孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

比較競争判断しないで、守り闘わなければ・・・その人の意識の中に平等・自由・平和があるのです。

2010年02月07日 | Weblog
自由・平等・平和は自力・自分の中にあります。
比較競争判断しないで、守り闘わなければ・・・その人の意識の中に平等・自由・平和があるのです。

奴隷でなくても、束縛制限されると不自由になります。
違いを差に思うと差別になり不平等になります。
またその差・差別があれば不自由になりますから、平等と自由は同じで離れていません。
また戦争という形が無くても、何かと守り闘うことをしていれば平和とは言えません。

見た目で奴隷のようにこき使われていても・・・本人が気にしていなければそれが当たり前ですから、それが差別でも、また束縛されて自由が奪われていることになりません。

入国審査で白人のときと黒人のときとの審査様子・見た目が違っていても・・・それは差別にはなりません。
しかし入国審査官の意識の中に白人と黒人とで差別していれば・・・その審査官に差別意識がある事になります。
しかしその黒人本人が差別されていると思っていなければ・・・審査官に差別意識があっても・・・その黒人の中に差別されたという意識はありません。
またその審査の様子を見ていた人がそれを差別に思えば・・・その差別に思えた人の中に差別意識があることになりますが、その同じ様子を見ていた人がそれを差別に思わなければ普段道理で何も問題は無かったことになります。

同じく、不平不満や不安心配・不信感や恐怖心や仕返し報復・復讐心などを持って守り闘っていなければ・・・例え戦時中であっても、その人の心の中は平常心で穏やかな平和があります。
その反対に戦争中でなくても・・・良い悪い(善悪・優劣・損得)で判断し、自分に都合が良いとこだけを取り、自分に都合が悪いことを排除したがる敵対意識や・・・その良いとこ取りしたものや比較競争で勝ち取って得たものを守ることになれば、敵対するものから守る為に闘うことになり、その人の中に平和・安心はありません。

天国・地獄、幸・不幸、生老病死の苦、喜怒哀楽の感情、否定反発、不信感、価値観・・・これらは他に関係なく、自分の意識の中にあるものです。
不平等と思う人、不自由に思う人、守り戦う意識の人、善悪・優劣・損得で判断して不平不満に思う人、それらが原因で不安心配・恐怖を持つ人や憎しみ嫉妬になる人ややけくそになる人・・・これらは自分個人の意識の中にあるものなのです。

人それぞれの違いを差に思うのも・・・ 同じ価値のものを高いと思ったり、低いと思うのも・・・ 自分を認めて欲しいのに、他の人を認めようとしないのも・・・
また・・・死を目前にして、生きていたいと思うのも ・・・病気になって、健康のありがたさを知るのも ・・・健康であっても、貧乏を悔やむのも ・・・貧乏であっても、生きている喜びがあるのも・・・
また・・・自分より上を見て不幸に思い、自分より下を見て幸せに思うのも ・・・人に負けて不幸に思い、人に勝って幸せに思うのも ・・・リストラを受けた人を不幸に思い、そのリストラを免れた人が幸せに思うのも ・・・無縁社会の孤独や孤独死を哀れむのも、その無縁・孤独を活かして暮らすのも ・・・その原因に意識の違いがあります・・・

すなわち・・・私達人間は「意識」で生きている「命」なのです。
だから・・・その意識によって肉体・精神体・感情体を使って生きているのです。
そして・・・比較競争判断しないで、守り闘わなければ・・・その人の意識の中に平等・自由・平和があるのです。
すなわち・・・意識次第で・・・どのようにも生きられるのです。

だから・・・仕事・役割がどうであれ、生活様式・環境状況・立場がどうであれ・・・比較競争の差別意識や特別になりたがる過ぎた欲が無ければ・・・他との形・役割個性の違いを気にすることもなくて、その人に一番似合った形・自由な生き方で与えられた役割を果たすことが出来るのです。
すなわち・・・「違い」を<差>に思わなければ「そのまま、このまま、あるがまま」の平等・自由があるのです。

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