しょう爺あーっと宮古

宮古島ではじめたサードライフ。気が向くまま不定期に面白いことあったら伝えます。

鉄製品は13世紀から使用

2011-09-28 17:27:10 | 宮古史

本日よりブログのテンプレートを海中から宇宙に変え、「遺跡調査」のカテゴリーを「宮古史」に変更いたしました。

よろしくお願いいたします。

前回、宮古島史の中で戦う時の武器は何であったのかとつぶやきましたが、このほど開かれた「奄美沖縄文芸学会」で鉄製品の伝来時期について意見交換されました。

これによると、「鉄製農具の使用は13世紀中ごろ。鉄鍛冶技術は14世紀にはいって、久米島から伝えられた。」という事です。

宮古島の戦国時代は、目黒盛と与那覇ばらが戦った1400年前後ですから、この時には鉄製品が武器になっている可能性があることが判りました。

ヤマトの鉄の歴史は、弥生時代の初期(紀元前10世紀頃?)には砂鉄から作った鉄器が用いられれていたとされていますから、実にこれに遅れること2000年以上。このことで、宮古島とヤマトとは交流がなかったことがいえるでしょうね。

新たな疑問。それでは最初の鉄の原料は何だったのかしら。火山のヤマトと違い、隆起石灰岩の宮古島には砂鉄は出ません。

交易によって材料を得たのならば何を基準に交換価値を決めたのかしら。

疑問は尽きませんが、我が家の周りの犬事情にも興味が尽きません。

ついにあのチビが長らく使用していたチビアネックスを追い出され、新たに台頭したトラが君臨しております。

         

でもこのトラは、小生が帰宅するとすごすごと退散し、外で服従の姿勢をとっております。

いずれチビのようにシカトするようになるのでしょうが。

         

 

なお、先日まもる君傷害事件のお知らせの際に、日本百景のひとつ「東平安名崎」とお伝えしましたが、ウソです。

日本百景には登録されておりません。正しくは、「日本の都市公園百選」でございました。

                 

これが日本の都市公園百選「東平安名崎」にございます。