今日は夏休み2日目。14時から8月ののオペラ「カルメン」和歌山公演のための打ち合わせがあるため、午前中を使って、一の宮巡りをしてきた。
武蔵国一の宮は2つあって、氷川神社と氷川女体神社がある。まずは氷川女体神社の方に足を運ぶ。
東浦和駅からバスで8分、芝原小学校前で下車し、15分ほど歩く。
ところが、神社への案内看板等が一切ないのである。スマホの地図頼りに歩くと、不意に階段が出てきた。
そこを登っていくと、こんもりとした鎮守の森の中に、拝殿があった。
社伝では、崇神天皇の時代に出雲大社から勧請して創建されたと伝えられるので、相当歴史が古い。
社殿は本殿と拝殿を幣殿(へいでん)でつなぐ複合社殿で、権現造だ。
主祭神は奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)で、大己貴命(おおなむちのみこと)と三穂津姫命(みほつひめのみこと)を配祀(はいし)している。
奇稲田姫はスサノオノミコトの奥様であるが、私はこの漢字を見て、20年ぶりくらいに合点が行ったことがある。
それは、子供の頃読んだ古典童話だと、スサノオノミコトの妻はクシナダヒメと書いてあった。ところが20代の頃、松江の八重垣神社に行った時、スサノオノミコトの妻は稲田姫と書いてあるではないか。「え、この女神だったっけ?」と思いながらお参りしたのであった。(つまりヤマタノオロチからクシナダヒメを救い出した直後に別の女を作ったの?と、疑いたくないけど、半分疑っていた。)
それを今になって、クシナダヒメは奇稲田姫も表記されるのだということを知った。調べると、『古事記』では櫛名田比売、『日本書紀』では奇稲田姫と表記されているとか。
「奇し稲田(くしいなだ)姫」すなわち霊妙な稲田の女神であれば、奇がはずれて稲田姫と書かれることがあるのもわかる。もとは稲田の神である。ただ、ヤマタノオロチから守るために、一時的に櫛に変えられていたので、櫛と「奇し」をかけて言葉の遊びをしているのである。
なので、稲田姫=くしなだひめ の関係がようやくわかってすっきりした。
尚、御朱印をいただこうとしたら、係の方が常駐していないとのこと。なので書置きに日付を入れたのをいただいて、御朱印帳に貼ることにした。
こじんまりとはしていたが、何となく懐かしい気持ちになるお宮さんであった。
武蔵国一の宮は2つあって、氷川神社と氷川女体神社がある。まずは氷川女体神社の方に足を運ぶ。
東浦和駅からバスで8分、芝原小学校前で下車し、15分ほど歩く。
ところが、神社への案内看板等が一切ないのである。スマホの地図頼りに歩くと、不意に階段が出てきた。
そこを登っていくと、こんもりとした鎮守の森の中に、拝殿があった。
社伝では、崇神天皇の時代に出雲大社から勧請して創建されたと伝えられるので、相当歴史が古い。
社殿は本殿と拝殿を幣殿(へいでん)でつなぐ複合社殿で、権現造だ。
主祭神は奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)で、大己貴命(おおなむちのみこと)と三穂津姫命(みほつひめのみこと)を配祀(はいし)している。
奇稲田姫はスサノオノミコトの奥様であるが、私はこの漢字を見て、20年ぶりくらいに合点が行ったことがある。
それは、子供の頃読んだ古典童話だと、スサノオノミコトの妻はクシナダヒメと書いてあった。ところが20代の頃、松江の八重垣神社に行った時、スサノオノミコトの妻は稲田姫と書いてあるではないか。「え、この女神だったっけ?」と思いながらお参りしたのであった。(つまりヤマタノオロチからクシナダヒメを救い出した直後に別の女を作ったの?と、疑いたくないけど、半分疑っていた。)
それを今になって、クシナダヒメは奇稲田姫も表記されるのだということを知った。調べると、『古事記』では櫛名田比売、『日本書紀』では奇稲田姫と表記されているとか。
「奇し稲田(くしいなだ)姫」すなわち霊妙な稲田の女神であれば、奇がはずれて稲田姫と書かれることがあるのもわかる。もとは稲田の神である。ただ、ヤマタノオロチから守るために、一時的に櫛に変えられていたので、櫛と「奇し」をかけて言葉の遊びをしているのである。
なので、稲田姫=くしなだひめ の関係がようやくわかってすっきりした。
尚、御朱印をいただこうとしたら、係の方が常駐していないとのこと。なので書置きに日付を入れたのをいただいて、御朱印帳に貼ることにした。
こじんまりとはしていたが、何となく懐かしい気持ちになるお宮さんであった。