今日は、会社の午前休をとって、先日書いたコントラバスの先輩の葬儀に行ってきた。
場所は、何と近所のプロテスタント教会。
所属オケや所属オペラ団体の人が結構沢山来てくださったことが、我がことのように嬉しかった。
キリスト教の礼拝に参加するのは本当に久しぶり。先輩が好きだったという讃美歌30番(あさかぜしずかにふきて)とII編の56番(主はその群れを(メサイヤの一曲))に加え、320番(主よみもとに近づかん)、541番(父、み子、みたまのおおみかみに)をみんなで歌った。
「主よみもとに近づかん」は、私は学生時代は何も考えずにガンガン歌っていたが、今日は歌っているうちに泣けてきて泣けてきて、何回も歌えなくなった。故人を送るには本当にいい歌だ。私もこの世を去る時は、この歌に送られたいものである。
久々に讃美歌に触れて、自分の若い頃の讃美歌にあふれた生活を思い出した。
牧師様が、亡くなった先輩の生涯や人となりについて、詳しくお話くださった。色々大変で辛い日々があっても先輩は真面目にこの教会の礼拝に参加していたようであり、またご家庭ではどんなお父さんだったのか、私があまりよく知らなかった先輩の側面を知ることが出来た。
また喪主を務められたお嬢様(長女)の語られた、先輩の最後の日々の様子に涙した。容体が急変し、先週の土日が山だと言われており、お嬢様(次女)がお孫さんのお宮参りに善光寺に行こうとしていたのを取りやめようとしたところ、先輩が絶対行ってこいと言ったらしく、日曜日に帰ってきたお嬢様(次女)にお孫さんのお宮参りの写真を見せてもらって、沢山の管につながれたままの先輩は「おう、おう」と言いながら喜んでいたとのこと。亡くなったのは月曜日の未明。土日が山と言われていたのを、お宮参りの写真を見るまでは・・と頑張って待っていらしたんだね。
献花をすませ、みんなで棺に花を入れに行った時、先輩のお顔を拝むことができたが、感動的に安らかなお顔をされていた。まだ65歳。私とは一回りしか違わない。早すぎるご最期なれど、棺の中のおだやかなお顔を見て、きっと先輩の魂は救われていると確信した。
場所は、何と近所のプロテスタント教会。
所属オケや所属オペラ団体の人が結構沢山来てくださったことが、我がことのように嬉しかった。
キリスト教の礼拝に参加するのは本当に久しぶり。先輩が好きだったという讃美歌30番(あさかぜしずかにふきて)とII編の56番(主はその群れを(メサイヤの一曲))に加え、320番(主よみもとに近づかん)、541番(父、み子、みたまのおおみかみに)をみんなで歌った。
「主よみもとに近づかん」は、私は学生時代は何も考えずにガンガン歌っていたが、今日は歌っているうちに泣けてきて泣けてきて、何回も歌えなくなった。故人を送るには本当にいい歌だ。私もこの世を去る時は、この歌に送られたいものである。
久々に讃美歌に触れて、自分の若い頃の讃美歌にあふれた生活を思い出した。
牧師様が、亡くなった先輩の生涯や人となりについて、詳しくお話くださった。色々大変で辛い日々があっても先輩は真面目にこの教会の礼拝に参加していたようであり、またご家庭ではどんなお父さんだったのか、私があまりよく知らなかった先輩の側面を知ることが出来た。
また喪主を務められたお嬢様(長女)の語られた、先輩の最後の日々の様子に涙した。容体が急変し、先週の土日が山だと言われており、お嬢様(次女)がお孫さんのお宮参りに善光寺に行こうとしていたのを取りやめようとしたところ、先輩が絶対行ってこいと言ったらしく、日曜日に帰ってきたお嬢様(次女)にお孫さんのお宮参りの写真を見せてもらって、沢山の管につながれたままの先輩は「おう、おう」と言いながら喜んでいたとのこと。亡くなったのは月曜日の未明。土日が山と言われていたのを、お宮参りの写真を見るまでは・・と頑張って待っていらしたんだね。
献花をすませ、みんなで棺に花を入れに行った時、先輩のお顔を拝むことができたが、感動的に安らかなお顔をされていた。まだ65歳。私とは一回りしか違わない。早すぎるご最期なれど、棺の中のおだやかなお顔を見て、きっと先輩の魂は救われていると確信した。