孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

宇宙・神・愛に欲はありません。人間には欲があります。だから人間が何か事を始めれば全てが欲絡みです。

2016年07月06日 | Weblog
宇宙・神・愛に欲はありません。
然るに自然体・あるがままが言われるのです。

しかし人間には欲があります。
然るに人間が勝手に奉っている神様仏様の開祖教祖先生にも摩訶不思議を成す神懸かり超能力者やスピ系ブロガーにも私にも欲があります。

だから人間が何か事を始めたと言うことはすべてが欲絡みなのです。

その見極めが出来ている人が、この先で何か事を始めるとしたら、
そこで(己に欲があるが)その欲を出さないですむ(執着しなくなる)自己縮小の実践になるはずです。

だから自己縮小が宇宙・神・愛意識に近づく精神世界の本質となるのです。

しかしこの世人間関係の中で居るからには、その自己縮小には個人の自由が無ければ絶対的に無理なはずです。
何たって何かと束縛制限・否定反発されるのがこの世人間関係だからです。

また己の自由を大いに味わうからには、絶対的に人様のことを気にすることをやめなければなりません。
然るにそれが見栄や世間体や自尊心を無くすることにつながります。

そうなると人様と関わって比較競争差別することも無くなります。

然るに己の中の精神世界に自由と平等の意識が芽生え確立されていきます。

そうなると己の中に自由と平等と平和の調和がもたらされます。

然るに精神世界を語るからには自由平等が無ければインチキカルトになるのです。

とにかく孤独の自由にして頑張ることも欲張ることも見栄張ることも無理することも次第に減っていき、今を生きているだけで十分に思えるようになります。

然るにこの世の矛盾偽善の苦楽の積み重ねから卒業できるのです。

そうなると苦楽・喜怒哀楽のある中途半端な生き様が無くなり、
然るに拘り未練執着が無くなり、
その穏やかで素朴な生き様からして納得人生で人間を終えることが出来るようになるのです。

日本人のルーツである縄文時代の「逃げるが勝ち」の自己縮小にして何とか事無く無事に生きています。

2016年07月06日 | Weblog
日本人の本質は縄文時代・神代の時代にあります。
その縄文時代は(考古学的に見ても)守り闘うことがない平和が世界一一番長く続いた時代とも言われています。

然るに自然界を神として祀り、その祭りごとに使う土器はあれども守るために闘う武器を持っていなかったから、他国から攻めて来れば致し仕方なくその場から逃げていたとも言われていますし、また縄文時代にムー大陸があったとも言われ、そこへ武器を持つ弥生時代の人類が押しかけてきて縄文時代が滅亡したとも言われています。
ちなみに私とご縁があった愛の霊能者はムー大陸のお姫様の過去性を持っていると言っていました。

とにかく弱者は逃げるが、強者は挑み続けるのです。
然るにそれが自己縮小の普通と自由ですが、自己拡大は特別な能力からして独裁者的な(私は正しいの)思想をもって挑み続けることにもなるようです。

ちなみに私は好奇心からして数多く挑み続けてきましたが、その限界に気付くと同時に自らが撤退してきました。
そして今では「逃げるが勝ち」の自己縮小にして何とか事無く・問題なく無事に生きています。

とにかく人間は人を欺くことが出来ても自分の本心を欺くことは出来ません。
だから人様に騙されることがあっても、自分が自分を騙すことは出来ません。

ただ自惚れ慢心や強い思い込みの自己陶酔・自己洗脳からして私は正しいと思い込み、結果的に自分を偽ることになりますし、また人を欺くことにもなります。

何はともあれ偽ることのできる人様の精神世界に関わって生きるのではなくして、偽ることの出来ない自分の本心の中の精神世界で素直正直に生きて行けば自ずと気付きますから自他共に欺き裏切ることにはなりません。

然るに個人意識丸出しながらも自分に正直に生きて行くことになり、そしてこの世人間関係の矛盾偽善の積み重ねにならずにして、またその苦楽を味わうことも無くなります。

然るに皆さんは自分に正直に生きていますか?、人様を欺いてはいませんか?、と問い掛けているブログでもあります。