黎明の廃人日記

最近はやや更新が途切れがち、斜めに流し読み。
貴方にも私にも人生の役には立ちません。

レビューの補足

2006年01月26日 18時58分34秒 | Weblog
1月26日分。

 そんなに際だって体調がやばい訳では無かったのだが、どうも水っぱなと喉の痛み、頭がぼ~っとするとかいった昨日までも出ていた症状に加えて、関節痛やらまで出始めたので、これはイカンと判断したりする。と言う訳で、今日は午前中出て、午後から半年休を貰うことにした。そう言えば、半年休を取るのは初めてだったような気がする。ちなみに、会社で弁当を頼んで、しっかり全部食いきってから帰ってきたのはご愛敬。食欲が落ちていないのは、まあ良い条件であるような気もする。
 で、早めに帰ってきたぜ~と遊び回ったのかと思いきや、帰ってきたら一時半過ぎくらいで、さっさとスーツを脱いで着替えたら、そのまま撃沈。意識が戻ったら五時半。あらまあ、業務終了時間じゃありませんか。そんな具合で、つまりはさっさと会社からまっすぐ帰ってきた上に、本当に大人しく寝てやがったという次第である。割とあっさり意識も吹っ飛んでいたし、都合四時間ほど意識が飛んだまま撃沈していたから、それなりに疲れていたらしい。撤退してきて正解ではあったのかも。
 どのみち、明日は部の中でも二人が年休を取って休むという予定であるため、さすがに私までとは言えない訳で。かと言って今日も朝から休みを取るには微妙な元気の良さだしな~という所だったから、午後から今日に半分休みというのがまあ、自分で納得の出来るギリギリのラインだったのだろう。仕事も月末月初に突入すると忙しくなってくるだけに、休める日にちとしてもギリギリのラインだった筈。いやはや、いやはや。
 ようやっと目が覚めたので、先にサイト本体にレビューを久々に一本打ち込みしつつ、貰い物のエビ揚げ煎を囓ったりしながら、ブログを叩いてみる。

 サイト本体に数日ぶりにレビューを放り込んだが、今までのものとは大幅に毛色が違ったものである。何せタイトルからして、『なぜ、母親は息子を「ダメ男」にしてしまうのか』という代物で、出版元も講談社プラスα新書。黄色い背表紙でお馴染みかどうかはまあ微妙としても、普段レビューしている分野とは大幅にずれたやつであるのは間違いない。なお、講談社プラスα新書は、他の並びを見るとど~も胡散臭いのが多いし、本書もタイトルだけ見ると、というか中身の方もやっぱり結構胡散臭い。
 それでもこいつは私にとっては曰く付きの一冊で、しかもそもそもこいつを渡してきたのが、私の母親だったりする。母親を非難する内容の本であるのに、それを当の母親から渡してくるというのだから、曰く付きにもなろうというもの。しかも、これを貰ったのは寮に引っ越してきた直後のタイミング。包みを開けてタイトルを見るだけは見たが、その当時の私はこれの中身を見ずにそのまま本棚へ収めてしまっていた。あれから九ヶ月十ヶ月ほどが経ってようやっと読むことにしたのは、積み本が無くなったことと、それからようやく読む気になるだけの余裕と意思力が出来たということか。
 正味、読み切った後で言うのも何だが、思いっきり自己正当化するための本だとは思う。レビューでも打ち込んではあるが、誰かから嫌われたときに、」相手とは合わないんだからもう会わなくていいや」という思考ができずに、「ああ一体自分の何処が悪かったんだろう、また嫌われてしまった」という思考でループしてしまう人は、それは母親がアナタを無理矢理そんな思考に追い込んで洗脳していたからだ、という代物。ぶっちゃけ、一種のトンデモ本もしくはイチャモン本ですらある。その辺も加味して、レビューではわざと個人的総合評価も評定不能にしてある。
 ただまあ、それでも自分自身には割と該当する話ではあるのが困りもので。しかもこれを渡してきた母親自身が、私も該当するからアンタもそうでしょ、と言って渡してきている。母親も祖母から似たような状況で扱われていたそうだから、と。連鎖は繰り返されると言う訳で、その辺りの話は前々から私と母親の間では時たまに交わされていた会話ではある。三代祟るとはよく言ったもんだよね~、というのは両者の間では笑い話ですらある。ちっとばかり自虐的だが、笑い飛ばすしかしようがないのだ、これが。
 取り敢えず、この本は自己正当化のための本であり、責任転嫁のための本である。が、この本が本来的に必要とされるであろう人間は、そもそもが過剰なる自己卑下やら罪悪感過多の傾向があるであろうから、そういう意味では自己正当化と責任転嫁がむしろ必要となる。どーでも良いが、私も私で、人格が引っ繰り返ってから読む意味は無いんじゃあるまいかと自分に言いたくなる。読んでいての真っ先の感想は、あ~、私にこりゃ確かに該当「した」ねぇ、という所だった。未だに該当している部分もまああるにせよ、昔よりは大分緩和された後だ。もーちょい早く手を出せよ、私。もしくは、もちっと早めに読んでおいてくれよ、母、と。文句を言ってみても仕方がないので、一読しきったからと、また本棚に戻す自分がいるのであった。
 ……なお、これ読んだ後に、今度はハヤカワ文庫の新刊とかに飛んで行っている辺り、何だかんだ言いつつあんまり気にしてないということか。この間に誰かさんに言われたが、最近は「何読んでるのと聞いてみても、返ってくるタイトルが全然ワカラン」らしい。そりゃそ~だ、変な所にばっかり行ってるんだから。これが一年前だともっとラノベ寄りだっただろうし、在学中なんぞでは想像もしなかったくらいの悪食になっている気もする。さて、では、来年の今頃は一体何を読んでいるのやら、末恐ろしい話である。おお、あのトンデモ本の内容よりも、こっちの方が余程にホラーじゃないか。

 さて、最後に回しておきつつ、そして昨日にもう飽きたとは言いつつ、もう一回ライブドア。と言っても今日の場合は、ライブドアの会社に関してではなくて、株のこと。ここの所、当然のことながら売りが優勢というか買い手が付かない状態だったライブドア株を、ここにきて一気に買う動きが出てきている。新社長の就任したライブドアへの期待からの買い……ではない。思い切り、投機のための動きである。
 ライブドア株の持ち主は、元々その大半が個人投資家である。今回の大暴落で大損を見た人も多かろうが、ここにきてその損を少しでも取り返してやろうという勢いで、ライブドア株の乱高下を利用しての利ざや狙いのデイトレードが増えてきている。東証がライブドア株の取引のみを時間限定にしたのは、こうした状況を予測した上で、システムが処理過剰によってパンクしてしまわないようにという思考で抑え込んだからであるという。
 現状、ライブドア株は百三十やらその辺りの価格まで下落している。他の株は百株やら千株やらが最低の購入単位なのだが、ライブドアは一株から買えるようになっている。つまりは百数十万円の資金があれば、一気に一万株を買える。で、一万株買った状態で仮に乱高下に従ってライブドア株が一円値上がりしたら、それだけで一万円の利ざやが取れるという訳だ。つまり、別にライブドアという会社の株でなくても良い。ライブドアという銘柄が狙いやすいから、ということで一発狙いの投機対象になっている。デイトレードは元からこういった性格のものではあるのだが、ここまでくると露骨で非常に分かりやすい。
 ただ、さすがにこれはまずいというので、東証も信用取引を停止するなどの手を打ってきている。このため、短期ぶっ込み狙いの投機がしにくくなっており、売買高はようやっと落ち着きつつはあるようだが。いやはや、株は怖いねぇ……。
(ネタ元:http://www.nikkei.co.jp/news/main/20060126AT2E2600626012006.html)

読み:なし
買い:なし
途中:文庫『フェアリィ・ランド』
累積読破:文庫9冊、コミックス19冊
累積購入:24冊

それでは。