孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

「ほっとく」ことが出来ないのは己のやましい欲からです。

2015年03月14日 | Weblog
食って寝て糞をしながらにして生きて、その後は成り行きに任せにしてほっとくことに違和感がありませんか。

然るに生きていくための基本的なこと以外は(特別なことは)成り行きに任せて「ほっとく」ことになります。
すなわち全知全能の完全なる宇宙&神&愛の仕組みに任すことになります。

ちなみに信仰宗教でも神に任す、仏に任す、神の心に託す、仏の心にゆだねる等が言われています。
ところが困っている人を助け救い上げる優しさ思いやりや援助救済や布教活動の実践を促すこともあります。
然るに「ほっとけ」ない矛盾があります。

ちなみに韓流ドラマ「辛ドン~高麗中興の功臣~41話」の中で、人里離れたお堂にこもって三年間の修行中の僧侶の世話をしている女性が数人の敗残兵に襲われ苦難しているのに(俗世の縁を切る)修行中だからお堂から出て助ける行いが(仏法の戒律を破ることになるから)出来ません。
然るにそのまま成り行きに任せて(仏に任せて)「ほっとく」ことが出来るか否かの試練が仕組まれたわけです。

それは創作ドラマだからのことですが、仮に私に仕組まれたとすれば(完全真理の実践からして)その危険極まりない渦中へ飛び込んで助けることが出来るだけの武術能力知恵もなく危険を犯すその勇気も無いから、致し方なく成り行きに任せてほっとくことになります。
また仮にその難儀している女性が家族であっても、私に成す術が無ければむやみに渦中に飛び込む事無く、事の成り行きに任すことでしょう。

そこで私見ですが
(前世から引き継いだことも含め)先祖供養や親孝行をする必要が無いと悟った者にはそれらが仕組まれないようです。
それを言い換えれば先祖供養や親孝行が必要と思っている者やそれを中途半端にしている者にその先祖供養や親孝行が何度も仕組まれるようです。

然るに「ほっとけ」ないその意識(私は正しいことをしている、それを守りたがる意識、目立ちたがる見栄や世間体=我欲が原因)からして己が呼び込み引き込み結果的には仕組まれたことになるのです。

然るに我が子が難儀しているのにその成り行きに任せてほっとけるだけの心意識がある者に、その子供が困り果てるような結果の仕組みが起きて、その子も親も困り果てるようなことにはならないでしょう。

だから先ほどの韓流ドラマが如き仕組みが私に起こる確立は宝くじの最高額に当選するよりも低いでしょう。

ところでその困ったと思うのは(守りたがる)欲があるからです。
然るに子供自身が困っていても、親など周りの者がそれを困ったことに思わないで冷静にしていれば、その子供も大げさに思わなくなるのです。

何はともあれ欲張らなければ困らないのです。
なのに欲張り続けるから(墓穴を掘って)更に大ごとになるのです。
然るに精神世界も単純なのです。
なのに大げさにして惑わしているのです。

すなわちこの世は「すべて意識」にあり、その意識によってその結果が出ている事実、すなわち意識が原因からしてその結果が出ている事実があり、然るに「結果じゃないよ、心意識だよ」となるのが真の精神世界です。

そこで例えば、成り行きに任せたことで我が子が死んだとしても、それは「死ぬ時が来て」それが「仕組まれた」だけのことです。
然るに未だ「死ぬ時」でなければ「助かる」のです。

然るに誰も手を施せない状態なのに(飛行機事故や自然災害などで)奇跡的に助かる事例がたくさんあります。
然るに神が(その人を選んで)直接手を施したのではなくして、その人の寿命・運命・役割使命からして、その必然ご縁の仕組みの奇跡が起きたのです。

ちなみに近代文明の下で欲まみれにして「死んだも同然」の生き方をしている人たちは、然るにいつ死んでもおかしくない状況下になっているといっても過言ではありません。

ちなみに「運が強い人」がいて危険なことを繰り返していると、その自惚れ慢心からしてその裏が出て結果的に悲惨な死に様に到る人もいます。

何はともあれ日々の些細なことを気にする事無くほっとけることからして(それを味わうことから)さらにその精神力自信が高まっていくのです。

逆に小さな事に執着する人ほど困ったと思うことが増えるし(その己の意識に気付きなさいとばかりに仕組まれ続けて)さらに大きなことに直面することにもなるのです。