孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

新たな事を「知る」「している」喜び、楽しさ

2008年04月07日 | Weblog
新たな事を「知る」「している」喜び、楽しさ
過疎地で食って寝て糞をするだけのような究極の田舎暮らし・貧乏暮らし・エコ生活をしていますが、そうなるキッカケ・お仕組み・ご縁としてまず最初にあげれば、15年前に世間的ではなかった「波動」という言葉を知り、その原点である原子転換の宇宙エネルギーの実在を知り、実際にその摩訶不思議な幾多の効果効用を体験経験したことであり、特に「宇宙エネルギーの水」を-知る-ことで私の意識の方向性が次第に変化しはじめました。

その摩訶不思議な「水の世界」を詳しく-知る-事から、やがて万物に意識・命があり、それらにフリーエネルギー(宇宙エネルギー・意識エネルギー)が実在している事を-知る-に至り、それらの事を情報発信-している-関係から、新たに想念の世界・霊魂の世界に関係する方々とのご縁が広がり深まり、物質的な奇跡現象に止まらずに、想念や霊魂といわれる精神世界の本質を-知る-ことになり、正義感や宗教の基本的間違いや、価値観の転換・意識改革が必要なことまで-知る-ことになり、世間的な常識が非常識であり、非常識といわれていた「見えない世界」に本質があることなど、摩訶不思議にしか思っていなかった「見えない世界」の概要が総体的に理解できるまでになりました。

その想念・霊魂の世界で「すべてに感謝する」愛の心を学びましたが、もうひとつ「愛」が抽象的で、愛情と愛の本質の違いを知っている程度でしたが、今の山田耕栄さんの「あるがまま」の完全真理と「神は常温核融合」(意識エネルギーのこと)によって、すべてが愛・神であること、すなわち一神にして多神、多神にして一神の「すべてはひとつ」の関係にあり、すべてに永遠の命・意識があり、その姿形に違いはあっても「差」はいっさい無く、それぞれに役割個性が違っても差は無いこと、だから良い悪い(善悪優劣損得)で分け隔て、すべてはひとつのものを分離・比較・差別・競争している個人意識を無くすることが愛になり、その(特別ではない)愛に生きる事が人間の本質、役割使命だと自覚できるまでになりました。

此れまでの田舎暮らしを「している」関係からも言えるのですが・・・
良い悪いで分離判断しなければ人を責めたり自分を責めたりしませんから、不平不満も無くなり、「あるがまま」に呑気気まま気楽に生きる事が出来ます。
見栄や世間体・しがらみを気にしなければ自由に個性で生きる事が出来ます。
心が休まるはずの趣味嗜好娯楽刺激からは心の安定は得られません、かえって不平不満や苛立ち不安になりやすく、試行錯誤・迷い混乱が伴っていた事に気付きました。
今の食って寝て糞をするだけのような生活をしていたら喜怒哀楽が無くなり、生老病死までも気にしなくなり、成るようになるだけ、なったらなったでその時任せ、慌てず騒がず、貯蓄が無くても気にならない、余計・余分・過ぎた心配・不安を持つことも無くなります。
カッコよく生きる事が人間性を磨くことになると思っていましたが、見栄や外聞で気苦労がその分増えるだけであり、自己満足・自己主張・自己顕示の個人意識・特別意識・差別意識を高める偽善の生き方になるだけです。

この世は多様性に満ちております、せっかく人間に生まれたのだから、知らなかったことを知る喜び、新たな事を「知る」「している」喜びや楽しさを十分に味わい触れることが出来ます。学・名・権・財には関係ありません。知る素直謙虚さがあれば十分です。
言うだけでは実がありません、思い考える非実在の想像の世界で生きているのと同じです。
ゆえに「良い悪い」を持たない完全真理を「知る」、そして実際に「している」実践が必要になります。


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