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マーラー 交響曲第10番(カーペンター版)/リットン&ダラス交響楽団

2008年07月26日 23時33分13秒 | マーラー+新ウィーン
マーラーの交響曲第10番の補筆全曲盤は前に書いた通りいくつもの種類があるのだけれど、最近はこの曲そのものがほぼ完全に古典化してきたこともあってか、CDとして登場するその版のヴァリエーションは、有名なクック版の他、フィーラー版、マゼッティ版、サマーレ/マッツーカ版、バルシャイ版とさながら百花繚乱のごとき様相を呈している。このカーペンター版もそのひとつだが、46年に着手して66年に完成したというから、意外にも補筆全曲盤のなかでは最も古いもののようだ。一般的にはクック版と対極にある補筆といわれており、その大胆な扱いはもはや編曲に近いという人もいるくらいで、たいてい「やり過ぎ」と酷評されている版でもある(笑)。

 実際、聴いてみるとさすがにこの手の違いに鈍感な私でも随所にオヤっと思わす異同があっておもしろい。クック版では聴けない対旋律、打楽器がいろいろなところで登場するし、メインとなる旋律がまるで違う楽器で奏でられたりするのだ。たとえば、第一楽章の例の破局を思わす不協和音のところなど背後から盛大にティンパニのどろどろが聴こえてきたりすると、一瞬ぎょっとするし、第二楽章ではスケルツォの主題に背後に聴いたこともないようなモチーフが木管であれこれ聴こえるのに加え、打楽器類もかなり賑々しい。第三楽章も同様だ。逆に第四楽章のスケルツォではこの楽章のシニカルさをいやおうなく強調していた打楽器が何故か聴こえてこなかったりする。またラストの一撃も使用する打楽器の指定が違うのか、えぐるような感じなく妙にあっさりしている。

 そんな訳でオヤっとか、アレっなどと思いながらけっこう楽しく聴けるのだが、この版、いや、この演奏というべきなのかもしれないが、ともかくこのCDの一番の聴きどころはなんといっても最終楽章ということになると思う。これまでクック版だといささか捉えどころがのない、あの練達なマーラーにしては先行した四つの楽章を最後でうまくまとめあぐねたような感がなくもなかったのだが、見事に最終楽章として機能しているように感じられるのだ。この版では、おそらくこの楽章でもっとも印象的な、あの曙光を思わす部分の壮麗さを思い切って拡大し、この楽章を「大地の歌」のそれではなくて、明らかに「復活」の最終楽章の線でまとめているのである。

 この曲は例の第三楽章を聴くまでもなく、第二楽章以降、どういう訳か初期型マーラーに先祖返りしているようなところが随所にあり、ならばラストは「復活」風にまとめるが筋....とカーペンターが考えたのどうかはしらないが、その線でうまくまとまったと思う。実際、私がこれほど10番の最終楽章が楽しめたのは、この演奏が初めてといってもいいくらいなのだ。もっとも、あまりロマンティックな壮麗さに傾きすぎて、聴いているとなんだかスペクタクル映画のエンドタイトルでもみているような気もなってしまうのだが(「インディペンデンス・デイ」を思い出した-笑)。

 ちなみに演奏はリットンとダラス響で、このコンビは「復活」を聴いたこともあるが、あの時と同様、妙にあっけらかんとした演奏だ。もうすこしどっかにとっかかりが欲しいようなところもあるが、カーペンター版を楽しむにはまずは不足はない演奏だと思う。あと、録音だがレーベルがデロスだからして、広大な音場感とダイナミックレンジ、重量感ある低音といった、テラーク的を更に深々とさせたような、かなりの優秀録音になっているのもポイントが高い。
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