しょう爺あーっと宮古

宮古島ではじめたサードライフ。気が向くまま不定期に面白いことあったら伝えます。

やってくれたね まもるくん

2014-02-10 17:48:42 | 日記

宮古島まもるくんとまるこちゃんは現在、交通安全キャンペーンで地道に働いております。

さてこちらの守君

      

CDは発売中止、書籍は絶版、講談社のHPからも削除。

ちょっといぶかしく思いながらも読んでしまった悔しさもあり、感想文にしてみました。

感想文の元ネタは、中学生の読書感想文。

まなじりを上げずに眺めてね。原作者には何の責任もないですから。

暴露された週刊文春は宮古島ではちょうど1週間遅れの12日水曜日の午後に入荷です。その記事との不整合はこちらの責任でありますのでよろしく。

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私は、「交響曲第一番」を読んで、嘘をつきとおすことのむずかしさをあらためて知りました。

著者は、1999年全聾となる悲劇に見舞われながら、『「聴覚障害を売りものに......」という誤解を受けながら、同情票を得ながらのうのうとメディアの中で作曲家として進んでいけるほどの図太い神経は持ち合わせていませんでした。.....考えに考えたあげく....作曲家人生からリタイヤしよう。』と記しています。私はこんな図太い神経を持ち合わせた著者に憧れます。もともと作曲なんかしていなかったのですから。

もしも、私が著者と同じ立場だったら、きっと毎日不安と恐怖で生きた心地がしなかったでしょう。そう思うと、著者の心の強さに驚かされます。

全聾を演じ作曲家を演じ続ける著者は二度も自殺未遂を重ねます。そこでようやく自分がおかしいことに気づき、精神科を訪ねますが抑うつ神経症は悪化の一途をたどります。1日に15種類の薬を飲見続ける生活は、愛弟子とされる四肢障害の少女に力を与えてもらい、「行きたい私への再生」へと変わっていきます。

この話を読みながら過去の自分を振り返ってみました。

今までは、いやなことがあると他人のせいにし、薬に頼ることなく、力を与えてもらえるたくさんの友人に恵まれていることに気づくこともなく、なんて嫌な人間だったのだろうか。

だからこれからは、家族や友人や知人たちと一緒に過ごすありふれた時間を大切に生きようと思います。私は私らしく悩んだり、怒ったり、酒を飲んだりしながらたくさんの壁を乗り越えていこうと思います。

そして、くじけそうになった時、自分の進む道に迷った時はこの本を思い出し、勇気をもって新しい一歩を踏み出そうと思います。

著者もきっと、今回のことを乗り越えられる強い意志と虚構の世界で乗り越えて生きていくことだと思います。

著者は最後に

『真実は闇の中にこそ隠されている―宝物は決して光の中でなく、闇の中にこそ巧みに隠されているように』

と記して終えています。

闇の中に確かに真実はあった。T橋D輔君がショートプログラムに使用しなくともいずれ光の中に引きずり出される運命として。

 

 

ご清聴ありがとうございます。

 


しょう爺の宮古島史 1.時代区分

2014-02-06 16:49:51 | 宮古史

最近「宮古島史」のカテゴリーにご無沙汰してしまっております。

ここいらで復活させましょう。

この島の歴史を大きく分けると(資料によって呼び方が異なるがここはしょう爺説?を勝手に標榜する)

1.先史時代  先史前期 約4000年前~3500年前

              (約1200年間の空白)

          先史後期 約2800年前~1800年前

               (またまた空白)

2.古琉球   グスク時代  1100年~

         天太(てぃだ)按司(あず)の時代 ~1365年または1370年頃

         豊見親(とぅゆみゃ)の時代     ~1541年   この辺から年号が特定されてくる

         頭(かしら)の時代   ~1611年  

3.近世     1609年 薩摩琉球侵攻 ~ 1879年 琉球処分

            世にいう「人頭税」=これは間違い、正しくは 「定額人頭配賦税制」 1659年~1903年

4.近代     1879年 沖縄県設置 ~ 1945年 

5.現代     米軍政下の時代 1945年~1951年

          琉球政府時代  1952年~1971年

          県政時代    1972年~

この中でも興味深いのは、群雄割拠の「天太・按司」を終結させ、宮古の統一を果たした「豊見親」の時代から琉球政府に呑み込まれて島を統治するために「頭」を拝命するあたりですね。

今年は、このあたりを読み解いて(といっても所説を披露するだけですけど)いきましょうね。

 

 

 

 

突然ですが今日はここまで。

                          

予習したい方は下のページを開いて見ておいてください。

http://blog.goo.ne.jp/umiyako/e/d8d69490bde08a393a17cd1ce275f53c


こんなん です

2014-02-03 17:42:28 | DB

船にペイントするロゴが決定しました。

こんなんです。

       

ワードのフォントの中から選んだ既製品ではありますが、良しとしましょう。

先週末には、新船第一号のお客様の問い合わせがあり、4月のご乗船に向けて一同心を引き締め、大いに飲んだところです。

さて、

我が家の前の新築工事。

         

このまま固まって1週間。

どうやら隣地との境界でもめているみたいです。

以前の圃場整備の現場でも、公図(蛇足ながら土地の境界を示した地図のことですね)とは明らかに違う境界を示しながら、「生前、隣の土地を持っていたおばぁとこの線で話がついている」などと主張するおじぃがいましたが、書類や証拠があまり役にたたない島でもあるわけですね。
それもこれも、きちんと相続をせずにほったらかしていたせいでもあるのですが。
 
という話ではなさそうですが、とにかく主張してみようという心意気ですね。きっと。
 
我が家の前は困難です。