孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

無縁社会にも、その孤独と孤独死にも良いと悪いの二面・裏表がある

2010年02月02日 | Weblog
私達は「良い悪い」で判断して生きていますから、孤独にも良いと悪いがあり、その無縁関係にも良いと悪いの二面・裏表があります。
だから・・・孤独だと呑気気ままな自由がありますが、一方では孤独感に陥ることにもなる、そこで寂しいから人と接するご縁・つながりが必要になるが、ところが人と接していればわずらわしい面倒なことにもなります。

すなわち・・・孤独が良いことにも悪いことにもなるのです。
だから孤独であろうが大勢であろうが、どっちもどっちの似たり寄ったりの不完全な生き方なのです。
それを「良いか悪いか」で決めようとしている矛盾・無理があることからして、あとは妥協することになります。
その妥協は全てが中途半端ですから必ずしも自分の思い道理になっていません。
だから多くの人が不平不満を持って生きることになります。

「孤独死」にも良いと悪いがあります。
世間では孤独死を悪いほうに捉えがちですが・・・私は孤独死を望む立場で生活しています。
すなわち・・・生まれたからには死は当然ですから、その死に方がどうであれ、その死を素直に受け入れるだけです。
その死に方を自力で望めるのなら・・・長い闘病生活や要介護のあげくの果てに死ぬことよりも、元気なうちの突然死や孤独死のほうがあっさりしていて、しかも多くの他力をわずらわす手間ひま面倒が少なくて済むからです。
そのために献体登録もしているし葬儀法要・仏壇お墓に名を刻むことも不要と伝えていますから手間要らずです。

だから普段の生活にも・・・家族親戚や他に迷惑をかけないように心がけています。
だから・・・「孤独」も「孤独死」も・・・私には都合が良い事になっています。

だから・・・必要不可欠・必然が無い限りそれら他力をあてにせずに、何とか自力を多く使っています。
その為にも・・・心身の健康には宇宙エネルギー・ファバラエネルギーを愛用し、また健康なままに死を迎えるためにも弊害副作用の出る不完全な医科学・医術薬剤などの他力に頼らな生活を心がけています。

「介護」にも良いと悪いがあります。
至れり尽くせりの親切な介護を受けることで自分に都合が良くても、その分だけ自力を使うことが少なくなり、それが原因で更に重度の要介護が必要になったり介護期間が長引くことにもなります。
・・・世間で言う優しさ思いやりの人情が皮肉にも不幸な結果を招くことになる場合があります。

ところが受ける介護・他力を必要最低限にしていれば要介護が軽減され、その分だけ自力を使うことが多くなるから、その自力が増すことになって治癒回復が早まったり、少なくとも自力の低下を防ぐことにもなります。
また家族らの介護だと互いが気疲れして共倒れにもなりやすいが・・・世間で言うところの人情のない薄情なほうが・・・介護を受ける者の自力に役立っことになったり、介護をする側の生活にも影響が出ないですみます。

(参考事例) 私のご近所に歩くこともままならない障害を持った要介護のご老人(婦人)が「お一人様」で生活しています。
そんな状況だから・・・親思いの息子夫婦やその孫やそのひ孫までが大阪で一緒に暮らすことを言っているのですが、それでもお一人様の生活を選んでいます。
それは・・・自分の身のことよりも息子らの家族のことを思っていることから・・・その不自由な生活を自らが選んでいるのです。
それが息子に対する親心でもあるが、その一方では気苦労の無い一人身の生活を望んでいるのです。

★要介護者になった原因は自分の意識にあり、その意識に対して警告が出されているのですから・・・その自分の意識の過ちに気付き悔い改めることにならなければ・・・更に困難な方向に進んで行きます。

ちなみに・・・現在の自己中心の「自分さえ良ければ」で生きている人間同士がご縁あってくっつき引っ付きしている、その人間関係・信頼関係・絆は有って無いような関係ですから、いつ縁が切れてもおかしくありません。
だから・・・何らかの問題・有事があるたびに・・・それが自分の思い通りではないことで不平不満が重なり続け、それが原因でやがて人を裏切ることにも、また裏切られることにもなります。 その事実が今の人間社会・無縁社会なのです。

しかも、この世の・・・快適便利な他力(金銭物質・医科学)を使いすぎているだけに、あらゆる面での自力が相当低下しています。
だから、この世に起きている様々な有事が我が身に起こると自力が無いだけに他力依存が強まり、しかもその他力依存に頼れなかったり、その望みが叶えられなかったりすることから・・・その自分の思い道理にならないことであらゆる不平不満が続出しています。

そんな身勝手な不平不満でまだ生き続けるよりも・・・(不平不満の種を蒔き続けて他にまで広めるよりも)・・・ここらで自分を大切にする自立・自由意識を持つなり、他を巻き込まないお一人様の生き方や他力に頼らない実践で自力を磨くことにすれば・・・その新たな生き方で得た学びや気付きで悔い改めることになり、それが更に自力・意識力・精神力を高めることになるかもしれません。
そして巷の有事や真坂の有事に動揺することもなくなり、しかも他力に頼らなくても持ち前の自力でその荒波を乗り切ることが出来るかもしれません。

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