孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

目の前に見えているものを追い求める習性はあっても、何故か見えないものを探し出すことはしたがりません。

2011年02月23日 | Weblog
知らない事を知りたがる好奇心、その新たな事をやりたがる先覚者気取りから次々と新たな事に乗り換えてきた私が今は過疎地での質素な単身生活と完全真理の実践を意識した生活になっていますが、それも先人の諺のように「二兎追うものは一兎も得ず」の如くにやってきたお陰ですが、それも無学・無教養を自慢するほどの無能な私だから(一つの事に集中するのが精一杯だったことから)出来たことだと思っていますし、(過去に成していた事を惜しげなく手放して)新たに知った事・やりたくなった事だけに意識を集中してきたことから成し得た今の結果に思います。

私自身は幼い頃から遊んでばかりいましたから、自宅での自習や宿題もそっちのけでしたし、学校へ遊びに行く感覚で通学していましたから、基本学習さえ欠落していたほどの無学・無学歴ですし、大人になった今も新聞書物などの活字嫌いであるし、そんな無知識の無教養の礼儀・儀礼知らずの世間知らずで遊ぶことだけは一人前の私でしたから、まして霊魂・神仏のことは嘘っぽい迷信に思っていたし、そんな信仰・宗教・精神世界には関心もなかったのに、そんな私でさえも摩訶不思議な宇宙エネルギーや霊魂の世界や今の完全真理が説く真実を知ることになったのですから、今の中学生程度の学習学歴で簡単に理解できる内容でもあります。

だから私とすれば「話せば判る」として、人とご縁あるごとに宇宙エネルギーや霊魂の世界や完全真理などと次々と話してきましたが、何故か聞く耳を持っていない人が殆どですから話しても無駄になるし、たとえ聞く耳があってもそれを知りたがる人が100人のうち3人いれば上出来なほうですから、自らが知りたがる人となれば皆無の状態でこのブログを紹介しても殆ど無駄に終わっています。

だから私としては、見えない世界とはいえこんな素晴らしい事を「何で」知ろうとしないの、また知ったはずなのに「何で」そうなるのと、見えない世界のことで人と関わることの無駄を思い知る結果になっていますから、そんな世間の人たちやそんな人間性の集団である世間とその人間関係に失望しているところがあるのですが、それでも「知っている事を知らせたがる」私の性格と、このブログがきっかけで完全真理などに興味を示す人がいるかもしれないと思いつつ、また新たな気付きが起こるやもしれないと思いつつ、こうして飽きもせずに書き込んでいます。

ところが概ね、目の前にあるものを欲し求め「追いかける」動物的習性本能・現実主義はあっても、何故かしら「見えていない」真実を探し出すことはあまりしたがりません。
だから手っ取り早く(良いとこ取りして)手に入れることが出来ることに意識が集中しますから、当然の事に見えない世界に関心を示すことも無く、またたとえ関心を示したとしても、手っ取り早く学び知った学習知識だけで満足して止まっていたり、その鵜呑み丸呑みの学習知識で知った真実を自分のものとして(受け売りで)人に伝えることになっているのが多いようです。

だから結果的には金銭物質的な現実主義の良いとこ取りや医科学・学術知識の良いとこ取りで人生の大半を終えることになり、その残る余命にその良いとこ取りばかりしてきた裏の「負」の部分を気付かないままに蓄積して背負うことになり、それが起因で事故や災害や成人病や慢性病での通院や入院加療になったり、更にそれが原因で寝たきり状態になったりもしますが、たとえそうならなくても無縁社会の孤独感や失望感・挫折感を味わう事になったり、それが原因から何かの精神を患ったままにこの世を去ることになったりしています。

だからこそ手遅れになる前に「見えない世界」の真実を探し出して、それを味わい知ることが先決・重要になるのです。
それが摩訶不思議な結果の出る宇宙エネルギーや、精神・霊魂の世界であったり、今の完全真理であったりするのです。
そして良いとこ取りしてきた裏の負の部分を洗い流すことのできる宇宙エネルギーに接し触れ合うことだったり、その負を生み出した原因意識の精神修養・意識の修正改革が必要となるのです。

しかもです、今の見える世界が「見える結果」(偶像の世界)であって、その原因・本命である「見えない世界」の意識・命の次元世界こそが私達が行くべき「本物・真実」の意識・命の居場所だと気付くことにもなるのです。
そして見える形ある世界での不完全意識と、形で見えない世界の完全意識の両方・表裏を学び知り味わった(新たな)人類の誕生を待ちわびているという「見えない世界」の事実を知ることになりますが、それが世間で言われている「神」であり、それが宇宙意識・完全意識と言われるものを持っている「意識・命」であり、それが「すべてはひとつ」の宇宙の中の見えていない高次元界で実在している事を知ることになるのです。

「付記」 耕栄さんが言う事によれば・・・今の三次元の肉体を脱ぎ捨てる「死する時」を経た人の中に(此れまでの四次元・霊界ではなくて)「五次元の地球」で既に実在している人達も居るようですが・・・此ればかりは自分が(死して)その居場所に行けなければその事実を知ることにはなりません。
それだからこそ完全真理の実践をしながら死する時を待つしかありませんが、私としては出来る限り「楽ちん」で死する時を迎えたいので、その為にも宇宙意識エネルギー・常温核融合で作られた「ファバラ」を愛用しながら真理の実践を心掛けているわけです。

1 コメント

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Unknown (ジェームス)
2011-02-28 14:08:17
今日 何年かぶりに耕榮さんのそのまま このままを読んでいます。この本今は入手困難なんですね。前にかなり読んだので表紙がボロボロになってしまったけれど大切にしています。

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