孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

「ありがたい」に心があり、愛があります。

2009年02月03日 | Weblog
人は自分の都合で動いています。
それが犬の散歩で言えば、如何にも見た目には犬の散歩に見えますが、ひもや鎖でつながれ動く方向を束縛制限支配している限り、本当に犬の為の散歩にはなっていません。
それが子育てでも同じです。
親が子を束縛制限支配している限り子供の為の子育てではなくて、親の思い通りの子供にしたい親の為の子育てになります。
だから恋愛も結婚も家族も同じです。
形ある束縛制限支配関係には「ありがたい」愛はありません。

この世の中が良いと悪いで表裏一体になっている限りにおいて、自分に都合がよい良いとこ取りばかり(表面では)取っているつもりでも、結果的には(裏では)自分に都合が悪い部分も必ず一緒に取って見えないところに蓄積されています。
だからそれが心の中の不平不満や悩みや混乱の原因になったり、不安心配や怒り嫉妬になったりしているし、今問題の派遣社員に見られるように、良いとこ取りをしていたつもりが悪い結果にもなって現れており、問題の加害者でもあり被害者でもあるという矛盾の現実に直面しています。

今の世の中が良い悪いで成り立っている限り、善なる良い面だけ、得する面だけ、優れた面だけの一面・片方だけでは形は存在できなくなりますから、片方ばかりを選んで取れば取っただけ不調和になってバランスが崩れます。
それが今で言うCO2の温暖化現象や地震災害や異常気象に現れています。

良いと悪いがある現実を確かに生き抜いていくには「ありがたい」感謝と素直に謝罪する「ごめんなさい」が必要と言われています。
だから、最初の一番目に「ありがたい」があれば全てが愛になります。
だから「ありがたい」ガソリンであり車として使えば、完全な愛の表現の便利な道具として使うことになるから、完全燃焼して不完全燃焼の弊害・副作用は出てきません。
それを自分に便利なように、そして優越感を持つためや自分だけが得をする為だけに、その一面の「良いとこ取り」の不完全な道具として一方向だけに使うと、そのバランスが崩れて不完全エネルギーが出て空気中に蓄積されることになるのです。
しかし、良い悪いで判断したことに気付いて「ごめんなさい」と素直に謝罪できれば、もうそれは「ありがたい」ことになります。

エコ生活や勿体無いが流行りになっていますが、単なるCO2削減や勿体無いにはありがたい心がありません。 だから遠くまでエネルギーを使ってわざわざ出かけていって植林活動をしたり、燃費効率の良い新品のエコ製品に買い変えることなどは、単なる見せ掛けの自己満足や自己主張になります。
ありがたい心の無い勿体無いは、人の目を気にしていることであり、そんな行動をしている私は正しいを主張する為の見せ掛けの手段に使っていることになりますから、「ありがたい」から「勿体無い」と本心から物を大切に思う心とは意識がぜんぜん違っています。

だから見せ掛けを良くする為に使うお化粧や衣装ではなくて、ありがたい化粧品や衣装として感謝の心で使えば、外見よりも更に内面を美しくすることが出来ます。
そして、見栄や世間体や差を見せ付ける為に贅沢するのではなくて、持っているお金や物をありがい心で使うのなら幾ら使っても全部が愛になります。
だからレストランの贅沢な料理でも、山で食べる質素なおにぎりでも、そこに「ありがたい」が無ければ、それは見せ掛け自己主張の表現の為に使っていることになります。
だから贅沢も質素倹約も楽しくなければありがたい感謝にはなりません。

自己満足ではない楽しさや美味しさが味わえるからありがたい感謝の心になれます。
ただ私の場合は贅沢よりも質素倹約がお似合いなだけです。
そして贅沢三昧をしている時にありがたいを感じられずにいたのが、今の呑気な質素倹約でありがたいを感じる事が出来るようになっただけのことです。
だから贅沢好きであればどんどんお金や物をありがたく使えばいいのです。 それが見栄や世間体に対する自己満足や自己主張にならなければいいのです。
 
何も質素倹約や勿体無いの選択が正しいとは限らないのですから、自分に見合った自分に出来る選択をしていけばいいのです。 それが個性であり、自由であり平等です。


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