墓のオッカケとしては見逃せない事がおきています。
14世紀から15世紀にかけての宮古島は、目黒盛系と与那覇系の2大勢力がそれぞれ、島の農産業と貿易を押さえることによって支配していたとされていますが、その与那覇系の支配者の一人に大立大殿(ウプダティ・ウプトゥヌ)という人がおりました。
この人は、16世紀に入って宮古島を統一した仲宗根豊見親の育て親だった人で、幼いころから才能を見抜き、そばにおいて政務の一部をまかせていたといいます。
この、大立大殿(ウプダティ・ウプトゥヌ)の墓が平良港を望む崖っぷちに建てられておりました。
その様式は、「巨石墓(ミャーカ)」と呼ばれており、巨石を用いて長方形に石積みを建てめぐらし、内部に石室を設けてふたをかぶせた構造で、北九州や朝鮮半島の史石墓との関係が深いといわれています。
いま、この墓が都市計画道路の工事によって中に浮いています。
車道部分にはかろうじてかかっていませんが、およそ2メートル近く切り下げたため、歩道からは見上げることとなっています。
どう処理して残すのかが見ものですが、ウプトゥヌさんの魂もケツのすわりが悪く落ち着かんことでしょう。
祟りがないと良いのですが。
明日はいよいよ冬至。たーけのモニュメントとなりかけているサンピラーに夕陽は降り注ぐのでしょうか。