孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

互いに認め合う、互いに許し合う、お陰様・お互い様の自由平等の愛、宇宙・神の愛、

2009年07月26日 | Weblog
人間の命・意識として生きている限り、意識したことを肉体・身体を使って行為行動表現することになります。
そして「成る」ことは成り、「成らない」ことは成らないという結果になりますから、いずれにしろ結果は出続けます。
またその結果が原因となり次の結果も生み出され続け原因と結果は永遠に終わることはありません。
すなわち否応なしに原因と結果が出続けて「成る」ようになっていきます。

例えば、お腹がすいたことが原因で食事という結果が出てきますが、その食事そのものの判断・結果から他の事までに及んで結果が出て、その結果が原因でまた次の結果につながり続けます。
また食事をすれば出るものが出る結果になり(排便され)、それが自然界に排出されて次の結果につながり続けます。
また生活が貧しい原因で思うように食べられない結果が出れば、その結果が原因になり肉体的・精神的jにも多岐にわたり影響して結果を出し続け、その結果が原因になりまた結果を出すという繰り返しで永遠に続きます。
すなわち「成っても、成らなくても」その結果は出続け引き継がれていき、時にはそれ以上に進化拡大していきます。
それが思い考えることの出来る人間の「この世」であり、それが今の結果であり、それが原因で更なる結果が出続けていくことでしょう・・・

人間の意識が一つであるように、この世のすべては(最初の原因である)完全な「ひとつ」の意識から始まったことです。
そして大元の宇宙は完全なひとつの愛ですから、その「愛」で始まったことなら今も「愛」の世界になっているはずなのですが、ところが今は愛の世界とは言えません。
何故なら、事実は一つなのにそれを「良い悪い」で判断していることにあるからです。

だから、この世を良いと悪いの二つに分離判断さえしなければ、ただ「成る」ようになった結果が今あるだけの「あるがまま」になり愛の世界になります。 ところが完全なひとつの愛の意識で見ていないから・・・愛の世界・・・に見えていないだけなのです。
すなわち現われた「事実」だけを見ないで、その事実に良いと悪いの差を付けて見ている原因と結果があるからです。

だから現実・事実はどうであれ、原因である個人の「良い悪い」の分離差別意識さえ無くなれば愛の世界になるのです。
とは言っても人間だから良い悪いは出てきますから一気になくすることには無理があります。
そこで「執着」しなければ気にならなくなり忘れ去って無かったことになります。
そして(執着しないためにも)先ずはお互いに認め合いお互いに許し合うことが大切になります。
それがお陰様・お互い様の自由平等・感謝の愛意識になり、調和の愛、宇宙・神の愛、皆が我神なり我愛なりの意識になっていくことが出来るのです。

こんなに簡単に誰にでも分かる真理を見逃す手は無いと思いますが・・・