仕込みであろうか。
この施設まだ公開されていないらしく、整備途中だった。
なにせこの日は40度を超す猛暑、風邪も手伝って、参りました!!
ただし、殷虚遺跡は殷虚博物苑に様変わりし、とても整った公園と化していました。僕のイメージでは、鄙びた田舎にぽつんと文物碑が建っていて、かつて村人達が薬の材料として売っていた甲骨文字のある亀甲採取の穴だけが何となく判るのかと思っていたら、とんでもない近代的博物施設でした。あまりに整いすぎていて。金太郎飴を見ているようで少し残念に思いました。このワンパターン、何とかならないのでしょうか。
「殷虚にて 炎天下に臥す 人骨達」
「轍往く 戦いの日々 蝉の声」
「甲骨に 刻みたる文字 卜占の夏」
「若き日の 憧れの地に 汗滂沱」
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昨日昼に食べたものがいけなかったのか、今度は激しい下痢に襲われて今朝からぐったり。なかなか簡単には帰らせてくれません。フーッツ。これから荷物をまとめて安陽から新幹線で北京に向かいます。今夜は中国の研究者では唯一と言ってもいい親しい友人との再会!楽しみです。
この続き(前半の洛陽の探査について)は帰国してからアップします。