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仕事の道楽化

 仕事が道楽になることを目指しています。

保育所での講演が終わりました。

2016年01月23日 | 家庭教育
 保育所での講演1時間が修了した。保護者向けの講演である。



 私が師匠と勝手に思っている野口芳宏先生は、「元気が出る話がいい話」と言っている。

 年間400回を超える講演をしている中村文昭氏は、「相手の行動が変わるような話をしたい。」と言っている。

 聴き手である保護者の元気が出るような話になったか、保護者の行動が少しでも変わるような話ができたかが心配である。



 内容は、愛情と躾に関する話である。



 愛情をたっぷり注いでもらった子は、幸せに育つ。

 では、どうすれば親の愛情は子どもに伝わるのか。具体的な方法を2つお伝えした。



 躾の土台は、4つある。「朝のあいさつ」「返事」「履き物そろえ」「立腰」の4つである。

 なぜその4つなのか、どうすれば身につくかをお伝えした。



 具体的な場面をなるべく交えて、行動にすぐ移せる方法,移したくなる方法をお話ししたつもりであるが、伝わったかなあ・・・。

保育園で保護者向けの講座をするなら

2016年01月17日 | 家庭教育
 今度、保育所で保護者向けの講座をすることになった。

 10年から15年位前の自分と同じ位の保護者に向けて、子育ての話をする。

 いろいろな切り口で話をすることになるが、具体的な行動に移せるような話がしたい。

 15年位前の自分に向けて話をするつもりで講座を組み立てよう。

 どんな内容が考えられるだろうか。

 例えば、

 「子育てできる時期はあっという間ですよ。」

 「ぎゅっと抱きしめて、大好きっと言いましょう。」

 「話を聴いてあげると、子どもは落ち着きます。話の聴き方の大原則は○○です。」

 「躾が大事ですが、この4つができればOKです。」

 等がある。

 具体的なエピソードを交えながら、参加して下さった方が、すぐに行動に移せるような話ができたらいいなあ。

子育てをしていた昔の自分へのアドバイス

2015年12月13日 | 家庭教育
 我が家には、4人の子どもがいる。

 1人目、2人目と、だんだん育児がいい加減になっている気がする。

 いい加減というのは、だらしないという意味(だけ)ではない。(少しはそう意味もあるかな?) 

 良い具合の加減になっているという意味である。



 多くの場合、緊張感もあるので、1人目の子育ては、とてもまじめである。

 野球で言えば、ど真ん中ストレートの真っ向勝負で子育てをしている。

 しかも、そのストライクゾーンはとても狭い。ど真ん中だけに投げ込むような子育てが、1人目の子育ての特徴である。

 それはそれでいいのである。むしろ望ましい。真剣勝負で育てる方がいいに決まっている。

 ただ、4人目ともなると、ゆとりが出てくる。ど真ん中ストレートだけではなく、変化球を投げたり、時にはわざとボール球を投げて様子を見ることもできるようになる。



 若い時の自分に子育てのアドバイスをするとすれば、2つある。


 1つは、「ストライクゾーンはもっと広くてもいいんだよ。」ということである。

 子育ては、もっといい加減でもいいのである。特に、他の子と比べる必要はない。比べるとすれば、過去の子ども自身と比べて、伸びたところだけをほめればいい。

 「子育ては、こうでなければならない」ということはあまりない。子供によって望ましい子育ては違うケースが多いからである。

 

 2つめは、先ほど言ったこととは少し矛盾しているような気もするが、

 「他人に迷惑をかけるようなことに関しては、ストライクゾーンはそのまま狭くて良い。」ということである。

 例えば、朝は、近所の子と一緒に集団登校をしている。絶対に遅れないように登校させる。朝食は中途半端でも登校させる。

 他人に迷惑をかけるようなことをしていれば、必ず嫌われる。結局は子ども自身が損をすることになる。

 だから、親としては他人様に迷惑をかけるような言動は決してしないようにしつける。

 あとは、まあまあいい加減でも結構子どもは育つと感じている。




トラブルはチャンスに変える

2015年12月09日 | 家庭教育
 子どもを育てていると、きっと何かやらかす。
 
 例えば、

 友達にけがをさせた。

 友達のものを盗った。

 友達をいじめた。

 いずれも、親としては、相手に申し訳なくなる。

 ただ、人間だから間違いは起こす。



 こういうトラブルは、今後間違いを起こさないように指導するチャンスでもある。いや、チャンスにしたい。

 子供には、事情を聞いて、なぜそういうトラブルになったのか、非があれば認めさせ、叱る。(当然この時、子供自身の都合の悪い情報は隠したがる。それもふまえて事情を聞く。)

 相手方に謝罪に行く。非があった点を子供に謝罪させる。

 この時、親も謝罪する。親が謝る姿を我が子にも見せるのである。 

 親が謝る姿は、子供にとってはショックであろう。

 

 親の姿を見て、子供は、「次は絶対にしない。気をつける。」と考えるはずである。


 

将棋を知らない子にもオススメの将棋セット・・・スタディ将棋

2015年11月27日 | 家庭教育
 将棋に興味を持った次男と三男が、夕食後に対局を始めた。

 駒の動かし方もまだ十分には分かっていないので、いつも面白い勝負になる。

 駒の動かし方が分からなくても、公文の将棋なら、遊べる。

 商品名は、「スタディ将棋」である。

 将棋の駒には、進める方向が赤矢印で書いてあるので、将棋をしながら覚えることができる。

 

 2人の会話も面白い。しばらく見ていると、すごい展開になっている。

 玉が、敵の陣地に入っている!

家庭教育のバロメーターは2つ

2015年11月24日 | 家庭教育
 家庭教育のバロメーターは、メディア視聴時間とお手伝いの2つである。
 
 テレビは、見たいモノを我慢させるブレーキとしての家庭の教育力が分かる。(テレビに加えて、携帯、スマホ、ゲームも含む)

 子供は見たがっているのだが、子供の幸せを考えると、時間を制限させた方が良い。

 時間制限のルールを設定できるか。子供に守らせ切ることができるかで、ブレーキとしての教育力が分かる。



 お手伝いは、仕事をさせるアクセルとして家庭の教育力が分かる。

 お手伝いは、億劫なモノでもあるが、お手伝いの意義を理解させ、やり方を教え、させきることができるかどうかで、アクセルとしての教育力が分かる。

 
 メディア視聴時間とお手伝いというのは、シンプルな視点であるが、家庭教育にとっては、大事な視点である。
 
 



テレビやゲーム、携帯とのつきあい方

2015年11月08日 | 家庭教育
 うちでは、月曜から木曜日までは、ノーテレビデーである。ゲームもしない。

 テレビ、ゲーム、携帯は、ある意味時間泥棒である。

 見たい番組があれば、録画をしてもらう。週末にまとめてみるようにしている。

 そうすることで、部活帰りでも勉強する時間がとれる。家族の会話も増える。また、睡眠時間もとりやすい。
 
 さらに、携帯も午後9時過ぎには所定の場所に置いてもらう。

 かわいそうな気もするけれども、長い目で見ればきっと子供のためになる。

 ただ、素晴らしい番組や映画は、週末に家族で見る。家族で映画館に行く回数も多い方ではないかと思う。

 大事なのは、メリハリを付けてメディアとつきあうことなのかなあと感じている。
 




社員教育のスペシャリストが放った一言

2015年11月05日 | 家庭教育
 映画「何のために」を見ていて一番印象に残ったことがある。

 それは、氷室優氏がでていた場面である。

 氷室氏は、氷室建設の社長であり、社員教育のスペシャリストでもある。

 彼が言った言葉が心に残った。

 それは、食事の際、社員に言った一言である。

 「茶碗を持って食べろ」

 である。

 つまり「両手を使って食べよ」ということである。

 些細な一言だが、社員教育で凡事を徹底していることがこの一言で分かった。

 こういう些細な行動が当たり前にできるようにする教育の積み重ねこそが、難しい行動ができるようにするための土台であり、近道でもあると感じている。

家庭の役割とは?

2015年10月29日 | 家庭教育
 先日、野口塾in宮崎があった。

 講師は、野口芳宏先生である。

 教育の根本・本質・原点を踏まえた教えをたくさん語られた。

 例えば、家庭学習についての質問があったとき、

 野口先生

「家庭は、まず安らぎの場ですよ。子供が帰って安らぐ場です。」

 そうなのだ。原点としては、家庭は安らげる場である。これは、子供でなくても大人でもそうである。

 家庭で安らぎを得るからこそ、次の日の活力も湧くのである。



 野口先生は、次のようにも言われた。



「学力向上を家庭に期待するべきではない。」

「ただ、学習をする習慣は付けた方がいい。その習慣を付けるために家庭学習をするように指導したらいい。」


 このような教育の根本・本質・原点にこだわった野口塾in宮崎、平成28年度(2016年度)は、10月22日(土)開催予定です。(告知があまりにも早いかな?)

なぜ親孝行を心がけるのか

2015年10月21日 | 家庭教育
 先日、介護の話を聴いた。

 年老いた母親が同居を望んでもそれを拒否する子が居るそうである。

 同居するしないは、各家庭で事情があるから、どうすべきかは分からない。

 しかし、重要なのは、年老いた親に対して、親孝行ができているか、心がけているかという点である。



 自分だったら、親が本当に望むことをかなえたい。なるべく意に沿うように、幸せな気持ちで老後を過ごしてほしいと願い、行動したい。

 そして、老いた親が幸せそうに過ごしている様子を我が子にも見せるのである。我が子にも老いた親と一緒に楽しく過ごさせたい。



 なぜか?

 それは、歴史は繰り返すからである。



 老いた親が幸せそうに過ごしていれば、孫は、老後はそのように過ごせるものと理解するだろう。

 きっと老いた親(つまり私)に対しても、同じように親孝行をしようとする可能性は高い。



 もっと重要なのは、孫(つまり私から見て我が子)も、その子供から親孝行される可能性は高くなる。

 老後は、子供や孫から大事にされるものだという意識を子や孫が持っていれば、どの世代が年老いても幸せな老後が過ごせる。



 そういう意味でも親孝行は心がけたい。我が家では、爺ちゃん婆ちゃんは、幸せな老後を過ごしているという家風を作りたい。

 それが、爺ちゃん婆ちゃん、自分、そして我が子や孫が幸せな人生を送ることにつながると考えるからである。



家庭教育で意外と教えられていないこと

2015年10月18日 | 家庭教育
 子育てをしていて、もしくは子育てをしていて、大事な事はたくさんある。

 一番は、親の愛情を子どもに伝えることであろう。これが一番重要で、ある意味すべてかもしれない。

 しかし、他の大事なことが今は意外と教えられていない。これをいうと反発される可能性もあるので、あまり書きたくはないのだが・・・。



 それは、家庭内の上下関係である。

 親よりも子どもは下である。親あってこその子どもである。

 親に対して失礼なことをいうべきではない。もし言ったならば、叱るべきである。本当は、失礼なことを言いにくいような雰囲気にしておくべきである。

 こんなことを言うと、自由ではないと反発を受けるので、言いたくはないのだが、言ってしまおう。



 親に失礼なことを言うような自由はなくてよいのである。

 親子で会話しているのが耳に入ってくることがある。聞き耳を立てていなくても入ってくるときがある。

 子どもが親に対してきついことを言っているときがある。

 きっとこの子は10年後、20年後にその言葉を言ったことを反省するときが来る。

 「言わなきゃよかった。」「お父さん、ごめん。お母さん、ごめん。」と言うときが来る。

 そう言わせているのは、親の責任でもある。親が少したしなめておけば、しかも幼いうちに指導していれば子どもは後悔しなくてすむのである。

 子どもには、親に対して失礼な発言をする権利はないのだ。


 人格者の父母の子どもが荒れている場合の殆どは、家庭内の上下関係を教えていない場合が多かった。(少なくとも自分の周りはそうである。)


 今日はちょっと書きすぎかなあ。

子供を守る絵本「とにかくさけんでにげんるんだ」

2015年08月28日 | 家庭教育
 子供を悪い人から身を守る絵本がある。

 「とにかくさけんでにげるんだ

 場面毎に、悪い人に対してどんな行動を取ればいいのかが具体的に書いてある。

 小学1年生でも、幼児でも分かりやすい。

 こんな場面がある。

 ○ デパートで

 ○ 講演で

 ○ マンションで

 ○ ホテルで

 ○ テレビのニュースで

 ○ しんせきのおじさんの家で

 それぞれの場面で、悪い人に出会ったときの行動の仕方や考え方が書かれている。

 読み聞かせにオススメの本である。

子どもの適性を見るヒント

2015年08月23日 | 家庭教育
 我が家の次男坊(中学2年生)は、夏休みの宿題もせずに、何か物作りに熱中していました。

 大量の割り箸と輪ゴムだけを使った作成した作品は、次のモノでした。



 こういう物作りだと、誰が何も言わなくても、(作れとも言わないのに)熱中して何時間でも作り続けられる次男坊です。

 きっと、こういう「物作り」をする仕事が合っているんだろうなあと思います。

 どの子でも、こういう夢中になれるモノがあるのではないでしょうか?

 将来の仕事は、こういう子どもの頃に夢中になれるモノに関係ありそうです。

 我が家の次男坊は、物作りに関係ある仕事に就きそうな気がします。

夏休みの宿題(スケッチ)を楽しくさせるなら、・・・親子で写真を撮りに行く・・・作品

2015年08月22日 | 家庭教育
 先日、写真撮影をしてから描いた霧島の作品は、次のようになりました。

 

 楽しみながら描いたので、見ているこちらも楽しかったです。

 「余白(白いところ)が多いから、塗ったら?」

 と、家族に言われていましたが、本人はこれで作り終えたと、仕上げたと思っているようです。