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あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

実家の片付け

2020-05-03 21:44:28 | くらし
 話はさかのぼって、古い家の解体の前に片付けのことを。

 すべて弟夫婦にお任せしてたのだけど、何か必要なものがあるといけないから一緒に見てーと義妹からお願いされて、何回か実家に足を運びました。(一日ですむと思ったのに~)

 母は戦中派で、物が捨てられない世代だったので、生前は、なんでもぼろぼろになるまで活用していました。ときどき西洋の昔話に出てるぼろをまとったおばあさんのように思えたものです。だけどそういったぼろ布は思いの外少なくて、自分で処分したようでした。下着類も入院用に整えたのか、新しい物がきちんとしまわれていました。

 台所は10年ほど前の手術直後に、何ヶ月かわたしも一緒に住んでいたときに、使い勝手がいいように整理したのですが、ほぼそのときのままでした。だけど、食器類の多かったこと。

 整理はしていても押入やらタンスやら食器棚やらに詰め込んでいたあらゆる物を引っ張り出したら、出るわ出るわ。

 一緒にこんなものも出てきましたよ。

 使わなくなったカーテンに爪くらいの卵。割れているところを見るとちゃんと孵化したらしいです。そして

 残念、ぼけてるわ。主のいない部屋で5年も守っていてくれたのかしらねえ。

 

 タンスの中からは

 わたしが小学6年生の家庭科で作った洋服カバーです。たしかデザインも教科書通りではなく自分が考えたもの。あの頃から凝り性だったかも。

 何十年もの間大切につかってくれたんだなあ。

 タンスの中にはきれいな服だけが残っていました。状態がいいのでネットのフリマで売ることも考えましたがー

 結局はこのボックスに入れてきました。どなたかのお役に立てればいいです。

 

 何冊もの大学ノートは母の日記です。父も日記を書いていましたがそれはすでに処分しました。

 母は何でも記録しておく人で、農作業の記録から細々とした買い物の出費から、よく前のノートを引っ張り出して確かめていました。多分、子どもが知っていてもいいことが書いてあるのだろうとは思いましたが、読まずに処分しようと、これはわたしも義妹も一致した考えでした。

 たくさんの写真類は

「いらない。」とわたし。

「いいの?」と義妹。

 婦人会や会社の仲間と日本国中旅行して、集合写真がそれこそ分厚い本くらい出てきました。が、こんな写真誰も興味を持たないでしょう。むしろ義妹のほうが若い頃の母を興味深く見ていました。

「ばあちゃんて、きれいな人だったのね。」

「わたしはひいばあちゃん(わたしの祖母)に似とるんよ。ほら」

 祖母の写真を見て、義妹は何とも言えず困っていましたわ。ひいばあちゃんは美人じゃないのです。わたし鏡を見るたびに優しかった祖母を思い出しています。

 でも、これは資料的価値があるんじゃない?とっておこう。と義妹が選び出したのは

 戦後間もなくの消防団と手押し?ポンプの写真

 祖父が乗っていたオート三輪

 



 ああ、こんなに小さかったのか。よく後ろの荷台に乗せてもらいました。舗装もされてない道を走ると、まるでトランポリンのように体が飛び跳ねたっけ。スリル満点でおもしろかったけど、今なら大事故になりますね。だからわたしたちは「ばたんこ」とよんでいたのです。

 祖父は病気で寝込むまで運転していましたが、車の横を中学生が走って追い抜いていったとか。(今なら大迷惑)

 父も母も多趣味で、関連する道具もけっこうたくさんありました。 

 父の趣味は盆栽(主にさつき) 読書 美術鑑賞 

 本を集めるの、好きだったようです。一冊何千円もする豪華本はわたしが頂きましたが、運ぶのも一苦労で、トラオとウマオに手伝ってもらってようやく部屋の中に積み上げました。まず自分の家を片付けないとしまうところがない。



 母の趣味は押し花 手芸 洋裁 ・・・・

 新品の小さな額は、押し花を入れて、父が通うデイサービスの入居者に誕生祝いとして贈っていました。

 わたしが「もっと続ければいいのに」と言っていた書道。

 途中でやめてしまったのです。予想以上に上手でした。

「ばあちゃんはえらかったねえ。仕事をしながらいろんなことをして。」と義妹。

 (優しいお嫁さんで良かったねえ。)

 自宅で縫製の仕事をしながら、編み物、山菜採り、餅つき、野菜作り 花作り。手作りのきなこ、ふりかけ・・・できたものは子どもたちに分けてくれて、実家へ行くたびに何らかの食べ物をもらって帰っていました。

年をとって、病気になって、できることをひとつひとつ手放して、最後は草引きが一番楽だと言っていましたが、入院してからも病院の花を眺め、院内のコンサートを欠かさず聞きに行き、教会でチャプレンのお話を聞き、工作をし、ろくろを回して粘土で花瓶まで作っていました。わたしでさえしたことがないのに。昏睡状態に陥る直前まで何かをしていたのです。

 その生き様こそが記憶に残すべきこと。形ある物は何もいらないと思います。だけど、母が長女のために編んでくれた靴下はまだ残っています。

 昔、近所に花の好きなおばあさんがいて、狭い土地にびっしりと花を植えていました。花に埋もれるように世話をしているおばあさんに声をかけて、シモツケソウをもらったら良かった、と後悔しているわたしです。おばあさんがなくなった後、その土地はあっという間に掘り起こされて、コンクリートで固められてしまいました。

 そのとき思ったのです。どんなに大切にしても、残った人に興味がなかったら、たちまち壊されたり捨てられたりするのだと。

 だったら、自分で捨てられない物は後に残しておいてもいいのではないか。今は実家の片付けと称して親とけんかしながらたまった物を整理する人もいるらしいですが、親が生きているうちはけんかしてまで捨てさせなくてもいい、暮らしやすいように整理整頓だけしてあげて、親が亡くなったら容赦なく捨てたらいいのではないかと。

 そうはいうものの遺品の中にはわたしにも捨てられない物があって、とりあえず家に持って帰りましたが(もちろん、弟の家の納屋にも)まずは自分の家を整理しないことには・・・・

 

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わらぶき屋根の家の思い出

2020-05-02 02:06:44 | くらし
 ひゃあ~ ついにゴールデンウィーク突入ですね。
 
 不要不急の外出を避けるように、との、3月、4月でしたがー
 
 実家の、亡き父母の住んでいたスペースを取り壊すとのことで、何度か桜三里を越えました。
 
 毎年今頃になるとナニワイバラの花が屋根まで這い上がっていた実家
 
 
 母が大好きだったバラです。
 それもすべて取り除かれて更地になった我が家。ふらっとやってきた甥っ子も交えて、外で立ち話。思い出話が尽きませんでした。
 
 すみません、ここからはぐだぐだと長話が続きますので、さらっと読み飛ばしてください。
 
 ぼうぼうだった前庭の植物はほとんど切り倒されて亡くなっていました。
 「イブキは?」
 「あれは残しとったんじゃけど、土建屋がいつの間にかおがして(掘り起こして)しもて、気がついた大工が真っ青になっとった。いらん、いらん、気にせんでええ、言うといた。」
 方言丸出しの会話に、弟の奥さんの東京弁が混じります。
 「ハナスオウも残したかったのだけど、ばらばらになっちゃって。」
 
 ハナスオウはわたしが物心ついた頃からあったと思います。わたしあの、強烈な赤紫の色はあまり好きではありませんでした。今はなかなかいいなあと思いますけど。
 こんな花。とある場所にまだ咲いていましたので、きれいなところだけ撮ってきました。
 
 
 
 
 同じく子どもの頃からあって好きだった花
 白の椿。もうシーズンは終わりかけですが、まだ咲いていました。
 
 当時の木が残っているとすれば樹齢は70歳以上。だけど弟と二人で記憶をたどっていくと、元の場所にあった椿ではないとわかりました。元の木を移植したのか、子孫を移植したのか。
 
 
 
 夕日をあびてほんのりピンク
 
 思い出した、今この木があるところは元々は田んぼだったのです。梅雨頃、赤い小さな蛇が泳いでいたなあ。
 子どもというのはこんなくだらないことを鮮明に覚えているものですね。
 
 「そばの柿は西条柿?」
 「いや、富有じゃ。
 西条柿はあれ。あのへんまで田んぼが斜めにあった。」
 そうだ細いあぜ道があって、実のならないアケビがからんでいたっけ。
 
 このへんに母屋があって、玄関を入ると左に座敷があって、土間の奥にかまどがあって・・・・ 記憶に残る一番古い家は、弟とわたししか知りません。
 
 小さな小さなわらぶき屋根の家でした。うちの前も後ろにも瓦葺きの大きなおうちがありました。
 うちは貧乏でしたが、器を持って豆腐を買いに行く時代。お金があっても贅沢のしようもない田舎でしたので、貧乏だという引け目は感じませんでした。
 
 裏の家との境に石垣があって、こんな花が咲いていました。
 
 
 祖母は、このキランソウや、ドクダミやヨモギを干して薬湯として飲んでいました。
 
 炊事場を出ると少し離れたところに井戸があって、手押しポンプでくみ上げていました。同じ村に住む伯母のところは、つるべの共同井戸でしたから、まだましだったのかなあ。洗濯物を濯ぐとき時、ポンプを押すのは子どもの役目でした。井戸からかなり離れたところに風呂場とトイレとがあって、そこへはバケツで水を運んでいくのです。それも子どもなりに持てる量を運んでいました。開発途上の国の子どもたちと同じです。
 
 台風通過後の朝、屋根の藁が飛んで青空が見えていたこともありました。あんな状況でも子どもは寝たんだねえ。
「台風の後、飼うとったヤギが死んで・・・」と弟。
「台風の雨風で死んだんじゃと思うとったのに、その前にひがんばなを喰わせたんじゃと。それをばあちゃんが(母)が死ぬ前に言うてー 60年もたって初めて知った。」
 今となってはもう、笑い話ですが、母が打ち明けなかったのは気がとがめたからなのか、ヒガンバナに毒があると、年をとるまで知らなかったからなのか?
 「だれも教えんかったんかねえ、」とわたし。
 亡き母は戦時中に小学校、中学校と過ごしました。ろくに勉強はしなかったようです。ヒガンバナのことなんか、先生も教えなかったのかもしれません。みんなその日その日を生きていくのに懸命な時代だったのでしょう。修学旅行にはおむすびと梅干しの弁当を持って、山を越えて今の久万高原町に歩いて行ったそうです(信じられない!)代用教員の先生は、お金持ちの子どもだけをひいきしたとよく話していました。
 
 
 こんなふうに不便な暮らしだったけれど、つらいと思ったことはありません。祖父は歩いて小一時間かかる山に果樹を植えていました。収穫を手伝う母について行って一日中遊びほうけて、祖母や母や従姉妹と歩く帰り道は、ハンミョウを追いかけたり、リンドウを摘んだりして楽しかった。
 
 戦時中の飢えを経験している母は、食べられる野草をよく知っていて、いろいろ教えてくれました。
 おやつはふかしたサツマイモ、塩ゆでのジャガイモ、はったい粉(煎った麦の粉)、焼き米(田植え用の籾の残りを煎ったもの。)庭の柿やユスラウメやしゃしゃぶ(グミ)
 

 考えてみたら、まだわたしの記憶に残る時代(さほど遠くない昔)に、そんな暮らしがあったのです。そして戦時中の暮らしを親から聞いて知っているのが今の高齢者です。多少の不便や不足には堪えられるはず。
 
 今年の子どもたちは突然の休校で卒業式もろくにできなかったけど、戦時中は卒業証書ももらえない学生はたくさんいたそうです。勉強の遅れが心配される今年の子ども。けれど、あの時代に子どもだった母は、愚かな人ではなかったけど、学問的には驚くほど無知でした。学業半ばで戦地に赴いた学生もたくさんいました。
 父は志願兵として南方戦線に行き、飢餓地獄から生還しました。

 その後、我が家は当時はまだ珍しかった最新の文化住宅に替わりました。あの「うさぎごや」欧米人にと揶揄された家です。だけど、蛇口をひねれば水が出て、寒い思いをしてトイレや風呂に行かなくてもいいようになりました。
 松山市の会社に勤めていた父は、いち早く街の文化を我が家に持ち込んでいたようで、うちには物心ついたときからサンタさんが来たし、手押し式の石油コンロなども早くから使っていました。
 
 後は高度成長の波に乗って暮らしは便利になる一方。そんな時代にわたしは大きくなりました。
 平和と豊かさと便利さにどっぷり浸かっていたその最中の突然のコロナ禍を、戦争にたとえる人もいます。不足する物資、食料、経済の停滞、行動の制限など、確かに似通ったところはあります。
 ちがうのは、敵が見えないこと。日常生活の一部に入り込むが故に、みんなが同じ方向を向いて戦えないことです。恐怖のあまりウィルスと戦う最前線の人を攻撃したり、排他的になったり、自分のためだけに物を買い占めたり・・・・物のない時代にはお金持ちも貧乏人も贅沢をしようもなかったけれど、今は困窮の度合いがはっきりと分かれること。
 
 やっかいなことです。けれど
 
 これからは、何が大切なのか、そぎ落とすべき飾りは何か、真剣に考える人が多くなるような気がします。よりよい社会の仕組みも生まれるかもしれません。
 
 
 










 
 
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もう節分

2020-02-04 00:29:04 | くらし
 2月になればすぐ節分、ということはわかっていたはずなのに、うっかりと忘れてしまうところでした。
 毎年盛大に売り出される恵方巻きの宣伝が、今年はちょっと地味だったような・・・・食品ロスが大きいんですってね。
 そもそもどこかの狭い地域で行われていた風習を全国に広げたのはだれ? うちの方にはそんな風習はありません。だから丸かじりなんてことはしません。と、前にも書いたような気がー
 だけど巻き寿司は作りました。この時期になると、おいしそうな巻き寿司の写真をいっぱい見るから食べたくなるのです。
 
 
 丸かじりはしないので切って出します。夫には、おつきあいでコンビニに予約なんてしないでね、と言っておきました。なので今年は完全手作りです。
 海鮮巻きにした年もあったけど、今年は亡き母がよく作っていた具材を使いました。

 
 なぜか写真が縦に??? すみません、直さずに使います。
 
 ちくわ 三つ葉の代わりに菜の花 椎茸 にんじん ごぼう えび 油揚げ かまぼこ たまご
 
 卵焼き器が娘のところに行ってしまいましたのでフライパンで焼いたらちょっとぶかっこうになりましたけど。キュウリは入れません。昔は冬にキュウリなんかなかったです。
 これにかんぴょうとピンクのそぼろ(でんぶ)を入れるのですが、かんぴょうは使い切れないので買うのをやめました。そして田舎のスーパーにはそぼろは売ってなかったです。かわりに鮭フレークを入れてみました。
 あわせて10品目。だけど鮭フレークは失敗。しっかりと味がついていて、そこだけ塩辛かった。それを除けば今年の巻き寿司の味は、我ながら「会心の出来」でありました。
 
 昔、出勤前に巻き寿司を20本巻いてきた、なんて同僚がいまして、その人は、巻き寿司なんか簡単よ、なんてさらっと言っていましたが、今日のわたしはたった5本巻いただけなのになんだかやたらと忙しい気がして、今夜のご飯は巻き寿司と炒り豆だけ。
 玄関と裏口に飾るヒイラギとタラといわしも、省略。はっと気がついて買いに行ったときはタラの木が売り切れていたのです。
 と、こんなふうになんとなく節分の気分ではないまま今日が終わりました。
 
 昼間、ふと庭を見ると

 
 うすピンクの梅がもう咲いている! 
 そして2,3日前に見たのは
 
 
 早くも咲きそろった菜の花。
 

 
 そして、世田薬師の紅梅と白梅は
 




 ほぼ満開じゃないですか。
 なんだかいつもと違う節分の風景です。
 梅の花はだいたい2月中旬頃咲いていたのではないかな。確認のため梅の花の写真を探していたら、やはり毎年2月中旬頃撮していました。そして、桜井の網代天満宮の梅林で写っている父を見つけました。なくなる1年前の写真でした。このときはちゃんと立って歩くこともできてたのにねえ。たった1年で老いの坂を転げ落ちてしまったのです。

 今年の節分、わたしのところへは鬼は来ず、父母の思い出がやってきました。きっとこれは「福」なんでしょうね。

 おまけ

 お寺に飾られていた寒牡丹
 
 
 
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相反する2日間

2020-01-10 11:08:13 | くらし
1月7日 七草の日でした。冬休み中のトラオと七草を探しに行きました。
 
 わたしが行くいつものところ。ほぼ放置された畑。
 



 
 訳のわからない菜の花がびっしり生えています。アブラナ類は交雑して変種が多いとのこと。それをトラオに説明するのは難しかった。それに、ここに足を踏み入れるのは、トラオは気が進まないようでした。
 だけど
 「ばあちゃんはここが好きなんよ」
 「どうして?」
 「いろいろな草が生えてるだろ?農薬も撒いてないし、犬も散歩してないし・・・」
 「なるほど。」
 
 これ、ゲンノショウコですよね。まだ生き残ってたんだぁ。
 
 
 
 
 芹は、やや茶色っぽくなっていました。ヨモギがみずみずしくておいしそう。



 
 
 いつかヨモギ団子作りたいね。最近では、田舎といえども安全安心なヨモギを見つけるのに苦労します。
 
 家の周辺でハコベとナズナを調達し、庭でハハコグサ(ゴギョウ)を採って
 
 買ってあった大根と蕪(スズナ スズシロ)の柔らかいところをちぎって
 
 
 これじゃ、六草じゃない?とトラオは言いましたが、ホトケノザはどうも自信がないので採りませんでした。
「花が咲くとわかるんだけどねえ。訳のわからない草は食べないことよ。」この辺、しっかりと教えておかないと。最近相次いでスイセンの誤食があったようですしね。
 
 いつもなら生の葉っぱをそのまま刻んでお粥に混ぜ込むのですが、青臭さが残るのはいやだろうと、一手間かけて塩ゆでしたのを刻みました。
 
 
 
 だいぶ吹きこぼしてしまいましたのでご飯っぽいおかゆになりました。おまけにおこげも。
 
 一口食べたトラオは
 「おいしい!」
 そしてぺろりと平らげた後
 「おいしかった、ごちそうさまっ」
 トラオは、何を食べても、どう? と聞けばおいしいと答えてくれますが、自らおいしいと言うことはあまりないのです。
 
 ただ塩で味付けしただけのお粥をこんなに喜ぶとは。
 温かい日差しの中で、心も穏やかに過ぎていった日でした。
 
 と、ここで終わりにしようと思っていたのですが、翌日があまりにもすさまじい日でしたので・・・
 




 台風なみの大風のためにあちこちのマルチが飛んで




 
 
 わかります? 電信柱に真横にひっかかっている鰻みたいなマルチ。
 
 公園の木も折れたらしいです。(大風の翌日撮影)
 
 
 
 我が家のキュウリハウスのビニールがまた破れたと夫はがっくり。ああ~また修理の手伝いね。
 
 そんなとき、娘から電話。雨風からかばうようにケイタを抱いていたら、腰がぎくっとなって動けないと。
 娘に替わってヨウコを迎えに行く途中、上の写真のような光景があちこちに。そして道路のまん中に、灯油用のポリタンク、枯れ木。とあるおうちでは大きな物置がひっくり返っていました。
 
 幼稚園でも、木が折れたそうです。そして近くの田んぼに積んでいたすくも(籾殻)の覆いが飛んで、農家の人がかぶせ直しているのですが、なんど重しをしても飛んでしまう。ヨウコを連れて車に乗ろうとしたら、籾殻のつぶてがばらばらと飛んできてほおが痛かったです。
「ヨウちゃん、めをつぶって!」いがいがのとげがある籾殻が目に入ったら大変。
 ヨウコは目をつぶったまま車に乗り込みました。
 ヨウコを送り届けて大急ぎ小学校へ。今日は始業式、下校時刻が幼、小、中、ほぼ同じなのです。自転車の中学生は果敢にペダルを漕いでいましたが、押して歩く姿も。
 まずい、トラオの帰宅に間に合わないかもしれない。
 案の定、トラオは家の前で怒りながら立っていました。 「待った?」「3分くらい」
 ごめんね、乗せて帰ろうと思って回り道をしたのがあだになったみたい。
 
 午後は強風の中、新居浜市まで行かなければなりませんでした。いつも停まっているオレンジフェリーの姿が見えません。強風で運行が休止になっていたのでしょうか。
 
 そしてようやく風か収まりかけた夕方、キュウリハウスに、壊れた暖房機の煙突の修理に、それが終わると家の趣味のハウスの煙突を修理に・・・・昨日とは真逆の大荒れの一日を過ごしたのでした。 つかれたー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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ゲットだぜ Ⅱ

2019-12-30 19:44:24 | くらし
 12月中旬のこと、車で走っていたらパトカー発見。おまわりさんに、こちらへ来るよう指示されました。その場所がねえ
時々スピード違反を取り締まる広場だったんですよ。わたし、スピード違反してないし・・・
 
 で、指示に従って前に進むと、なにやら子どもたちと大人がわやわやしていました。 そして停まらされたところに子どもが進み出て、なにやら突き出すものですから、窓を開けてもらいました。
「ボーイスカウトのなんとか隊です。安全運転お願いします。」と丁寧に挨拶されました。
 
 ああ、これが交通安全茶屋というものか。テレビや新聞では毎年のように報道されますし、夫は2,3年前にもらったビーズで作ったクリスマスツリーを今も車にぶら下げています。いいなあ、どうしたらもらえるんだろうとうらやましく思っていたのです。
 
 やっと交通安全茶屋に出会えました。どんなものでもただでもらえるってうれしいでしょ? それが、予想以上にたくさんのものをもらったので喜び倍増です。  
 
 
 
 子どもらしいイラストの入ったちらしと反射たすき、手作り感満載のクッキー、てづくりのおさるさんのストラップ。
 
 クッキーが、見かけによらずすごくおいしかったです。 サツマイモ入りで、しっとり柔らか系、バターの風味がふわっとひろがるクッキーでした。
 それからこのおさるさん
 
 旅行で行った高山でも見たような・・・たしかさるぼぼとか言っていたなあ。どの地方にも伝わっているんですね。自分の住むところにもあったなんて、知りませんでした。ちゃんと伝えていかねば。
 
 そしてちらしにこんなことが書いてありました。



 よく考えてますねえ。 
 今年は高齢者の事故が目だった年でもありました。わたしも数年したら後期高齢者、気をつけなければ。
 
 さて、今年もあと二日。1年間、わたしのブログに訪問してくださった皆様、ありがとうございました。来年も、頭の体操やら、暮らしの記録やら、ストレスの発散やらいろいろな意味を込めてブログを続けていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
 それでは皆様、良いお年をお迎えください。
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ゲットだぜ

2019-12-24 23:56:37 | くらし
 奄美大島の旅は終わっていませんがー
 気がつけば今日は クリスマスイブ!
 はあ~ なんて日がたつのが速いんだろ。 このままだと日常のことを書かないまま年が明けそうです。 なので、今日は、旅行記をお休みして日々の雑多なことを。
 
 先日産直市、「周ちゃん」に行きました。 なんだか車が多い、 午前中はいつもこんなんだろうか? こんなに早い時間に行ったことなかったのでびっくりしました。広い駐車場はいっぱいで、 やっと端っこの方に停めることができました。

 なんだ、何かイベントをやっているようです。 そういえば新聞にちらしが入っていたっけ。

 
 このテントは、 県外のJAが出張販売しているものでした。
 わたし、別のものを買いに来たのですが、ちらっと覗いてみたらなかなかお買い得のものがあるようでしたので、結局


 いっぱい買ってしまいました。

 これ、ただのみかんではありません。 和歌山県産「はれひめ」 
 

 
 みかん県の愛媛県人がわざわざ和歌山産のみかんを買う?
 だって、わたしが幸せの味とよんでいる高級柑橘が、 詰め放題、消費税込みの300円ですよ。 買わずにはいられません。 
 最近温州みかんの詰め放題をよく買います。 毎日食べるのですから、 数が多い方がいいんです。 だいたい30個以上詰め込んでいます。 はれひめはそれよりは大きめなので、
 
 目標20個 
 
 なぜかというと、20個詰め込んだら1個15円。 安いでしょ? 上等のベニマドンナなんぞは1個500円もするのです。 目標の20個上手に詰め込んでゲット。 おまけにとってもおいしかったし。
 
 それからJA沖縄のミニトマトとセロリ。


 トマト1パック100円! セロリ一株200円! トマトは娘たちのところへ1パックずつ配って、セロリはまたピクルスにしよう。 食べきれないほど大きな株です。 トマトは甘くておいしかったです。 

 JA千葉からはピーナッツ。 スーパーでも国産ピーナッツは滅多にお目にかかれません。 あってもとても高いし。
 1パック山盛り+2つかみおまけで500円。

 
 不揃いのB級品なのでしょうか、 ちょっと実入りの悪いのもありましたが、 普段食べるには十分。 市販の外国産のよりはずっと香ばしくておいしかったです。 

 これこれ、実はお茶を切らしていて買いたかったのですが、 福岡の八女茶が2パック500円でありました。 試飲のお茶がおいしかったので煎茶も買いました。

 ここJA周桑の味噌。 これもいつもより100円以上お買い得。 香り高い味噌で、わたしのお気に入りです。 
 コロッケは地元産の里芋を使ったコロッケ。 3個250円。 安い。


 レトルトのご飯は、 500円買うごとにくれる賞品引換券でもらったもの。 レトルトのご飯て食べたことがありません。 どんなのか食べるのが楽しみ。 非常用においておくのもいいですね。

 数軒の地元の農家さんのグループが栽培しており、2,3年前から出荷できるようになったそうなのです。 くるみは県内でも珍しく、新聞で紹介されたりしています。
 透明のトレーに山盛り積んで500円。

 
 くるみが転げ落ちなければいいんです。 これも転げ落ちる寸前まで盛り上げて
 

 いつもの値段の3杯は取れたと思います。 お正月のおせちに使いましょうね。
 というわけで、 無駄遣いではないお得なお買い物ができて大満足の日でした。

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快晴

2019-11-07 09:44:31 | くらし


 なあんにもない空。 二日続けて快晴です。



 そして二日続けてケイタのお守りです。
 ケイタは「柿」とみかんの区別を覚えました。



 ケイタと行った公園では紅葉が始まっていました。大きな木はアメリカフウ。ぼつぼつ山の方の紅葉情報がきかれるようになりましたが、今年の色づきはやや遅めだとか。

 

 桜は紅葉せずに散り始めていました。



 小さなケヤキは黄色で



 もうちょっと大きい方は赤褐色



 ケヤキに色鮮やかな紅葉を求めるのは、このあたりでは難しい。

 枝の隙間がハート・・・に見えなくもない。青空がきれいです。



 南京ハゼは木の半分が赤くなりかけていましたが、反対側はなぜかみどり。



 紅葉はまだまだといったところ。

 公園に入ったとたん、ふわっといい香りが漂ってきました。あたりを見回したのですがすぐにはわからず、やっとこの花が咲いているのを見つけました。


ヒイラギ? いやヒイラギモクセイかな? 金木犀と同じような香りです。花も色が違うだけ。

 

 蛇足ですが

 10月末に行った県の美術館の駐車場で。



 10月半ばがピークのはずの金木犀がきれいに咲いていてびっくり。だけどあまり匂ってこなくて、たまたま近くに停めてたから花に気づいたのですけど。みんな今年は金木犀の香りが少なかったと言ってましたね。9月末から10月末まで花が見られたというのもわたしにとっては初めてです。
 気候がちょっとだけずれたりひずんだりを身近に感じます。

 さて、2歳児の後を追いかけ回って、夜、やれやれとパソコンの前に座ったら、いつの間にかぐっすりと(どこでもいつでも眠れるのはわたしの特技)眠り込んでいて、更新が朝になってしまいました。

 
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秋祭り

2019-10-20 12:27:58 | くらし
 合併前の旧西条市内の秋祭りは、それはそれは盛大です。
 祭りが近づくと新聞に、 秋祭りの各神社の日程とだんじりや太鼓台の運行ルートなどを書いた折り込みチ入ります。
 さて、そんな祭りの最中、娘が風邪でダウンしまして、わたしはヨウコとケイタを連れてクライミングスポーツの施設のある、運動公園に遊びに行きました。
 ちょうど近くにある石岡神社の祭礼日。運動公園の駐車場は、祭りを見る人の車でいっぱい。なんとか隅っこに空きスペースを見つけて停めました。

 そこから金木犀の香る広場を横切って児童館の遊具広場へ。広場のある児童館も祭りのためお休みで、遊ぶ人もいません。貸し切り状態の遊具で二人は思う存分遊びました。

 夕方になり風も冷たくなってきたので帰りましょうと、車に戻ったら、続々と人が集まって、神社の方へ歩いて行ってます。
 「ちょっと見てみようか。」
 少し歩くと向こうにきんきらの太鼓台が見えました。神社まで意外と近かったのです。

 ちょうどだんじりが集結しているところでした。




 そして順序よく鳥居をくぐって行きます。


 神社は少し高いところにあるらしく、木立の中を縫ってしずしずと上っていきます。きらびやかな飾りが緑に映えて、街中の賑やかさとはちがった、とてもいい雰囲気でした。

 わたしたちが見たのはほんの七,八台でしたがあとで知ったところによると二十台以上あったそうです。
きっと本殿近くにいたら勢揃いしただんじりの壮麗な姿を見られたのではないかと、ちょっと残念でしたが、小さい子連れには安全が一番。広々としたところで間近にだんじりを見られたのでよかったです。

 だんじりには、白木に彫刻をほどこしたのと


 漆塗りのと


 どちらも手の込んだ造りできれいです。

 そしてこの神社にはもう一種類



 新居浜祭りはこちらのタイプが主役。太鼓台と呼ばれていますが、西条まつりではこれを「みこし」というんだそうです。そして神様の乗っているのは、どこの祭りにもあるような御輿で、これは「神輿しんよ」と言っています(他地域から来たものにはややこしい区別)

 ケイタは金糸で刺繍された龍を見て「こわい」と言っていました。そのくらい近くで見られたんです。わたしはふと「ウマオを連れて来たらよかった」と思いました。ウマオは神社大好きのうまお、きっと喜んだろうに。

 次の日、わたしは激しいのどの痛みに襲われて・・・・風邪を引きました。
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桜三里の屋根付き橋

2019-06-29 23:52:57 | くらし
 緑濃くすっかり夏の景色になった桜三里。車を走らせながらちらっと横目で確認することがあります。
 一つは1箇所だけ道ばたにあるまたたび。夏になると白い葉が木立の上の方まで這い上がります。初めてマタタビに気づいてから何年たったのか。ずいぶん成長しました。桜三里の往路、復路、どちらからでも目立つようになりましたが、もうわざわざ車を停めてまで写真を撮りません。交通量も多く制限速度以上の早さで通り過ぎる車がひっきりなしですから。

 もう一つは、
 
 屋根付きの橋
  
 南予の方にはいくつかあるそうですが、中予の方で屋根のある橋を、ここ以外に見たことがありません。
 ちょっと時間があったので寄ってみました。深い緑に包まれて、よほど注意してないと通り過ぎてしまいます。もうずいぶん前に気がついて一度はブログに書こうとしたのですが、何らかの理由でしていませんでした。ちょうどいい、もう一度訪ねてみましょう。
 そんな気になったのは、以前に比べて見つけにくくなってる=草木に隠されている、そんな気がしたものですから。

 いえ、向こうの家ではなく白い柱の陰にちらと見える



 これです。





 「あけぼのばし」と堂々とした看板が掛かっています。おお、前には気がつきませんでした。



 なかなかすてきでしょう? 







 国道側から渡ってきて出口に立て札がありました。多分こちらが入り口。



 もう字も薄れかけてなかなか読みづらいのですが、あれこれ調べたこととあわせますと

 周布郡(今の西条市)から久米郡(今の松山市)へ抜ける道「中山越」(今の桜三里)の中山川に架かる鞘橋(刀の鞘のような形状の橋?)景勝地にかかっていた。それが京都東福寺の通天橋に似ていると言うことでかつては多くの文人が訪ねてきた名勝地だったが、今その景勝地はダムに沈んでない。 といったところです。

 そうか、まだ作りが新しいと思ったのは、昔あった橋を模してここに残そうとしたと言うことか。時代の移り変わりを物語る橋だったとは。

 この橋のたもとに



 立派な桑の木

 草に覆われたはまゆう あじさい(写真なし) あきらかに誰かが植えたものですね。
 ちょっと古い歴史には似つかわしくないような、オキザリス(いかにも現代風)



 これは? 白花のオキザリス?





 橋にいたる道のそばは草が刈ってあり、だれかこの橋の付近を手入れしている証のように思えます。放っておけば過疎化の波にのまれてそれをする人もまたいなくなって、橋への道も草に覆われて、解説の文字も薄れて、やがて人々は忘れていく・・・いえ、これはわたしの勝手な想像です。 
 せめて立て札だけでも黒々と書き直してもらえませんかねえ? そして国道からもわかるように。

 おまけ すぐそばの畑はきれいに手入れされていました。


 キャベツの穴の空き具合があまりにもすごかったので。
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あたらしい傘

2019-06-07 10:32:39 | くらし
 梅雨が近づきましたね。田んぼに水を張ると晴れた日でもなんとなくしっとりとした空気が流れているようなきがします。

 通販で新しいかさを買いました。



 思っていたよりもど派手なショッキングピンク。

 それにこの持ち手はどうなの?



 

 通販だから細部まで見てなかった・・・迷いながら選択したピンクも失敗だったか?

 このかさ、もう1年くらい前にテレビで見てほしいなあと思っていたのです。持ち手が少々不格好なことなんて、 ピンクがとっても派手なことなんて



 気にしません。だってこれ内側だもの。
 外側は



 真っ黒です。これはこれでさびしいけど。てるてるぼうずみたいね。

 こうしてみると普通のかさと違うことがわかります。
 

 わたしこの傘のすごい機能に惚れ込んで買いました。
 


 普通上にあるはずの持ち手が下に。無骨な持ち手は下で傘を支えるため。
 傘を開くボタンは持ち手のそばについています。傘は噴水のようにすぼんだまま上に上がって途中からひっくり返って普通のかさの形になるんです。だから手元が狭くても傘が開きやすいのです。
 車に乗る方なら想像できると思うのですが、車から降りるとき、傘を開くために半身は外に出ないとドアが邪魔してさせません。この傘はドアをちょっとだけ開けて手だけ外に出し、ボタンを押すとドアの上に開いてくれます。だから傘を差したまま車を降りることができます。
 閉じるときも同じです。まず車に乗りこんで手だけ外に出してボタンを押すと、ドアをいっぱい開かなくても閉じてくれます。しかも、傘をすぼめると、雨はいったん黒い方にたまり、下を向けるとざざっと落ちてくる。雨を外に落としてから車内に入れ、車の助手席にもたせかけても、内側のピンクが外でるので傘は濡れていません。だからシートも濡れない。
 車乗りのための傘。よくできています。

 今日は雨、ちょうどいいからお出かけしようかな?
 いやいや、不要な外出はしません。晴れた日は暑すぎてできないハウスの中の草引きをしてきます。
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