孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

自分らしく生きる

2008年07月20日 | Weblog
当たり前の生活の中に真理があり、何時でも・何処でも・誰もが実践できる真理でなければ真理とは言えません、条件や制限があれば嘘偽りの偽善になります。

大金をつかって海外にまで出向くこともありません。
特別な場所、神社仏閣教会教団へ行くことでもありません。
艱難辛苦の荒行や修行をすることでもありません。
決められた時刻や曜日にお祈りすることでもありません。
肉や酒が禁止、断食などで飲食が制限されるものではありません。
掲げた理想目的のうたい文句に自由平等平和を言っていながら、その形や中味に制限束縛差別があるのが今までの教え真理です。すなわち偽善なのです。
更に差別を持つということは良い悪いの裏表があり、その矛盾も持っています。
だからいくら熱心にやっていても(矛盾が思い悩む原因だから)思い悩む混乱から開放されることは絶対にありません。信じるに与えしない真理になります。
しかし盲信しているものや信じている振りをしているものには矛盾に気が付きません。
だから本当の神を知りません、だから内心では矛盾する神と葛藤しているかもしれません、それは特別な神や真理を信じているからです。

何時でも何処でも誰にでも実践できるのが本当の真理です。
いっさいの制限束縛支配されない真理が本物になります。
そして、いっさいの矛盾が無いのが完全真理です。
完全から完全が生まれるが、矛盾からは矛盾しか生まれません。
その矛盾だらけの世の中が現在です。

裏表の矛盾で生きていて楽しいはずはありません。
互いに裏切り裏切られる関係・不信感から心が休まるはずもありません。
不平不満、心配不安、怒り嫉妬で生きているのが精一杯です。
しかしそれでは生きていけないから趣味趣向娯楽・刺激を次々と追い求め続けたり、何か事ある毎に自らが首を突っ込んで自己満足・自己主張・自己顕示して「生きている振り」をして自他共にごまかしているだけです。
しかも皆が皆同じように生きているからそれが当たり前・正当に思っているのです。
だから今の自分が思い悩み葛藤していることの原因に気付き学び知ることやその解決となる実践を自らがしたがらないのです。

誰かが何とかしてくれる他力をあてにしているのか・・・自分・自力より先に、他力的な方向や特別なものを捜し求めているような気がしています。 たぶん自分独りでは何にもできないと思い込んでいるからでしょう・・・
だから自分の力で家庭や世間や世の中の形を変えることは無理でも、自分独りだからこそ出来るのが真理を知ることであり実践することなのです。
しかもそれが人間本来の生きていく方向性を示すものです。

人それぞれだから、皆と共に歩めなければ自分ひとりの自力で歩くしかないのです。 
すべて自己判断と自己責任で動いているのです。 自分が選択した通りの人生・人間を生きているのです。 しかも生き方・形よりも内面の意識が重要なのです。
生き方・能力・形の大きい小さいに関係なく、善悪や優劣損得勘定にも関係なく、たった一つの小さな愛で楽しく生きていても十分なのです。
人の事を気にするから自分のことが気になるのです。
何事にも執着せずに平然としていて、自分に出来ることを自分らしく当たり前にやっているだけで十分なのです。 それ以外やそれ以上のことは愛ではなくなり、過ぎた特別意識の偽善になるのです。