孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

人間の命・意識は「孤独・自由」ですから、無縁社会・孤独・孤独死も当然の事になります。

2010年02月15日 | Weblog
自分中心の個人意識を持っているのが人間ですから、その人間関係も自分中心の思惑で成り立っていますから、自分に都合が良い人間関係を築く事に熱心になり、反対の都合が悪い関係は誰もが避けたがります。

それでも他の人の力が必要なときは自分の都合ばかりが通用しません。
だから一軒家で大勢が生活を共にしていれば誰彼問わずに必然で妥協し合ったり協力し合ったりする関係が続き、形の上では無縁ではありませんが、経済成長によって各々の生活が豊かになるほど家族が分離孤立してきたのは間違いありません。

すなわち・・・自分さえ良ければの自分勝手な環境を築くには・・・一国一城の主になって独立・孤立するしか無いのです。
だから当然ながら地域社会からも孤立する事になります。

しかも一国一城の家庭の中でさえ自分優先の個人意識の集まりですから・・・やはりそれぞれが独立・孤立する事になります。
だから個人意識の愛情関係や家族関係の裏に皆とは違った自分の都合・思惑を持っていることから・・・やはりそれぞれが孤立していることになります・・・それが嘘の無い現実です。

すなわち・・・元々から個人意識人間の集合だから・・・人間関係はあっても皆が独自の孤立した意識を持っていたことから言えば、(意識の面から言えば)昔から無縁関係と同じだったとも言えるのです。
だから・・・経済発展・経済成長による豊かな生活環境を手にしたことで個人的に困ることが減り、その分だけ寄り集まることも減り、それぞれが独立独歩の自由な生き方を選ぶことができるようになり、それが核家族化・孤独化・無縁社会となってはっきり出てきただけのことで、なるようになっているだけのことです。
ゆえに・・・形の上では無縁ではなかった昭和の時代を懐かしむ大人がいるのです。

その誰もが持っている個人意識によって孤独になり、それが災いして孤独感になり、それが原因でノイローゼや引きこもり自閉症やうつ病や自殺にもつながっているのですが・・・それらも大昔から氷山の一角として前兆的に現れていたのですが、時代ごとの繁栄と共に表面化することが次第に大きくなっているだけのことであって、此れからも止まることなく続き、しかももっと大きく現れるのもどうやら間違いありません。

だから無縁社会の生涯独身や離婚離別による「お一人様」生活も増え、同時に無縁死・孤独死も増え続けていくことでしょう・・・
その対処方法が成されても・・・例えば救護救済施設や介護施設や老後共同生活施設などが充実しても・・・ただ同じような似た者同士が寄り集まるだけですから・・・形は無縁でなくても・・・人それぞれの孤独・孤独感は持ったままに無縁に等しい生涯を終わる事になるでしょう・・・それが自分さえ良ければの個人意識を持った人間の結末・結果です。

その結末結果が出ているだけに・・・私個人としては・・・それを哀れみ危惧することよりも・・・その孤独・孤独化を先取りした格好で実際に試したのが今の過疎地での年金一人暮らしでしたが・・・その結果に満足できるものがあり・・・過去の生活に戻ることなく、そのままに今も続いているだけのことです。

そして孤独には自由があり、その孤独・自由を楽しめば、それ以外の特別なことがあまり必要なくなったのです。
それを言い返せば・・・特別を求めている限り自由が無く、また他と差を付けたがる差別意識も出てくるのです。

人間の命・意識は元々から「孤独・自由」なのです。
だから・・・孤独同士が寄り集まりたがるのも当然ですが、そこに束縛制限支配する形ができれば不自由になり不平等になり、また他と違う特別を望む比較競争意識で差別や戦争にもなっているのです。

その比較競争の原因が「良いと悪い」で分離判断している個人意識なのですが、その個人意識を大事に守っている限りその人には自由はありません。 自由でなければ不平不満が出るのも当然です。 その不平不満を満たすために特別を欲しがるのです。 その特別を欲しがるから特別意識・差別意識が出てくるのです。

だから(状況・立場・環境がどうであれ)人間の命・意識は孤独・自由であってもかまわないのです。
(その孤独・自由を活かして)あとは自分さえ良ければの個人意識・善悪の判断を無くして完全意識になる実践をしていくだけです。
そして完全意識になれば皆が自由平等になり、孤独ではない同等意識・仲間意識になり、すべてはひとつの神意識になれるのです。

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