人間として<生きて>いるから「有の世界&動の世界」が味わえているのです。
然るに衣食住を味わえています。
その衣食住を味わうために動き働くことが味わえています。
然るに生きているから味わえているのです。
だから死ねば味わえません。
なのに何が不満なのでしょう…何で不満になったのでしょう…
それが良い悪いで判断して・善悪優劣損得・好き嫌いで選択しているからです。
然るにそれらは「思いの世界」であって<事実の世界>ではないのです。
だから事実の世界で生きるよりも・思いの世界で生きることを選んでいるのです。
然るに夢幻や白昼夢が如くの「夢の世界」で生きているのです。
そして金さえあれば欲しいものを手にすることができることからして「金銭物質の世界」にもなっているのです。
また子孫を残す本来の生殖機能が変化刺激の快感快楽のセックスが生き甲斐のセックス依存症の「性欲の世界」にもなっているのです。
それが好き嫌いの感情・恋愛感情にもつながっていることからして「感情の世界」でもって生きていることにもなります。
またその好き嫌いの対象になるのに肉体が評価されますから「肉体の世界」でもあり、また金さえあればの金銭物質の世界も絡んでいるし、生きていくための働き仕事「職業の世界」までが社会的地位を重視しての選り好みになっています。
何はともあれ・好き嫌いの感情の世界でもって思い考える<思いの世界>想像の世界・仮想空想の世界に<閉じこもり>夢を追いかけていることになりませんか?
だからおとぎ話の浦島太郎・花咲か爺さん・桃太郎・一寸法師・鶴の恩返し・竹取物語の中で生きている「非実在の世界」で生きているのも同然になります。
それを現代的に言えば映画・ドラマや芝居の中で生きていて・己の思いを演じている主役役者演出者が如きになって・現実の中の事実では生きていない人・生きてはいるが事実では生きていない、そんなややっこしい・中途半端な生き様になります。
しかもあの手この手で上手く演じるものもの・矛盾偽善からしてうまい具合に事が進まないから、それが不平不満の思いにもなっています。
そしてその行き着くところにあるのが・人と人が殺し合う殺人や戦争があります。
そして映画ドラマや芝居やマンガの中のような「正義の味方」が登場してきます。
そして正義の味方と言えども…勝てば官軍負ければ賊軍となります。
然るに事の始まりは正義の味方であっても負ければ賊軍・犯罪者にもなるのです。
だからそんな矛盾偽善に満ちたややっこしい生き方をやめにして…
腹が空けば食い、糞がしたければ糞をして、眠たくなれば寝るだけの、単純な生き様の中で、人間の持つ視覚聴覚味覚嗅覚感覚の五感感性からして色々と味わえれば十分ではありませんか。
そして今あるものを活用する・創意工夫することで・これまた五感感性でもって色々と味わえます。
また持って生まれた性格個性・役割使命を自由に表現し行動すればそれも味わい深いと思いませんか。
然るに良い悪いで判断したり好き嫌いで判断しなければ…己の成したことの事実だけを味わえる…「実在の世界」で生きていくことができるのです。
しかしながらこの世人間関係が矛盾偽善の闇意識に満ちていることからして・その人様のことを気にしないままに・己一人にして素朴謙虚に生きる自己縮小の生き様しかないと書き続けているのです。
然るに衣食住を味わえています。
その衣食住を味わうために動き働くことが味わえています。
然るに生きているから味わえているのです。
だから死ねば味わえません。
なのに何が不満なのでしょう…何で不満になったのでしょう…
それが良い悪いで判断して・善悪優劣損得・好き嫌いで選択しているからです。
然るにそれらは「思いの世界」であって<事実の世界>ではないのです。
だから事実の世界で生きるよりも・思いの世界で生きることを選んでいるのです。
然るに夢幻や白昼夢が如くの「夢の世界」で生きているのです。
そして金さえあれば欲しいものを手にすることができることからして「金銭物質の世界」にもなっているのです。
また子孫を残す本来の生殖機能が変化刺激の快感快楽のセックスが生き甲斐のセックス依存症の「性欲の世界」にもなっているのです。
それが好き嫌いの感情・恋愛感情にもつながっていることからして「感情の世界」でもって生きていることにもなります。
またその好き嫌いの対象になるのに肉体が評価されますから「肉体の世界」でもあり、また金さえあればの金銭物質の世界も絡んでいるし、生きていくための働き仕事「職業の世界」までが社会的地位を重視しての選り好みになっています。
何はともあれ・好き嫌いの感情の世界でもって思い考える<思いの世界>想像の世界・仮想空想の世界に<閉じこもり>夢を追いかけていることになりませんか?
だからおとぎ話の浦島太郎・花咲か爺さん・桃太郎・一寸法師・鶴の恩返し・竹取物語の中で生きている「非実在の世界」で生きているのも同然になります。
それを現代的に言えば映画・ドラマや芝居の中で生きていて・己の思いを演じている主役役者演出者が如きになって・現実の中の事実では生きていない人・生きてはいるが事実では生きていない、そんなややっこしい・中途半端な生き様になります。
しかもあの手この手で上手く演じるものもの・矛盾偽善からしてうまい具合に事が進まないから、それが不平不満の思いにもなっています。
そしてその行き着くところにあるのが・人と人が殺し合う殺人や戦争があります。
そして映画ドラマや芝居やマンガの中のような「正義の味方」が登場してきます。
そして正義の味方と言えども…勝てば官軍負ければ賊軍となります。
然るに事の始まりは正義の味方であっても負ければ賊軍・犯罪者にもなるのです。
だからそんな矛盾偽善に満ちたややっこしい生き方をやめにして…
腹が空けば食い、糞がしたければ糞をして、眠たくなれば寝るだけの、単純な生き様の中で、人間の持つ視覚聴覚味覚嗅覚感覚の五感感性からして色々と味わえれば十分ではありませんか。
そして今あるものを活用する・創意工夫することで・これまた五感感性でもって色々と味わえます。
また持って生まれた性格個性・役割使命を自由に表現し行動すればそれも味わい深いと思いませんか。
然るに良い悪いで判断したり好き嫌いで判断しなければ…己の成したことの事実だけを味わえる…「実在の世界」で生きていくことができるのです。
しかしながらこの世人間関係が矛盾偽善の闇意識に満ちていることからして・その人様のことを気にしないままに・己一人にして素朴謙虚に生きる自己縮小の生き様しかないと書き続けているのです。