孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

自分を守り闘う「完璧」がプライド・差別・不信感になるが、それは知るべきことを「知らない」からです

2009年07月21日 | Weblog
人は皆自分が大事だから必ず「守り」意識を持っています。
それが往々にして世間体や見栄を気にしたり、自分は騙されたくない、損をしたくない、恥をかきたくない、惨めな思いをしたくないと、とにかく損になることは避けたがりますから何かと用心注意してかかることから、それが「不信感」の原因になります。
だから最初は先ず疑ってかかりますから、今まで知らないことを聞いたり見たりして不思議に思えることも、それを信じなければ知ったことが不信感につながります。
だから「見えない世界」に関しては、決め手が無いだけに不思議がることも多く、その決め手の無いことが違和感や不信感・否定反発拒否につながるし、決め手・結論が出せない疑心暗鬼や試行錯誤にもなる原因です。
また宗教に染まっている人たちが神を信じていてもそれは空想・想像の神であり鵜呑み丸呑みの妄信や洗脳された神ですから、本当の神を信じていることにはなりません。 また奉られ尊ばれている特別な神を信じているがそれ以外の神を信じていなければそれは不信感になります。

また自分に都合が悪いことなら「誰でも」が否定反発拒否しても「当然」当たり前と自分勝手に思い込んでいますから、その誰でもが当然に思うことが歪んで「私は正しい」私は間違っていないという原因にもなっていますが、その私は正しいが差別や不信感になっていることに気付いている人は少ないでしょう・・・

守り意識がプライドになり差別になり不信感になっているのです。

特に「見えない世界」のことになると間違ったことを信じていたり、信じなければならないことを違和感を持っていたり否定反発している人も大勢いますが、良い悪いを持たない完全真理を学び知れば「見えない世界」も実在の世界になり、言い訳・正当化することも違和感を持ったり疑心暗鬼になることも、矛盾に試行錯誤したり中途半端な妥協で終わらせることもなくなり、見えない世界が摩訶不思議でも奇跡現象でも無くなり、神や愛が特別でもなくなり、すべてが「あるがまま」の当たり前に動いていることを知ることで、この世に特別が一切無いことを知り、特別で無いほうが人間本来の生き方だと知ることで不平不満・不安心配から守り闘うことも不信感を持つことも無くなって心安らかな日々が訪れるのです。

自分を守り闘う「完璧」を知っていても、すべてを認め差の無い「完全」を知る人はごくわずかですから、その知るべきことを知らないと中途半端な生き方にもなるし、事実真実を知らないことで不信感の原因にもなりますが、知るべきことを知れば当然「信じる」ことが出来るようになるのです。
すなわち中途半端で矛盾のある神や愛を知ることでそれが不信感の原因となるが、完全な本物の神や愛を知れば完全に信じることが出来るようになるのです。
そして完全な神や愛を知ってそれを信じて生き続けて人間を終えるのか、不信感を持ったまま生きながらえて人間を終えるのか、この白黒の選択によって人間の人生からあの世の居場所までが決まるのです。

人間が地球で生まれ育ち死に至る原因(役割使命・本分)は「白い玉」を選ぶためであることは間違いありません。
そしてこの世で唯一つの完全真理が説かれていることは此れで「最後の選択」になることも間違いありません。
またそれを信じるか否かの選択も自分自身が決めることです。