第2回が放映されました。
市内一の繁華街「西里大通り」から今も市中に残される井戸を巡る前半。
放送開始50秒あたりに映り込んだ居酒屋「でいりぐち」と「喫茶レオン」。
前者は予約が取りにくい店として有名ですが、「レオン」の方は飲んだ後の締めのステーキをいただく店として地元では欠かせない店なのですね。
さて
タモリ殿がこの井戸の前で羽織った宮古上布の着物。
宮古島が琉球王府を通じて薩摩藩に納めた年貢の一部として、過酷な環境の中で作られた織物だったのですが残念ながらそれには触れられていませんでした。
時は17世紀初頭。琉球王国が薩摩藩の支配下となってから実施された測量をもとに貢租が制度化されました。
これが世にいう「人頭税」。1659年から1902年(明治35年)まで243年もの間搾取されてきたものです。
正確には「定額人頭配布税」
ここで生産される「粟」と「反物」の数量を決めて、15歳から50歳までの人数の増減に関係なく宮古から琉球王府に納める年貢高を定額にする制度でした。
と、ここまで記して思い出し検索してみると。。。。。。
ありました。2014年2月17日に同じような記事を挙げていました。
で、ここでは宮古上布の現在の価格をお伝えするにとどめておきます。
上布一反は約100万といったところでしょうか。是非お買い求めください。
琉球王府の搾取の記念に。
ここに住み始めて最初に気づいたのは、「どこに行ってもヒエラルキーはなくならない」ということです。
薩摩藩→琉球王府→先島諸島
沖縄本島(元琉球王府)→離島→田舎
本島へ行くと本島以外は離島と呼ばれます。まるで沖縄本島が離島ではないかのように。
その離島へ行くと合併前の旧平良市以外は「田舎」といわれます。
宮古島は十分田舎ですとも。
ではまた来週。
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