良い悪いで判断し比較競争している・その不完全意識・矛盾と偽善からして・何か事を成せども・その結果も当然ながら矛盾と偽善の結果になることは・過去の史実からしても・また現在の状況からしても・嘘偽りのない事実です。
然るに自己満足と不平不満の繰り返し・苦と楽の喜怒哀楽の繰り返しがいつまでも続くことになるのです。
と言うことは人為人工的な矛盾と偽善のある諸々からしての変化刺激快感快楽でもって生きることになりますから、絶対的に心穏やかな精神安定にして生きることは無理なのです。
となれば何か事を成しながら生きていくことをやめにして・此れではダメだの不満と何とかしなければの欲からして生きることをやめにして・素朴謙虚にして生きる自己縮小の実践にして・数に限りがある有限の世界で欲張ることなく・あるがままの豊かな自然界の仕組みに素直に従って生きていくしか他に道はないのです。
しかもこの世人間関係が矛盾偽善に満ちていることからして自由平等調和にはなれませんから…
己が精神安定にして心穏やかに生きていたければ・矛盾偽善に満ちた集団から離れた孤独の自由にして・人のことを気にしないで己の思うがままに生きていくにもなります。
前置きが長くなりましたが…
はたして心穏やかな精神安定でもって生きていくこと望んでいる人はいるでしょうか???
然るに「自己縮小の実践」にして「執着せず」「張らず」に生きていく実践ができる人がいるでしょうか?
しかし大方がダメでしょう…
何故なら精神安定にして生きていくことにそれほど・本心からして・関心がないからです。
だから世間一般の人となれば尚更に関心がありません。
それどころか変化刺激・快感快楽が生き甲斐にもなっています。
然るに時たまに接する精神世界となれば一時の変化刺激の趣味嗜好娯楽の類と同じなのです。
だから信仰宗教の信者にでもならなければ精神世界なんてどうでもいいのです。
何はともあれ人が大勢集まる・賑やかにして・彩り鮮やに偽装された精神世界のほうが好みに合うのです。
そして…言うだけ・聞くだけの知識でもって満足し納得しているのです。
また同じ仲間が集うことにも魅せられているのです。
そして信者となって・私は正しいとして・見栄を張ることもできます。
然るに孤独の自由よりも…人が大勢集まる・仲間が多いほど・私は大丈夫と思い込み・それが己の精神安定にもなっているようです。
だから皆と一緒に赤信号を渡ることにもなっているのです。
だから私の生き様からして見出した究極の真理…欲張らない・執着しない…精神安定の生き様なんて…大勢の人に注目されるほどでもない・他人ごとなのかもしれません。
然るに…心穏やかな生き様を事実にして味わっている本人ホンモノにしか通用しない実践真理なのかもしれません。
となれば…この世人間関係だけは…どうしようもないままが続くことにもなりますから、その先々のことは宇宙・神・愛の仕組みに任すしかありません。
しかし皆して欲張らない実践が無理でも・己一人して実践すれば・宇宙意識や神意識や仙人の領域に到達することは無理でも・心穏やかな精神安定にして我が身の心身を救うことになるのです。
なのに…何で、何で、実践したがらないのでしょうか?…それで本当に大丈夫なのでしょうか!?
欲張れば我身を亡ぼすことになるのは本心からして解っているはずです。
しかし…わかっちゃいるけどやめられない…のです。
何たって変化刺激快感快楽を麻薬が如くに味わってその虜になっているからです。
然るに…心身を牛耳られ・逃げるに逃げられない・捕虜や奴隷が如くになっているのです。
しかも…馴染み依存している麻薬から解放されることが逆に不安となっているのです。
だから…わかっちゃいるけど・やめられないでいるのです。
然るに…どうしようもない・どうすることもできないままに・人間人生を終えているのです。
然るに自己満足と不平不満の繰り返し・苦と楽の喜怒哀楽の繰り返しがいつまでも続くことになるのです。
と言うことは人為人工的な矛盾と偽善のある諸々からしての変化刺激快感快楽でもって生きることになりますから、絶対的に心穏やかな精神安定にして生きることは無理なのです。
となれば何か事を成しながら生きていくことをやめにして・此れではダメだの不満と何とかしなければの欲からして生きることをやめにして・素朴謙虚にして生きる自己縮小の実践にして・数に限りがある有限の世界で欲張ることなく・あるがままの豊かな自然界の仕組みに素直に従って生きていくしか他に道はないのです。
しかもこの世人間関係が矛盾偽善に満ちていることからして自由平等調和にはなれませんから…
己が精神安定にして心穏やかに生きていたければ・矛盾偽善に満ちた集団から離れた孤独の自由にして・人のことを気にしないで己の思うがままに生きていくにもなります。
前置きが長くなりましたが…
はたして心穏やかな精神安定でもって生きていくこと望んでいる人はいるでしょうか???
然るに「自己縮小の実践」にして「執着せず」「張らず」に生きていく実践ができる人がいるでしょうか?
しかし大方がダメでしょう…
何故なら精神安定にして生きていくことにそれほど・本心からして・関心がないからです。
だから世間一般の人となれば尚更に関心がありません。
それどころか変化刺激・快感快楽が生き甲斐にもなっています。
然るに時たまに接する精神世界となれば一時の変化刺激の趣味嗜好娯楽の類と同じなのです。
だから信仰宗教の信者にでもならなければ精神世界なんてどうでもいいのです。
何はともあれ人が大勢集まる・賑やかにして・彩り鮮やに偽装された精神世界のほうが好みに合うのです。
そして…言うだけ・聞くだけの知識でもって満足し納得しているのです。
また同じ仲間が集うことにも魅せられているのです。
そして信者となって・私は正しいとして・見栄を張ることもできます。
然るに孤独の自由よりも…人が大勢集まる・仲間が多いほど・私は大丈夫と思い込み・それが己の精神安定にもなっているようです。
だから皆と一緒に赤信号を渡ることにもなっているのです。
だから私の生き様からして見出した究極の真理…欲張らない・執着しない…精神安定の生き様なんて…大勢の人に注目されるほどでもない・他人ごとなのかもしれません。
然るに…心穏やかな生き様を事実にして味わっている本人ホンモノにしか通用しない実践真理なのかもしれません。
となれば…この世人間関係だけは…どうしようもないままが続くことにもなりますから、その先々のことは宇宙・神・愛の仕組みに任すしかありません。
しかし皆して欲張らない実践が無理でも・己一人して実践すれば・宇宙意識や神意識や仙人の領域に到達することは無理でも・心穏やかな精神安定にして我が身の心身を救うことになるのです。
なのに…何で、何で、実践したがらないのでしょうか?…それで本当に大丈夫なのでしょうか!?
欲張れば我身を亡ぼすことになるのは本心からして解っているはずです。
しかし…わかっちゃいるけどやめられない…のです。
何たって変化刺激快感快楽を麻薬が如くに味わってその虜になっているからです。
然るに…心身を牛耳られ・逃げるに逃げられない・捕虜や奴隷が如くになっているのです。
しかも…馴染み依存している麻薬から解放されることが逆に不安となっているのです。
だから…わかっちゃいるけど・やめられないでいるのです。
然るに…どうしようもない・どうすることもできないままに・人間人生を終えているのです。