感謝の無い人には差別や不自由が有り、確かな満足がありません。
今の時代「雨やんで傘を忘れている」感謝の無い人達ばかりですから、宇宙の仕組み・必然から、万物のありがたさ・お蔭様の感謝を思い知らされる地震や津波や台風・豪雨・干ばつ等の自然災害が以前に増して起きております。 そこで水や食や住居のありがたさ、エネルギーや快適便利さのアリガタイことに気付かされています。
記憶に残る阪神淡路大震災であらゆるものの有り難さが身にしみた人も多いと思います。
しかし気になったのは、災害復旧が進むにつれ欲を出す人が大勢出てきたことです。
感謝の無い人が欲しがります。 口では感謝を言っても、あれが欲しい此れが欲しい、もっと欲しいと欲張っています。 感謝を言ったあとで直ぐに何が足らないと欲しがったり、あれこれと文句・不平不満を言っていた人は、感謝は心ではなくて、感謝は言葉でいいとさえ思っているのです。
そして「雨がやむ度に傘を忘れて」しまっているから、(何か困ったことになると)「新たな傘」を欲しがることから、その人には傘が何本あっても足らないのです。
すなわち感謝することではなくて、不平不満を言う事があたり前に思っていて、それが「正しいこと」と思っているから不平不満が言葉になって口から出るのです。 だから不平不満が出ている限り感謝の心は絶対に出てきません。
だから「良い悪い」で分離判断して、自分に都合が悪ければ人を責めて不平不満に思う人には感謝の心はいっさい無いのです。 欲しがり求めることに熱心すぎて得る事があたり前になり、あたり前だから言葉の感謝だけでも良いと思っているのです。
そのあたり前の言葉だけの感謝の裏には・・・たったこれだけなの、もっと持って来て欲しかったのに、次も期待しているからね・・・等と思う不平不満・思惑期待があります。
生きていることに感謝があり、また与えられ持っているものに感謝があれば、それだけであり難く十分に思っていますからそれ以上は欲しがりません。 アリガタイ感謝で心が一杯になっていれ欲張らなくてすむのです。
満足があればそれ以上は求めません。 「雨がやんでも傘を忘れない」人だから、無いものを欲しがりません。
いま有る物に感謝があればそれ以上は求めませんが、感謝が無ければそれ以上を求めます。
その求める事が正しいと思っているから次々と拡大していきます。 すなわち止まる事を知らないままに突き進んでいきます。 しかも最後の行き着くところまで必ず行きます。それが自己拡大してきた今の私達であり、破壊・崩壊に突き進んでいることになるのです。
このままではもう手遅れになります。
もういい加減にして、自分の首を自分で絞める事をしないで、優しさ思いやりの愛・感謝の心を持てるように一人一人が意識改革していかなければなりません。
感謝の心が無い人ほど、あれが無い此れが無い、あれが欲しい此れが欲しいと、生活に不自由して困っていると思っているのです。
物質に恵まれて快適便利で豊かな生活が出来ているのに何で不自由なのでしょうか?
今に感謝できないのは過ぎた欲を持っているからです。 だから不平不満の人生を歩むことになっているのです。 国家社会や人の性ではなく自分が選択した山坂谷のある「差のある」「欲な」「特別な道」を選んでいるだけです。
差のある特別な欲さえ持たなければ、宇宙・神・愛は皆に公平平等に「あるがまま」にあります。 不自由不平等はいっさいありません、完全です。
完全だから神・愛の全知全能のすべてを与えられています。 貧困や身分地位にはいっさい関係ありません。 ただ気付いていない人には感謝が無いから、与えられたものを持っていることにはならずに、不自由や不平等に思えているだけです。
だから優しさ思いやりの愛と感謝で平坦な普通の道を焦らずにゆっくりと進んでいけば、やがて至福の時・地上の天国にたどり着く事が出来ると約束されているのです。
今の時代「雨やんで傘を忘れている」感謝の無い人達ばかりですから、宇宙の仕組み・必然から、万物のありがたさ・お蔭様の感謝を思い知らされる地震や津波や台風・豪雨・干ばつ等の自然災害が以前に増して起きております。 そこで水や食や住居のありがたさ、エネルギーや快適便利さのアリガタイことに気付かされています。
記憶に残る阪神淡路大震災であらゆるものの有り難さが身にしみた人も多いと思います。
しかし気になったのは、災害復旧が進むにつれ欲を出す人が大勢出てきたことです。
感謝の無い人が欲しがります。 口では感謝を言っても、あれが欲しい此れが欲しい、もっと欲しいと欲張っています。 感謝を言ったあとで直ぐに何が足らないと欲しがったり、あれこれと文句・不平不満を言っていた人は、感謝は心ではなくて、感謝は言葉でいいとさえ思っているのです。
そして「雨がやむ度に傘を忘れて」しまっているから、(何か困ったことになると)「新たな傘」を欲しがることから、その人には傘が何本あっても足らないのです。
すなわち感謝することではなくて、不平不満を言う事があたり前に思っていて、それが「正しいこと」と思っているから不平不満が言葉になって口から出るのです。 だから不平不満が出ている限り感謝の心は絶対に出てきません。
だから「良い悪い」で分離判断して、自分に都合が悪ければ人を責めて不平不満に思う人には感謝の心はいっさい無いのです。 欲しがり求めることに熱心すぎて得る事があたり前になり、あたり前だから言葉の感謝だけでも良いと思っているのです。
そのあたり前の言葉だけの感謝の裏には・・・たったこれだけなの、もっと持って来て欲しかったのに、次も期待しているからね・・・等と思う不平不満・思惑期待があります。
生きていることに感謝があり、また与えられ持っているものに感謝があれば、それだけであり難く十分に思っていますからそれ以上は欲しがりません。 アリガタイ感謝で心が一杯になっていれ欲張らなくてすむのです。
満足があればそれ以上は求めません。 「雨がやんでも傘を忘れない」人だから、無いものを欲しがりません。
いま有る物に感謝があればそれ以上は求めませんが、感謝が無ければそれ以上を求めます。
その求める事が正しいと思っているから次々と拡大していきます。 すなわち止まる事を知らないままに突き進んでいきます。 しかも最後の行き着くところまで必ず行きます。それが自己拡大してきた今の私達であり、破壊・崩壊に突き進んでいることになるのです。
このままではもう手遅れになります。
もういい加減にして、自分の首を自分で絞める事をしないで、優しさ思いやりの愛・感謝の心を持てるように一人一人が意識改革していかなければなりません。
感謝の心が無い人ほど、あれが無い此れが無い、あれが欲しい此れが欲しいと、生活に不自由して困っていると思っているのです。
物質に恵まれて快適便利で豊かな生活が出来ているのに何で不自由なのでしょうか?
今に感謝できないのは過ぎた欲を持っているからです。 だから不平不満の人生を歩むことになっているのです。 国家社会や人の性ではなく自分が選択した山坂谷のある「差のある」「欲な」「特別な道」を選んでいるだけです。
差のある特別な欲さえ持たなければ、宇宙・神・愛は皆に公平平等に「あるがまま」にあります。 不自由不平等はいっさいありません、完全です。
完全だから神・愛の全知全能のすべてを与えられています。 貧困や身分地位にはいっさい関係ありません。 ただ気付いていない人には感謝が無いから、与えられたものを持っていることにはならずに、不自由や不平等に思えているだけです。
だから優しさ思いやりの愛と感謝で平坦な普通の道を焦らずにゆっくりと進んでいけば、やがて至福の時・地上の天国にたどり着く事が出来ると約束されているのです。