孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

先立つ思いで生きている人間い都合がいいのが「情報」ですが、その情報過多で人類の危機を招いています。

2016年07月16日 | Weblog
先立つ思いで生きている人間い都合がいいのが「情報」ですが、その情報過多で人類の危機を招いています。

ちなみに「思い」考える精神世界で生きることよりも、見える結果が出ている「現実・事実」を見定めてその原因である意識・精神世界の真実を自らが極め悟るのが本来の精神世界です。

ところが先立つ「思い」で生きているところがありますから、
然るにより楽しく生きたい、美味しいものを食べたい、美しいものが欲しいとなって欲張り見栄張りすることになりますが、しかしそれが自己満足になったり不平不満にもなったりしてその苦楽を味わうことにもなります。

何はともあれ先立つ思いで生きている人間い都合がいいのが「情報」です。

ちなみに宇宙・神・愛の仕組みの中には情報はありません。
然るに神を見たとか声が聞こえたとか宇宙とコンタクトしているとか人間が神の代理が如くになることは絶対にありません。

だからあるがままや自然体が言われていますが、私は必然ご縁の仕組みからしての成り行き任せにする事を書いています。

その人的な思いの絡んだ情報によって惑わされたり魅せられたリ欲しがることにもなりますが、その情報が無ければそのまま・このまま・あるがままになります。

そして成ることは成るが、成らないことは成らないままに事が進みます。

だから穏やかに事が進みます。

だからその時代の進化発展も穏やかになります。

然るに大昔ほど情報が少なかった事実があります。

だから情報が無ければ急ぐこともありません。

だから徒歩の時代でも差し支えありません。

ところが情報に踊らされると早急に事が運びます。

だから車や船舶や飛行機が便利になり更にスピードアップしたり大量に運ぶ大型にもなってきました。

そして現在では世界中を巻き込んだ巨大な時代になっています。

だから発展するも衰退するも破壊破滅するも世界中を巻き込みます。

然るに私たちはそんな時代に生きている人間になります。

だから対岸の火事では済まされない時代になっています。

然るに私の過去は火中の栗が如くの生き様でしたが、現在では熱くも無く寒くも無い丁度いい感じの穏やかな生き様になっています。

だから先立つ思いで生きるよりも成り行きの必然ご縁で仕組まれた結果のその事実だけを味わう生活になったのです。

だから急ぐこともありません。
然るに情報に踊らされることも無くなりました。

だから対岸の火事を知らずにして、人様の事を気にしないままに、己だけの呑気気ままで楽ちんの自由を味わっています。

だから今のままで十分です。

ちなみに食って寝て糞しながら生きている事実だけで十分満足している感じですから、それ以上の特別な思いを無理してまで欲しがることにはなりません。

だから頑張ることも欲張ることも見栄張ることも無くなりました。

然るに火中の栗が如く・大太鼓の如くの「張り詰めた」生き様から解放されています。

私は弥生時代以降の太陽信仰・灼熱よりも、事の始まりの縄文時代の月信仰・水意識を選んでいます。

2016年07月16日 | Weblog
情報過多は異常なほどに文化文明を進化発展させながら人類滅亡につながっていくようです。

ちなみに縄文時代は世界一平和な時代が長く続いたと言われていますが、
それは外部からの情報が無かったから、当然ながら内内の情報だけでゆるやかに穏やかに時が過ぎていたからです。

然るに人間はいつの時代も生きてきた事実があります。
だからこの先で例え縄文時代が如く状況になっても人間は生きて行けます。
だから同じく戦国時代でも徳川幕府の時代でも明治時代の如くになっても同様に生きて行くことは出来ます。

そしていつの時代でも「昔は良かった」と嘆く人がいるように、私も昔の自然豊かな時代が私には適していました。

そこで気付いたのですが「情報が少ない」ほどその時代が長く続いているようですが、その情報が多くなるほどにその時代が進化するも、しかしそれが他国との侵略戦争にもなり、そして侵略戦争からして様々な武器が開発され、それがまた時代の進化発展に寄与しています。

そして今日では原子力時代にもなりましたが、何やら人類滅亡に向かっているような気がしてます。

ちなみにこの世は「始まり終わる」仕組みで動いていますから、
然るに仕組まれながらにして水から陸に上がった生命が進化し大型化し、それが恐竜時代になり滅びたように、
現在の巨大化した時代に生きている人類が更に進化発展してそれが宇宙時代・宇宙意識になることは人間の矛盾偽善意識と何でも開拓したがる破壊意識からして(宇宙の為にも)絶対に仕組まれません。

となると恐竜時代が如くに滅びることになるかもしれませんが、
それを私なりに予測すると、現在の核融合の仕組みの過失によって多くが滅亡するも、運よく生き残ったごく少数の者たちがまるで縄文時代が如くに戻るのか、
それとも宇宙の仕組みからしての天変地異によって運よく生き残った少数の者たちだけで素朴な昔ながらの生活に戻るのか、その何れかだと私は予測しています。

そして生き残った者たちが過去の愚かさ矛盾偽善に気付き、そこでやり直しの新たな生き方を模索しながら時代が進むことになる・・・かもしれません。
だから巷で言われている次元上昇の仕組みは遠い先の事なのです。
然るに今をどう生きるかにつながっているのです。

ちょっと横道にそれましたが・・・情報があれば良いこともあるが悪いこともあるのがこの世の常ですから、
だから私から言わせてもらえば「情報」が無いほうが(隣の芝が気にならないほうが)穏やかに暮らせるその事実を現在味わっています。

然るにマスコミやブログの世界での情報合戦・暴露合戦・のぞき見し合う関係・評価し合う関係からして情報過多になり、それが諸悪の根源である不平不満の原因になっているのは事実です。

ちなみに私は大地震や津波や原発事故を知らないままにいましたが、世間が騒がしいことからして気になってネットで悲惨な状況になっていることを知ったのがおよそ一か月後でした。

それがたとえ放射能が全国から海外までも拡散していて、その放射能を被ばくして悲惨なことにるとの情報を知れば多くの人がパニック状態に陥り中にはヤケクソの破壊意識からして暴動略奪するかもしれませんが、
しかしその情報を知ることなく知らない間に汚染されても(結果は同じですから)その間パニックにならずに過ごせることになります。

それをハッキリ言えばこの世は情報によって洗脳され、その集合意識からして皆が踊らされているから、その苦楽・喜怒哀楽を味わうことになっているのです。

然るに守り闘うことを知らずにして内内で平穏に暮らしていた縄文時代にはなかったことなのです。

と言うことからして同じ生きていくにしても縄文時代を選ぶか戦国時代を選ぶかの違いみたいなものです。

然るに自己縮小を選ぶのか自己拡大を選ぶのかです。

ちなみに侵略し合う弥生時代や戦国時代や明治維新を選んだことからして文化文明が発展するも、そのお粗末な人間意識からして人類滅亡のシナリオが出来つつあるのです。

然るに今更どうしようもありません。
だから孤独の自由にして頑張る欲張る見栄張ることなく(情報知らずの)自然界の中で(苦楽の無いようにと)穏やかに静かに暮らしているのです。

然るに(私の場合は)意識的には弥生時代以降の太陽信仰・灼熱信仰ではなくして、事の始まりの縄文時代の月信仰・水信仰を選んでいることになります。

しかしそれも過去の自己拡大の経験があってのことですから、その自己拡大も無駄ではなかったのです。

だから皆さんも自己縮小の実践にならなければ過去の自己拡大が無駄なままに人間人生が終わってしまいます。

然るに納得人生には至らないで愚かな意識のままに終わるのです。