孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

此れまでの自分の嘘偽りを己の心が一番良く知っています。それが「罪の意識」です。

2013年03月09日 | Weblog
私が年老いて思う事にあるのが我ながらにして恥じるべき行為が少なかったことです。
もしも恥じるべき行為が多ければ(暇で退屈しているだけに)(精神世界を意識して暮らしているだけに)それがしきりに頭の中によぎるはずです。

そして恥ずかしくて穴の中に入って隠れていたい思いに駆られることでしょう。
それとも自惚れ虚勢を張って自分の心をこれまた偽り誤魔化すでしょう。

私が子供の頃のその遊びの中でインチキをしていればそのインチキしたことの記憶は消えません。
だから此れまでの人生でインチキをして(誤魔化して)自分の利を得ていればそれがしきりに蘇るはずです。
だから過去に多くのインチキをしていたならばその数々の中の大きなインチキから順番にして蘇るはずです。

だから数多くの悪さをしていればその中の小さな悪さが消えることがあってもそれより大きな悪さばかりが蘇るはずです。
そして過去の悪事が発覚することが無いはずなのに何かしら罪の意識にもなって潜在的に残るようです。

と言うことは
自分が「悪い」ことをしたというその思い意識が「罪の意識」となって潜在するものと思われます。
だから些細な罪の意識しかなければその些細なことしか蘇りません。
しかしそれでも「恥じるべき」行為に変わりはありませんから、それが子供の頃であっても大人になってからのことでも、それが恥じる思いとなって蘇ります。

だから学校のテストでインチキをしたことがあればそれが蘇ります。
また喧嘩しあったり、虐めあったりしたことが蘇ります。
また果樹園のミカンを盗み食いしたことやもし万引きしたことがあればそれも蘇るはずです。

また淡い初恋も蘇りますが、その色気付いた頃の若気の至りの痴漢行為やエッチな行為も蘇ります。

また恋人や妻や夫を裏切る浮気心を持ったことや実際に浮気をしていればその罪の意識の大きな順番からして蘇ることでしょう。

だからインチキ搾取策略しそれを上手く誤魔化し正当化しても(完全犯罪や時効になっても)その裏心を一番良く知っているのが己の意識&心ですから、何がしの自分の利を得たとしても(肩書き名誉や財を得ても)その罪の意識が絶えず出てきます。

しかも自己満足や自惚れの良かったことよりも、その罪の意識の悪いことに思うほうのその尺度が大きく出るようです。

それが何故ゆえなのか、
それは人間意識の大元は宇宙と同じ<神>意識だったからです。
だから罪の意識が記憶に残りそして強く出るのです。

だからあの世へ行けば(衣食住や趣味嗜好娯楽などの自己満足や変化刺激が無いために)その罪の意識の逃避口・逃げ場がない状態になりますから、この世で大物だった者でも、その罪の意識がしきりに出てきて「申し訳ない」と恥じる事になります。

だからこの世で自己満足し自慢に思っていたことがすべて打ち消されて恥じるべき行為ばかりが多く蘇り、そしてしきりに後悔反省する事になります。

そしてもう一度人間に生まれ変わってやり直そうとこの世に転生するも何故かまた同じ事を繰り返してきました。

それも何故ゆえならば
何度も生まれ変わってこようともこの世が良い悪いで判断する矛盾意識で満ち溢れているからです。
(それも宇宙・神・愛から仕組まれたことですが、何度も書いているので省略します)

そこで(その必然からして)矛盾も妥協も無い完全な神の愛を学び知ることができる完全真理がこの世で説かれているのです。

そしてこの世の矛盾(神意識に反する罪)を大いに味わったからこそ、今生きているこの時から自らの欲望に屈しない(欲張らない)また他者からの邪な誘惑に惑わされない(巻き込まれない)だけの自制心や謙虚素直真面目な精神力意識力が(神意識に近づくことが)必要と言われるわけです。

そのためにもやはり欲張らない執着しないままの素朴さが言われるわけです。
そしてその(良い悪いの無い)苦楽の無い(裏表の無い)人生を実践でもって味わい、その完全な神の愛に気付き悟ることが求められているのです。

だからこの世の矛盾に巻き込まれないだけの精神力意識力&実践力が必要だとして此れまで何度も書いていますから、あとは省略しますが、とにかく自らの(魂&心&意識の)自由なくして神の愛意識を学び知り気付き味わうことにはなりません。