孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

人間なら誰しも皆が「自分が良くなりたい」の思いをもって生きているのは事実です。

2013年07月31日 | Weblog
然るに仙人であろうが聖人君子も宗教家教祖も超能力者も金持ちも貧乏人も自分が良くなりたいのです。

然るに何でも悟った風に思っていても不完全意識は出て来ます。
然るに「どうしようもない」のです。

然るに神仏霊魂の世界や宗教真理や超能力からしても、然るに言うだけ聞くだけで「どうにもならない」事実からして、何ともし難いわけです。

それでも何とかして良くなりたいのが本心です。
だから遠方彼方此方の扉を開いたり覗いたりしているのです。
然るに言うだけ聞くだけ学ぶだけ考えるだけで終わるのです。

然るに人が大勢集まる所に良いことが有るように思って顔を出したいのです。
然るに人集めや金集めをしている所に行くことになるのです。
然るに何を探し当ててもそれだけでは満足できないことからして更に遠方彼方此方に寄り道して他のも探し出したいのです。
すなわち「欲張り」なのです。

その欲張りなのに他の者の欲張りをとやかく言いたがるのも「私が正しい」があるからです。
然るに私にも私が正しいが常に出ています。
ところが其の事に気付くことからして執着しなくなりました。
しかも得手勝手な人間関係から離れているだけに尚のこと執着することがありません。

然るに執着することが無ければ意識心&感性が開きます。
然るに何となく気付きが起こるのです。
然るに熱中集中していることで起こる気付きとは少し違います。
その多くが一度気付いていたことの再確認&再認識になり、然るに己の中で深みが増してきます。

だから捜し求めなくても自らの中からしぜんに出てきて気付きます。
ところが気付いてもそれが自分のもの&本物になっていなければただ気付いただけになります。

すなわち言うだけ思うだけ意識するだけになります。

然るに執着しないことの必然性に気付いたからとて、その執着心をなくする取り組み実践となれば相当な無理があると言うことです。

然るに呑気気楽に暮らすことの必然性に気付いたからとて、その「楽に生きる」実践をするには相当な無理があると言うことです。

然るに巷の精神世界で言われていることが既に実践されているのが本来なのですから、
然るに人を集めて精神世界を説く教祖指導者の言われるままに(見える)(見せる)形式や格好で行動することになれば、然るにそれは人に見せるための見せかけの実践になるのです。

もっとはっきり言えば不完全意識の人間が創作創設したその精神世界を説く形は人集め金集め目立ちたがりやの欲絡みなのです。

然るに自らの意識の中で自らが気付き悟るその精神が大元であって、それが他力絡みになればその相手が不完全なだけに矛盾する精神世界になるのです。
しかも実践となれば見せ掛けの対外的なことになり、肝心要の内なる実践が無理なわけです。

然るに過去の釈迦やイエスも自らの未熟な精神を磨くためにこの世に生まれたのです。
然るにそれが仙人が如く人知れず静かにしていようが、また超能力を見せびらかすことであっても、それぞれの意識に見合った形でもってしてお役を果たしながら共に学び合っているのです。

然るにまだ完成されていなくて未熟なのです。

ところで私が60代にして精神世界に目覚めたのも、それまでの間に自力の自問自答の気付きと実践でもってして自らの精神力を自らが育んでいたから目覚めることができたのです。

だからあまり精神世界を意識することが無かった人でも(己の個性役割を果たしながら)既に自力でもってして自分のものにしていることがあるはずです。

また巷の精神世界&宗教真理でもってして新たに学び知り気付いたこともあると思いますが、然るにそれを意識し続け更に気付き続けていたならばやがてそれが身に付いて(板に付いて)自分のものとなるでしょう。

しかしならが自らの精神力をもってしても人様のことだけはどうしようもありません。
すなわち自分が満足していても不足に思う人がいる限りそれに巻き込まれて不愉快な思いをすることもあるのです。

然るにそれら得手勝手な人間関係を気にしない精神力も必要なのですが、然るにまだ未熟なだけにそれら人間関係から離れての貧乏孤独生活になりましたが、然るに其処で欲を出さずに楽に生きることの実践からしてその真価を見い出し味わい知りそれが板に付いて自分のものとなったのは上出来だったと思っています。

然るに前もって思惑期待したことでもなくまた他力に頼ったところもありません。
然るに精神世界を学び知ったことが原因ではなくして自らの精神の中で気付きながらにしての結果になります。

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