ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「リア王」

2015-02-10 21:05:46 | 芝居
1月6日文学座アトリエで、シェイクスピア作「リア王」をみた(演出:鵜山仁、翻訳:小田島雄志)。

一年間のシェイクスピア祭を締めくくるイベントとして、文学座は「リア王」を持ってきた。
江守徹が主演するという。脳梗塞で倒れてリハビリ中の彼が、あんな大変な役を果たして演じ切ることができるのだろうか。
観客の多くが期待と心配を胸に劇場にやって来たと思う。

その初日。

役者は王以外全員黒い服。リア王はゆったりした茶色のガウン。
王が掲げさせる地図は小さくてカラー。家来の一人が玉座のそばから客席に向けて掲げる。

江守徹は発声に時間がかかり、恐れていた通り苦しい。見ていて聴いていて辛い。

エドマンド役の木場允視は初めてみたが、清々しい。前半ちょっと力が入り過ぎていたが、熱演。
ケント役の人はいけない。なぜ妙にヘラヘラ笑うのか。
道化役の人は滑舌が悪い。セリフが時々聞こえない。タンバリンを振って歌ったりもするが、面白くないので白けるばかり。
ゴネリル役の郡山冬果がうまい。自然で過不足ない演技。
グロスター役の坂口芳貞も、特に盲目になってからはさすがにうまい。崖から身投げするシーンで「あああ」と叫びながら
倒れるのもいい。このためか、不自然さが薄れ、客席から(日本ではよくあることだが)笑いも起きずに済んだ。
コーンウォール公役の鍛冶直人は声が大きく滑舌もいいが、致命傷を受けた後も大声で上機嫌でしゃべりまくるのは変だ。
リーガン役の人は演技過剰。

最後に江守徹をみたのは、サルトルの芝居「キーン」だったか。
今夜、彼がセリフを言うのを他の人々が待っていることが何度もあった。もちろんその都度芝居の流れが止まってしまう。
まさかこんな日が来るとは、若き日の江守さんは思ってもみなかっただろうに。こんなことをしていいのか。
とにかく聴いていて悲しい。

オズワルドは体を棒で数箇所突かれただけで死ぬ。こんなことで死ねるだろうか?と疑問が湧いた。

音楽はない。だがそぐわないものを流されるよりはずっと有難い。

最後、エドガー(浅野雅博)と弟との決闘シーンの後、白一色だった舞台が突然真っ赤に染まり、ゴネリルとリーガンの遺体が担架で
運ばれてくる。
リアは車椅子に乗り、コーディリアを膝に乗せてエドガーに押されて登場。そりゃそうだ。これしか方法はないだろう。
だが、コーディリアを見つめながら言うはずのセリフが、客席まで聞こえるためにか正面を見ながら語られたため、違和感が残った。

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